お嬢様 『石畳の檻』
よう、お嬢ちゃん。気づいたか? 日本の金持ちってのは、本当らしいな」
リーダー格の男が、にやりと口元を歪めた。 その背後には、革ジャン姿の荒くれ者たちが数人。手にはナイフが光り、あかねを取り囲むようにして立っている。
ここは見覚えのない倉庫だった。 あかねは両手足を縛られ、口には猿ぐつわを噛まされている。声を出すこともできず、ただ鋭い眼差しで男たちを睨みつけていた。
「バッグだけじゃ足りねえ。仲間が払う金で、いいリゾート行きにしてやるよ」
「俺たちローマ走り屋連盟に逆らったら、生きて帰れねえぞ」
あかねは、怯えるどころか、毅然とした瞳で彼らを睨み返す。 彼らの狙いは、単なる金品ではなかった。 日本からやってきた“超富裕令嬢集団”アルテミス。 観光客を狙うチンピラにとって、これ以上ない標的だった。
「身代金か、あるいは“楽しい玩具”か。どっちにしても、利用させてもらうぜ」
こうして、ローマ裏社会のバイクチンピラ集団による誘拐劇が幕を開けた。
「……あかねが、消えた?」
Sクラスの仲間たちが息を呑む。 コロッセオ前の広場での合流時刻を過ぎても、あかねが戻らない。 人混みの中で「ひったくりを追っていった」という目撃証言があり、雅の眉がぴくりと動いた。
「ただのスリでは終わらないな……」
彩が父から仕込まれた直感を働かせる。 すでに護衛の警察OB教員が、現地警察へ連絡を入れていた。
やがて、ローマ市警のパトカーが到着。 制服姿の警官が片言の英語で事情を聞き取る。
「Signorina Akane… Japanese student… kidnapped, forse(あかねさんは、おそらく誘拐された)」
現地警察は捜査を約束したが、手続きや管轄の問題で動きは鈍い。 その場で梓がタブレットを取り出し、現地の防犯カメラネットワークにアクセスする。
「……路地裏に入った映像を拾った。複数のバイク、ナンバーは削られてるけど、動きはチンピラ集団ね」
「ブラッド・ストリーダーズか」
宗子が低く唸る。 ローマ裏社会で走り屋崩れの盗賊団の名前は、彼女の耳にも届いていた。
「警察は彼らを追いきれない。証拠も足りない」
麗子が冷静に告げる。
「でも、私たちなら可能」
雅が全員を見渡す。
「アルテミスの総員に告ぐ。ここからは我々が動く。表向きは警察に協力を装いつつ、裏では独自に追跡する」
「了解!」
少女たちの声がひとつに揃った。
琴音は携帯電話でイタリア経済同友会の人脈に連絡し、雅は三条財閥の現地法人に裏社会情報のルートを探る。 エマは観光客に紛れて現地のイタリア語で聞き込みを始め、怪しいバイク集団の痕跡を拾う。 宗子はサーキット用に積んでいた試験車両をホテルから搬出する手配を進める。
「必ず取り戻す。アルテミスの名にかけて」
雅の冷徹な宣言に、全員の瞳が闘志に燃えた。
倉庫街の一角。 薄暗いガレージの中には、改造されたバイクが並び、壁にはスプレーで描かれた骸骨のマーク。 そこが、観光客狙いの盗賊団、ブラッド・ストリーダーズの巣窟だった。
縄で縛られたあかねは、古びた木箱の上に座らされていた。 目の前では、リーダー格のチンピラが煙草をふかしながらニヤついている。
「ジャポネーゼのお嬢様か。金持ち学校だろ? お前の親から身代金を取れば、こっちはしばらく遊んで暮らせる」
「あるいは……お前自身を“商品”として売り飛ばしてもいい」
その下卑た笑いに、あかねの瞳が鋭く光る。
「……くだらない。あたしを誰だと思ってんのよ」
その声には怯えはなく、むしろ警察官の家系に生まれた者としての誇りが滲んでいた。
「アルテミスが黙ってると思う?」
その名を聞いた数人のチンピラが顔をしかめる。 地元でも噂程度には耳にしている、「東洋から来た走り屋集団」の名だ。 だがリーダーは鼻で笑った。
「女の走り屋? ローマじゃ通用しねぇ。ここは俺たちの庭だ」
そう言いながらも、彼の声の奥にはわずかな警戒が混じっていた。
