95. 戦士の咆哮
夜が明け、周囲が明るくなる中で、レオは簡単な食事を済ませた。
開拓村の門に一番近い家の跡地に残っていた竈を使い、昨夜も燃やした荷車の車輪や引手の棒の残りを燃やして湯を沸かし、乾燥肉と野菜を入れたスープを作った。
ミラー商会女子店員のお勧め品は、中々良い味だ。固いパンも浸して食べると腹も満ちる。まあ、昨夜も同じメニューだったが。
食後、レオは自分の荷物を点検すると、事前に用意しておいた場所へと移した。
食料だけは、ここを離れている間に、魔物や魔虫に狙われる心配があるので、背嚢に入れて担いでおく。この程度なら走る邪魔にはならないだろう。
これにて準備完了だ。
よし! それじゃあ、始めようじゃないか!
遊ぶ金欲しさに、開拓村を破滅に追いやった奴だ。パーティーは大好きだろう。
レオは、時折唸り声を上げ、もぞもぞと波打っている麻袋の縛った口を掴むと、引き摺り始める。けっこう重たいが、荷車は解体してしまったから仕方が無い。
唸り声が一層大きくなったが、気にしない。
堀を渡る丸太を並べた橋は、来た時よりも少し細くなってしまった。
まあ、こちらも自分のせいなので、気にせず慎重に渡り、魔の森へと向かう。
麻袋を引き摺りながら、元は畑だった草原を歩き、森のすぐ手前で立ち止まる。
そこで、大きく深呼吸して意識を集中する。森の奥深くに朧気ながら大きな魔力の塊が感じ取れる。この距離でこの存在感。間違いなく、魔狼や魔猪の様な、ありふれた魔物では無い。そして、ホッとする。
恐らく、幼い頃に一度だけ見た、あいつだろうと思った。いや、是非とも、そうあってほしいと切に願う。まあ、違ったとしても、異常種には違いない。
いずれにせよ、普通なら絶対に遭いたくない魔物。招かれざる客だ。
体内で魔力を練り始める。昨夜、久々に開拓村で一晩寝たせいで、自分の魔力は満杯だと分かっていた。この魔力波の一撃で、あいつを森から引き摺り出す!
魔の森深奥の魔力塊に向かって、練りに練った魔力波を放つ。
それと同時に、レオは、思いっきり叫んでいた。意図したわけでは無かった。
戦場で魔導師に放った時は無言だった。しかし、今は違った。
両の拳を握りしめ、魔の森に向かって、あらん限りの声で吠えていた。
あのフェンリルすら、一目置いていた二本足の好敵手、レオ。
彼こそは正しく、人界随一の戦士と言える存在であった。その戦士が今、叫ぶ。
それは、魂の叫び。魔の森をも揺さぶる雄叫び。まさに、戦士の咆哮であった。
ただ、勇壮な叫びではなかった。家族を、仲間を失った悲壮な叫び。挽歌だった。
レオは、それをもう一度、魔の森の深奥に向けて放つ。
すると、ついに森の奥から強大な圧を伴う、魔力の波が返って来た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオはナイフを取り出すと、麻袋を裂いて、モーリを日の光の下へと晒す。
変化を感じ取ったモーリは、猿轡状態で盛んに喚き、草原上で藻掻く。
レオは、モーリの猿轡を外した。
とたんに怒りに満ちた呪詛と、聞くに堪えない罵倒の言葉が、一挙に迸る。
まあ、予想どおりではあったが。
「お前は誰だ! 俺はベズコフだぞ! わかってんのか? 領主の息子のモーリ・ベズコフだ! こんな事して、どうなるかわかってんのか! 今すぐ縄を解け! この馬鹿野郎! 今すぐにだ!」
モーリは手首を後ろ手に縛られ、足首も縛られている。それら2つの縄を連結して海老反り状態となっている。その連結している縄を、レオは左手で掴んだ。
そして、右手のナイフで躊躇する事なく、一気に切り裂く。
ただし、縄ではなく、モーリの両足首、踵の腱を。
悲鳴が上がる。レオは意に介さず、今度こそ足首を縛っている縄を切った。
足首側の縄が外れた事により、モーリは海老反り状態からは解放された。
両手首を後ろ手に縛られているだけで、下半身は自由な状態なのだが、まあ歩く事はおろか、立つ事すら出来ないだろう。
モーリ本人は、痛みから足を切られた事は分かっているが、まだ事態の深刻さを理解してはいない様だ。
いつもの傲慢さは少しも衰える事無く、再び憎悪に満ちた言葉を吐き散らす。
「てめえ何をした。ふざけんな! もう、いい! もう、絶対にお前だけでは済まさん! お前の家族も全員引っ捕らえて皆殺しだ! どれだけ泣いて謝ろうが、これはベズコフ家のこの俺が、今決めた! 家族全員、探し出して全員嬲り殺しだ!
