お嬢様、変わった監督
タイムアタックが終了すると、男はヘルメットを脱ぎセンターボードを見た。
男のレーシングスーツには、もともと付いてたであろう数々のスポンサーカラーの剥ぎ取れた跡が、この男のこれまでのレース人生を刻みこんでるようだった。
デビュー当時、初戦で入賞を果たし将来を期待された名残だ。しかしその後は、一度も入賞できず、全てのスポンサーは、離れて行った。そしてあるメーカーでテストドライバーになり糊口をしのいだ。しかしそれさえ打ち切られた。
気づけば三十歳半ばになり、彼に残されたのは、わずかばかりの金と、退職金がわりのレーサーバイク1台だった。
そこに飛び込んできた1つの情報――彼は、自分のレーサー生活にピリオドを打つにふさわしいと飛びついた。
だが終わったのだ......センターボードに映されるタイムを見るまでもない。終盤に見た、名も知れぬ女子アマのあの弱S字を1ブレーキで抜けるテクニック――自分では到底できない。工具を片付け、相棒にそっと手を添える。それが、彼の最後も儀式だった。
その神聖な儀式を邪魔する無粋な声がした。
「お帰りなる前にお話ししたいことがあります」
見ると自分より二回りは歳が違う2人の若い女だった。
「何だ?俺は、これから、ゆっくりと温泉に浸かって帰るんだ」
神聖な儀式を邪魔され、少し苛立って言葉も荒くなる。
「あなたにとって大事な話です」
冗談には聞こえない真剣な眼差しに男は打ち抜かれる。
「ああ、少しならいいぜ。ただ敗者は早くピットを立ち去る。それが俺の流儀だ。手短に頼むぜ」
男は、レーシングスーツの上を腰で縛り汗だくのTシャツのまま、二人について応接室に入った。
豪華な応接室だった。そのことが、2人の素性が只者ではないことを証明してた。
「まず、紹介が遅れました。私は三条雅、そして横にいるのは、私の片腕、宮部梓です」
「ひゅ~おっ魂げたね。このレースのスポンサーさんか?」
「いえ、違います。主催者です」
男は、思考が追い付かなかった。世界ランカーを一同に呼び寄せ、賞金総額20億円というこの大イベントの正体を知った時に思考が麻痺したのだ。
「で、その主催者さんが、なぜ俺みたいな者に声をかけた?あんたらみたいな天上人にとっては、話す事なんかあるのか?」
やっとの思いで男は、聞く。
「白木好古。○✖年△月◇◇日生まれ。初のサーキットレースで3位入賞、その後目立った成績もなく、深山レーシングでテストドライバーを続けるも、所属チームは、資金難で解散・・」
冷静に梓は、携帯端末の調査情報を読み上げる。
「よせよ、もう。それとも笑いたいのか?趣味悪いぞ」
「とんでもありません。梓は、空気を読めないところがあるもので。
でわ本題に移ります。あなたをスカウトに来ました」
「え?聞き間違いじゃないのか?もう一度言ってくれ」
「あなたに私共のところに来て頂きたいのです」
「なぜだ?理由がない。俺は予選さえ通らないロートルレーサーだぞ」
理由がない、そうだ・・・俺は、スカウトされる物が何もないはずだ。
予選でも、国内プロの実力どころか、あの女アマの足元にも及ばない。あの走りに魅了された側の人間だ。こいつら何を見てスカウトとか言ってるのか?
「ほら、雅、あなたが話を端折るからこうなるの。人を空気が読めないと言う前に、あなの言葉足らずも直しなさい」
「白木さん、あなたにゼネラルディレクターになってほしいのです」
「なんだそれは?」
「文字通りレースの総監督です」
「あなたは、このレースが、ただの賞金レースや記念レースでないことは、すでにお分かりだったのでは?」
「それは・・・・」
これは選別するためのレースだ。異常なまでの安全対策、プロ・アマの混成レース・それと世界トップランカーの招聘。これだけの異例な状況で、賞金に目が行き、世界ランカーを客寄せパンダと考えるやつは、絶対世界にいけない。
ただ一つ自分が、気付かなかったことが、”チーム監督”の選別まで行ってたことだ。しかしそれは、自分がレーサーの立場だったからしかたない。まさかレーサーから”監督候補”を選ぶなんて誰が想像できる?いや、今は走ってるやつらや、ピットでレースメークの指示をしてるやつらでも、まさか自分達が、違った視点でも選別されているとは思わないだろう。
「まず、契約する条件を提示します。契約金1億、年棒5000万が骨格ですが、これは、まだあなたが見習い――つまり試用期間だからです。使用期間が終われば、年棒1億+インセンティブ 毎年年棒交渉は行います。いかでしょうか?」
「いがでしょうしょかって?・・・・・」
破格な条件に即答しようとした時、言葉の意味をよく噛み締めた。”試用期間”
”毎年の年棒交渉” なるほど、こいつは甘くないな。一見条件は破格だ。でも保障されたものじゃない。結果をだせってか。
しかし自分の手で世界のレースを取れる夢がる。
それだけでいいじゃないか?