倉庫の隅では、奪った観光客のバッグや財布が無造作に積まれ、チンピラたちは酒を飲みながらバイクの整備を続けている。 彼らにとっては、誘拐もスリも同じ“商売”にすぎなかった。
だが、あかねは心の中で確信していた。
(会長たちが必ず来る。あたしはここで耐えればいい……。
絶対に、負けない)
その決意に満ちた横顔は、たとえ縄で縛られていても、彼女が“ただの被害者”ではないことを物語っていた。
倉庫に響く下品な笑い声。 チンピラたちはワインボトルを回し飲みしながら、あかねの存在をまるで戦利品のように誇示していた。
「俺たちはな、裏レースでも稼いでるんだぜ。
お嬢様が“走り屋”? 笑っちゃうな」
リーダーが顎をしゃくって合図を送ると、数人の手下がガレージの奥から派手に改造されたバイクを押し出してくる。 フレームには盗難車の部品が寄せ集められ、マフラーからは炎が噴き出すような爆音仕様。
「俺たちのバイクは、ローマの夜を支配してんだ」
リーダーはわざとらしくエンジンをふかし、排気音を轟かせる。 倉庫の隅で縛られていたあかねが、苦々しげに歯を食いしばる。
「卑怯者……!」
「卑怯? ははっ、ここはローマだぜ。
正義もルールもねぇ。夜のストリートで速ぇ奴が王様なんだよ!」
仲間のチンピラたちが口笛を吹き、鉄パイプで床を叩きながら歓声を上げる。 その喧騒の中で、リーダーの声だけが、鋭く倉庫に響いた。
「見ろよ、これが俺たちの“戦利品”だ。観光客や間抜けな連中から奪ってきたバイクの数々だぜ」
誇らしげに並べられたバイクの列。そのどれもが、違法改造され、原型をとどめていない。 リーダーは満足げに煙草をくゆらせながら、あかねを見下ろした。
「お前もそのうち、俺たちの“戦利品”の一部になるんだよ。
ありがたく思えよな」
あかねはその言葉に、怒りを込めて睨み返す。 だが、彼女の中には確かな信念があった。
(絶対に負けない。アルテミスは、あたしを見捨てたりしない)
その頃、ホテルの一室では、緊迫した空気が漂っていた。 ボスが、あかねの泊まっていたホテルに電話をかけてきたのだ。
「明日夜10時、トレヴィの泉に同じ学校の生徒に100万ユーロ持たせろ。そうすれば解放してやる。ああ、この電話を逆探知しても無駄だからな。今日盗んだばかりの電話だからな」
その声を聞き、雅が受話器を手に取る。
「あなたがどなたか、存じません。あかねさんの身代金がたった100万ユーロですの?1000万ユーロお出ししましょう」
電話の向こうで、男の声が一瞬止まる。
「なにぃ?1000万ユーロだと?」
「私は三条財閥の者です。1000万ユーロくらい、明日中に揃えられますわ。そのかわり、条件がありますの」
「条件だと?」
「一つ、あかねさんには指一本触れないこと。二つ目、あなたたちも走り屋なら、走り屋らしく勝負してくださいな」
「そんな面倒なことしなくても、100万ユーロもらえばいいんだが?」
「そうですか。では、あなたたちは“女の走りにビビって1000万ユーロを捨てた”と、明日中にローマ中、いえ、ヨーロッパ中に広まるでしょうね。つまり、ブラッド・ストリーダーズは、小娘を恐れて勝負もできない臆病者だと」
「なに、おれらが臆病者だと!?」
怒声が電話越しに響く。 ブラッド・ストリーダーズも裏社会での面子がある。 その威信を保てなければ、睨みは効かず、仲間も金も離れていく。 臆病者の烙印を押されれば、終わりだ。
「いいだろ。その条件、呑んでやる。だがコースはこちらで決めさせてもらうぜ。旧市街を利用したクラシックレースコースだ。三人ずつの代表で、最初にゴールしたやつが勝利者だ。それでいいな? 身代金は金で準備しろ。札じゃ通し番号を追われちゃやばいのでな」
「いいわ。その条件でやりましょう」
雅はその瞬間、勝てると確信していた。 相手がどれほど荒くれ者でも、アルテミスの誇りと技術に勝るものはない。 これは単なる救出作戦ではない。 名誉をかけた、正面からの勝負だ。
こうして、ローマの石畳の下で、アルテミスと裏社会との影の戦いが、静かに、だが確実に幕を開けた。




