リヴィア・エルノア・カストレインの調書①
アルは……アルフォンス様は、ご無事なのでしょうか?
わたくしは、このリヴィア・エルノア・カストレインは、彼の正式な婚約者ですのに、どうして、どうしてあの方のお顔を見ることすら叶わないのですか?わたくしがどれほど心を痛めているか、悲しみにに打ちひしがれているか、不安を覚えて眠れない日々を送っているか、あなた方にはおわかりにならないでしょうね。
あの忌まわしい事件が起きてから、まるで永遠のような時間が過ぎたようだわ。虚無感に押しつぶされそうよ……。
ああ、一日でも早く、アルフォンス様の温かいお手に触れ、その優しいお声を聞きたい。ただそれだけが、今のわたくしの唯一の望みなのです。それなのに、どうして……。
せめて、せめて目を覚まされたのかどうか、その一言だけでもお教えいただけないものでしょうか。わたくしは、ただ、アルフォンス様の無事を確認したい、それだけなのです。婚約者として、いいえ、それ以前に、彼を深く、誰よりも深く愛している一人の女として、それは当然の権利ではございませんか?
ああ、いけないわ……大変失礼いたしました。わたくとしたことが、少し、いえ、かなり取り乱してしまいましたわ。このような場所で、感情を露わにするなど、カストレイン公爵家の娘として、淑女としてあるまじきこと。お見苦しいところをお見せして、誠に申し訳ございません。ですが、どうかご理解いただきたいのです。わたくしの胸は、今にも張り裂けんばかりなのですから。
事件のことでございますか……。正直に申し上げて、わたくしには何がどのようにして起こったのか、まったく見当もつきませんの。ええ、本当に。他の生徒たちと何ら変わりませんわ。ただならぬ雰囲気の先生がいらっしゃって、待機をするように命じられて……何が何だかわからぬまま、ただ先生のおっしゃる通り、教室の片隅で息を潜めて待機しておりました。
本当に、不安で恐ろしくて、指の先まで凍えるような心地でしたわ。
だって、アルフォンス様が、わたくしのアルが、どこにいらっしゃるのか、誰も、誰一人として教えてはくれなかったのですから。あのときの心細さ、絶望感は、言葉では言い尽くせません。
ええ、ええ、存じておりますとも。アルフォンス様と、そして……セシルが、その場にいらっしゃらなかったことには、先生がいらっしゃる前から、きっと誰よりも早く気づいておりました。そして……あの毒婦――いえ、失礼、訂正いたしますわ、あの男爵令嬢、名前は……レーナとか申しましたか。ええ、そのような下賤の者の名前など、本来わたくしの記憶に留めておく価値もございませんけれど。あの女も、姿が見えなかった。
あの三人は、実によく、それはもう見ているこちらが不愉快になるほど、いつもそろって授業を抜け出しておりましたので。きっと、あの日もいつものように、人目を忍んでどこかの木陰か何かで、くだらないお喋りに興じていたのだろうと、そう、心のなかで軽蔑しておりました。そして、どうしてわたくしがこのような屈辱に耐えなければならないのか、残酷な運命に何もできない無力な自分を恥ずかしく、このまま消えてしまいたいとさえおもっておりました。
まさか、あのような恐ろしい、とんでもない事件に巻き込まれていたとは、夢にも、本当に夢にも思っておりませんでしたから。
ああ、それにしても忌まわしい! あの女のことを考えるだけで、虫唾が走りますわ! だからわたくしは、あれほど、あれほど何度も、アルフォンス様に直接申し上げたのです! あの出自の怪しい男爵令嬢には、決して深入りなさらないようにと。常に一定の距離を保つべきだと、どれほど口を酸っぱくして忠告したことでしょう!
身分も弁えぬ不埒な輩が、甘い言葉と見せかけの純真さで殿方の心を惑わすことなど、歴史の書物を紐解けばいくらでも出てくる常套手段ではございませんか。アルフォンス様は、あまりにも……あまりにも純粋で、人を疑うということをご存じない。そこが、あの方の比類なき魅力でもありますが、両陛下やわたくしの心労の原因でもありましたわ。だからこそわたくしが、婚約者として指名されたのだと、しっかりとお守りしなければならないと、そう思っておりました。
あの男爵令嬢ったら、一体何を考えていたのでしょう。この由緒正しき、伝統と格式を重んじるわが国の王立学園に転入してくるなり、まずは人のいいセシルに取り入って。セシルは、あの方もアルフォンス様とはまた違った意味で人が良すぎるところがおありですから、あの女の計算ずくの笑顔と身振り手振りにあっさりと心を許してしまった。
そして、まんまと、本当にまんまとアルフォンス様にまで近づいたのですわ! わたくしという、両陛下がお認めになった、幼いころからの婚約者がいるというのに、その厚顔無恥さ、その図々しさといったら、常軌を逸しております!
