お嬢様 『世界ランクの師匠たちは只者ではない』
鈴鹿耐久レースの観戦を終えた翌日。 アルテミスとルナゴスペル、そして世界ランカーの師匠たちは、それぞれの愛機に跨り、鈴鹿を後にした。
最新のスポーツバイクから、師匠たちの手によるカスタムマシンまで、20台のバイクが一直線に並び、東名高速を東へと進む。 速度は法定より少し速い程度。安定した隊列を保ちながら、まるでツーリングを楽しむように走っていた。
先頭は総長・雅。その横に梓と美奈子が並び、後方には師匠たちが要所に散って、見事なフォーメーションを築いている。 ヘルメット越しでも、インカムから聞こえる会話には、前日のレース談義で盛り上がる声が絶えなかった。
そんな静かな巡航を破ったのは、後方から迫る異様な爆音だった。
バックミラーに映ったのは、蛇行しながら突っ込んでくる二十数台の暴走族。 ネオンカラーのカウル、旗をなびかせた旧車軍団。彼らもまた、鈴鹿耐久を観戦した帰り道だった。
彼らは、先行する隊列をただのツーリング集団だと思い込み、派手な煽り運転を始める。
一人の族ライダーが雅の横に並び、手で「もっと飛ばせよ」と挑発する。 だが雅は、バイザー越しに視線を向けただけで、スロットルを一定に保ったまま応じなかった。
その隣で梓がインカムを入れる。 「……師匠たち、やっちゃいます?」
「いや、必要ないだろう」 低く答えたのは、世界王者・マルケス。
後方にいた族の一人が、並走してきた師匠の顔を見て固まった。 昨日、表彰台に立っていたベグナーが、ちらりと一瞥をくれる。
「……え、ウソだろ……あれ本物か……?」
無線で仲間に動揺が走る。 次第に蛇行運転は収まり、族の列は減速。やがてウインカーを出して、サービスエリアへと逸れていった。
暴走族が去ったあと、美奈子が笑いながら言う。
「師匠たちって、ただ走るだけじゃなくて、存在そのもので相手黙らせるんだね」
梓も苦笑しながら返す。
これが“世界ランカーのオーラ”ってやつですわ」
「……あ、また私恋に落ちそう」
千秋は、次の恋の予感に胸をときめかせていた。
隊列は再び一定のペースで、海沿いの熱海へ向けて走り続けた。
昼過ぎ、20台のバイクは海沿いの国道に降り立ち、熱海の街並みを滑るように進んでいった。 目的地は、三条家が所有する特別な自動車教習所。いや、実質的には専用サーキットと呼ぶべき場所だった。
「今回来られなかった連中、今ごろ悔しがってるだろうな」
バイクを止めながら、マルケスが愉快そうに笑う。
サーキットに隣接する合宿所に到着すると、師匠たちは迷うことなく風呂場へ直行。
「これこれ、バイク転がした後のこの温泉が最高なんだよ。日本って本当にいい国だよな。ここの湯を知ってから、シャワーじゃ物足りなくなっちまった」
湯上がりには、備え付けのマッサージチェアをめぐって小競り合いが勃発。 昨日のレースで凝り固まった筋肉をほぐしながら、師匠たちはまるで少年のように笑い合っていた。
遅めの昼食には、地元の食材をふんだんに使った懐石料理が振る舞われた。 その後、いよいよ特訓前のミーティングが始まる。
会議室のスクリーンに、昼間の走行映像がスロー再生で映し出される。 リモコンを手にしたマルケスが、まずはアルテミスの走行を指摘する。
「見ての通り、序盤は完璧な隊列だ。だが後半になると、先頭と最後尾の距離が開き始める。 追いつこうと無駄な加減速が増え、結果として全体のリズムが崩れる。これは、レース終盤で致命的になるぞ」
続いて、ルナゴスペルの映像に切り替わる。 ベグナーがリモコンを操作し、あるコーナーのシーンで再生を止めた。
「勢いはある。マシンの扱いも悪くない。だが……見ろ」
画面には、美奈子が美しいラインでコーナーを抜ける姿と、後続のメンバーが外へ膨らんでいく様子が映っていた。
「これは“我流”の証拠だ。個々の癖が強すぎて、ライン取りがバラバラ。隊列走行になると統一感がなくなり、全体のスピードが落ちる」
