お嬢様 『港湾ナイトラン』
合宿から戻った翌日。 アルテミスとルナゴスペルは、それぞれの専用ガレージで再集結していた。
磨き上げられた床、壁一面に整然と並ぶ工具。 スポットライトに照らされた試作車両が、まるで戦場に赴く騎士のように静かに佇んでいる。
アルテミスには、KIDA-RS400をベースに改良された“KIDA-RS400改”が用意された。 パワーこそ前モデルと大差ないが、バッテリー容量と回生ブレーキの充電効率が飛躍的に向上。 これにより、レーシングモード2が常時使用可能となった。
梓が試乗車に跨り、電子スロットルを軽くひねる。
「レスポンスが、合宿前より0.2秒早い。CPUのマッピング、完璧ですね」
彩がモード切替スイッチを操作しながら微笑む。
「レーシングモードの加速、怖いくらいね……これならヴァルキリーズとも張り合えるわ」
宗子が胸を張る。
「それだけじゃありません。バッテリー配置を見直して低重心化してますから、コーナリング性能も格段に上がってます」
その横で琴音がぽつり。
「……でも、こけたらまたリジェーネに怒られるわよ」
「“損傷判定中……またこけた……”って、あれ夢に出るんだけど」
「AIに夢見させるなよ」梓が苦笑する。
一方、ルナゴスペルのガレージでは、美奈子たちがグリーンのカラーリングが施されたカワサキニンジャZX-4RR改の横に立っていた。
650ccクラス並のパワーを誇るこのマシンは、今回の改造でさらに牙を剥いた。
最高出力:80PS超(ハイコンプ仕様)
吸排気系:レース専用チタンマフラー+大径エアインテーク
足回り:SHOWA製サスペンション(専用セッティング)
電子制御:レース用ABS、トラクションコンロールのマルチマップ切替
沙耶香がタンクを軽く叩く。
「このトルク……直線は完全に私たちの領域ね」
千秋がヘルメット越しに笑う。
「でも扱いきれないと死ぬぞ。ま、ウチらなら余裕か」
涼子が肩をすくめる。 「ていうか、ZX-4RRを7台も揃えてレース仕様にするとか……総長たちの財力、もはや国家予算」
「恩は恩。勝負は勝負よ」 美奈子がマシンに跨り、スロットルを軽く煽る。 「この牙、誰に向けるかは……走り出してから決めるわ」
そして夜。 港湾ナイトラン第1ステージの舞台、指定された港湾エリアは、人工光と闇が交差する迷宮だった。
コンテナが作る狭いコース、オイルの匂い、遠くで鳴る貨物列車のブレーキ音。 傾いたクレーンが不気味な影を落とし、雨上がりの路面には水たまりが残り、照明を乱反射していた。
アルテミスは、ジェネシス搭載のピット車両3台を持ち込み、コンテナのサイド扉が作る屋根の下で最終調整を行っていた。
「以前、梓たちが走った埠頭とは、まったく趣が違うわね」 雅がメンバーを見渡し、静かに告げる。
「このレースは加速だけじゃ勝てない。何より大事なのは、車列の維持。チームワークが鍵になるわ」
彩が笑いながら答える。
「総長、わかってますって。私たちは“アルテミス”ですから」
その横で宗子がマシンのタンクを撫でながら、ぽつりと呟く。
「……行ける。たぶん。いや、行ける。きっと」
ルナゴスペルのピットでは、美奈子がZX-4RR改のマフラー音を確認し、さらに回転数を上げる。
「この音……最高ね。港湾の直線、あのアルテミスをぶち抜いてやる」
「でも雨で滑ったら、隊長のマシンもただの鉄くずよ」
涼子がシールドを下ろしながら冷静に釘を刺す。
「それでもスロットルを開けるのが、ルナゴスペルでしょ?」
美奈子が鼻で笑う。
「……あ、でも滑ってこけたら、リジェーネに怒られるよ」
千秋が真顔で言うと、沙耶香が吹き出した。
「うちのピットにも“怒るAI”導入する?」
離れたピットでは、北欧のヴァルキリーズが静かに準備を進めていた。 金髪の隊長フリーダは、雨天用タイヤを確認しながら呟く。
「夜の港湾……これほど美しい戦場はない」
誰も返事をしない。 仲間たちは無言で、まるで儀式のようにマシンを整備していた。
