お嬢様 「風が友達になった時」
食堂には、いつものメンバーが集まっていた。
今日の話題は、やはりマリだった。
「でね、マリちゃんずっと一番だったの」
優菜は、自分の事のようにみんなに自慢する。
「すごいなマリ。初めてで一等賞はすごいぞ」
沙耶香も千秋も褒める。
「うん。楽しかった。バイクって楽しいんだね。
でも午後からは、本物に乗るの。ちょっと怖いな」
「心配するなって、オリンポス8は、実車とかわらないぞ。
違いは、風を感じることかな?」
マリは、ちょっと身構えた。風にはよい思い出がない。
雪による凍れる風。古家の隙間から入ってくる風。
マリにとっては、風は貧困の鳴き声のように感じていた。
昼食が終わり、午後の実車搭乗のため、サーキットに歩いていく。
その時だった。
「皆本マリさん、事務室まで来てください」
急な呼び出しで、マリの顔は変わる。
それ以外考えられない。マリは駆け出した。
悪いことしか、思いつかなかった。
事前に、手術時間は、6時間かかると聞かされていたからだ。
今は、午後1時。手術から4時間しかたっていない。
何かあった。お爺ちゃんに......。
「皆本マリです」事務所で名前を言う。
「病院から、至急の連絡が入ってます。3番のボックスに入ってください」
マリの鼓動が大きくなる。
一歩一歩が、もどかしい。マリの中で時間が引き延ばされる。
3番のボックスに入る。
パソコンに蒲原医師が、手術着のままで現れる。
マリの口の中がカラカラになる。
「マリちゃん、お爺ちゃんの手術成功したよ」
蒲原医師は、笑顔で報告した。
マリの強張った体から力が抜ける。
「なして……」
声にならない言葉が、零れた。
その言葉を察した蒲原医師が答える。
「普通なら6時間かかるんだ。でもアテナが、凄かった。
きっとマリちゃんの願いの強さに、アテナが応えたのだろうね」
「お爺ちゃんは、まだ眠っているからね。
今日の練習が終わってからおいで。一人じゃ駄目だよ」
「はい。沙耶香お姉ちゃんにお願いします」
マリは、涙をぬぐった。
小学生には、重い、とても重い枷だった。
ここで沙耶香お姉ちゃんと友達になれたときでも、
優菜ちゃんと友達になれたときでも、
シミュレーターで、一番を取ったときでも、
心には枷があった。
それが、外れた。
心が軽くなる。同時に体も軽くなる。
サーキットに着いた。もう皆レーシングスーツに着替えていた。
「マリちゃん、あちらにマリちゃんの着替えあるよ」
優菜が言った。
「うん。着替えてくる」
自然に笑顔が、出た。
「マリちゃん何かいいことあったの?」
「教えない」
そう言ってマリは、更衣室に入っていった。
新品のレーシングスーツに袖を通す。
沙耶香お姉ちゃんが、手伝ってくれる。
「マリ、いい顔してるな」
「うん。沙耶香おねえちゃん、今日練習が終わったら、
私を病院に連れていってほしいの」
「おう、いいぞ。お爺ちゃんの手術終わったのか?」
「はい。成功したって。連絡あったの」
明るくマリは答える。
「そうか、じゃあ今日の初レース、勝ってお爺ちゃんに報告しないとな」
そう言って沙耶香は、手のひらを出す。
『パーン』
更衣室に音が響く。
白木から、レース前の簡単なレクチャーを受ける。
「最初の2週は、無茶しないように。コースと実車に慣れな」
「危ないと思ったら、止まる勇気が大事だ」
次々とジュニアが、コースに飛び出す。
マリもコースに飛び出した。
怖くはなかった。冷たい風が、心地良かった。
あれだけ、嫌いだった風が.......
シミュレーターと変わらなかった。
変わったのは、友達になった風だけ。
コースの横では、
美奈子、蓮、正岡達や、白バイ隊員のおじさん達の顔がはっきり見える。
2週の慣熟走行が終わり、一度みんなと、ピットに戻る。
それぞれの、お世話役のお兄さんやお姉さんが、子供達に駆け寄る。
沙耶香が、問題ないか尋ねる。
「うん、楽しい。みんなの応援も見えたよ。
沙耶香おねえちゃん、ストップウォッチ押してたでしょ?
時間測ってるの?」
「ばか、油断して、よそ見するんじゃないよ。怪我するぞ」
「う・うん。ごめんなさい。ただ見えたから」
「よし、次から思い切って走っていいが、集中しろよ」
「はい」
そう言ってマリはコースに戻っていった。
(見えていた? 私がストップウォッチを押す、その瞬間を?)
(戻って来た時か?ちがう押したのは、最初とバックストレートだ。
レースボードならわかる。しかし......)
ジュニアたちは、制限なしの自由走行になる。
自然と速度が上がる。
その中に、不自然な速度上昇を見せる者が、一人いた。
最初は、ばらけていたので、目立たなかった。
ストレートでは、目立たない。
どのバイクもリミッターがついているからだ。
だがコーナリング速度が異次元だった。
最初に、その違和感に気付いたのは美奈子だった。
「なあ、沙耶香あの子・・・」
真剣な眼だった。唇が引き締まってる。
次に気付いたのは、悠翔だった。
「蓮、あの子のコーナーリングは・・・」
「ああ、速い。あの中で異次元だ」
そして正岡が気付く。
「あの子、初心者じゃない」
「いや、今日初めてですよ」
ピットクルーが説明する。
「いや、そうかもしれないが、あいつは見えてる」
コントロールタワーで見ていたアルテミスメンバーも動く。
「アテナ、マリのタイムを計測して。特に各コーナーでの速度を」
「シミュレーターで、やれなかったことを、実践でやってるみたいね」
《はい》
そのころマリは、いろいろとブレーキのタイミングを変えていた。
(早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ。
50センチずつずらして、タイミングを探していた)
「あの子面白いことやってるな?」
美奈子が呟いた。
「ほんの少しずつブレーキングポイントを変えている」
「いや、マリは、今日初めてですよ。バイクは。
初心者だから、安定してないだけじゃないですか?」
「違う。あの子は、意識的に探してる。ポイントをな」
「私のマシンを出して。出る!」
「ちょっ!美奈子さんシャレにならないですよ」
しかし美奈子は、ピットを飛び出した。
飛び出したのは、美奈子だけでない。蓮と正岡もマシンで飛び出した。
ピットの見学者にざわめきが起きる。
その中で白木だけは落ち着いていた。
「ま、しかたないな。あの走りみたら、そうなるよな」
コントロールタワーでは、エマが心配して言った。
「止めなくていいの?」
「大丈夫でしょ。あの三人なら怪我はさせないわ」
「それに・・・競うつもりじゃないと思う」
外は冷たい風が吹いていた。しかしコースは、熱気をはらんでいた。




