お嬢様『白いワッペンと外れた音程』
ホテルの大広間に、メインゲストと東光連合の幹部たち、そしてレースの主役たちが集まってきた。
テーブルには山海の料理が並び、彩りを添えている。
上席には、ナンバーズとそのピット関係者、東光連合の幹部、独眼連合の代表者、白木と正岡、そのピットクルー、そしてあかねたちの“パパ友”が席を占めていた。
奇妙なのは、レースに参加していた他のプロチームの面々までが、この場に姿を見せていることだった。
雅はレース終了後、参加した全チームに謝意を添え、宴会への招待状を送っている。
時間の都合で折り合わなかった者を除き、結果として関係者の七割がこの場に集まっていた。
全員が同じ浴衣に身を包み、昼間の激闘など最初から存在しなかったかのように、どこか肩の力が抜けている。
やがて全員が席につくと、中央の演壇に雅が姿を現した。
言葉は短く、淡々としている。ただ、レース参加への感謝だけを述べ、それ以上は語らない。
空気が変わったのは、次に登壇した三人だった。
司会の梓は、肩書を添えず、名前だけを読み上げる。
会場に、静かなざわめきが走る。
官房長官。
木田モータースの社長。
そして――三人目も、ただ者ではないことは誰の目にも明らかだった。
「このたび――
“月の雫”レーシングスクール第一期生として選ばれた三チームに、入学授与証を贈呈します」
呼ばれた三チームが演壇に上がる。
三人は、それぞれの手で、白い小さなワッペンを差し出した。
「……なんだ。たったあんなワッペン一枚か」
若手レーサーの一人が、小さく呟く。
「やはり、お前には分からないか」
隣にいた監督が、低い声で返す。
「なに言ってるんだよ。たかがワッペンだろ。
VIPが出てきて渡すほどのものか?」
「そう思っているのは、お前だけだ。
周りを見ろ。レース関係者やレーサーたちの目を」
言われて、男は会場を見回した。
――確かに、視線の色が違う。
「あのワッペンはな……“世界へ出る切符”だ」
監督は、そう言って息を吐いた。
「これから先、日本のレース界は――
あの白いワッペンを目指すことになる」
授与式を終え、席に戻った正岡は、手の中のワッペンを見つめていた。
なんの変哲もない、白い布切れ。
銀糸で控えめに――
《月の雫 1st》と刺繍されているだけだ。
「……重いな」
ぽつりと漏れた声に、
「ああ。重いな――」
蓮が応じ、美奈子も黙って頷いた。
それは三人だけの感想ではなかった。
背後に控えるピットクルーたちも、同じものを胸に抱えている。
選ばれた喜びよりも先に、
背負うことになった責任の重さが、じわじわと染み込んでくる。
三チームのテーブルだけが、
場の華やぎから切り離されたように静まり返っていた。
その様子を、少し離れた席から眺めていた若手レーサーが、眉をひそめる。
「なあ、監督……
あいつらのテーブル、おかしくないか?
あんな“すごいワッペン”もらったのに、全然喜んでない」
言葉を濁しながら、続ける。
「それにさ……正直、出来レースじゃないのか?
