お嬢様 雫が落ちる場所
アルテミス 麗子 冬コート
レースが終わったあとのサーキット場は、どこかさみしい。昼間の喧騒をまるで台風が、吹き飛ばしたかのようにどこもかしこも静まりかえり、人の姿はどこにも見えない。 コースには、夕焼けが作った影が伸び、一つの空間が隔離されたような雰囲気を強調する。
サーキットの喧騒は、仙台の夜の街へと移動した。そこでは、各地から集まった観衆達が、今日初めて会った人もグループを同じにし、あたかも旧友かのようにレースの興奮と余韻を楽しんでいた。
その中で、日曜日にもかかわらず、酒気は帯びず、酒のかわりにカフェイン入り栄養ドリンクを飲みながら騒がしく働く場所があった。仙台市役所である。
まるで選挙の開票作業さながらの忙しさである。観光課の職員、臨時の会計士、経済学者などが上がって来る報告をまとめ電卓をたたく。
「出たか?」纏めてる責任者が尋ねる。
「まだ、夜間の集計は入れられませんが、夕方の予想では、経済効果100億です」
「ちょっと待て、わずか1回のイベントだぞ。け......桁間違ってないか? いいえ何度も確かめました。先生達も多少の違いはあれど100億以上だと言ってます」
「ふ~文字通り恵の雨だったか」ため息をついた観光課長は、一週間後、観光部長になる事は、この時考えもしてなかった。
そのころ、その騒ぎを起こした当人達は、大浴場気持ちよさそうに足を延ばしていた。
「熱海のスパもよかったが、ここのスパもいいな。泳げる広さのスパを最上階に作るって、日本人は天才だな」
マルケスはとろける顔をしながら隣の若い男に話かけた。
「で、あんた、宮坂て言ったな。日本の警察のお偉いさんだろ?そのアンタが使い走りになってる。木田社長は、わかる。俺らの業界でもVIPだからな。しかしあとの2人は、同格かそれ以上だ」
そう言いながらもマルケスは、浮かんだ桶の中の酒を手酌で飲んでる。
「木田さんは、宗子さんのお父様であることはご存じですよね?」
「ああ、それは知ってる」
「で、あちらが、彩さんのお父様で、伊藤現官房長官閣下、そしてこちらが、私の上司である、京極県警本部長であかね様のお父様であられます」
「コラコラちょっと待て、お前......なんか紹介がおかしいぞ。日本じゃ閣下より警察の方が偉いのか?」
「いえ、失礼しました。その........」
そこで助け船が入る。
「マルケス、そう責めるな。そこの宮坂君は、あかねさんに猛烈アタック中なんだよ」木田が、笑いをこらえて訳を話した。
「なにぃ~うちの弟子に手を出してる? それらなら、俺ら8人を全員.....倒す覚悟あるんだろうな?」
「ひぃ~そんな無体な」
宮坂は涙目になる。
「冗談だ。日本のマンガに出てくるシーンで見たから1度言いたかっただけだ」
「こらこら、私達3人は、普通の娘のパパ友として来てるんだ。肩書は抜きに普通の娘の父親として接してくれないかな?」
「前から三人でバイクで温泉巡りをしようと約束していてね。それに合わせた結果、ここにいるんです。仲間の片隅に入れてくれないか?」
「いや......それはかまいませんが、弟子――いや、お嬢さん方は……
その“普通”って言葉、もう使えない場所に立ってますよ」
「それよりも、あんたたちVIPが、こんな大浴場に一緒にいていいのかい?
しかも護衛は、そこのなよっちい警官一人だろ?」
手酌をしながら日本酒を飲んでる京極が、手を振って答える。
「だってさ、アテナ君ここの警備は大丈夫かって?」
《問題ありません。鳴子温泉街全てに10日前から許可を得て防犯カメラを設置してます。死角はありません。仮に武力侵攻で押さえようとしても、逃走経路は確保してます》
「と言うことだ!」ほろ酔い加減で言い切った。
《ただ........あかね様から言付けがあります。『宴会前に飲み過ぎないように、お父様』です》
思わず京極は飲んでた酒にむせた。
そして大浴場の違う隅では、白木と正岡達が話していた。
「俺達、なんでこんなとこにいるの?ここ本館だよな?てっきり周辺の宿を振り分けられると思ってたんだが」
「絶対場違いだろ。世界チャンプやナンバーズと一緒だぞ」
「何が、場違いだって?」
近くにいた蓮と悠翔が話しかける。
「お前達、誤解してるぞ。確かに周辺の宿は、東光連合 独眼連合に振り分けられてる。しかしそれは、最上級の待遇でだ。このホテルに入り切れないからな」
「だから、新参の俺たちは........」
「そこが間違ってる。総長は、人を差別しない。ただな、区別はする。客観的な視点からな。旧態の族との違いはそこだ。暴力や齢、在籍年数による理不尽さは一切ここにはない」
悠翔が後を続ける。
「それだけ聞くと、総長は冷たく見えるが、実際、あの人の根底にあるのは、正しい評価だ。だから俺達東光連合は、区別されたことに対して、誰も不満を持たない」
そこにナンバーズのアントニオが加わる。
「君たちは、雅がただの道楽でレースをやったと思ってないかい?たしかにスポンサーは、企業名のアップのため、あるいは、趣味道楽で高額賞金を出し自分の名声のためにレースを開催することもある。バイクに一度も乗ったことがないのにね――」
蓮が口を開く。
「正岡、俺達二人とも総長達とバトルしたことがある。はっきり言う――総長達は、俺達より速い。だから区別が客観的に出来る。それがお前達がここにいていい理由だ」
「2人ともよく雅を知ってるね.........でも80点。それだけじゃナンバーズがここに揃った理由にはならない。残り20点の意味が分かった時、君たちは、我々の背中を追えるよ――それは宿題にしておこう」
そう言ってアントニオは風呂をでて浴衣室に向かった。
白木は、正岡とは違う角度で考えていた。
はっきりと形にはならないが、アントニオの言葉が、小骨のように喉に残っている。
――自分の存在意義は、何だ。
監督ではあるが、誇れる実績があるわけではない。
あのAI監督のような分析能力もない。
それでも――
あのAIが、一度だけ、自分の意図を汲み取ったことがあった。
タイヤセレクトの場面だ。
誰も新品を選ばなかった。
理由は単純だった。すでに“美味しいところ”に入っていたからだ。
当たり前の判断。
そう思っていた。
……だが、それは本当に当たり前だったのか。
アテナにとっては、その「当たり前」が存在しなかった。
だからこそ、ドライバーとの齟齬が生じた。
アテナは“分析官”だ。
レースを走った経験を持たない。
そうか――そこに、自分の役目があったのか。
夢を、紡ぐ存在。
数値にならない意図を、現場に渡す役。
正岡もまた、アントニオの言った“残りの二割”が、まだ分からないでいる。
白木自身も同じだった。
その時。
ポチョン……。
一滴の雫が、湯面に落ちた。




