お嬢様 「影の手」
次は、本日21時前後のアップ予定です。
不安とざわめきが渦巻く倉庫街。
誰かがぽつりと呟いた。
「……内部に裏切り者がいるんじゃねぇのか――」
その瞬間、夜を裂くようなバイクの重低音が響き渡った。
「ドドドドド……」
ヘッドライトの光が闇を切り裂き、現れたのは一人の大男。 黒地に深紅の刺繍が這う特攻服。 肩まで流れる黒髪に、鋭く細い目。 月明かりに照らされたその瞳は、残忍な光を宿していた。
「おめぇら、何を騒いでいやがる」
地の底から響くような低音が、場の空気を一瞬で凍らせる。
横浜狂想会 総会長 鬼影 敬治。
若手幹部たちは顔を強張らせ、一歩後ずさる。 あれほどざわついていた倉庫街が、まるで誰もいなかったかのように静まり返った。
敬治はゆっくりと周囲を見渡す。
「くだらねぇ噂に踊らされて、俺の前でヘラヘラしてんじゃねぇ」
淡々とした口調なのに、声には刃のような圧力があった。
「アルテミス? 美奈子? 女が何しようが、狂想会は揺がねぇ。……本気で、あいつらが俺に喧嘩売ると思ってんのか?」
鋭い視線が子分たちを貫く。
「あ? 女にビビってる奴がいるなら、今ここで気合い入れてやる。前に出ろや」
空気が一気に重くなる。 若手たちは視線を逸らし、タバコを持つ指が震える。 だが、誰一人として逆らえなかった。
敬治は沈黙を見届けると、口角をわずかに上げた。
「俺の力を信じろ。信じられねぇなら、今すぐ抜けろ」
その言葉は粗暴でありながら、不思議と心を掴む力を持っていた。
震えながらも拳を握りしめる若手たち。 その夜、倉庫街の空気は一変した。
不安が完全に消えたわけではない。 だが敬治の存在が、狂想会をぎりぎりで繋ぎ止めていた。
(……チッ。ここまで噂が広まってやがるか)
敬治は無言で若手たちの様子を眺める。
アルテミスの名も、美奈子の動きも、とうに耳には入っていた。 フロント企業の金の流れに妙な滞りが出ていることも、裏の薬の売り上げが落ちていることも、すべて把握している。
だが、それと女たちの関係は結びつかない。 ネットで流れている噂話の類だろうと考えていた。
仮に女たちが何かを仕掛けてきても、そんなものは簡単に潰せる。 問題は内部だ。統制が取れていない。 一度引き締める必要があるかもしれない。
組織は、恐怖と飴で成り立つものだ。
横浜最大の組織になったことで、メンバーが思い上がったか? “横浜最大”その言葉が脳裏をよぎる。
待てよ? これは不如帰の仕掛けじゃないか?
カヲルの件で女たちに意識が向いていたが、あいつらの方が可能性は高い。 横浜で狂想会と長年にらみ合いを続けてきた“横浜不如帰”。
走り屋を自称しているが、何度か揉めた油断ならない敵。
あいつらが背後で糸を引き、女どもを利用している。 そう考える方が筋が通る。
面白い手じゃねぇか。 女を使って裏から突く……搦め手か。
だが、失敗した女どもはどうなると思ってんだ?
