温泉
リンネを加えたパーティは抜群の安定感を見せて第九層攻略に向けて動いていくことになります。
高レベルの一般攻略組が全滅した階層ですね。
連携を確立した一同は腕試しに第九層に入ることを決意する。
本格的な攻略までは考えていない。敵モンスターやダンジョンの構造などをリサーチする威力偵察のようなものだ。第九層といっても町などの安全エリアは存在する。
そこを拠点に今の自分達でどこまで戦えるのかを図ろうという思惑があった。
その結果を参考に来るべき第九層ボス戦に必要な戦力を集めようと考えていたのである。
「前回の攻略メンバーは殆ど情報を残せていません。他のプレイヤーは第九層の町エリアにしか来ません。なのでフィールドやダンジョン情報は殆どありません」
「ここからの道は私達の手で切り開かなきゃダメなわけね」
「ククク、問題なかろう。我らは負けなし! 今後も歴史に名を残すことになろう」
「よし、行こうぜ」
三人の少女と一人の変態は威風堂々と第九階層へと下っていく。
殊更不安を煽ったもののシルクは誰一人死なせない自信があった。
前回の攻略メンバーと違い、シルクには開発者としての知識がある。第九階層の地形もダンジョントラップもおおよそ把握しているのだ。
(大丈夫。僕らがフォローすれば彼女達を守りきることは簡単だ)
「あんま気を張るなよ」
肩に手を置くMr.ヌードが気炎を上げるシルクを諫める。先輩として責任感を持ちすぎている後輩が心配だったのだろう。シルクは彼の優しさに笑顔で応えていた。
背後から二人の少女がその様子をじっと見つめる。
「ねぇ、ミチル。あの二人って深い仲なの?」
「リアルでも先輩後輩って話だし、もしかしたら恋人か、それに近い関係なのかも」
(違います!)
会話が聞こえていたシルクは大声で否定したい気持ちであったが、ぐっと我慢した。今は勘違いさせておいた方が都合がいい。二人で秘密の話題を共有していてもおかしくないと思われるからだ。不本意ながら恋人関係というのは運営社員同士という関係性を隠すには丁度いい身分だったのである。
「そんな嫌そうな顔すんなよ。俺だってネカマと付き合う趣味はねぇ」
「僕だってブリーフの変態なんて御免ですよ!!」
軽口をたたき合えるのは気の知れた先輩後輩だからだろう。
第九層は全体的に暗い雰囲気のフィールドだった。蝙蝠や蜘蛛といった洞穴に潜む動物を模したモンスターが跋扈している。一度攻略メンバーが全滅しているという前情報が余計に恐怖心を煽る。一度町の外に出れば早々にモンスターの歓迎を受けることになる。白蛇型のヴェノムヴァイパーは厄介だった。俊敏な動きと高い攻撃性を持ち合わせており、毒状態を多用してくるのだ。
「今までのモンスターと比較してもレベルが違うわね」
「おまけに動きが早いです! ――ってしまった」
少し油断すれば前衛の隙間を抜けて後衛を狙ってくる。
「シャァアア!!」
「ふん、そんなに我が〈イビルアイ〉を喰らいたのか!」
リンネのユニークスキルが敵の強襲より僅かに早く発動する。彼女の眼を直視したヴェノムヴァイパーは幻術に落ちたのだ。遅れて前衛組が静止したモンスターに止めを刺す。
「悪ィな、リンネ。よく止めてくれた」
「すみません、守りを突破されました……」
「ごめんね、思ったように体が動かなくて」
「半吸血鬼たる我は無敵! 気にするでない」
リンネのユニークスキルは前衛向きなのだが、今回のように守りを突破されたときは大きく役立つ。接近戦が不得手という魔術師の弱点を自らカバーしてくれるのだ。
彼女本来のプレイヤースキルもあってソロでもある程度戦える程だった。中二病発言を馬鹿にしていた彼女の元チームメンバーがギリギリまで手離さなかった理由を垣間見た瞬間である。リンネの力に助けられつつ一行は奥へ奥へと歩を進めた。
第九層の敵は積極的に状態異常攻撃を多用してくる。
時折体が痺れて動けなくなる麻痺状態、常にHPが削られる毒状態、身体の操作がおかしくなる混乱状態、全く無防備になる眠状態、これらは全て命の危機に繋がる。
状態異常回復アイテムとスキルが必要不可欠な場所だった。しばらく新たなモンスター群との連戦が続けていた一行は森を抜けて先の岩場に辿り着く。
「ぬ! 前方に謎の蒸気発見! 敵の攻撃やもしれぬ! 全員警戒態勢!」
「バイオニックモンキーの怒り状態みたいなものかしら」
杖を構えるリンネにつられてミチルも抜刀した。
臨戦態勢の女の子たちを後目にシルクはMr.ヌードに小声で耳打ちする。
「先輩、第九層に蒸気を発する敵なんていましたっけ?」