学園の中庭で、アルフォンス様と親しげに、それも肩が触れ合うほどの間近で話しているあの女の姿をはじめて目にしたときの衝撃と、内臓が震えるような怒りは、今でも鮮明に、昨日のことのように思い出せます。わたくしの全身の血が、一瞬にして沸騰し、頭の芯まで灼熱に達するかのようでした。
その場で騒ぎ立てるのも得策だと思いませんでしたので、わたくしはその恐ろしい光景の翌日に、目に余る無礼を咎めましたわ。
「殿下がお優しく寛大であらせられることは今に始まったことではありませんけれど、婚約者のいるしかもお立場のある殿方に、そこまで馴れ馴れしくお話しするのは、いささか礼を失するのではなくて? ご自身の立場というものを、もう少しお考えになるべきですわ」
できる限り穏便に、周囲の目もある中で、そしてカストレイン公爵家の者としての威厳を込めて、はっきりと注意いたしましたの。
それなのに、あの女は反省する素振りも見せず、まるで自分が世界で一番かわいそうな顔をして言ったのよ。
「そ、そんなつもりでは……ただ、殿下に学園でのことを少しお伺いしていただけで……」
大きな瞳をこれみよがしに潤ませて、今にも泣き出しそうな、か弱い子羊のような顔をして!まるでわたくしが一方的にいじめているみたいに!
ああ、なんという狡猾さ!あのあざとさには、いっそ感心すら覚えましたわ。
男という生き物など、女の涙ひとつで簡単に手玉に取れるとでも思っているのでしょうね。そして事実、アルフォンス様も、セシルも、あの偽りの、安っぽい芝居じみた涙にまんまと騙されて、わたくしのことを、まるで卑怯で矮小で下品な罪人でも見るかのような、非難がましい冷たい目つきでご覧になって、責め立てたのですから!
「どうしてその女の本性がわからないの!?」
喉元まで込み上げてきた感情まかせの言葉を、わたくしは必死の思いで飲み込みましたわ。
淑女たるもの、人前で、ましてや殿方の前で興奮して叫び散らかすなど、あってはならないことですから。でも、わたくしのはらわたは、ぐつぐつと煮えくり返っておりました。わたくしにそんなつもりはないと言っておきながら、なぜ殿方の袖を、まるで甘えるようにつかんでいるの? なぜ、潤んだ瞳で、上目遣いの媚びるような視線を送って、かばわれて当然といった顔で殿方の陰に隠れるの?そのすべてが、髪の一本まで、計算ずくの、緻密で周到に仕組まれた行動にしか、わたくしには見えませんでしたわ。
あの女の純真そうな仮面の下には、底知れぬ野心と狡猾さが隠されているに違いないと、わたくしの直感がそう告げておりました。しかも、それだけでは飽き足らず、あの女は、わたくしの言葉を実に巧妙に、悪意をもってねじ曲げて、アルフォンス様やセシル様に告げ口までしていたのです!
「リヴィア様が、わたくしのような卑しい身分の者が殿下とお話しするのは不敬だと……何かリヴィア様のお気に障るような、とんでもないことをしてしまったようで……本当に申し訳ございません……」
あたかも自分が何の罪もない哀れな被害者であるかのように振る舞って!