使い捨てられるだけの価値があるかどうか、それが問題だ。
アルテミス……美奈子……
敬治は煙草の火を指で弾き、足元に落とす。
相手が女だろうと、不如帰だろうと俺は潰す。ただそれだけだ。
アルテミスのビル5階、作戦室。
ディスプレイには狂想会の拠点と港湾地域の地図が映し出されている。
梓が手元のタブレットをタップし、スクリーンに一件のメッセージを転送した。
『敬治は不如帰が裏で女どもを操ってると信じてるみたいです』
「……不如帰?」
美奈子が目を細め、眉を上げる。
「不如帰は走り屋集団よ。あいつらが裏で情報戦なんて、笑わせる」
梓は鼻で笑った。
「完全に誤解してるわね」
総長・雅は口元に手を当て、小さく笑んだ。
「つまり敬治は、“女だけではここまでやれない”と決めつけてるのよ」
「だから敵を見誤っている。これは大きな隙だわ」
室内の空気が一瞬和らぐ。 だがそれは安堵ではなく、冷たい自信だった。
美奈子は椅子の背に体を預け、深く息を吐く。
「本当に……女を舐めてるんだな、あいつ」
瞳の奥には怒りではなく、哀れみが浮かんでいた。
梓はスクリーンを見つめながら、冷静に言う。
「不如帰の名前を持ち出した時点で、敬治の頭の中じゃ“女はただの駒”。
それ以上の想像ができない」
雅は微笑みながら頷く。
「だからこそ、私たちが“本当の敵”だと気づかない」
「最高の状況ね」
ルナゴスペルの後輩たちは、少し驚いた顔で雅の言葉を聞く。
美奈子は視線を彼女たちに移し、ゆっくりと語った。
「敬治が目を向けてるのは不如帰。私たちの動きには、今は気づいてない」
梓が最後に言った。
「さぁ、この隙をどう突くか、考えましょうか」
「梓、スクリーンに狂想会と不如帰の縄張りを示した地図を映して」
スクリーンには「不如帰」の赤いマークと、
狂想会の「拠点」と「金の流れ」が浮かび上がる。
総長・雅が椅子から身を乗り出し、静かに口を開く。
「敬治は“不如帰が裏で動いている”と不信感を持っている。
だったら、信じ込ませてあげればいいのよ」
梓が頷く。
「私たちが動いている影を“不如帰の仕業”に見せかけるわけですね」
「狂想会内部に『不如帰が本当に攻めてきたんじゃないか』という恐怖を広げるの」
美奈子が目を細め、小さく笑う。
「つまり……敬治に“本当の敵は不如帰だ”と思わせ続けるってことだな」
「私たちは影として動く。表向きは“不如帰が仕掛けてきた”ように見せる」
雅の声は静かだが、確信に満ちていた。
「結果的に、狂想会と不如帰の緊張を高めてあげましょう」
梓がすぐに続ける。
「狂想会は巨大な組織。だからこそ、内部に不安が広がれば、結束は簡単に揺らぐ」
「『不如帰が攻めてくる』という恐怖を若手に植え付ければ、疑心暗鬼が一気に広がるわ」
ルナゴスペルの千秋が、少し戸惑いながら口を開く。
「でも……不如帰は何もしてないのに?」
美奈子は肩をすくめ、あっさりと言い放つ。
「関係ないよ。奴らは走り屋だし、本気で狂想会と潰し合う気なんてない」
「でも、狂想会はそう思わない。不如帰の名前だけで、十分に揺さぶれる」
その言葉に、部屋の空気が再び引き締まる。
誰もが、次の一手を見据えていた。
横浜・瑞穂町埠頭。
「なんだよこれ……」
不如帰の副長、橘 隼斗はスマホを握りしめ、苛立ちを隠せずにいた。
『不如帰が狂想会を潰しに動いてるって噂だぜ』
『アルテミスや美奈子と繋がってるらしい』
そんな話が、港の界隈や走り屋仲間の間で急速に広がっていた。
不如帰の総長、鷺宮 蓮は、夜風に髪をなびかせながら煙草をくわえ、低く呟いた。
「俺たちがそんなことするわけないだろ」
その声は冷静だったが、奥底には苛立ちが滲んでいた。
隼斗が言葉を継ぐ。
「わかってますよ。でも、街の連中は“狂想会と不如帰が潰し合う”って本気で信じ始めてます」
「この前、港で顔合わせた時も、あいつら目が血走ってましたよ。完全に構えてる」
蓮は煙を吐き出し、夜空を見上げた。
「……くだらねぇ」
不如帰は本来、街のシマ争いに深入りしない。 それが信条だった。
「アルテミスって女チームと繋がってるって噂もありますが
……どうします?」
隼斗の問いに、蓮は目を細める。
「繋がってないものは、繋がってない。ただ、それを証明する必要もねぇ」
だが、心の奥にはわずかな不安が芽生えていた。
(……高みの見物を決め込んでたら、こっちに火の粉が飛んできやがった)
誰かが仕組んでいる。 だが、理由もわからないまま“不如帰は戦う気がある”と見なされている。
それでも、街の噂は止まらない。
不如帰の仲間たちは顔を見合わせ、静かな緊張が夜の埠頭を包み込んでいた。




