98. ベズコフ領の勇者
その夜、領都のくたびれた一軒の酒場に、夜遅く一人の客が入って来た。
もう閉店時間は過ぎていたが、マスターは男を見ても何も言わなかった。
近所で宿屋を営む馴染みの男。
「泊り客のダン宛で荷物が届いた。お前さんが前に言ってたやつだろ?」
それを聞いたマスターは頷くと、店の入口のドアに閉店の札を掛ける。
店の外を見回したが、人の気配や異常なところは、特に何も感じられなかった。
既に他の客は皆、帰った後で、店にはこの男とマスターしかいない。
宿の主人は、紐で口を閉じられた細長い麻の袋をマスターに差し出した。
マスターは荷物を受け取ると、宿屋の主人の隣、客側カウンター席の1つに腰を下ろす。荷物は軽く、片手で容易に持てる程度。直ぐに袋を開ける。
中には大きめの巻紙が1本と、底の方には小さな麻袋が1つ入っていた。
取り出してカウンターの上に並べる。
巻紙は広がらないように紐で括ってあり、見た目どおりの紙の重さだった。
一方、小さな麻袋の方は、口の部分を紐で縛ってあり少々重かった。金貨か?
まずは、小さな麻袋の方から確認する。詰めてあった藁を脇に寄せて中身を取り出すと、色鮮やかな赤色の紐がついたメダルだった。
2人は驚愕した。これはきっと、モーリがいつも首にぶら下げていたアレだ。
メダルの紋章を見るに、おそらく領主家の紋章メダルで間違いない。中央広場に掲示されている告知書で見た紋章のデザインが、確かこんな感じだったはずだ。
そう! あのモーリが首からぶら下げている、ご愛用の紋章メダルに違いない!
そして、このメダルがここにあるという意味は、1つしかない。
「あいつ、やりやがった!」
マスターは、震える声で、思わずそう口にしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
直ぐに巻紙を括っている紐を外すと、紙を広げ、食い入るようにその中身に目を通す。その巻紙こそ、あの夜のマスターの依頼に対するレオの答えだった。
あの夜マスターは、全てが終わったら自分にも知らせて欲しいとレオに頼んだ。出来れば、どんな死に様だったかも教えてほしいと。
領主嫡男が行方不明になった後、その顛末が書かれた手紙を受け取るのは、危険ではないかと懸念するレオに、手紙はレオが泊っている宿宛に送り、宛先は泊り客のダンという架空の名前にしてくれと頼んだ。宿の主人にも一言伝えておくと。
もし、警備隊に不穏な動きがあれば、受け取らずに放置しておくからと。
レオは了承した。マスターはレオに手紙の配送代として、何と金貨を渡した。
餞別だよと笑いながら。
自分でも、初対面の男に金貨を渡すなど、あり得ない行為だと思った。
しかし、レオが話した内容を自分は真実だと思ったし、迷う事無く “殺る” と即答したレオを見て、この男ならひょっとしてという、奇妙な期待感が湧いたのだ。
己は無力で平凡な庶民だが、せめてこの男に賭けてみようと思った。
領民から奪うだけで、その生命を守ろうともしないベズコフ領主家。せめてもの、妻への弔いの気持ち。自分には出来ない敵討ちを、レオに期待したのだった。
レオが店に来た日からしばらくして、モーリの行方が分からなくなっているとの噂が、領都内に流れ始めた。この店に来る客たちからも、しばしば耳にした。
何でも、モーリ行きつけの高級酒場や娼館に、モーリの行方を知らないかという聞き込みが入り、必死にモーリを探しているらしい。そうした店の店員や客から広まった噂だという。
そう言われてみれば、確かに最近見ていないという話が、街の彼方此方で囁かれ始めた。
飲み過ぎで体調を崩して、領主館に閉じ籠っているだけではないのかという話も、最初の頃はあった。あまり燥ぎすぎると、後でとんでもない目に遭うぞと、顔を顰める者も少なくなかった。
しかし、それから何日経っても、俺は見たという人間が一人も出て来ないのだ。どうやら、本当にモーリは行方不明らしいという話が、公然と囁かれ始めた。
マスターは、そうした噂を前に半信半疑でやきもきした。
しかし、期待感は日々膨らんでいった。領兵が2人1組で領都内の民家や店舗を、捜索し始めたという話を聞き、そして実際にこの酒場にもやって来た事実により、この前例の無い大捜索こそ、レオがやり遂げた証拠だと確信した。
その日の夜、馴染み客で古くからの付き合いである宿屋の主人に、泊り客のダン宛で訳ありの荷物が届くという話をした後、一人静かに祝杯を挙げたのだった。
そして、あの夜から半月少々。ついに来た。マスターの手は震えていた。
何度も何度も、送られて来た巻紙を読んだ。隣から覗き込んでいた宿屋の主人が、俺にも良く見せてくれとせがむので渡す。その顔は歓喜に満ち溢れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからしばらくして、街の住民の誰もが寝静まった頃、外套のフードを目深に被った一人の男が街の広場に現れた。