「俺の記憶にはないな。しかし敵の種類を把握してると運営社員とバレる。ここは嬢ちゃん達に合わせよう」
頷くシルクは盾を構えて最前線へ走った。皆を守るように盾を構えつつ少しずつ蒸気と距離を詰めていく。岩場の隙間から広範囲に水蒸気が出ているようだ。
恐る恐る盾越しに目を見張ったシルクはその正体を見た瞬間肩の力が抜ける。
「……温泉……ですね」
「なんと!?」
他のメンバー達も駆け付けてみると確かに天然の温泉が沸いていた。
念のためシルクが手を入れて湯成分に毒素が含まれていないことを確認する。
怪しい成分は何もない。それどころか丁度良い湯加減である。
そこでシルクは開発時のことを思い出した。LPOではモンスターとの連戦が想定される場所や強敵との戦闘前に当たる場所には野営地などの全回復ポイントを置くのだ。
この第九層前半を踏破するためには多数のモンスター群が蔓延るフィールドの戦闘を抜けなければならない。その過程で確実に体力が削られ状態異常になるためHP回復ポイントである温泉を配置したのだ。
他でもないシルク自身が上層部に訴えて配置したものだった。
野営地ではなく温泉を置いたのは開発陣の遊心である。
(殺伐としたデスゲーム生活で忘れてたなぁ)
開発当時は先輩社員達と一緒にフルダイブゲームにおける混浴風呂設置の話題で盛り上がってたものだ。その頃の情景を思い浮かべたシルクは僅かに口角が上がった。
背後のMr.ヌードもまた笑みを携えている。
「この辺は敵が出ねーみたいだし入っていこうぜ」
「汝、もしや混浴を期待しておるわけではあるまいな?」
「流石に俺も空気は読める男だ。俺が見張ってるから女性陣だけで入って来な」
やはりアバター体とはいえ混浴はNGのようだ。
実際に仮想世界の身体を動かしている以上、その体の露出について女の子は恥じらいを持つらしい。どこかの変態ブリーフ野郎も見習ってもらいたいとシルクは切に思った。
ちょうど岩陰が更衣室のようになっているため着替えは問題なさそうである。
(アバターとはいえ女の子の裸を見るのはマズいよね……)
席を外すMr.ヌードにシルクが追随しようとした時、その腕をミチルが掴んだ。
「どこ行くの? シルクちゃん、一緒に入ろうよ」
「いや、僕も見張りに参加しようかと」
「折角、Mr.ヌードが見張ってくれておるのだ。アレも覗きをするような男ではあるまい。自分が脱ぐ方が好きらしいからな」
言われてシルクは自分が女の子のアバターだと思い出した。
スカート衣装や胸の違和感は慣れてしまえば問題ない。しかし女子として他の女子と風呂に入るのはいただけない。相手は同性と思っているが、それは見てくれのアバターだけで中身は男の子なのだ。当然欲求もあるが女性と偽って女性の裸を見るのは犯罪だと自覚している。なんとしても混浴は避けなければならない。
「あの! これ以上は不健全です! 僕は後で先輩と入るのでお二人でお先にどうぞ!」
「「男と混浴!? そっちの方が不健全じゃない!!」」
何も知らない二人の目からすれば女同士で入浴を断り男女で混浴しようとするシルクの方が異質だった。シルクの中身が男とは明かせない立場なので彼女達の申し出を断る口実が浮かばなかった。急いでメッセージ機能を立ち上げMr.ヌードに助言を請う。
『このままだと女の子と混浴に! 僕は犯罪者になってしまいます! 先輩助けて!』
『健闘を祈る。今を楽しめ若人よ』
「あのブリーフ野郎ぉおお!!」
彼は全て分かった上でシルクを残し立ち去ったのだ。シルクが精神を揺さぶられる様を楽しんでいるのだ。サングラス越しの笑みが容易に想像できる。
こうなれば力づくで辞退しなければならない。
「私は、大衆風呂には慣れていないので――散!」
「シルクちゃんが逃げるわ。先輩さんと不純異性交遊するつもりかも! リンネちゃん! 断固阻止して!」
「心得た! 雷神よ我が声に応じその力を示せ――〈ボルテック・ショック〉!!」
「ぎゃぁぁああ――!」
リンネが使用した〈ボルテック・ショック〉は威力の低い雷属性の魔術である。体力を十分の一削る小技であるが必ず対象者を麻痺状態にする。安全エリア外に出たところを狙い撃ちされたことで体が痺れて動けないシルクはミチルに捕まった。
そしてゆっくりとボタンを外されていく。ハラスメントコールが鳴るものの今は通報機能が生きているかもわからない上、思うように手足が動かせない。
「シルクちゃん、先輩さんと仲いいかもしれないけど自分を大切にしなきゃ」
(ひどく誤解されてるー!)