この分析をもとに、特訓の方針が決まった。
アルテミスは、持久力と隊列維持を課題とし、マルケスとミラーが担当。 ルナゴスペルは、フォームとライン取りの統一を目指し、ベグナー、アントニオ、ジーコの3人が指導にあたることになった。
最後に、マルケスが雅に尋ねる。
「基本はこれでいくが……雨はどうする? またロケットでも打ち上げるのか?」
雅は微笑みながら答える。
「いいえ。すでに伊豆山中の水源を確保してあります。それを引いて、コースサイドのスプリンクラーから噴出させる工事は完了済みですわ」
「……あいも変わらず、えげつない準備だな。よし、あとは任せろ」
翌朝、まだ夜明けの気配が残る熱海の空の下。 サーキットのピットに、アルテミスとルナゴスペルのメンバーが揃っていた。 空気はひんやりとしていたが、そこに立つ彼女たちの表情は、すでに熱を帯びていた。
ピット前には、すでに世界ランカーの師匠たちが待ち構えていた。 マルケスが一歩前に出て、短く告げる。
「今日はチームごとに分かれて、課題を叩き込む。覚悟しろ」
その一言で、場の空気が一気に引き締まる。
アルテミス班:隊列持久走
アルテミスの課題は、持久力と隊列の維持。 コースの外周を使い、30分間、1メートル間隔の隊列を崩さずに走り続けるというメニューが課された。
先頭は雅、続いて梓、あかね、宗子、彩、琴音……と続く。 師匠たちは無線でリアルタイムに指示を飛ばす。
「後ろ、詰めろ! あかね、呼吸が乱れてるぞ!」
「宗子、加速が早い! 前輪、かすめるぞ!」
マルケスの声が、ヘルメット越しに鋭く響く。
「持久走では、前車のスリップストリームを使え。先頭が疲れたら、最後尾に回って順次入れ替われ。だが、列の形は絶対に崩すな!」
15分が経過した頃、額には汗がにじみ、腕は鉛のように重くなる。 それでも、梓が短く声を飛ばす。
「あと半分。列を崩さないで!」
「彩さん、後ろについて。私が先頭に入ります」
その声が、全員の背中を押した。 誰もが、ただ“走る”だけではない、“支え合って走る”ことの意味を、身体で学び始めていた。
ルナゴスペル班:基礎フォーム修正
別コースでは、ルナゴスペルのメンバーが、師匠3人の厳しい指導を受けていた。 一人ずつコーナーに進入し、フォームとライン取りを徹底的に矯正される。
「千秋、腰が落ちすぎだ。もっと目線を先へ!」
「沙耶香、インを突くな! 外から膨らませて回れ!」
美奈子は先頭でお手本を見せ、玲奈と千鶴が必死に追いかける。 ひなたは何度も同じコーナーをやり直し、ついに師匠から小さく頷きをもらった。
その瞬間、彼女の顔に浮かんだ笑顔は、朝の光よりもまぶしかった。
午後の合同メニュー:雨天&障害物訓練
昼食を終えた頃、突然コースに設置されたスプリンクラーが一斉に作動。 伊豆山中から引かれた水が勢いよく噴き出し、アスファルトは一瞬で濡れた。
さらに、師匠の合図でコース上にパイロンや木箱が配置され、視界も足元も不安定な“実戦環境”が完成する。
「午後は合同訓練だ。雨天、障害物、隊列維持。全部同時にやるぞ!」
滑る路面、見えにくい視界、そして突如現れる障害物。 だが、午前中の特訓で意識を合わせたアルテミスとルナゴスペルは、互いの位置を感じ取りながら、スムーズに動き始めた。
「右、パイロン!」
「左、木箱!」
「ライン変えるよ、ついてきて!」
無線が飛び交い、バイクたちはまるで一つの生き物のように動く。
最終周、美奈子がわずかに前へ出ると、雅が視線だけで「抜け」と合図を送る。 その瞬間、2チームのバイクが一直線に並び、濡れた路面を切り裂いてゴールラインを駆け抜けた。
夕暮れのピット。 エンジンの熱が冷めていく中、ライダーたちは互いに笑顔で拳を軽くぶつけ合った。
「今日は……いい汗かいたわね」
誰かがそう呟くと、全員がうなずいた。