告知板の前に歩み寄り、周囲に人気が無い事を確認すると、告知板の中央付近の手頃な場所、人が告知書を読むのにちょうど良い高さを見定めた。
既に貼ってあった告知書を剥がして捨てる。空いたスペースに告知書1枚分の目算をつけると、持参した壺から、刷毛でたっぷりと糊を塗った。
丸めて懐に入れてあった巻紙を広げ、そこに丁寧に貼りつける。さらに、懐から今度はメダルを取り出すと、その赤い紐を貼り付けた紙のすぐ下に釘で留めた。
レオから送られてきた巻紙を見た瞬間、マスターは危険を冒してでも、こうするしかないと決めていた。結果を知らせて欲しいと頼んだ自分に対して、レオは予想を越える素晴らしい贈り物を寄こした。
何と、街の広場にある告知板に掲示されている、領主家の通達文書にそっくりな様式・文体で書かれた、誰が見ても本物の告知書としか思えない、洒落た物を送ってくれたのだ。
これほどの物を用意してくれたのなら、こちらもその期待に応えるしかない。
何より、これはレオからマスターへの挑戦状なのだ。
俺はお前の期待に応えた。次はお前の番だと、言外に言われている気がするのだ。
そして、これはモーリに苦しめられた者たちへの、喜びのお裾分けというつもりなのだろうと思った。少なくとも、自分はそう感じた。ならば、自分も・・・
こうして、この夜、無力で平凡な一人の男が勇者に変身したのである。
作業を終えたマスターは、貼り付けた偽の告知書を確認すると、その場を静かに歩み去る。それにしてもあいつ、良くこんな物を作れたもんだなと感心しながら。
<告知>
ベズコフ家嫡男、モーリを死刑に処す
罪状1)
先の隣国との戦役における徴兵の際、南の各村から賄賂を受け取り、徴兵人数を不正に操作。開拓村から他村の不足分を過度に徴兵。
200人程の村民の中から、魔物と闘える者50余名を強制徴兵した結果、老人と女子供だけが残された開拓村は、魔物氾濫に際して外部へ警告すら出来ぬまま壊滅。
罪状2)
過度な徴兵は村を壊滅させ、他村まで危うくすると諫めた村長を斬殺。
罪状3)
開拓村壊滅の結果、警告の届かなかった他の2村が壊滅、1村も全撤退。
罪状4)
同じく領都までもが魔物に包囲、侵入され、多大な損害を受けた。
処刑日:9の月、10日
処刑場:開拓村に隣接する魔の森深奥
処刑法:大蜘蛛による魔の森引き回しの後、大蜘蛛または小蜘蛛多数の生き餌
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、街の中央広場は爽やかな朝を迎えていた。
早朝の広場へとやって来たのは、ベズコフ領都唯一の新聞社の記者であるグレン。
彼は日課となっている告知板のチェックのため、広場にやって来たのだった。
告知板に貼り出される領主家からの様々な通達は、記者である彼にとって基本的な情報源の一つである。
しかし、その朝、グレンはすぐに告知板の異常に気がついた。
『何だ! あれは?』
告知板にぶら下がっている赤い紐と、その下にある光る物。
近づいてそれが何かを知った時、グレンは飛び上がらんばかりに驚いた。
『これは、領主家のメダルではないか! おそらく、あのモーリが身に着けていたような。いや! メダルに付いているこの赤い紐! これはモーリが身につけていた、まさに、その物のように見える! まさか、本物なのか?』
そもそも、領主家の紋章メダルの偽造や盗難が、どれほどの重罪かは誰もが知っている。そんなものを堂々と晒すなど一体全体、何の冗談かと思った。
そしてグレンは、その上に貼り出されている告知書を読んで、さらにぶっ飛んだ。
『マジか!』
それから、しばらくして、広場に面している商店の方まで歩いて来たグレン。
彼は、そこで顔馴染みの店主と朝の挨拶を交わした。
告知板の方から、ニヤつきながら歩いて来たグレンを見て、店主は何かあったのかと尋ねると、グレンは小声でそっと伝えたのだった。
「ああ、飛びっきりのがな。きっと驚くぜ。絶対にな。騒ぐと警備兵が気づいて、直ぐに撤去するだろうから、静かに見ろよ。他の奴らに教える時も、絶対に騒ぐなと言っておくんだぜ。」
そう言って足早に去って行くグレン。彼の懐には、この偽の告知書を一字一句、完璧に書き写したメモが入っていたのである。
一方、言われた方の商店主は、一体何がと、首を捻りながら告知板を見に行ったのだが、メダルと告知書を見て唖然! もう一度読み返して満面の笑み。
流石にまずいと思い、笑みを誤魔化すための顰めっ面という忙しい百面相の後、自宅に駆け込むと家族に伝え、周辺の商店主にも教えたのである。
最初の頃こそ、言いつけは守られていて、告知板の前は静かなものだった。
しかし、内容が内容である。しだいに騒ぎになって行く。そうなれば、次から次へと人が集まり、ついには黒山の人だかりとなったのである。
