お嬢様「通れる日」
小一時間ほど経った。
アテナから検査が終わったことが、告げられる。
「早いわね。もう検査終わったの?」
梓が驚いた顔をして言った。
「ええ、検査時間の長さは、それだけ患者さんに負担かけるから。
うちも最初は、長かったの。でもアテナが来てくれて、たぶん日本で一番早いと思うわ」
そして冬香の部屋に蒲原医師が入室して説明する。
「マリちゃん。お爺さんの病気なんだが、心臓の弁が悪くなってるんだよ。だから、それを換えれば治るよ」
「じゃあ、弁置換術ですね。人工弁は、適応サイズはありますよね?」
「ええ、普通ならそうします。でもその術式に反対する者がいまして」
「だれ?」
《わたしです。弁置換術では、患者のQOLが落ちます。ですから、わたしは、大動脈弁形成術を提案します》
「QOLって、術後の抗凝固剤ですね。でも、難度が極端に上がるのよ。わかってるのアテナ?」
《はい。しかしわたしは、ベターよりベストを提示します。わたしと蒲原医師の手技なら可能です。私なら、ミクロン単位で三次元形成が可能です》
「ごめん、冬香さん私やマリちゃんに分かるように話してくれる?」
「うん。人工弁にすると、体の中で、血液が固まらないように、その後一生、薬を飲み続けなければいけないの。薬を飲み続けることは、問題ないけど.......その後は、ケガもできないの。血が固まらないから」
「だから包丁を使うことも、基本は勧められない。
ちょっとぶつけただけでも、内出血が怖いの」
「……つまりね」
冬香は、そこで言葉を切った。
マリは、包丁のことを思い浮かべた。
転んだ時の、膝の血も。
「……お爺ちゃん、怪我したら……?」
その一言で、十分だった。
「でも弁形成術は、自分の体の組織を使って直すの。
だから血は、ちゃんと止まる」
「転んでも、切っても――普通の人と同じように、治る」
それだけ言って、冬香は口を閉じた。
「実はね、あなたのお爺ちゃんにも、聞いたのです。『どちらを選びますか?』って」
蒲原医師は、言葉を続けた。
「お爺ちゃんはね、『マリの今後に負担をかけない手術を』って。
自分のことより、マリちゃんのことが心配なんだね」
「ねえ先生、手術って体切るのよね?どっちが痛いの?」
「どちらも、お爺ちゃんが寝てる間にやるから、痛くないよ」
「じゃあ、おじいちゃんが、薬を飲まないで普通の生活が送れる手術
をお願いします」
「はい。先生は、マリちゃんと指切りしたからね。約束は破れないからね」
優しい笑顔で請け負った。
「では専務理事、手術は明後日、弁形成術で行います」
「わかりました。許可します。最善を尽くしてください」
「やっぱり変なの......お医者さんが、お医者さんの卵に許可もらうの?」
マリは、先程の違和感を思い出した。
三人は苦笑するだけで、答えはなかった。
「お爺様と会えた?」
「はい。また手術の後に、会えるからって約束しました」
「じゃあ行きましょう」
「遠いとこなの?」
不安そうにマリが尋ねる。
「そんなに遠くないわ。車ですぐの所よ」
街路樹に沿って15分位で正面に、綺麗な建物が見えて来た。
大きな建物だったが、学校のような無機質な建物ではなかった。
建物の入り口は、ガラス戸で自動ドア。そのガラスには、あの招待状に描かれていた8人の魔女と月のモチーフが同じく描かれていた。
「さあ、入りなさい。あなたの部屋に案内するわ」
そう言って梓は5階の部屋に連れて行く。
部屋を開ける。明るい光が飛び込んできた。
部屋には、ベッドが二つと机が二つ。机の上には、専用のパソコンまで備えつけられていた。室内の色は、明るいベージュと淡いピンクで女性好みに整えられていた。
「こんな綺麗な部屋、初めて。ここに住めるの?」
「ええ、でも一人じゃさみしいでしょ。沙耶香さん~」
そう呼ぶと洗濯物を抱えた沙耶香が、廊下からやって来た。
「は~い。この子が、ジュニアの子ですか?かわいいね。
あたし沙耶香ね。あなたのルームメイトよ。よろしくね」
「あ、皆本マリです。よろしくお願いします」
「マリちゃんか。お腹すいたでしょ。丁度夕食の時間だし、案内ついでに一緒に食堂にいこうか」
人と接する事を避けてたマリは、少し躊躇した。
しかし、沙耶香は、お構いなしにマリの手を引っ張っていく。
「さあ行くよ。今日からダチだ!」
「ダチ?」
「ああ......友達って言う意味だよ」
「友達なの......?」
「いやかい?」
「いやじゃない。でも私子供だよ」
マリは、分からなかった。友達とは、同級生の事じゃないの?