ジャスパー! ダリル! どこにいる? いや、もう誰でもいい。誰か警備兵を呼べ! 俺はモーリだ! ベズコフ家のモーリだぞ! 警備兵を呼べ!」
まさか、自分が気を失っている間に、領都からこれほど遠くへ連れて来られているとは、思ってもいないだろう。まだ、ここは領都のどこかだと、思い込んでいるわけだ。叫べば、直ぐにでも助けが来ると。そして、形勢逆転など簡単だと。
大声で喚き散らすモーリを見下ろしながら、レオの心は冷めて行く。
そうか、家族も一緒に嬲り殺しか。レオは、この男を殺したとしても、もう絶対に後悔する事は無いと、この時改めて確信した。
そして、その怒りを魔力波に乗せて、もう一度、魔の森に放った。
今度は直ぐに、応答が来た。明らかにさっきより威力がある。近づいて来ている。
「そうか、俺の家族を探し出すのか?」
「そうだ! ベズコフの力を見せてやる! 例え地の果てまで逃げても、探し出してやるさ!」
「それじゃあ、是非とも俺の嫁を探し出して、会わせてくれよ。」
レオのその言葉を聞くと、モーリは嫌らしく口元を歪めながら言い放った。
「ふん! そうか、嫁か。会わせてやるぞ! ひっ捕らえたら、お前の目の前で散々嬲ってから殺してやるさ。嫁はまだ若いのか? 歳は幾つだ?」
この状況下でも、なお、自分の意のままに世界は動き、それが当然だと信じて疑わないモーリ。どんな環境で育てられればこうなるのかと、レオは呆れる。
そろそろこの男に、世界の冷酷な現実を見せてやろうじゃないか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
モーリの聞くに堪えない罵詈雑言を無視し、レオはモーリに歩み寄ると、目隠しを外した。モーリは眩しいのか、眼を眇めながら首を振り振り、周りの景色を確認している。ここがどこなのか必死に探ろうとしているが、分からないようだ。
「どっ! どこだ? ここは!」
「お前が2年前にやって来て、村長を切り殺した開拓村の畑の跡だよ。お前が村の男たちを大勢徴兵したせいで、全滅した村の残骸があれだ。そして、すぐ目の前にあるのが魔の森さ。さあ、早いとこ俺の嫁を連れて来て、俺に会わせてくれよ。
出来るんだよな? ベズコフ家の力があれば。そうしたら、領都へ帰してやってもいいぜ。まあ、縄くらいは解いてやるか。」
レオは事態が飲み込めず、呆然としているモーリに近づき、その背中を思い切り踏みつけると、後ろ手に手首を縛っていた縄を断ち切って、素早く離れた。
モーリは半身を起こし周囲を見回して愕然とし、その場で立ち上がろうとして、それが出来ない事を知るとパニックに陥った。
「おい! 本気なのかお前! 俺はベズコフだぞ! こっ、こんな事が許されるはずがない!」
再び尊大な口調でまくし立てたが、次第に勢いは失せていった。
ようやく、ここが自分のホームグラウンドである領都ではなく、遠く離れた魔の森だと自覚しつつある様だ。少なくとも、護衛はおろか、周囲には誰もいない事は理解したらしい。まあ、一目瞭然ではある。
そして、自分は逃げるどころか、立つ事も出来ないと身を以て知ったようだ。
モーリの顔色が明らかに変わる。レオは、容赦なくモーリを追い込んで行く。
「お前はここでは単なる一人の男さ。家名なんぞ魔物はちっとも気にしやしない。何なら試しに、お得意のメダルを魔物に突き付けてみるか?」
魔物の一言が効いたようだ。自分が無力で、目の前は魔の森だという現実を思い知らされたモーリは、ついに心が折れた。必死の形相で喚き、そして懇願する。
「お前の家族や村の連中を俺は殺しちゃいない! なあ、そうだろう? 俺じゃないんだ! 金でも何でも出す! なあ、だから、助けてくれ! 俺はこんなところで死にたくない!」
レオは危うくモーリを、殴り殺すところだった。そして、心の中で罵倒する。
お前は今まで自分に許しを請う人々に、縋り付いて泣きつく人々に、そして、必死に諫める開拓村の村長に、一体どんな仕打ちをしてきたのかと。
