お嬢様 「雨が押しだす2人」
美奈子と蓮の快進撃の幕が開く――
誰もが予想もしてなかった。アテナを除いて。
しかし、それは必然でもあった。
2台は、まるでコンビを組んでるように、一つ上の速さを見せた。いやそう見えただけで、2人のラップタイムは、以前と同じである。ただしドライのタイムだった。
水煙は、次の獲物が近いことを二人に知らせる。仕掛け所はコーナー。
相手の速度が落ちたところで、少しだけ相手よりブレーキタイミングを遅らせる。そして前に出る。
蓮がインをつけば、美奈子がアウトから、美奈子がインをつけば、今度は蓮がアウトから、ハイエナのように襲いかかり逃げ道を閉じて二人は沈めていく。
抜き返そうにも、この雨の中、先の路面が読めないし、ストレートでも2台が盛大に上げる水煙の中に入る気が起きない。
(あいつら怖くないのか?)
二人は、本能的に知っていた。”雨は、味方だと”
本来サーキットでは、無いはずのブラインドコーナーが、雨によって作られた。
不確定要素は、ストリーターに有利した。
今この場を支配するのは、”鳥の目” 蓮にはないものだが、美奈子の動きだけを追うことは出来る。
(頼りにしてるぜ、ナビゲーターさんよ)
コーナー毎に2台は、1台づつ抜いていく。
すこし美奈子は、苛立っていた。
(蓮に使われてる。だが・・・)
雨が降って5週を過ぎた。
いつの間にか2人は第三集団の先頭に立っていた。
スタンドは、判官びいきだ。プロに中に混じった異物の2人。それが、快進撃を始めるとニワカファンが出来る。「レン~」「ミナコ~」の声援が混じり始める。
蓮のピットが見えない車体番号と蓮のマシンとの差をボードで知らせる。『-10』 同時に美奈子のピットからは、『ストレートでは蓮の後ろに付け』と指示が出される。
「アテナ、なぜこんな指示を」
《蓮のマシンは、美奈子のよりパワーがあるからです》
「そっか。つまり総長は、うちらにアテナを、蓮には、マシンと悠翔を貸したんだね」
少しの間がった。
《たぶんそうですね》
それ以上アテナは答えなかった。
2人の共同作業は続いた。ストレートでは、蓮が引っ張る。美奈子はその後ろのスリップに入り、パワー差を埋める。
その作業で、第二集団の背中が見えて来た。
蓮は、ここからは、お前の番だと言わんばかりに、美奈子を先に出す。
美奈子は、感覚で前方との距離を詰め最適解のラインを選ぶ。
蓮はそのその背中から、美奈子と違うラインを選ぶ。
抜いたと思ったが、わずかに届かなかった。
今度は、蓮が仕掛ける。美奈子は、背後の蓮の気配から反射的に逆のラインを選択する。これも少し届かない。
このやり取りが、各コーナーが来る毎に繰り返されるのだ。
前の男は知っていた。
(どちらか1台前に出に出られたとき自分の順位が2つ下がることを)
最終コーナーを回る、前面広がるバックストレート。
ここで男が、少し気を緩めたのが、致命的な結果を生む。
アウトから蓮が、美奈子を引き連れ、甲高い音色を上げてサイドバイサイドで並び一気にパスする。
(やられた――あいつらコーナーだけじゃなかったのか・・・)
蓮と美奈子は、第二集団に割り込む。
スタンドが涌く。
「なあ、あいつらアマだよな?」
「プロじゃないの?でないとおかしいだろう」
「いや、不如帰の蓮と、ルナゴスペルの美奈子だよ」
感嘆の波が引き、変わってざわめきの小波が打ち寄せる。
「ねえ梓。あの美奈子さんの走り、分かる?」
「分からないわ。蓮さんの走りは分かる気がするけど」
「そう。でも変わったわね。美奈子さんの走り」
「ええ、でも私は、蓮さんの変化も気になるわ」
コントロールセンターの会話はよそに、2人の順位は、第二集団の中頃まで上げていた。
第二集団の空気は、明らかに違っていた。
速い。だが、それだけではない。
互いの癖を知り尽くした者同士が、無言で探り合う領域だ。
美奈子は、その中に入った瞬間、わずかに肩の力を抜いた。
(……なるほどね)
無理に攻めない。だが、引かない。
一台分の幅があれば、そこを“通る”のではなく、“使う”。
ブレーキを残し、車体を遊ばせ、わずかな滑りをそのまま前への推進力に変える。
蓮は、その背中を見て理解する。
(速さじゃない。余白だ)
第二集団の連中は、速い。
だが余白がない。
だから一瞬でも判断が遅れる。
その一瞬を、美奈子は逃さない。
一方、蓮は違うやり方を取った。
前を走るマシンの挙動、タイヤの減り、立ち上がりの癖。
すべてを一拍遅らせて処理し、”最も安全な“速さ”を選ぶ。
二人の走りは、噛み合っていた。
だが、同じではない。
——それが、周囲を混乱させた。
「……おかしい」
第二集団の一人が、ヘルメットの中で呟く。
(あいつら、喧嘩してない)
競り合いの中で、普通はどこかでラインが重なる。
焦りが生まれる。だが二人には、それがない。
まるで、役割が最初から決まっているかのようだった。
前を走る者が、ふとミラーを見る。
そこに映るのは、一台ではない。——二台だ。
しかも、位置が一定しない。内かと思えば外。
次の瞬間には、その逆。
(……囲まれてる?)
認識した瞬間には、もう遅い。
美奈子が、コーナーで一台を押し出す。
蓮が、立ち上がりでその横を奪う。
順位が、また一つ、崩れた。
スタンドのざわめきは、もはや歓声ではない。
驚きに近い、低い音だった。
「……二人で、レースをしてるみたいだな」
誰かが、ぽつりと言う。
否定は、起きなかった。
コントロールセンターで、梓が静かに息を吸う。
「……同じ速さなのに、違う見え方に感じる」
雅は答えない。ただ、コースを見ている。
二人が追いかけているのは、順位ではない。
目の前の一台でもない。
“集団そのものの速度”を、押し上げている。
それに気づいた瞬間、雅は、ノートに短く一行だけ書いた。
「クロスオーバー、成立」
レースは、まだ中盤だ。
だが、この二台が通った跡だけ、確実に空気が変わり始めていた。