手足の自由が利かない間にシルクの衣類は着脱されアバターの裸体を晒すことになってしまった。身体の操作ができるようになったのは皆が服を脱いだ後である。仕事としてLPOをプレイしていたので『シルク』の裸体すら見慣れていない。
リアルを追求したアバターの体には傷や汚れは一つもない。ミチルもリンネも美人画のような芸術的体系である。リンネはゲーマーにしては珍しく胸のサイズを盛らず控えめにしているが決して小さすぎずスレンダーな体系である。
対してミチルは並よりは体格に恵まれていた。ゲーム操作に不慣れな彼女は自身に似せてアバターを作っていたと話していたのでリアルの体系に近いのだろう。
そんな想像をしてしまったシルクはさらに顔を紅潮させる。
水面に映る自分の姿もまた気恥ずかしく急いで顔面を手で覆った。
「恥じるでない。お前も立派なものではないか」
「そうよ、シルクちゃんプロポーションいいじゃない」
「所詮アバターですよ! アバターなら体格も胸囲もいじれますからね!」
性別をカミングアウトできないシルクが精一杯暴露できる範囲でツッコミを入れる。
「なるほど、リアルでは貧乳なのね。大丈夫よ、胸の大きさなんて関係ないし」
「そうとも! 小さいのが好きなのもおるからな!」
(リアルだと貧乳どころか無乳だよ!)
二人はシルクが体にコンプレックスを持っているものと勘違いしていた。
これ以上話をしても拗れるだけのようだ。彼女達が湯船に浸かった気配を感じてシルクもようやく目を開けた。
「気持ちいいわね~。本物の温泉に浸かってるみたい」
「HPだけでなくメンタルにも効きそうよな」
湯は白濁しており却って見えない部分の想像力を掻き立てる。また湯に浸かって紅潮した彼女達に独特の色気を感じてしまう。極めつけは親密になろうとガールズトークを始めるミチルたちが接近したことで腕や腰がシルクの身体に当たってしまうのだ。
アルバイト漬けで灰色の青春を送ったまま就職した貴愛には刺激が強すぎた。
「はにゃ~……ブクブク」
『BrainPass』の五感実感能力は凄まじい。湯の感覚も匂いも触感も全て本物と同じように錯覚させる。おかげで女の子との混浴を体感したシルクはリアルと同じように逆上せてしまったのだ。
「シルクちゃん!?」「白きメイドよ、気をしっかりもて!」
朧げながら聞こえる仲間の声が遠くなっていった。
次にシルクが目を覚ましたとき、心配そうに覗きこむミチルと目が合った。
その体勢から自分が彼女に膝枕をされていることを把握し、飛び起きた。
「す、すみません!」
「こちらこそごめんなさい。ゲームでも湯あたりするのね。シルクちゃんが長湯苦手だってしらなかったわ」
湯船に倒れる直前に瞳に焼き付いた光景を思い出したシルクはミチルを直視できず赤面のまま思わず目を背けた。
「ようやく目ェ覚ましやがったか」
たった今Mr.ヌードも入浴を終えてきたようでリンネの炎系魔法で乾かされながら戻ってきた。彼のニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべた視線がシルクを苛つかせる。
「先輩のせいで大変な目に遭いましたよ!」
「ノリ悪ィなシルク、お前には早い世界だったか」
「うるさいですよ。色々ばれたらどうするんですか!」
「所詮は仮想世界。素直に楽しんでおけばいいものを……冗談の分からない奴だな。まぁいい。全員体力回復したんだし、もうちょい先に進んでみようぜ」
温泉ハプニングは思わぬアクシデントだったが体力スタミナ、スキルポイント等を全快できたのは大きい。この温泉地を中心にすればもう少し散策はできそうだ。
「ゴホン、行きますよ」
気恥ずかしさを紛らわせるためシルクは皆に先導して歩を進めた。
確かに温泉効果が絶大である。回復効果以外に時間制限付きで攻撃力防御力等の強化効果も付属していたため入浴前に比して戦闘では苦戦しなかった。
おかげでレベルがどんどん上がっていき、強化効果が消える頃には通常状態でも十分戦えるコンディションになった。第九層のモンスターも最奥へ近づくごとに強くなっているものの辛うじて戦えている。
