お嬢様 「背中」
スタートシグナルオールグリーン
爆音が、スタンドの歓声を吹き飛ばす。一瞬、グリッドに残ったのは排気煙だけだった。爆音はすでに遥か先、先頭集団とともに走り去っている。そうして遅れてスタンドからの声援が戻ってくる。そこにあった集団のマシン群は、消えた錯覚さえに覚えた。
バイクの集団は、先頭が一本の刃のように並び、
中段に向かってその線は太く膨らみ、
後方へ行くにつれて再び細く、尾を引くように収束していく。
先頭は、隊列のまま第一コーナーを鮮やかにクリアーし中段は、内外と各々の最適ラインの奪い合いが始まている。
その中で一台が、わずかにラインを外した。
接触。
ガシャン。
反動で外側の一台を巻き込み、二台はそのままコース外へ弾け飛んだ。
レーサー達は、その事故に巻き込まれることなく先頭を追う。
すぐさま医療カーが、現場に駆け付けレーサーに駆け寄るも、2人のレーサー達は立ち上がりヘルメットを脱いだ。医療スタッフと何やら会話をし2人は、外に連れ出される。
「どうやら、大きな怪我はなかったようです」
コントロールセンターで、雅は、冬香から報告を受ける。
「よかったわ。やはりサーキットに医療施設がるのは、安心感が全然違うわね。とこで、付設の医療施設には、プラクティス、タイムアタックを通して何人の人がきたの?」
冬香が、苦笑しながら、3本の指を立てる。
「そうかぁ・・・3人ですか。思ったより少なくてよかったです」
「いえ、それがね、雅さん。1人は、ピット作業してた人で、メンテ中に指を切った人。もう一人が、スタンドで足を踏み外した打撲のお客さん」
そこで冬香は言いにくそうな顔をした。
「ん?冬香さんもう一人は?」
「もう一人は、お宅の千鶴さん」
「え?千鶴?・・・ピットでの怪我?」
「いえ、屋台での食べ過ぎで、お腹が痛いって・・・」
「冬香さん!千鶴は、保険適用外自由診療で、費用を分捕ってください」
美奈子は、必死に集団について行った。師匠達の背中は遠い。その前に20台の大きな山がそびえたつ。それを一山一山超えたところに師匠達の裾野が見えるのだ。
その前の連なった山は、なぜか同じ呼吸で動いてるようだった。同じところでブレーキングランプが灯り、同じ姿勢でシンクロするようにバイクが傾く。
(美しい・・・)
美奈子は、極限の美をみているようであった。不純物を取り除くと走りは、こんなに洗練されるのものなのか。
いや、この走り既視感がある。
(ライバルでもあり親友でもあるあの娘の走り)
美奈子はチャンスを待っていた。勝負どころは弱S字――そこで山を越える。
弱S字が近づく。派手なコーナーではない。しかし自分を開花させた得意の場所。
そこまでじっと待っていた。
S字の侵入で、先行の2台が僅かに重なった。
その瞬間、先の視界が開く。
一気にスペースを逃がさず前に出た。
順位が、2つ動いた。
直線にでて、次の山を見据える。
その時、後ろから2つ音がする。右に一台、左に一台。
2台は、阿吽の呼吸で両サイドを飛び出し、美奈子の前でクロスして抜き去った。
前には、S字に入る前と同じ数の山の景色が広がっていた。
(だよな。そんなに師匠の背中は安っぽくないよな)
ヘルメットの中の、美奈子の口角があがり、また先を見つめる。
そんな美奈子を追ってた影が、逆に弱S字の出口で、一台を抜き去る。美奈子との距離は、あと4台。
蓮は、前だけを見ていた。後ろを振りえることも、そもそも順位さえも気にならなかった。自分がやること――それは捕まえることだ。
いま自分が美奈子より有利だと思えるのは、ドライブの正確さとマシンの余力、そして――信じ切れる相棒がいることだけだ。
その相棒が、起てた作戦が『15週までに美奈子の後ろに付け』だった。
蓮はその指示に従い、前半は、無理をせず徹底的にマシンのエンジンを管理し、ラバーマネージメントに徹していた。
