お嬢様 『彩最大のピンチ』
横浜・みなとみらいの高層ホテル、最上階のスイートルーム。カーテンは分厚く閉ざされ、窓の外の夜景さえ遮られている。丸テーブルにはワインと軽食が並ぶが、誰ひとり手を付けようとはしなかった。
先に口を開いたのは、与党の代議士・田辺元道だった。
「……まったく、湘南会がここまで無様にやられるとはな。あれだけの数を鎌倉に送ったというのに、跡形もない。あの小娘ども……ただの飾り物ではなかったというわけか」
隣で葉巻をくゆらせていた三鍋洋行が、鼻で笑った。
「所詮、ヤクザは使い捨ての駒に過ぎませんよ、田辺先生。ああいう連中に期待する方がどうかしている。問題は我々の計画が、彼女らのせいで遅れていることですな」
中国ファンドの代表格、劉は、鋭い眼光で二人を見据えた。流暢な日本語だが、抑揚の奥には冷ややかな響きがある。
「私たちが必要なのは鎌倉の土地です。歴史的価値などどうでもいい。観光客向けのリゾートに造り替えれば、莫大な利益が生まれる。あなた方は、そのための“政治の盾”として機能してもらわなければ困る」
三又は不快げに眉をひそめた。
「だが劉さん、鎌倉の地元住民は強硬だ。寺社仏閣の連中も含めて保守派が多い。資金だけでは押し切れん」
劉は薄く笑った。
「だからこそ、地元の顔役であるあなたの存在が必要なのです、三又さん。反対派の住職や古い商工会をまとめあげることは、あなたにしかできない。そして」
彼はワイングラスを掲げる。
「中央の規制を骨抜きにするのは、田辺先生の仕事だ」
田辺は口元をぬぐい、ため息をつく。
「そのために湘南会を動かしたが……結果はご覧のとおりだ。まさか女子高生集団に潰されるとは夢にも思わなかった」
劉の目が細まり、冷たい光を帯びる。
「女子高生……ではない。あれは“力を持つ一族”の令嬢たちだ。三条財閥、木田、そして海外資本と血脈が絡み合う。彼女たちを敵に回すことは、ただの不良やチンピラを相手にするのとはわけが違う」
三又は椅子に深く沈み込み、苦笑した。
「だからこそ、余計に厄介だ。正面から潰そうとすれば警察やマスコミに逆に利用されかねん。だが……我々の利権を守るためには引けぬ。次の手は?」
劉はグラスを静かに置き、声を低くした。
「“外”の力を使います。中国本土から、もっと確実な者たちを送る。表に出ぬ工作員たちを」
田辺と三鍋は互いに視線を交わし、短い沈黙の後、うなずいた。
数日後の夜、三又が懇意にしてる古い料亭の一室に、与党代議士の田辺元道、地元の大物政治家三又洋行、そして中国ファンドの代表格である劉が再び集まっていた。
表向きは「不動産開発に関する懇親会」
しかし実際には、
湘南会の壊滅後に残された“空白地帯”をどう奪うかという腹黒い談合である。
「地元のヤクザも瓦解した。今こそ動くべきだ」
三又が徳利を置き、低い声で言った。
「ええ。鎌倉の海岸線は、我々のファンドにとって宝の土地です。中国人観光客向けのリゾート、港湾物流の拠点……夢は大きい」
劉がグラスを傾けながら微笑む。
「地元は俺が抑える。商工会も寺社勢力も口を閉じさせるさ。田辺先生は国交省に働きかけを」
三又が田辺へ視線を送る。
「……任せろ。だが世論が騒げば話は台無しだ。反対派をどうにかしなければな」
田辺が煙草に火をつけ、煙を吐き出した。
その会話を、料亭の裏の納戸に仕掛けられた集音マイクが余さず拾っていた。
操作しているのは梓。アルテミス専用の監視車両のモニターには、三人の声が鮮明に映し出されている。
「やはり繋がったわね、政治とカネと外国資本」
梓が冷静にメモを取りながら呟く。
その横で、雅が目を細めていた。
「湘南会は駒にすぎなかった……本当の敵は、もっと奥にいる。これで全貌が見えてきたわ」
会議室のモニターに映る三人の姿を見つめながら、アルテミスの決意はさらに固まっていく。
