お嬢様 『月蝕計画:知恵で挑む夜の帝国』
午後10時過ぎ、横浜港・岸壁。
コンテナ群の間を、漆黒のヤマハYZF-3Rが高音を響かせながら滑り込んできた。 ライダーはグローブを外し、前髪をかき上げると、夜風に身を晒して一歩を踏み出す。
「初めまして、不如帰の総長さん」
闇の向こうから現れたのは、白地に金刺繍の特攻服を纏った少女。
アルテミス総長・三条雅。
その佇まいは、まるで舞台に立つ女優のような気品と緊張感をまとっていた。
「よく来てくれた」
鷺宮 蓮は目を細める。 目の前の少女は、自分とはまるで別の種族のように見えた。 だが、その只者ではない気配だけは、すぐに理解できた。
「あんたに聞きたいことがある。……単刀直入に聞く。
“うちが狂想会に喧嘩を売った”って噂が流れてる。あんたらの仕業か?」
雅は肩をすくめ、微笑む。
「事実ではありませんわ。でも、証明のしようがないことも、あなたならお分かりでしょう?」
「……ちがいねぇな。噂なんて、所詮は風だ」
蓮は苦笑しながらも、目の奥に警戒の色を宿す。
「ふふ、どこまでが事実で、どこからが虚構か—— その境界線なんて、案外 あやふやなものですわ。
でも、これは私たちにとって“好機”だと考えておりますの」
蓮は一歩前に出て、雅の瞳を真っ直ぐに見据える。
「正直、女ってだけでナメてた。けど今は違う。
……お前、完全に仕掛けてきてるな。
狂想会とオレたちを潰し合わせるつもりか?」
雅は一瞬だけ視線を落とし、そして静かに言った。
「潰し合いを望んでいるわけではありません。
ただ——“古い支配の終焉”を、この街に示したいのです」
「……」
「あなたたちは“走り”で横浜を守ってきた。 でも、狂想会は“暴力”でそれを汚している。 私たちの目的は一つ。“旧時代の終わり”ですわ」
蓮は黙ったまま、彼女の言葉を噛みしめる。 この少女の信念は、言葉以上に重く、鋭く、胸に突き刺さった。
やがて、蓮は煙草に火をつけ、夜空を仰いだ。
「……わかった。しばらく、この道化芝居に付き合ってやる」
「またお会いしましょう、鷺宮 蓮。次は、街が動いたあとで」
蓮は何も言わずにバイクに跨がり、エンジンを唸らせて夜の闇へと消えていった。
(あんな小娘が、仕掛けの本筋か。横浜も、まだ捨てたもんじゃねぇな……)
横浜狂想会本部
敬治は苛立っていた。 不如帰との緊張が、思考の余裕を奪っていく。
手元には、断片的な情報の束。 匿名アカウントの投稿、不如帰風の特攻服の目撃談、 メンバーへの接触報告—— それらが、彼の中で一つの“構図”を形作っていく。
「不如帰が、女どもと組んで揺さぶりかけてきてる。
……そうとしか思えねぇ」
それは、完全な誤解だった。 だが、敬治にとっては“女が裏で動く”という発想こそが不自然だったのだ。
「裏で繋がってる可能性のある奴、全員リストアップしろ。
名前が出なかった奴にも聞き取りをかけろ。異議は認めねぇ」
幹部が口を開こうとしたが、敬治の睨みに言葉を飲み込んだ。
「狂想会は、“火遊び”には容赦しねぇ。
中から崩す気なら、一人ずつ潰してやる」
アジトに沈黙が落ちる。 若手たちは互いの視線を避け、顔を伏せた。
“次は誰が密告されるのか” “次は自分かもしれない”
不信と恐怖が、静かに、確実に、組織を蝕んでいく。 それこそが、アルテミスの狙いだった。
アルテミス本部・特別戦略室
ホワイトボードには、狂想会の構造図と幹部の相関図。
その前に立つのは、梓。
「敬治、動いたわ。完全に“不如帰が裏にいる”と信じ込んでる。
……予定通り、粛清が始まったって報告も入ってる」