「強攻撃モーションだ! シルク頼む!」
「任せてください! どんな攻撃も防ぎます!」
シルクの大きな盾に攻撃が集中している間にリンネのバフ&デバフスキルが起動し、敵の能力値を下げ、味方の能力値を底上げする。
「では今のうちに我が力を授けよう!」
「……相手は次の攻撃で動けなくなります。追撃してください」
「私がやる!」「俺も行くぜ!」
アタッカーの二人のコンビネーションも抜群である。流石に第九層後半になると一度の戦闘でHP半分が削られてしまうものの一応戦えている。
しかし蘇生手段がないLPOでは流石に連続戦闘も厳しくなってきた。
一線級の上級プレイヤー達が全滅したというのも当然といえるだろう。
「十分レベルは上がりましたし今回はそろそろ引き返しましょう」
「そうだな。急いでも良いことはないだろう」
「HP回復だけなら温泉の所まで戻ればいいけど今日はベッドで休みたいわ。町まで戻ろうよ」
LPOではHPさえ残っていれば理論上、永遠に活動を続けられる。しかしこの仮想世界のアバターを動かしているのは生身の人間の脳なのだ。人間が約八時間の睡眠を必要としているようにLPOでも睡眠を推奨している。本来はログアウトして現実世界で休めばよいのだが開発側として少しでも長くゲーム世界に留まってもらうために設けた機能である。
ゲーム内睡眠はログアウト不能になった今では生命線となりうるものだった。
皆がミチルの意見に賛同する中、難色を示す者がいた。
――新参者のリンネである。
「苦労の果てにこの地まで来たのだ。ボスエリア付近まで調査せぬか?」
シルクとMr.ヌードは開発者なのでボスエリアの装飾などは熟知しているので敢えて見に行く必要はない。だが新メンバーである彼女の要望は理解できた。ゲーマーならば次のイベントエリア付近まで見てみたいというのは納得の出来る意見である。
「分かりました。ですが、入り口付近までですよ。第九階層の敵に苦戦する今の僕達では人数もレベルも足りません。挑んだら全滅必至です」
「皆まで言うな。永久の研鑽を続けてきた我にはそのくらいの見識も持ち合わせている。来るべき最終血戦に備えて宿敵の住処を見ておきたいと思うただけのこと」
「……リサーチは大切よね!」
「じゃあ、近くまでだな。MAPによればあと少し進んだ洞窟のあたりがボス戦っぽいぜ」
開発に関わっていた者達ならば当然有している知識だ。
人間が米粒に見えるほどの大きな洞窟の中にこの第九階層のエリアボスが生息している。
毒や麻痺などの状態異常を多用する上に特殊攻撃まで繰り出してくる強敵である。
テストプレイ中は宝箱を探している内に誤ってその洞窟に足を踏み入れてしまい、ボスに惨殺されるプレイヤーが後を絶たなかった。各言うシルクもその一人である。
なので低レベルプレイヤーが道に迷わないように『この先ボス注意』と一目で分かる警告がそこかしこに配置するゲームデザインに変更していた。
MAPのUIにもボスがいると分かるマークが表示されている。
少し歩いて森を抜けた先に蟻塚のような巨大な洞穴が聳え立っていた。
「凄い立派ね~。自然物とは思えないわ」
「古の魔族が封じられていてもおかしくはなさそうだ。ククク、我が魔眼が疼く」
(ここのボスは昆虫型だけどね。アートチームの笹塚さんがディテールに拘っていたっけ)
プレイヤーの目を奪うリアリティを突き詰めた造形に固執し、マイルストーン後もディレクターに直談判し手を加え続けたマップである。笹塚が気合を込めた箇所はたしかにプレイヤーを感動させていた。今の彼女達の顔を見れば彼も大満足だろう。
(まぁ、現実の会社側の人達はそれどころじゃないんだろうけど)
仮想世界にユーザーを閉じ込めてしまうという前代未聞の不祥事対策に開発チームは汗と涙を流していることだろう。今は彼らの対策が実を結ぶことを祈るしかない。
温泉でのひと騒動でした。
身も心も回復した一同は第九層のボスエリア近辺まで進んでいきます。