お嬢様 『アルテミス・イン・ムジェロ —女神たちの疾走』
ローマ旧市街に、ようやく静けさが戻り始めていた。
金塊は回収され、ロレンツォ一味は警察に連行されていく。
騒がしかった夜が、少しずつ終わりを告げようとしていた。
そのとき、石畳を震わせるような重低音が響いた。
坂道をゆっくりと下ってきたのは、漆黒のドゥカティにまたがる巨漢。
白髪まじりの口髭、堂々とした背中。
その男こそ、アルテミスの師匠のひとり、アントニオだった。
「……やはり、見事だった」
低く響く声に、雅が振り返る。
アントニオはバイクを降り、ゆっくりと彼女の前に歩み寄った。
「私は見ていた。あのチンピラどもとのレースに全力を注ぎながら、裏ではすでに“勝利”を手にしていたお前の姿を。仲間の命を救うという、本当の勝利をな」
雅は一瞬だけ目を伏せ、静かに答える。
「ご覧になっていたのですね、師匠。ええ……正面からぶつかるだけでは、あかねは取り戻せなかった。だから、舞台裏にも“駒”を置いておきました」
アントニオは深く頷いた。
「恐れを隠し、敵を操り、仲間を信じた。お前のその胆力……まさしくリーダーの器だ」
梓が少し不安げに口を挟む。
「でも……冷たく見られたりしないかな」
アントニオは微笑んだ。
「冷酷と勇気は紙一重だ。だがな、雅……お前の“冷たさ”の奥には、仲間を生きて帰すという強い信念がある。私はそこに、お前の本当の温かさを見た」
その言葉に、アルテミスの面々は静かに息を呑んだ。
雅は小さく微笑み、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、師匠。これからも、私たちは仲間を守り抜きます」
アントニオは彼女の肩を軽く叩き、夜空を見上げた。
「それにしても……まさか雅が、ロスチャイルド家とつながりがあったとはな。あの家は、神聖ローマ帝国の時代から続くユダヤ系の財閥。ヨーロッパの金融を支配してきた一族だ」
「古い友人なんです」
雅は少し照れたように笑った。
「これで、ヨーロッパで君たちの学校に手を出す者はいなくなるだろう。ローマ教皇とロスチャイルド家が後ろにいると知られれば、誰も軽々しく動けない。宗教は、ここではまだ大きな力を持っているからな」
そして、アントニオはウィンクをひとつ。
「イタリアにいる間は、私も君たちの後ろにいるつもりだ。安心して楽しむといい」
夜が明ける頃、アントニオはアルテミスの面々を集め、ふっと笑った。
「お前たちの力、そして絆は十分に示された。だが……イタリアには、まだ“面白い舞台”がある」
その言葉と同時に、漆黒のBMWが静かに現れる。
運転席から降りてきたのは、ドイツの巨匠・ベグナー師匠。
冷徹な眼差しでアルテミスを見渡し、短く告げた。
「ローマの街角では満足できんだろう。ムジェロだ。世界最高峰の舞台で走れ」
その瞬間、アルテミスの心は一気に高鳴った。
翌日。
トスカーナの丘陵地帯を抜け、視界に現れたのは雄大なムジェロ・サーキット。
起伏に富んだ5km超のコースは、MotoGPの舞台であり、フェラーリのホームでもある。
ピットロードには、すでに地元のプロや若きレーサーたちが集まっていた。
観客席には、アルテミスのクラスメートたちの姿も。
Sクラス20人、さらにABCクラスの生徒たちまでが招待され、赤い高速鉄道ITALOとチャーターバスで到着していた。
彼女たちは可憐な制服やブランドのジャケットを身にまとい、まるで貴族の特別ゲスト席のような華やかさを放っていた。
「わぁ……本物の世界大会のサーキットじゃない!」
「ほんとに走るの? うちの雅様たちが……」
その雰囲気に、地元の観客たちも思わず目を奪われる。
「なんだ……あの応援団は」
「ただの女子校生じゃないぞ。雰囲気が違いすぎる」
レース前、雅がピットからサーキットに向かうと、スタンドから一斉に声が飛ぶ。
「雅様ーーー!」
「梓様ー! ご武運を!」
「宗子様、負けないで!」
その声援は、ただの黄色い歓声ではなかった。
それは「同じ聖凰華女学院の仲間」としての誇りを込めた、格式高い応援だった。
アルテミスの面々も、その声を背に受け、自然と表情が引き締まる。
梓はヘルメットを手にしながら振り返り、片手を挙げて軽く応える。
宗子はピースサインを突き上げ、観客席の友人たちを笑わせた。