まあ、今更ここで悔い改め、心を入れ替えられても困るのだが。
どうせこいつは直ぐに、身を以て知る事になる。今までのすべての悪行の報いをまとめて受ける時が来たのだ。それも、特大の利息付きで受け取るのだ。
レオは心の中で、そうモーリに死刑判決を下した。
そして、まさにその直後だった。背中がゾクリとした。一瞬、大きく目を見開く。
近い! レオは心を奮い立たせ、必死にその恐怖をねじ伏せる。
憎んでも憎み切れない目の前の男への気持ちとは裏腹に、レオはモーリに対して静かに頷いてみせる。話しかけるその口調は、驚くほど穏やかだった。
「そうだな。確かに俺の嫁や村の連中を殺したのはお前じゃない。魔物だよな。」
モーリは、明らかにホッとした表情を浮かべ、コクコクと頷きながら、縋る様な視線をレオに向けてくる。レオはその目をしっかりと見据え、そして、
「だから、お前の始末は魔物に任せる。じゃあな、あばよ!」
決然と、そう言い放つと、村の廃墟に向かって全力で走りだした。
「待て、戻れ、助けてくれ!」
そう繰り返される絶叫を背後に置き去りにして、必死に駆ける、駆ける。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もう限界だった。走り続ける彼は汗を吹き出していたが、その汗の半分は間違いなく冷や汗だった。そう、ついさっきからレオは言い様のない悪寒に包まれ、凄まじい恐怖を覚えていた。森の中から巨大な魔力の塊が近づいて来る気配を、確かに感じていた。それは子供の頃に一度だけ経験した、あの途方も無い原初的恐怖。
しかし、同時にワクワクもしていた。モーリの様な、たった一人でどれほど多くの人間を不幸のどん底へ突き落としたかわからない男が、魔狼による喉笛の一噛みで楽に死んでしまう事が、どうにも歯がゆく納得出来なかった。
だが、こちらで魔物を選べるわけではないし、現れる可能性の最も高い魔物が、魔狼である事は間違い無いのだ。
せめて、レオが無難に処理出来る魔物、パーティーの “賑わい” 程度の小物が来る間は適当に追い払って、せいぜい恐怖を味わってもらおう。そう考えていた。
何としても、真正の化け物、パーティーの主賓の登場まで待つと。
そして、自分の思念と言うか、殺気を乗せた魔力波を、魔の森に向かって叩きつけた。魔狼や戦場の魔導師隊は動揺したが、森の主のような大物相手ではどうなるのか? 自分の招待に応じてくれるのか? それは、わからなかった。
しかし、あいつが返した魔力波を感じた瞬間、確信した。
きっとレオの殺気を感じ取ったあいつは、自分を挑発する無礼者を倒しに、森の奥から出て来るに違い無いと。そして、主役の登場で鳴りを潜めたらしく、魔の森の小物たちは一切現れなかった。レオの魔力波のせいも、あったかもしれないが。
まさに、今日というこの日に、自分の狙いどおりに異常種が出て来るのだ。
この巡り合わせはきっと、村の皆の後押しなんだと、レオは思わずにはいられなかった。
そう! 招待客はやって来る。果たして、レオの用意したモーリ・ベズコフという献上品を気に入ってくれるだろうか? 期待を持って見守ろうじゃないか!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今のレオの走る速さは、子供の頃より格段に上である。何とかあいつが姿を現す前に、村まで移動する事が出来た。
かつての故郷であった村の廃墟に走り込んだレオは、適当な瓦礫の背後に身を伏せて魔の森を注視する。モーリは、こちらに向かって懸命に助けを求めている。
そして、遂に現れた。魔の森深奥に棲む、真正の化け物。
森の端の樹木が大きく揺れた。膝立ちでこちらに向かって叫んでいたモーリは、その音で背後を振り返る。そこへ、樹木を掻き分け、姿を現したのは大蜘蛛。
初めて見た子供の頃と全く変わらぬ、凄まじい恐怖の衝動が、レオを襲う。