モニターには、欠席者のリストと“粛清候補”の名前。
美奈子が腕を組み、低く呟く。
「……あいつのやり方は、マジで怖い。
粛清された奴らが、そのまま“消える”可能性だってある」
雅は静かに頷き、言った。
「じゃあ、今こそ“切り札”を出すときね」
梓がスクリーンに新たな作戦ファイルを投影する。
《作戦最終フェーズ:コード“月蝕”》
作戦内容:
脱退者の保護と受け皿の提示
→ ルナゴスペルが説得と保護を担当。
→ 「ここにも居場所がある」と示すことで、離反を加速。
内部情報の暴露キャンペーン
→ SNS・掲示板で粛清の実態や敬治の暴走を拡散。
→ 狂想会の結束と信用を崩壊させる。
公権力の介入要請
→ 国税・警察に証拠一式を匿名提出。
→ 提出先は、警察庁長官と内閣官房長官。
「匿名で動くのかよ……そんなの通じるのか?」
美奈子が眉をひそめる。
梓は微笑んで答えた。
「普通なら無理。でも今回は、証拠もルートも“特別”です。
先日、埠頭を封鎖してくれた“お礼”として、ね。」
「暴力には暴力で、ってのは簡単だけど…… “法律”は、あいつらにとって一番怖い武器なのよ。」
美奈子は、ホワイトボードを見上げて笑った。
「いいねぇ……こっちは手ぇ出さなくても、
あいつら、自分の汚さで勝手に崩れてくってわけか」
翌日・狂想会本部
……なんで、こんなことになってやがる
敬治は、机を叩きつけるように立ち上がった。 状況は悪化の一途をたどっていた。 税務調査、警察の動き、情報の流出、若手の離反—— すべてが、目に見えない“何か”に操られているようだった。
そこへ、女豹疾走のカヲルが、場の空気も読まずにふらりと現れた。
「ねぇ、総隊長ぉ。前に頼んでたアルテミスと美奈子の件、
いつやってくれるのさぁ?」
その甘ったるい声に、敬治の苛立ちは爆発した。
「うるせぇ!今それどころじゃねぇんだよ!女が調子に乗るな!」
怒鳴りつけた瞬間、敬治の脳裏に、ある違和感が走った。
……“女”……?その言葉が、妙に引っかかった。
最初から、俺は“女にそんな真似ができるわけがない”って思い込んでた。 だから、不如帰が裏で糸を引いてるって決めつけた。 でも……不如帰は、何も仕掛けてきてねぇ。 むしろ、沈黙を貫いてる。……おかしい。
さらに思い返す。 カヲルがアルテミスへの“制裁”を頼んできたのは、いつだったか。 その直後から、内部の空気が変わり始めた。 情報が漏れ、店が潰れ、裏の金の流れまで追われ始めた。
まさか……全部、あの女たちが……?
ようやく、敬治は気づいた。 自分が見誤っていたのは、“女だから無力”という思い込みだった。
あいつらは、暴力じゃなく、知恵で来てやがる……
焦燥が、背中を冷たく撫でた。
「おい、カヲル。アルテミスの本部はどこだ?」
「えっ? 知らないよ。集会場とかも聞いたことないし……」
「じゃあ、美奈子のヤサは? どこにいる?」
「そ、それが……昨日の場所も、今朝にはもぬけの殻で……」
「チッ!」
敬治は舌打ちし、カヲルを突き飛ばすと、外にいた子分たちに怒鳴った。
「全員に伝えろ! アルテミスと美奈子の情報を洗い出せ!
ヤサ、仲間、関係者、なんでもいい!
重要な情報を掴んだやつには、昇格と金を出す。今すぐ動け!」
部下たちは一斉に散っていく。 だが、敬治の胸の奥には、初めて芽生えた“焦り”が渦巻いていた。
あいつらの正体が掴めねぇ…… なのに、こっちの足元は崩れ始めてる……
横浜狂想会の終焉は、すでに始まっていた。 それは爆音でも、刃でもなく—— 月の光のように静かに、確実に、彼らを包み込んでいた。