一方、アントニオとベグナーの両師匠も、無言でマシンに跨がる。
その姿を見た生徒たちは、息を呑んだ。
「……あの方がアントニオ師匠?」
「まるで映画の中の英雄みたい……」
「ベグナー師匠って、クールでいかにもドイツの貴公子って感じ」
観客の視線が、アルテミスと師匠たちへと集中する。
まるで世界的なショーの開幕のようだった。
アントニオ師匠(ドゥカティ・パニガーレV4R)
ベグナー師匠(BMW M1000RR)
アルテミスは全員、特注のKIDA-ZX1000Rに搭乗。
「雅様たち、あんな大きなバイクに乗って大丈夫なのかしら……」
「アルテミスーー!!」
「日本代表ーー! 勝ってーーー!!」
その華やかな応援は、地元観客すら圧倒するほどだった。
イタリアの実況も熱を帯びる。
「シニョーレ、シニョーリ! なんという光景だ! 日本の令嬢チーム《アルテミス》が、我らが地元レーサー、そして二大巨匠アントニオとベグナーに挑む!」
シグナルが点灯していく。
赤いランプがすべて灯り、そして――消えた。
轟音。
20台が一斉に飛び出す。
先頭に飛び出したのは、地元レーサーのアプリリア勢。
宗子がZX1000Rのポテンシャルを解き放ち、ストレートで並ぶ。
梓はインから冷静に突っ込み、エマは外側から芸術的に回り込む。
雅は中団に位置取り、全体を俯瞰しながら、一気に抜け出すタイミングを探っていた。
観客席では、クラスメートたちが総立ちで声援を送る。
「宗子様ーー!!」
「梓様が来た!」
「エマ様、美しい!!」
「雅様、まだ余裕を残してる……!」
その熱狂は、イタリア人観客の心にも火をつけた。
「まるでサムライのごとき冷静さ……いや、これは“女帝の軍勢”だ!」
メインストレートに差しかかると、アントニオ師匠のドゥカティV4Rが咆哮を上げた。
「フォオオオオオオンッ!!」
わずか数秒でトップに立ち、誰も寄せつけない加速を見せる。
観客が総立ちになり、叫ぶ。
「マエストロだ! ドゥカティが翼を得た!」
一方、ベグナー師匠はBMW M1000RRで中盤から一気に外へ。
スリップストリームを巧みに使い、三台を一気に抜き去る。
「まるで戦闘機だ!」「ドイツの精密さ!」
だが、アルテミスも負けてはいなかった。
宗子はストレートで地元勢と並び、互角の加速を見せる。
梓は最適なラインを突き、ブレーキング勝負で相手を沈める。
エマは優雅なフォームでアウトから回り込み、観客の目を奪った。
琴音は強引なブレーキングで前方にねじ込み、相手に道を譲らせる。
あかねはスリップストリームを巧みに使い、ひとり、またひとりと確実に抜いていく。
観客席では、歓声と悲鳴が入り混じる。
「アルテミスが押してきた!」
「日本の令嬢たち、侮れない!」
先頭を走るアントニオ師匠は、ヘアピンカーブでアウトから華麗にドリフト。
マシンを完全にコントロールしながら、観客にその技を見せつける。
「ブラーヴィッシモ! 神業だ!!」
すぐ後ろのベグナー師匠は、無駄のないラインでコーナーを切り裂く。
その走りは、まさに“ゲルマンの精密機械”。
「これぞドイツ流! 寸分の狂いもない!」
そして、最終ラップ。
あかねが怒涛の追い上げで3位に浮上。
雅は冷静にラインを読み、4位へ。
梓も粘り強く食らいつき、5位でフィニッシュ。
宗子、エマ、琴音、麗子、彩もそれぞれ全力を尽くし、堂々たる走りを見せた。
【最終結果】
1位 アントニオ師匠(ドゥカティ V4R)
2位 ベグナー師匠(BMW M1000RR)
3位 あかね(アルテミス・ZX1000R)
4位 雅(アルテミス・ZX1000R)
5位 梓(アルテミス・ZX1000R)
…
9位 宗子
12位 エマ
13位 琴音
16位 麗子
17位 彩
レース後、アルテミスのメンバーたちは師匠たちのもとへ駆け寄った。
「師匠、楽しかったですわ!」
「さすがです、師匠!」
「また一緒に走ってください!」
アントニオは笑いながら頷き、ベグナー師匠は珍しくはにかみながら、ひとりひとりとハグを交わした。
「いつでも来い。お前たちは、いつまでも俺たちの弟子であり、友人だ」
その言葉に、アルテミスの面々は胸を熱くしながら、再び誓った。
――どんな舞台でも、私たちは共に走る。
仲間を信じ、誇りを胸に。
そして、ムジェロの空に、彼女たちの未来が高らかに鳴り響いた。




