お嬢様 個人とチーム
「駄目だったか」
男は、ヘルメットを脱いで仲間に頭を下げた。優勝できるとは、思ってなかった。しかしもし入賞なら・・・ 最低位の入賞でも数千万の賞金が入る。その賞金が、一途の希望であった。
彼らは、元々東北のある地方都市の走り屋だった。物心ついた時からの仲間でもあった。小学校・中学校・高校と12年間を共にすごし、チームを作った。
チーム結成の動機は、どこにでもある理由――男の小学校の作文に”未来の夢”と言う題で『ぼくは、しょうらいオートバイのレーサーになるのが夢です』と書いた作文が、市のコンクールで入賞したことだ。周りから褒められそして親友と呼べる友達も集まった。
男の夢は、仲間達と語り合うことで育っていった。中学を卒業するときには、全員近くの工業高校に入る。明確なビジョンがあった。工業高校でバイクの構造を学ぶこと――この1点だった。
卒業時には、みんなそれぞれキャリアを得るため、違う会社を選んだ。男は、バイクショップの店員に、仲間達は、修理工場、板金工、電子情報専門学校等の道に入り、そしてチームを作った。
勝てなかった。それでも、皆で同じ夢を追う時間だけは、何ものにも代えがたかった。
そんな彼らに最大の転機が訪れる。男の母が、難病を患って入院した。女手一つで彼を育てた唯一の肉親である。手術費用は、とてもじゃないが払えない。母は、息子に話す。「私の方は、気にしなくていいから。あなたは、あなたの夢を追いなさいと」
男は、仲間の前で詫びた――もう皆と夢が追えないことを。最初仲間達は、黙って聞いていた。結果、全員の貯蓄や、バイクやパーツ等売れば手術費用はだせるのではと男に問うた。 しかしそれをしても手術費用の半額にも満たない。夢が、現実の壁に押しつぶされた瞬間だった。
そこの飛び込んできたが、この賞金レースである。全員が、金を出し合い出来得る限りの中古のレーサーを買った。出来得る限りのパーツ、タイヤも中古であるが、最高のタイヤを準備してレースに挑んだ。
しかし結果は、25位――届かなかった。
遠くの表彰台には、多くのファンが勝者を称えている。
レースとは、残酷なものだ。
勝者には、栄光を、
敗者は、事実を飲み込み、次に備えるか、やめるかの選択である。
しかし彼には、次の選択はなかった。
それでも仲間達は、励ますように言った。
「おい、頭を上げろよ。俺達には、まだやることがあるだろう?
お袋さんを治せる医者を探すんだ」
「今日も持ってきてるんだろう?カルテ」
「ああ、せっかく仙台にきたんだ。病院をさがさなきゃな」
後片付けに取り掛かろうとしたときに、ピットの扉があく。
「正岡伸二さんですね。ピットクルーの皆様と一緒にお話がしたいと
言われる方がいます。お時間頂けないでしょうか?」
そう言って係員に案内され応接室へ通された。
「初めまして、正岡さん、私は、三条雅 そして宮部梓 藤原冬香です」
「三条・・・って主宰者の?」
《私は、アテナと言います》
少々機械的だが、女性特有の声が聞こえた。しかし周りにはそれらしい人はいない。
「すみません。アテナは、AIでして交渉の場でいろんな情報が出せるので、
必要になると思い同席させました」
「短答直入に言います。あなた方のチーム全員を、スカウトしたい」
「条件は、後程説明します」
「スカウトって、レースの?」
「ええ、プロ養成の世界を目指すためのスクールです。あなた方にはそこの1期生になってもらいたい」
「こちらからの条件は、契約金1億、その他衣食住、マシン・機材もこちらで準備いたします」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺・・いや我々にそんな価値があると?順位でも中位だったし、アマの二人にも抜かれたのに・・・」
「普通に話されいいですよ。正岡さん。あなた方の順位には、理由がありますね」
正岡は、喉を鳴らした。
「仮にあっても、そんなの理由には・・・」
「ええ」雅は、遮るように言った。
「勝てなかった理由にはならない」
ノートを開く。
そこに書かれているのは、数字でも順位でもない。
コーナーごとの挙動、スロットルの入り、車体の落ち着き。
そして、そこに必ず残る“ズレ”。
「あなたの走りには、違和感がありました」
雅は静かに言う。
「ライン取りは正確。スロットルも早すぎない。ブレーキも、遅れていない」
「それでも、前に出ない。――エンジンが、追いついていなかった」
正岡の視線が、無意識に床へ落ちる。
「タイヤもです。あの立ち上がり。グリップが足りていない」
雅は、顔を上げた。
「それを、あなたは“計算して”走っていた。そうでしょう?」
正岡は、何も言えなかった。
「ピット作業は、十五秒」雅は続ける。
「無駄がない。世界レベルに近い動きです。そんなクルーが、タイヤ選択や調整で致命的なミスをするとは考えにくい」
だから、と雅は言った。
「理由を、彼女に聞きました」
視線が、宙を向く。
《はい》
アテナの声が、静かに響いた。
《……車体は、三世代前の設計です。搭載されているエンジンも、現行基準から見れば二世代古い。制御系に至っては、ECUがさらに前の世代で、正直、今のレース環境に最適とは言えません》
一拍、間が置かれる。
《そしてタイヤも――二年前の中古ロットでした。
本来なら、ここで走る前提の選択ではありません》
正岡の肩が、わずかに震えた。
《それでもドライバーは、そのすべてを理解した上で走っていました。
出力が立ち上がるまでの遅れも、スロットルに対するレスポンスの差も、
“起きる前提”として、すべてを計算に入れていたのです》
《だから――》
言葉を区切り、少しだけ声が柔らぐ。
《走りは、常に限界値のすぐ手前で保たれていました。
余裕はありません。けれど、無謀でもなかった》
《それが、私の見た事実です》
雅が問いかける。
「アテナ。あなたの分析に、誤りは?」
《ありません》
正岡は、ゆっくりと息を吐いた。否定できなかった。
すべて、その通りだったからだ。
「……正しい」
正岡は、かすれた声で言う。
「だが、それは……」
「ええ」
雅は、今度は優しく言った。
「“勝てなかった言い訳”ではありません」
ノートを閉じる。
「あなたも、あなたのクルーも勝ちに行った」
「ただ――環境が、なかった」
雅は、正岡を見る。
「だからです。私は、あなた“だけ”ではなく」
ドライバーと、ピットクルー全員を」
「スカウトしたいと思いました」
梓が、はっとしたように雅を見る。
「……雅。だからあの時、あなたは今は、名前を知る必要はありませんって言ったのね……」
雅は、答えない。ただ、ノートを閉じた。