当然、それは巡回中の警備兵の目につく事となった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その朝、領兵1名を伴い、領都内を巡回していたケインは、中央広場の告知板に集まっている群衆の異様な数に気づいた。一体何事だと思いながら、人だかりを掻き分け告知板の前にたどり着いた彼は、ぶら下がっているメダルに愕然とした。
続いて、告知書に書かれている内容に、驚倒した。
すぐにメダルを回収し告知書も剝がそうとしたのだが、あいにく告知書は裏面隅々まで、糊でべったりと貼り付けられており、とても剥がせそうにない。
急いで内容を書き写すと、同行の領兵に告知書の前に立ち塞がって、これ以上、人目に晒さないようにと指示する。
メダルを手に、直ちに警備隊長のところへ駆け込んだ。隊長は報告を受けると、これまた仰天。ともに領主の下へと報告に赴いたのだった。
領主は、息子が行方不明との緊急連絡を王都への移動中に受け、急遽戻って来たものの、新たな情報は一切無く、焦燥感に駆られていた。そこに、これである。
メダルは子爵家のもので間違いなかったが、息子の消息に繋がるものは無い。
大蜘蛛云々は眉唾だが、開拓村での息子の行状の件は聞き捨てならない。
領主家とは縁戚で、元は警備隊の副隊長だった現在の騎士団長に命じて、2年前の開拓村の徴兵で、息子に同行していた領兵隊指揮官を、至急呼び出す様に命じた。
しかし、フェンリル災厄で文字どおり半壊した領兵隊に、今更2年も前の任務を担当した者が誰だったか調べるのも面倒と、警備隊がモーリの取り巻き2人に尋問したところ、これがあっさり事実だと認めたのである。
取調室に個別に呼び出し、相方が白状したぞとカマをかけ、偽の告知書の罪状部分をぶつけたところ、2人とも震えながら認めたという。
その偽の告知書の罪状部分の内容は、すべて真実だったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その報告を受けた子爵は、慄然とした。
魔物による領都被害の原因が、実は領主家嫡男にあったとすれば、これは・・・もはや、嫡男一人の行方不明どころの騒ぎでは無い。ベズコフ家そのものの存続に関わる問題なのは明らかだ。鬼の形相でこの件の緘口令を絶叫したのだった。
糊付けで告知書が剝がせないのなら、告知板ごと切り取って来いとも命じた。
まさに、子爵家存亡の危機の中、偽の告知書の騒ぎをどこかで耳にし、執務室にやって来てヒステリックに自分を詰る、元侯爵令嬢の妻を拳で殴り倒し、ベズコフ子爵は一切の柵を振り切った。
もはや、自分には手段を選んでいる余裕など無い事だけは理解していた。
再度、騎士団長を呼び出し、開拓村での徴兵に立ち会った領兵の調査と、モーリの取り巻きへの密命を下す。顔を引き攣らせる騎士団長に、このままでは、お前も平民落ちだぞと叱り飛ばし、さっさとやれと部屋から叩き出したのだった。
しかし、すべては手遅れだった。
既に、多くの住民たちがこの告知書を目にしていた。それに、領兵が身を挺してまで隠していた物は、一体何だったのか? これほどまでに住民の好奇心をそそる行為は無かった。
日のある内に、偽の告知書を直接見た百人ほどの者たちが、数百人にその内容を自慢気に語り、その後、数千人がその話を又聞きする。夜には、領都で偽の告知書の内容を知らぬ者を探す方が、よほど難しいという状況になっていた。
領都の雲行きは俄然、怪しくなった。モーリならやりかねないと誰もが思った。
そして、領都内には、一の村の住人たちが依然多く残っており、彼らはモーリと、その取り巻きが来て、当初の徴兵人数が半分に減ったのは事実だと証言した。
この偽の告知書には、紛れもない真実が含まれている事を示したのである。
しかし実際のところ、領主家にとって何より致命的だったのは、新聞記者グレンによる、酒屋のマスターと同様、平凡な一庶民による覚悟を持った行動だった。
彼が書き取った偽の告知書の正確な写しは、警備隊の検閲にも拘わらず、翌朝ルスダンへと向かう馬車の片隅に、既に積み込まれていたのである。
まあ、これほどの事件をいつまでも隠し通せたとも思えず、領外へと拡散するのは、時間の問題だったろう。
それでも、酒場のマスターと新聞記者という2人の平民の活躍こそが、ベズコフ領の最高権力者転落のきっかけを作った事だけは、確かな事実であった。
その夜、自分の店で異様な盛り上がりを見せる客たちから、その理由となった告知書の内容を聞かされた、とある酒場のマスターは、大いに驚くとともに、彼にしては珍しく自分も一緒になって飲んで騒いだ。
その後、閉店間近にやって来た、馴染みの宿屋の主人と2人して、2夜連続で祝杯を挙げたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、その頃、俄か独身となり警備隊の独身寮で生活するケインは、そろそろ就寝しようとしていた時に、自室のドアをノックされた。
開けたドアの先には、憔悴しきった顔の意外な人物が立っていたのである。




