お嬢様 「二つのピット」
「なあ、アテナって言ったか?お前自分の指示を無視されても、何も感じないのか?」
《感じる?それは感情の事ですか?》
「ああ、すまねえ。機械に感情なんてないよな」
《否定します。私にも感情はあります。今回の美奈子の指示拒否は、私が彼女の気持ちを見誤ったからです》
ホログラムが浮かび上がり柔らかな顔をした、アテナが浮かび上がる。
「感情?何言ってるんだ。機械が感情って・・・」
「あるよ。アテナは感情を持ったAIなの。だから私達は対話できるんだよ」
千秋は、そう白木に説明した。
ピットに美奈子が戻ってきた。ヘルメットを脱ぐと、なるほど勝気そうな顔が現れた。
そして開口一番アテナに頭を下げる。
「アテナ、すまねえ。指示を無視して。だが、もう少しで何かがつかめそうだったんだ。許して」
《はい。許します。それとタイムもさらに縮まってきました。私もうれしいです》
白木は、ますます混乱してきた。
(AIに謝る?人間が?――そしてそれをAIが許す?そして、”うれしい”?)
その時だった。
《白木さん、なにか私達に疑問があるようですね》
その一言で、ポーカーフェイスが崩れる。
「あはは、無理、無理!アテナに感情は隠せないよ。アテナとポーカーしたら絶対負ける。究極のイカサマ師だから」
《私をイカサマ師扱いにしないでください。息づかいやしぐさ、瞳孔の開き具合、体温の上昇などから・・・》
「アテナそれまで!」美奈子が止めた。
「で何が聞きたいのさ?」
「あんたらとアテナの関係だ」
「すまん戸惑ってるんだ。あんたらが、アテナと普通に話してることが、それも自然にだ。うまく言えないが、会話に違和感がないことが、違和感なんだ」
「なんだ、そんなことか。簡単だよ。うちらとアテナはダチだからな。遠慮もクソもないよ」
白木の普通の認識が壊れていく。だが、彼女達とアテナの間にしっかりとした絆がある事だけはわかった。
「すまん、手を止めさせて。セッティングを続けてくれ」
美奈子は、マシーンの所に行きアテナと話ながらセッティングを煮詰めている。
白木は、それをみていたら、ふいに話しかけられた。
《今回は、あなたに『一切の判断を求めるな』と、雅様に命令を受けてます》
「オワッ!」白木は、思わず声にだす。
「お前、いま美奈子とセッティングしてるんじゃなかったのか?」
《わたしは、現在192人と同時に話せますから》
「わかった。わかったよ。同時処理能力ってやつだな」
白木は降参するように手を広げた。
スタートまで、まだ時間はあった。だが蓮のピットには、計った時間などは一切無意味だった。
「美奈子が、大化けしやがった」
蓮は、焦る表情を隠しきれない。
まだ足りない――このままでは、あの女に勝てない。それは、タイムでない。走りの質が変わってきてるのだ。悠翔のレースマネージメントか完璧だった。
タイムアタックでは、新型マシーンの力を100%にしてくれた結果、予想以上のタイムで決勝に残った。
だがあの弱S字コーナーで美奈子の背中には付けたが、抜けなかった。
マシーンの性能ではない、いやマシーンの性能では、この新型のほうが勝ってるだろう。
(くそ~劣ってるのは、俺の腕か、何が足りない)
苛立ちが思わず顔を崩す。
その苛立ちに最初に気づいたのは、悠翔だった。
「何を焦ってる?タイムも想定以上だしラインも問題ない」
「すまん、顔に出てたか?足りないんだ、マシーンも問題ない。お前のレー スメイクも問題ない。でも足りない・・・」
「お前でもか?」
一瞬で、悠翔は、足りない対象者が誰か理解した。
「総長からは、『勝てとは言わない、世界を見て来い』と言われたが、今は、あいつの背中だけしか見れないんだ」
珍しく悠翔の態度が変わった。いつもの冷静な顔が引き締まりじっくり話を聞いた。
弱S字のワンブレーキコーナーリング。
背中には、付けるが追い越せない。
速度を上げようとする僅か0コンマ数秒先に、あいつが先に速度を上げる。
「うむ、分かった。まさかそこまでとはな。たぶんだが、美奈子は――後ろの目を見に付けたのかもな」
「後ろの目?」
「ああ、俺はこんな男だ。感性より理論を先に考える。だから理屈に合わないオカルトの類は一切排除してきた」
「ああ、お前はそんな男だ。だからお前に頼んだ」
「後ろの目の正体は、わかりやすく言えば、背後の認識能力とその未来予想位置の把握だろうな」
「それは、俺にはない。じゃあ絶対勝てないのか?」
「まあ待て。それは、お前もそのうち手に入れられる」
いま勝てないなら、意味はない。美奈子の背を抜かないなら世界の背中が見えないからだ。たぶん自分の前にいるほとんどのライバルたちは、美奈子と同じ目か、それに替わる目をもっているのだろう。それがタイム差だ。
そしてその差は、本来のレースでは、駆け引きに直結する。複数の走者が相手になる以上、後ろの目は、圧倒的なアドバンテージとなる。そしてその目は、レース中に美奈子のように手に入るとは思えない。
「美奈子は、どうやってそれを身に付けたのだろう?」
「お前は間違ってるぞ。後ろの目は、元々持ってたのだろう。今回開花したのは、前の目だ。その結果後ろの目が、本来の力を発揮した。」
「前の目は、お前はすでに持ってるものだ。それは、コーナーの先を読む力。ただ美奈子がやっかいなことは、前と後ろの目を手にしたことで鳥の目も得たことだな。ひょっとしたらアテナも絡んでるかもな」
「とにかく分かった。抜く方法はある。心配するな。お前は美奈子に勝てる」自信を持って悠翔は答えた。
《クシュン・・・》
「どうしたのアテナ?くしゃみのマネなんかして」
《わかりません。たぶんバグだと思います》
「まあ、AIがくしゃみなんかありえねよな」
双方のピットでは、最後の確認が行われる。
アテナは、全ての情報を同時処理して、断捨離を行い、必要な注意点と情報のみを美奈子に伝える。
それだけで美奈子は、自分の中で走りをシュミレートする。頭の中に走るイメージが涌く。エンジン音もあの焼けたオイルの匂いさえも再現される。
そしてアテナに一つだけ尋ねた。
「アテナ、それで私が師匠達に届く可能性は何パ―セント?」
珍しくアテナが即答しない。そしてホログラムが浮かぶ。
《それは、神のみぞ知る所です。》
「へえ~アテナが神頼みか。わかった。私も神に祈るわ」
笑いながら美奈子は、ヘルメットの紐を引き締めた。
一方、蓮のピットでは、マシーンの整備に余念がない。最後の最後まで続けるつもりだ。
「いいか。蓮、ローターリーは、パワーが出るが、唯一の欠点が熱だ。スリップばかりに入るな。コーナーでは幾分アウトを回りしっかり熱を逃がせ。
それと、ラバーの消費を減らすため序盤は無理なバトルはするな。例の作戦は、こちらで合図を出す。それで美奈子は抜けるはずだ」
「わかったよ、相棒。まかせた」
ピットのマシーンに次々に火は入る。
勝負の瞬間は、すぐに来る。