身内の表彰だろ、あれ」
監督は、即座に否定した。
「違う」
低い声だった。
「確かに、蓮のチームと美奈子のチームは身内だ。
だが、もし内輪だけで選別する気なら――
あそこに“十五番”は座っていない」
若手は、一瞬言葉を失う。
「……あのチーム、まったく繋がりがない」
「だからだ」
監督は、三つのテーブルを見渡した。
「意味があるのは、そこだ。
あの十五番は――一年もしないうちに、日本のトップに出てくる」
「蓮のチームと、美奈子のチームと――
同じ場所に、な」
その言葉を、誰も否定しなかった。
宴会場のざわめきは、まだ均一ではなかった。
笑い声と、言葉を探す沈黙が、同じ空間に混じっている。
その隅で、二人の人物が立ち止まった。
マルベリア師匠といずみおネエ様だ。
派手ではある。だが、まだ何もしていない。
料理には手を伸ばさず、グラスも持たず、ただ会場を一巡り、視線だけで確かめている。
「……ふうん」
低く、抑えた声。
「これは――まだ“始まってない”わね」
隣のもう一人が、同意するように肩をすくめた。
「ええ。祝われた人たちほど、黙ってる顔してるわぁ♡」
二人の視線が、自然と三つのテーブルに集まる。
白いワッペンを胸元に収めた者たちの席。
誰も笑っていない。
誰も騒いでいない。
ただ、背中がまっすぐすぎる。
「……重たいわね」
「でも、嫌いじゃない」
二人は、顔を見合わせて小さく笑った。
「ね。これは――無理に崩すと、逆に傷つくやつよね」
「じゃあ、どうする?」
数秒の沈黙。
やがて、一人が結論を出す。
「――場から、動かす」
その言葉と同時に、二人は足を進めた。
最初に向かったのは、主役でも、VIP席でもない。
料理の並ぶ中央テーブルでもない。
“まだ立場を決めきれていない人間たち”の集まる場所だった。
そこで、初めて声が少しだけ張られる。
「ねえ、聞いていいかしら?」
誰にともなく投げられた問い。
「この宴会、最初に笑った人――誰?」
空気が、一瞬だけ揺れた。
だが、それは破裂ではなく、呼吸が戻る前触れだった。
「ねえ、雅ここには、日本の生み出した偉大な文化”カラオケ”はないの?」
マリアベル師匠が口を開いた。
「ちょっと、あなたのダミ声の歌なんか誰も聞かないわよん。ここは私が......」
「ゴルァ!ナンバーズを舐めないで、アタシは歌もナンバーズなのよ」
その瞬間、雅は小さく息を吐いた。
(なるほど。ここは、任せる場)
「あのう、アテナに言えば、その場でカラオケ位流せますが、アテナが許可するか――アテナどう?」
《........流せます。世界中の音楽はなんでも.......ただ二人の音程に合わせれば.........音楽が別の何かにかわります.......》
「ま、AIくせに生意気な。人は、それをアレンジって言うのよ」
《.......スミマセン........私のデータバンクには、その現象を”音痴”と記憶されてましたので》
そのやり取りを聞いて、会場は一瞬ドッと沸いた。場の雰囲気が一気に華やかになる。
あちらこちらで交流が始まる。これが雅が開いた大宴会の本来の目的である。三人の表彰は、本来は付け足しの一形式としての、日本の美学にすぎない。
付け足しが、会場を支配したのは、雅の読み違いである。
雅達が作ったレーシングスクールは、日本を支配するための物じゃない。
裾野を広げ、世界に羽ばたくための足場である。その為には、今ここにいるレース関係者の協力も不可欠なののであった。
最初にマイクを取ったのは、マルケスだった。
「じゃあ……いくぞ」
誰も止めなかった。
止められる人間も、止めていい立場の人間も、ここにはいない。
前奏が流れた瞬間、
マルベリアが一瞬だけ目を伏せた。
「……来るわね」
一音目で、会場が死んだ。
正確ではない。
外れているわけでもない。
だが――重い。
愛が、重い。
情熱が、一直線すぎる。
「ちょっと待って!」
いずみが吹き出した。
「それ、昭和の演歌じゃないの?たぶんですが、アテナの伴奏があったから。私でも最初わからないかったわ」
「何が悪い!俺は本気だ!」
《……解析中》
アテナの声が、冷静に割り込む。
《感情出力、想定値の142%。音程補正を行うと、別の曲になります》
「補正しなくていいわよ!」
マルベリアが叫んだ。
「そのまま行かせなさい!これは――事故なの!」
次の瞬間、会場のどこかで、誰かが笑った。
それは一人ではなく、一列でもなく、波のように広がっていった。
そして、世界チャンプの歌に笑いながらも同情を込めた拍手が送られる。
本人は、歌が上手いとチャントを送ってくれたと思い、どうだと言わんばかりに席に変える。
そう、ここでは実力が全て。たとえその歌がどんなにズレてても.........
その歌がどんなに音程がずれてても.........
アテナがどんな評価にしても.........
最後に残るのは――順位だった。