S字で抜いたのは意思をもった追い抜きでなく、ただ相手のペースが遅くて抜いてしまったと言う結果にすぎない。とにかく10週は、指示したタイムを揃えること、そうすれば5週で勝負が賭けられる。
一見簡単そうだが、前にも後ろにもレーサーはいる。それは多くの不確実性を生む。その中での指示タイムだ。
蓮は、悠翔を信じている。
その前提があるから、この作戦は成立していた。
(美奈子には、アテナが付いている。だが・・・・)
ローターリーの甲高い排気音だけが後に、残っていく。
美奈子は、師匠の背中を追い、蓮は美奈子の背中を追う――奇妙な鬼ごっこの連鎖が、ここには生まれていた。
戦いの戦士たちが、最初の位置へと戻ってくる。師匠達の8台が先頭集団をつくり バックストレートを駆け抜ける。
間に一集団を挟み美奈子を含む3番目の塊が抜ける、そして蓮を含むばらけた個が抜けて行った。
それをコントロールタワーで静かに雅達が見ていた。
「予定調和ですね」
梓は、メガネを少し上に上げながら雅に話かけた。
「ええ、でも少し変化もあるわ」
「それは?」梓が聞き返す。
「蓮さんの走り・・・・」
「確かに、あの貸し与えたレーサー、あんなポテンシャルじゃないわ
音が、もっと高いはず」宗子が会話に加わる。
「意図したレース配分だったら、どうかしら・・・?」
「なるほど、それならあの音も意味をもちますね」
「それと、あの15番の国内若手レーサー」
雅が付け加えるように言った。
あわてて梓は、タブレットで調べようとしたが、雅が止めた。
「名前なんか今は意味ないから・・・」
その目は、馬主が新馬の品評会で値札をつけるかのように冷たかった。
ラップは、揃っている――ラップは、揃っている?
数字だけを追えば、確かにそうおもえるが――マシンには、個体差もあるはず。そもそもあらゆるメーカーが揃ってるし、カテゴリー制限もかけてない。
それでも、先頭の八台は、最初からその幅で走ると決めていたように、変動しない。
次の集団も、多少の前後はあっても、隊列は保たれたままだ。
三番目の塊。
美奈子のいるあたりも、無理がない。いや美奈子だけは、なんとか先に行こうと仕掛けるるが、群れの中から飛び出せない。
その後ろ。ばらけた個が続く。
個だけに、音の個性が、はっきりと聞き取れる
宗子は、画面を見ていなかった。
視線は前を向いたまま、バックストレートを抜けてくる排気音にだけ、耳を澄ませている。
一瞬、伸びない。
ロータリー特有の、あの回転域に入る前で、音が切られている。
「……おかしい」
誰に向けた言葉でもなかった。
次の周。また同じ場所で、同じ音。
高回転に入らない。入れられない音じゃない。入れていない音だ。
宗子は、ほんのわずかに眉を動かした。
「あのロータリー……」
言いかけて、止める。
自分が設計した。
癖も、使いどころも、限界も、全部知っている。
あの回し方なら、もっと鳴る。もっと伸びる。
それを――やっていない。
「ポテンシャルを知らないから、じゃないわね」
梓が、宗子を見る。
「え?」
「分かってて、抑えてる」
それ以上は言わなかった。理由までは、まだ見えない。
ただ、行き当たりばったりの走りではなく、マシンに任せた走りでもない。
「……意図があるわ」
宗子の声は、静かだった。
雅は、そこで初めて、ばらけた個の中の一台に視線を移した。
数字は、揃っていが、位置も大きくは動かない。
だが、使われていないものがある。
「蓮さんね」
宗子が、短く頷く。
ロータリーの音が、また一度、抑えられて通り過ぎる。
性能を隠したまま、周回だけが積み上がっていく。
その時アテナのホログラムが揺れる。
《10分後、雨が来ます》
「そう、でアテナあなたは、それ美奈子に伝えた?」
《いえ、美奈子さんの為だけに使えば、絶対彼女は許しませんから》
レースは、雨と言う不確実性要因を持ち込むのだった。