振りむいたモーリは、生まれて初めて見る、その毛むくじゃらの巨大な蜘蛛を前にした瞬間、声は出さなかった。と言うよりも出せなかった。
少なくとも、レオのところまで届くような声は、聞こえて来なかった。
大蜘蛛は、のそりのそりとモーリの方へ近づいて来る。
モーリは、その直後、パタリと前方へ倒れ込んだ。一瞬、レオは舌打ちする。
まさか、恐怖のあまり気を失ったわけじゃあるまいなと。しかし、杞憂だった。
モーリは、うつ伏せ状態から両手と両膝で地面を必死に掻き、四つん這いのまま大蜘蛛から離れようと、激しく地面を掻き始めた。
「いやだ~! 来るな~! 助けてくれ~! 何でもやる~! お願いだ~! 助けてくれ~! 助けて~!」
絶叫しながら、必死に逃げ始める。もはやレオにも助ける手立ては無かった。
大蜘蛛はどうやらモーリという男を鬱陶しい奴だと感じたようだ。
モーリがかつて、村長に言い放った「うるさい!」という言葉をこの時、大蜘蛛はモーリに浴びせたかったに違いない。
レオがそう思った直後に、モーリの動きが急速に弱まり、地面に突っ伏した。
どうやら大蜘蛛は罵倒する代わりに、毒を浴びせた様だ。
そして、審判は下された。
今日の大蜘蛛は、空腹ではなかったらしい。
モーリは、その場で喰われる事こそ免れたが、それは死刑執行の時刻が少しばかり先延ばしされたに過ぎなかった。
真正の恐怖にズッポリと浸される時間が長くなる分だけ、却って不幸になったと言える。人の想像など遥かに超える、この世で最悪の時間を、これからじっくりと味わう羽目に陥ったのだ。
大蜘蛛は、モーリの体を前脚で器用に持ち上げ、糸でグルグル巻きにすると、自分の脚の付け根の辺りに引っ掛けた。そして、ゆっくりと魔の森の深奥にある自分の巣へと戻って行く。
「いやだ~! 助けてくれ~! 母上~! 父上~!」
必死に何度も繰り返される絶叫も、大蜘蛛が魔の森へ姿を消した後は、しだいに小さくなって行き、やがて聞こえなくなった。
「良くて大蜘蛛の晩飯、下手すりゃ小蜘蛛のおやつ」
昔、初めて大蜘蛛を見た日にゴードンが言った言葉が、ふと口をついて出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ようやく終わった。
村の廃墟の中で、レオは静かに立ち上がる。
「ミーナ、ゴードン、マーサ姐さん、村長、村のみんな、、、仇は討ったよ。」
そう呟くと、レオはしばらくその場で瞑目した。
変わり果てた故郷、この地に再び戻って来る事が、果たしてあるだろうか。
開拓村から一緒に徴兵された同胞たちは、ここへ帰って来て、この景色を見て、何を思うだろうか。この後、どうやって生きて行こうかと悩むだろうか。
ここまで来る途中、住む者もおらず、完全に無人と化してしまった二の村の事を知れば、移り住む事を考える者がいるかもしれない。
あるいは、ベズコフ領そのものに愛想をつかして、出て行くかもしれない。
そこは各自の自由であり、自らの選択だ。自分で切り開いて行くしかない。
少なくとも、レオはそう覚悟している。この2年間でそういう男になっていた。
戦地や、そこまでの往復の旅で、レオは随分と見聞を広める事が出来たと思う。
そして開拓村は当然、例え領都に住んでいたとしても、決して知る事の出来無かったであろう外界の風物や、人々の暮らしぶりは本当に興味深かった。
大河の利用。
その知識をここでも活かしていれば、開拓村の者たちを救えたかもしれない。
まあ、自分が神の如き全能では無いと分かってはいるが、それでも、やはり・・・
ベズコフ領都には、もう戻れない。しかし、行き先は既に決めてある。
そう、まだ最後の仕上げが残っている。そのためには、あそこへ行くしかない。
全能ならぬ身の自分が、せめてこの復讐劇を完遂し、一つの区切りとするために。
そうしてレオは、ゆっくりと故郷を後にしたのだった。