あの女のその舌先三寸にかかれば、わたくしのアルフォンス様を案ずる正当な忠告や、婚約者としての当然の懸念は、全て嫉妬深い女の、見苦しい癇癪として片付けられてしまう。本当に、狡猾で、卑劣で、そして何よりも……わたくしの尊厳を土足で踏みにじった女。
アルフォンス様やセシルに、一方的に、それはもう冷酷非情なまでに責め立てられた日のことは、今でも、いいえ、きっと一生涯、この胸から消え去ることはないでしょうね。
周囲の生徒たちのわたくしたちを――いえ、わたくしを見る憐れんだ目。あんな屈辱ははじめてでしたわ。あの日はたしか嫌味なほど澄み渡った青空で、窓から差し込む陽光が、やけにまばゆく、そして忌々しいほど美しかった。
そして何よりも……わたくしを見つめるアルフォンス様の、まるで汚らわしい虫けらでも見るかのような、あの、底冷えのする軽蔑に満ちた瞳……。セシルも、いつもは春の日差しのように温厚な方が、まるで別人のように厳しい声で、わたくしを詰問なさいました。
「可憐なレーナをいじめて楽しいのか!」
「リヴィアは幼なじみとして大切に思っていたけど、幻滅した」
「集団でひとりに言い寄るなど、次期王妃として恥ずかしくないのか」
「君の評価を考え直さなくては」
おぞましい――本能的に、そう思いました。わたくしがよく知るお二人なのに、見た目がそっくな別人としか思えませんでした。
わたくしは、なんと言い返したか……覚えておりません。ただ、きつく唇を噛みしめ、目頭に熱く込み上げてくる雫を、決してこぼしてなるものかと、必死で、必死でこらえることしかできなかった。わたくしの言葉など、もうあの方たちの心にも届かないのだと、深い、暗い絶望の淵に突き落とされたような気持ちになりましたわ。
わたくしは、ただ、アルフォンス様のためを思って、お二人の輝かしい未来のためを思って、忠告申し上げていただけなのに、どうして、どうしてそれが、こんなにも歪んで伝わってしまうの……!
あのときの、身を切るような孤独感、わたくしの心ごとすべて踏みにじられたかのような屈辱感は、今こうして思い出すだけでも、胸が張り裂け、今すぐはかなくなってしまいたい気持ちに駆られます。あの瞬間、わたくしの心は、確かに一度、音を立てて砕け散ったと思います。
……どうしてアルフォンス様が、あの忌まわしい事件のあった日に、よりにもよって人目につかない空き教室などにいらっしゃったか、ですか?
さあ、わたくしのような者には、到底見当もつきませんわ。どうせ、またあの男爵令嬢が、何かもっともらしい理由でもつけて、甘い声で呼び出していたのではありませんこと?
「こっそりご相談したいことがあるのです。どうしてもお話ししたい大切な秘密があるのです」
こんな思わせぶりな言葉で誘い出して。アルフォンス様とセシルは、先ほども申しました通り、人が良すぎますから、そんな見え透いた、児戯のような演技に、ころりと、いとも簡単に騙されてしまわれる。本当に、何度同じことをくり返せばおわかりになるのかしらと思っていましたけれど。とうとうわたくしの心配は恐ろしい現実のものとなってしまったのね。
え?ア、アルと……あの男爵令嬢の、み、密会……?
……なんですの、それ。密会、ですって? まったく、何を馬鹿げたことをおっしゃっているのか、さっぱり、これっぽっちも理解できませんわ。そんなお戯れは、たいがいになさってくださいまし。このわたくしをからかって、何かおもしろいことでもおありになるとでも?今のわたくしに、そのような冗談は通用いたしませんことよ。
……は?
アルフォンス様と……あの、あの女が、二人きりで……お、逢瀬を……か、重ねていた……ですって?
そ、そんな……そんな馬鹿なことが……!あり得ませんわ! 断じて、そんなこと!あってはならないことだわ!
だって、だっていつも、セシルも一緒だったではございませんか!ええ、わたくし、この目で、何度も見ておりましたもの。中庭の、あの白い東屋で、三人で楽しげに、それはもう親密そうに笑い合っているのを。図書館の人気の少ない片隅で、本も読まず、勉強もせず、三人で顔を寄せ合って、ひめごとをこそこそと熱く話し合っていたのを。
その光景は、わたくしの心を鋭い刃で抉り、わたくしに深い絶望を与えました。それでも、セシルがいるのなら、まだ……まだ、許容できる範囲だと……そう、必死で自分に言い聞かせて、なんとか自分を保っておりましたのに……。
セシルが……いないとき?いないって、どういうことですか、それは!二人で一体何を……いえ、言わないで。口にされたら気が狂ってしまうわ。一体、いつから……どこで、そんな……そんな破廉恥な真似を……?
ちょっと、あなた、もっとくわしく、正確に教えてくださいまし!アルフォンス様と、あの女は……本当に、このわたくしに隠れて、二人きりで会っていた、と……そう、断言なさるのですね?