対照的に、クロムファングのピットはロックフェス直前のような騒がしさ。 隊長マイクが笑いながら叫ぶ。
「雨だろうが暗かろうが関係ねぇ! 俺たちはねじ伏せる!」
メンバーが一斉にエンジンを吹かし、爆音が港湾に響く。
「おい、誰だよ今、工具箱に足突っ込んだの!」
「俺のエナジードリンク返せー!」
「それ俺のだって!」
騒がしさも戦術のうち。威嚇と挑発、それが彼らのスタイルだった。
—
コンテナ群のさらに奥、闇に溶け込むように不如帰のピットがあった。 照明は最低限、整備音もほとんど聞こえない。
鷺宮 蓮がフロントタイヤを点検しながら、低く指示を出す。
「第一セクター、全員で隊列を組んで視界を潰す。
第二セクターで抜ける。雨は俺たちの盾になる」
「了解」
返す仲間たち。 その声には無駄がなく、まるで訓練された特殊部隊のようだった。
全員が黒の防水ジャケットに身を包み、マシンの塗装も夜の闇に溶け込むマットブラック。 その場に漂うのは、爆音でも喧騒でもなく、狩りの前の静けさだった。
港湾エリアの空気が、少しずつ張り詰めていく。 三島のスタッフがコースの最終安全確認を終え、各チームのピットに通達が入った。
「各チーム、第1ステージ開始まであと30分」
その声を聞き、各チームが最後の仕上げに入る。
梓がKIDA-RS400改のセンサー値を最終チェックし、雅が全員を見渡す。
「予定通り。隊列は私が前。彩、後衛を固めて」
彩が頷き、レインバイザーをゆっくりと下ろす。
「了解。後ろは任せて」
宗子はマシンのタンクを撫でながら、深く息を吐いた。
「……今度こそ、こけない」
その横で琴音が小声で囁く。
「リジェーネ、見ててね……今日は怒らせないから」
ルナゴスペルのピットでも、緊張と高揚が入り混じっていた。
美奈子がマシンに跨り、雨粒を睨みつけるように見上げる。
「滑る路面? 上等」 千秋が後ろで笑いながら言う。
「私たち、雨でも負けないもんね」
その軽口の裏に、全員の集中は鋭く研ぎ澄まされていた。
ヴァルキリーズは無言のまま、隊長フリーダが指を一本立てて空を示す。 仲間たちはそれだけで動きを止め、整然とマシンの前に立った。 その動きは、まるで軍隊の戦術指示のように正確だった。
クロムファングのマイクが、わざと大きな声で隣のチームにも聞こえるように叫ぶ。
「この港は俺たちのステージだ!」 仲間たちが手を叩き、爆音を響かせる。 「おい、誰か雨で滑って転んだら、バイク担いででも走れ」
「うちらの頭の中のAIは怒らねぇ! ぶっ壊れるだけだ!」
蓮は腕時計を見て、短く言った。
「……二十五分後、狩りが始まる」
全員がうなずき、工具を置いて無言でグローブを締める。 雨で濡れた黒いジャケットは、まるで影そのものだった。
スタート10分前
三島のスタッフが、各チームにコースインの合図を出す。
港湾のメインストリートに、各チームがゆっくりと集まり始めた。
タイヤが水たまりを割る音と、エンジンの低い唸りだけが響く。 観客エリアは高台のコンテナ群の上に設けられ、レインコート姿の観客たちが固唾をのんで見下ろしていた。
スタート1分前。 グリッドの上には、雨粒がライトに照らされて銀色に舞っていた。 前方には傾いたクレーンのシルエット、横には積み上げられたコンテナの壁。 すでに視界は、雨と水煙でぼやけている。
アルテミスは雅を先頭に整然と並び、ルナゴスペルはやや斜めに陣取って相手を威圧。 ヴァルキリーズは軍人のように寸分違わぬ位置で停止し、クロムファングはタイヤを空転させて水しぶきを上げる。 不如帰は闇の中で静かにアイドリングを続けていた。
三島のスターターが旗を持ち上げ、雨粒の中で赤ランプが点灯する。 観客のざわめきが静まり、すべての音が低く沈む。 雨の音すら、遠くに感じる。
エンジンの唸りが一斉に高まり、路面が震える。
5……4……3……2……1……
青ランプが点灯。
夜の港湾が、咆哮で爆発した。