アルテミスが拠点とするあかねの祖父の家に、見慣れぬ配送業者のワゴンが停まる。宅配員のように振る舞いながら、実は電波傍受用の小型装置を周囲に設置していた。
アルテミスのサポートに入っている地元有志運送会社が、日常的に使うトラックで資材を運んでいたが、不自然な事故を起こす。
ニュースでは「単なる交通事故」として報じられるが、雅の耳には「前日にブレーキラインに細工がされていた」という裏情報が入る。
また、アルテミスと親交の深い金融マンが、匿名のタレコミにより、
突然「インサイダー取引容疑」で強制捜査を受ける。
それは、香港からの暗号通信を経由していると、梓の解析で浮かび上がる。
(……偶然にしては出来すぎている。敵は、正面から殴り込んでは来ない。
我々の仲間を“社会的に”潰しにきている。)
夜。鎌倉から都内の実家に戻るため、彩は一人で黒塗りの公用車に乗り込んでいた。
運転するのは、父が官房長官であることから派遣された警護官。いつも通りの道、何も変わらぬ帰路のはずだった。
だが、トンネルに差し掛かった瞬間。
前方から猛スピードで突っ込んできた大型トラックが、車線を強引に塞ぐ。
ブレーキを踏む間もなく、車は急停車。
直後、背後から黒いSUVが迫り、ヘッドライトをギラつかせながらバンパーを押し込む。
「伏せろ!」
警護官の叫びと同時に、窓を貫いて銃弾が走った。
車体を覆う防弾ガラスが火花を散らし、彩は思わず悲鳴を上げる。
しかし不自然だった。
本当に仕留めるつもりなら、もっと正確に狙えたはずだ。
これは“脅し”だ。彩を狙えばアルテミスも動揺する、その心理戦を仕掛けてきている。
トンネルの出口でパトカーのサイレンが鳴り響いた途端、襲撃者たちは蜘蛛の子を散らすように撤退。
残された彩の車は、ヘッドライトが砕け、タイヤが裂けたまま惰性で止まっていた。
彩は震える声で呟く。
「……これは、ただの事故じゃない……誰かが、私たちを“消そう”としてる」
数時間後、夜明け前。
彩は父の私邸にある応接間のソファに身を沈めていた。
大理石の床も、煌々と輝くシャンデリアも、今はただ冷たい牢獄のように感じられる。
護衛に守られたまま帰宅したが、胸の鼓動はまだ収まらない。
トンネルで響いた銃声、ガラスに跳ね返った弾丸の閃光、車体を揺さぶる衝撃。
何度も何度も頭の中で蘇り、吐き気さえ覚える。
「……私、本当に死ぬところだったのね」
呟いた声は、かすれていた。
これまでも“アルテミス”として走りの抗争に巻き込まれたことはあった。
だが、それはあくまで不良や暴走族の延長線。
銃を向けられ、命を奪おうとする“国家規模の闇”に狙われることなど、考えもしなかった。
父の官房長官の立場を思えば、彼女自身が「弱み」として利用されるのは当然。
だが、理屈では理解できても、心は震えを止められない。
指先が冷え、膝を抱きしめても寒さが骨に染み込むように抜けていかない。
やがて、静かにドアが開き、梓が入ってきた。
ノートPCを小脇に抱えながらも、彼女の眼差しは真っ直ぐに彩を射抜く。
「彩さん……」
「……怖いの、梓さん。初めてよ。
こんなふうに“本気で殺される”って感じたのは」
梓は黙って隣に腰を下ろし、そっと彼女の肩に手を置いた。
「怖くて当然よ。でも、ここで折れたら敵の思う壺。
彩は“アルテミスの彩”なんだから……敵の弾丸よりも、あなたの心の方が強いってことを証明してあげなきゃ」
彩は唇を噛みしめた。
涙が滲んでも、声は震えても、それでも梓の言葉が胸に火を灯す。
恐怖は消えない。けれど、それを抱えたまま前に進むそれが自分の役目なのだ。
「怖いけど......絶対に逃げない。
私が狙われたなら、次はきっと、仲間たちが狙われる。
だったら……私が一番前で、立ち向かう」
梓が小さく微笑んだ。
その瞬間、彩の震えは止まり、代わりに瞳の奥に強い光が宿り始めた。




