夜の水族館
お久しぶりの投稿。
息抜きに書きました。
私は、夜の水族館が好きだ。
入ったのは夕方ごろだったのに、奥に入れば入るほど、辺りは暗くなり、体には夜が満ちていく。街中とは違う、青くてしっとりとした夜。
館内で呼吸をすれば肺が夜に溶け出し、足を運べば夜は身体中に纏わりつく感覚がした。
この中にいればいるほど、私は夜になっていく。光を受けても反射せず、物を掴みたくても、掴もうともしない。
今私の目の前にあるのは、この水族館の中でも一番大きな水槽で、人間を拒むように分厚い硝子によって隔たれた奥側には、鰯の群やシュモクザメ達が自由気ままに舞っている。
本来の自然なら、すぐに鰯は食い尽くされ、そこはただのつまらない水槽になるだろう。
テレビが言うには、例え同じ水槽にサメと鰯を入れようとも、サメはほとんど鰯を襲うことはないのだという。
理由は至極単純、面倒だから。常に餌が貰える環境下にいる彼らにとって、わざわざ獲物を追う必要がないのだとか。詰まるところ、怠惰だ。
しかし、怠惰によってこの美しい水槽が守られるのなら、決して悪くないと私は思う。
そう、怠惰は悪くない。怠惰は必ずしも悪ではない。怠惰な自分に言い聞かせた。
かれこれ一時間以上この水槽の前に突っ立っているが、特段見るべきものがあるわけじゃない。
ただこの青い夜に溶かされていく時の緩みが、どうにも心地よかった。少し足を伸ばせば海月が見られる。もうすぐイルカショーも始まるのだから、それを見に行ったって良い。
それでもここから動けない。底に蓄積した夜が底なし沼となり、私を逃さない。当然、本物の地面は地面だけれど。
水族館の魚として生きる彼らには、怠惰が許される。人間として生きる私には、怠惰は許されない。そう考えると不意に私は思う。不公平だと。
それでも私は憤れない。底なし沼は肩の高さまでせり上がり、首から下が動かせなくなった。
そして私はようやく気付いた。足の感覚が無いことに。足だけではない。足首から膝、膝から腰へ、みるみる感覚が無くなっていく。
私はすぐに理解した。それらは既に溶けたのだ。溶け出して、本当に夜になった。
そうする内に頭のてっぺんまでを底なし沼が覆った。もう呼吸も満足にできなかったが、苦しくもなかった。
やがて体は全て溶け出し、残るは頭だけ。私は私という存在が消える間際でさえ一切の抵抗をせず、やはり怠惰だった。
しばらくして目を開くと、眼前には水槽が広がっている。周りの様子も変わらない。体も動かせる。ただ私の体は見えない。透明人間のような状態になっていた。ただ見えないだけじゃない、物に触れようとすれば透けて、絶対に触れない。幽霊という表現の方が適切かもしれない。
唯一触れるのは、夜だった。先程まで私の体を溶かしていた夜は、床や空中、壁など、それはもう至る所に張り付いていた。
夜は粘土のようで、手に取ると少しネバネバしているが、ひんやりとして気持ちいい。
やがて私は粘土をこねて、鰯を作り出した。それを水槽の中に入れようとすると、あんなに分厚い硝子をいとも簡単にすり抜けて、群と一緒に泳ぎ始めた。
それを見た私は、夢中になって生き物を作り続けた。ヒトデも、エイも、コバンザメも、シイラも作った。それらを全て水槽に入れ、ふと館内の時計を見ると、もう八時を過ぎようとしている。閉館間近だ。
最後に私は、自分自身を水槽の中に放り込んだ。自分の怠惰を、許した。
それからふと辺りを見回すと、落ちていた夜がひとりでに魚の形になって、水槽に飛び込み、泳ぎ始める所を目撃した。
夜になったのは、私だけではなかった。ここは夜の水族館。夜で作られた、水族館なのだ。
三ヶ月ほど経っただろうか。一人の若者が、二時間ほど、じっと水槽を見つめている。
それを見た私は水槽から出て、この空間にあったありったけの夜を、彼の周りに集め、埋め尽くした。彼は新たな夜となった。
また投稿頻度ゴミになります
今書いてる長文が済んだら再開です