レーサーとしての終わりだが、同時に違った形で挑戦が始まる。
「わかった。引き受けよう」
白木は、引き締まった表情で答えた。
回
「では、最初のオーダーをお出しします。今回レースであるチームに入ってもらいます。そのチームでは、一切指示は出さないで、見るだけにしてください」
「なんだ?そのチームでは、監督がいるのか?」
「ええ。います。ただ・・・ちょっと変わった監督ですが」
「わかった、その監督とは衝突しないように黒子で眺めるよ。俺こう見えてもポーカーフェイスで表情を出さないのは自信がある」
「そ、そうですか?ではよろしくお願いしますね」
なんだ?そんなに気難しい監督なのか?それとも変人のたぐいか?
白木は、一抹の不安をもって席を立った。
決勝レース当日。
白木好古は、指定されたピット番号の前で、ほんの一瞬だけ足を止めた。
騒がしい。だが、その騒がしさの質が、彼の知っているそれとは違っていた。
世界ランカーのピットにある、怒号と緊張が混じった喧噪でもなければ、
国内ワークス特有の、過剰な無線と確認作業に満ちた雑音でもない。
必要な音だけが、必要な分だけ存在している。
余白がある――そう感じてしまうほどに。
(……整理されすぎている)
ピットボードに目をやる。
派手なスポンサー名はない。
主張するカラーリングも、勝ち誇る文句もない。
Luna Gospel
その文字を見た瞬間、白木は内心で苦笑した。
よりにもよって、あの女子アマのチームか、と。
タイムアタックで見た、あの走りを否定する気はない。
だが、あれは“個”の閃きだ。
組織としてのレースとは、まったく別物だ――それが、彼の中での整理だった。
ピットに足を踏み入れる。
まず感じたのは、人の少なさだった。必要最低限のクルー。
それも、6人も若い女子が、雑談してる以外、誰も叫ばない。誰も焦らない。無線も、頻繁には飛ばない。
だが、それは「何もしていない」空気ではない。
むしろ逆だ。全員が、同じ一点を共有して待っている。
白木は、自然とピット奥へ視線を引き寄せられた。
簡易的に設えられたデスク。
その上に置かれているのは、ノートでも、タブレットでも、見慣れたワークステーションでもない。
黒く、無機質で、存在感だけが異様に強い筐体。
モニターに映っているのは、走行中の美奈子のデータだった。
ラップタイム、セクタータイム、ブレーキ圧、スロットル開度。
それだけなら、どこのピットにもある。
だが、その横に――ライン予測、トラフィック干渉率、
数周先まで分岐した“仮想ラップ”が、同時に表示されている。
(……多すぎる)
思わず一歩、近づく。
これは、人間が瞬時に処理できる情報量じゃない。
分析ではない。並列化された未来だ。
その瞬間だった。
モニターの一部が、何の前触れもなく切り替わる。
《認識完了》
《観測対象:白木好古》
《ようこそ、ルナ・ゴスペルへ》
背中を、冷たいものがなぞった。
「……は?」
誰かがキーボードを叩いたわけでもない。タッチ操作をした様子もない。
それなのに、確かに、自分を認識した。
「冗談だろ……」
思わず漏れた声に、隣にいたクルーが、淡々と答えた。
「アテナです」
「……誰だ?」
「レースマネージャー。正確には、このチームの判断支援AIです」
白木は、モニターから目を離せなかった。
そこには、美奈子の現在の走行ログと並んで、三つの選択肢が提示されている。
――戻る。
――行く。
――様子を見る。
それぞれに、成功確率と、失敗時のリスク。
数値は冷酷で、だが誤魔化しがない。
(……未来を、選択肢として差し出してやがる)
喉が、わずかに鳴る。
「……これを見せて、走らせてるのか?」
「はい」
「信じて?」
少女は、少しだけ考える素振りを見せてから答えた。
「対話していますよ」
白木の思考が、一瞬止まった。
レーサーとして、彼は数え切れない判断を見てきた。
経験、勘、恐怖、焦り、欲。それらが絡み合って、最後は人が決める。
だが、これは違う。判断そのものが、可視化されている。
しかもそれに従っていない。
モニターの端に、小さな表示が浮かぶ。
【推奨判断:ピットイン】
【ドライバー判断:拒否】
白木は、思わず息を詰めた。
「……拒否したのか?」
「そうみたい」
「止めないのか?」
「止めませんよ」
即答だった。
「最終判断は、ドライバーですから」
白木は、ゆっくりと息を吐いた。
――なるほど。
ここには、“監督”がいないのではない。監督が、二重に存在している。
数値と確率で未来を示す存在。それを理解したうえで、なお選ぶ存在。
(……これが、三条の言っていた“変わった監督”か)
そのとき、白木ははっきりと悟った。
自分に足りなかったもの、それは、ピットから“他者のレース”を見る視点だったのだと。
そして同時に、胸の奥で、久しく忘れていた熱が灯る。
(……面白いじゃないか)
白木好古は、その瞬間、レーサーとしてではなく、観測者として、初めてレースに震えた。
視線の先で、美奈子のマシンが、次のコーナーへと飛び込んでいった。