ああ、頭が……何が何だか、もう……目の前が、真っ暗に……。わたくしが、このわたくしが、そのような破廉恥な事実を知るわけないじゃありませんか! もし、もしも、万が一にも、そんなおぞましいことを欠片でも知っていたのなら……もっと早くに、両陛下やお父様にも相談して手を打ちましたわ!
この国を愛し、アルフォンス様を愛し、未来の王妃として覚悟を持ったこのリヴィア・エルノア・カストレインが、指をくわえて見過ごすとでもお思い!? アルフォンス様は、この国で唯一、次代の王になられる尊いお方なのよ?それを、あの、どこの馬の骨とも知れない、下賤な成り上がりの男爵令嬢ごときが……! 許せない。絶対に、絶対に、許せるはずがないじゃありませんか!あの女の存在そのものが、わたくしの尊厳を、わたくしの人生を、そしてこの王国を愚弄しているのです!
あの女を、憎んでいるか、ですって? まあ、愚問ですわね!憎んでいるに決まっておりますわ!心の底から、わたくしの体に流れる血の一滴に至るまで、あの女を受け入れることなどできないでしょう。
いきなり、何の断りもなく現れて、わたくしとアルフォンス様と、そしてセシルの、長年かけて慈しみ育んできた、穏やかで、清らかで、調和の取れた完璧な世界に、土足でずかずかと無遠慮に割り込んできて!わたくしたちの間に流れていた、あの美しい信頼と親愛の情を、あの女は、たった一人で、一瞬にして破壊し尽くしたのです!
アルフォンス様の、かつてはわたくしだけに向けられていたはずの優しい眼差しも、セシルの、兄のような温かい親愛の情も、すべてあの女に奪われてしまった。わたくしから、わたくしの人生で最も大切なものを、根こそぎ奪い去ったあの女を、憎まずにいられましょうか。
ええ、憎んでいますわ。淑女教育を受けた高貴なわたくしが、塗り固めた嘘を披露できないほど、骨の髄まで、心が震えるほど、憎んでいますとも!あの女さえいなければ、こんなことには……!
……え? あ、あの女が……き、消えた……? 男爵家の、あの女の屋敷に……た、大量の……血痕が、あった……ですって? ちょっと……ちょっと、お待ちになってくださいまし。何を、一体、何をおっしゃっているのですか……?
わたくしは……わたくしは何も、何も、これっぽっちも知りませんわ! た、たしかに、先ほど認めた通り、あの女を心の底から憎んではおりましたけれども……そ、そんな、命を奪うだなんて……そこまで落ちぶれておりません!
わたくしが、高潔な志を持つわたくしが、そのような恐ろしい、野蛮で下劣なことを考えるなんて、ましてや実行したりするとでも、本気でお思いなのですか!?ま、待ってくださいまし!本当に、本当に、わたくしは何も知らないのです! どうか、どうか信じてください! わたくしは、ただ……ただ、アルフォンス様のご無事を祈り、あの方のことが心配で、夜も眠れないほどだっただけで……。
は?わ、わたくしの……こ、痕跡が……あの、血塗られた現場に……残っていた……ですって?
そ、そんな……そんなはず、ございませんでしょう!?何かの、何かの間違いですわ! 断じて、断じてあり得ません! わたくしは、あの忌まわしい男爵家の屋敷になど、ただの一度たりとも、この足を踏み入れたことなどございませんわ! あの女と顔を合わせるのも、同じ空気を吸うのも不愉快でたまらないというのに、わざわざあの女のいる屋敷にまでこのわたくしが出向く理由がどこにありますの!?
ええ、神に誓って申し上げますわ! 何かの、とんでもない何かの間違いに決まっております! きっと、誰かが……そうよ、誰かがわたくしを陥れようとしているのではなくて!? あの女に恨みを持つ者は、他にもいるでしょう?
と、とにかく! ちゃんと、もう一度、もっと念入りに、徹底的に調べてちょうだい! わたくしじゃない! わたくしは、絶対に、絶対にやっていない! 本当に、何も、何も知らないんだから!そうだわ、お父様を今すぐ呼んでちょうだい。お父様なら、わたくしが無実だと、きっと真実を調べてくださるわ。
え?お父様が牢に?な、なぜそんなことになっているんです?いほうやくぶつ……知らない、知らないわ。わたくしは何も知らない!あの女のことも、そんな恐ろしい薬物のことも、何もかも。わたくしは無実です。薬物中毒でもないわ!
お願いですわ、どうか、どうかこのわたくしを信じて……信じてくださいまし……!お願い……!