お嬢様 「死角の外へ」
――最初小さな声だった四人目の声、が次第に大きくなる。
多美は、その声の主をはっきりと認識した。
「マリちゃん」
おもわず、呟く。
「マリちゃん。私怖いの。もう誰も傷つけたくない」
「あの事故は、多美ちゃんのせいじゃないよ。私が起こしたんだよ」
「嘘、だって怪我したのマリちゃんだから」
そこで、涼子達は気づいた。多美の恐怖は、事故そのものじゃない。
人を巻き込み、人を傷つけることだと......。
「多美、この集団から、抜け出せ。ただし後ろに逃げるのは駄目だ」
後ろから、涼子は指示する。
「いいか、多美。お姉ちゃんたちは、この速度この隊形で、1時間でも2時間でも走れる。そのような練習をしてきたからな」
その言葉に多美は覚悟を決める。
風景は流れているが、四人の位置は、固定されている。多美から見れば止まって見える。シンクロしているから。
多美は、前に出る為のラインを探した。――いや、止まったように見えるから出口である。
後ろは駄目だ。前のマシンの右から抜くか、左から抜くかの二択である。
だが、右側は、INだ、マシンは止まったように見えるが、コースが動いている。そして、多美もIN側を走っているので、余白がない。
左側は、斜め前に余白がある。しかし囲まれていて一台が入りこむには、ギリギリだ。多美と並走する一台を巻き込む可能性がある。
どうすれば、通れるか。多美は考えた。
いつの間にか、多美の思考は、無意識にレーサーの戦術思考へと昇華していた。
多美の陰の才能は、自分の存在感を薄めることである。
だが、それだけでない。
自分の存在感を薄めるには、他人の視点を外す事。
そのために、自分自身を第三者の視点で見つめて、視点外に置くことだ。
これが、無意識に使ってた多美のステルス走行である。
多美は、観察した。どこが、死角になる範囲なのかを。
ストレートは、論外。第一カーブは、二人ともIN側に視点範囲が広がるから、第二カーブもだめ、次のカーブもだめ。
そうやって走っていくと、一か所だけ両者の視点が激しく動き左前方に死角ができるとこを発見した。
(ここだ・・・)
多美は、場所を特定した。
次に多美は、この死角を広くするための方法を考える。
この死角に入るために、その直前まで多美自身の存在を、先行者にも、並走者にも認識してもらう。だからIN側に意識を集めさせる。
そして、丁度二人の視点の交点に当たるエリアを特定する。
ヘルメットの動きで、その大体の場所を予測する。
三人の目から逃れられるのは、一回だけだ。おそらく二回目は、このトリックは通用しないと、本能が教える。
三人は、多美が、寡黙になり集中してきてるのを感じた。
(何か、仕掛けてくる)
インカムで、涼子は、二人に指示する。
「みんな、注意。特にカーブだ」
第一コーナー、第二コーナーとも、きっちりと先頭車は、インを締め並走車も同じくINを締める。
多美は仕掛けない。
そして、勝負をかける場所に差し掛かった。
多美が選んだのは、数々の名勝負が行われた、弱S字コーナー。
ここは、コースの性質上どうしても人の視線が大きく動くところだ。
多美は、あえて、右まわりのインに入る。三人の視点が、そこに重なった。
涼子達は、多美を認識する。だが、次の瞬間多美の姿が視点から消えた。
多美は、最初のコーナーでブレーキングのフェイントをして、一気に左前のの隙間をついて、前に出た。
「何が起こった?」
信じられない顔で、先頭だった、千秋が尋ねる。
「わからない。急に消えた」
沙耶香もその瞬間見失ったのだ。
「私も、一瞬コーナー多美の姿が、ブレてそして消えたと思った」
慌てて3人が探す。
すると、どこを走ったのか多美は先頭を走っていた。
驚いたのは、3人だけでなかった。
コントロールタワーでも同じであった。
「雅、今のは?」
梓が、起ち上って驚きの声を上げる。
「ええ、美奈子さんのコーナーリングほどの速度じゃないけど、ラインは同じ」
「ほう、やってくれるよな」
三島さえ皮肉を言うのは精一杯で、次の言葉が出ない。
コトロールタワーにしばしの沈黙が流れる。
「雅、本気でジュニア全戦取りに行くぞ」
「私は、最初から本気ですわ」
雅は、言い切った。
「ジュニアの、監督も決まったことだしな」
「まだ、本人の承諾はとってませんわ」
「それは、俺の預かり知らない事だ。お前がなんとかしろ」
雅は、呆れた顔をして、両手を広げた。
三島が、言い放った。
多美は必死だった。気づけば先頭にいた。
どこをどう走ったかさえ、思い出せない。
ただ、囲いを破る、その為に人の視点を避けた。
だが、すぐ追いつかれてまた囲まれる。
すぐに追いつかれるのは、分かっていた。
次に囲まれたら、もう自分に手がない。同じことは通じないだろう。
しかし涼子達は、前に出なかった。ただ多美の後ろに付いてるだけだ。
すると、涼子からピットに入るように指示が出る。
四台は揃ってピットに入る。そしてマシンを降りる。
涼子は、ヘルメットをとり多美に駆け寄る。
一瞬多美は身構える。多美の防衛本能がそうさせる。
しかし涼子は、やさしく多美をを抱きしめ口を開いた。
「多美、頑張ったね」
やさしい声だった。
体中を温もりが覆う。
「ごめんね。多美。無茶させて。怖かったよね」
体の温もりが、多美の体から強張りを取り去っていく。
そこで、初めて涼子のやさしさを知った。
「涼子お姉ちゃん......」
言葉が続かなかった。
多美は、涼子の言葉で、全てをわかった。
涼子は、自分を逃げないように、恐怖から目を逸らさないように、環境を整えてくれただけだろう。
多美は、心を開けなかった。いつも一歩引いたとこから人を観察してた。
だから、人は自分を腫物も触るように接していた。
それは、自分を守れるが、人との壁が厚くなる。
今回は、正反対だった。多美の心の傷に遠慮なく触れた。
涼子は、傷口に塩を擦りこむように接した。
壁を崩すために、多美自身で恐怖に立ち向かわせる手段をとった。
それでも多美は、正面から受け止めた。
「涼子お姉ちゃん、ごめんなさい。私逃げてた。人からも。自分からも」
多美は、思いっきり心の中を晒した。
「うん。でも多美ちゃん自分で、解決したんだ。偉いよ」
「ちがう。全部お姉ちゃんが導いてくれたから。私、子供だけど分かる」
「馬鹿だね、多美ちゃん。お姉ちゃんだから手を引くのは当たりまえなの」
そう言う涼子の目は、薄っすら涙を浮かべてた。
そこに一人の女の子が多美に抱きついてきた。
「多美ちゃん、かっこよかったよ。こう、バーン。シューって」
「何それ、マリちゃんおかしいよ」
いつの間にか、多美は笑っていた。
「え?おかしいかな?だって、バーン。シューだよ」
身振り手振りで一生懸命に説明する。
「多美ちゃん、今度教えてね。バーン。シューを」
「よくわからないけど、マリちゃんも教えてね」
「うん。一緒にやろう。だって友達だから」
「そうだね」
二人は笑顔で笑った。
多美は、”友達”と言う言葉に何の違和感をもってなかったことに、気付いてなかった。