(私よりお姉さんが友達.......大人のお姉さんが?)
梓の目論見通りだった。
マリは、人に慣れていなかった。
拒絶というより、距離の取り方を知らないだけだ。
それは、誰のせいでもない。
元々のマリは、フィギュアスケートの大会に出るような積極性があった。
友達も多かっただろう。
不幸が本来の性格を中に閉じ込められた。
しかし世界に出るには、人の手助け、人の応援がいる。
マリの殻を破るのは、私達じゃ難しい。本当の困窮を知らないからだ。
沙耶香は、レディースに入る前まで荒れていた。家庭崩壊の中で育った。
それを救ったのが、美奈子だった。
沙耶香は変わった。美奈子の姉御肌が引っ張り上げた。だから、救う事も、救われることも知ってる。
だから彼女を預けるのは、沙耶香がふさわしいと選んだ。 私にできるのは、ここまで......。
食堂に着いた。いい香りがマリのお腹を鳴らす。
自分と同じくらいの子供が、ほかに五人。それぞれに年上のお兄さん・お姉さんが付いているようだ。
すでに、四人グループになってるところもある。
「マリちゃん、嫌いなものある?」
マリに嫌いな食べ物なんて、ある訳なかった。食べることに精一杯の自分には、好き嫌いする権利なんか、そもそもなかった。
マリは、無いと言葉に出せず、首だけを振る。
「あたしはね、野菜が嫌い。あのピーマンとかね。ウサギじゃない!と言いたい」
「プッ!」
思わずマリは噴出した。「ウサギじゃない!」その言葉が面白かった。
「ここ。沢山の料理がある。今日はお祭りか何かですか?」
さっきの沙耶香の言葉に、心が緩む。言葉が自然に出た。
「え?いつもそうだよ。ここから好きなのを好きなだけ食べてもいいんだよ」
「え?私は、いつもおかずは、一品だけでした。こんな沢山で、全部美味しそうな・・・」
「そうだよね。私もつい食べ過ぎて太っちゃう」
ケラケラと笑いながら、沙耶香は、肉中心に盛っていく。
「あ!おねえさん。アレは?」
目ざとく、マリは指をさす。
「ああ、デザートな。甘いのは別腹だからね」
指した先には、数種のケーキや、アイスがあるエリア。
「あのケーキうまいぞ。なんたって、みちるおネエ様から送られてくる日本一のケーキだからな」
「だけど、ちゃんとメシ食った後だからな。ほら、あそこに立ってるおばちゃんいるだろ。あれが、食堂の鬼だ」
「鬼?」
「ああ、管理栄養士っていう鬼だ。バランスよく選ばないと、あの鬼が通してくれない」
「だから、あたしも、野菜を乗せてるだろう。今日も無事通れますように。南無阿弥陀仏........」
「プッ」
また、マリは吹き出した。
「変なの。お姉ちゃん」
「そ・そうかい?普通だと思うけどな」
いつの間にかマリは、笑顔にないっていた。




