90. レオの帰還 そして、
イフナイ会戦での大勝後も、兵士たちは即座に除隊とはならなかった。
散発的な小競り合いは、あちこちで続いており、レオも医務隊のメンバーとともに様々な場所へと派遣されていた。けっこうあちこちへ行ったはずなのに、残念ながら開拓村の連中とは、一人も会う事は無かった。
ただ、見覚えのある二の村出身者と久しぶりに会った。ギルが川で爆死した時に一緒だった男である。その男と昼飯を食いながら話をしていた時に、とんでもない事実を教えられた。彼は、二の村の有力者の娘と恋仲になったのを、娘の親から疎んじられ、厄介払いのために徴兵枠に放り込まれたという。
ところが、貢納の際に伝えられていた方針で、徴兵は男10人に1人の割合という事で30人が選ばれていたのだが、直前になって半分が免除になったという。
どうも、領主の息子モーリの一行に1人当たり金貨1枚を支払う事で、15人まで兵役免除になったという事らしい。
レオは、男10人に1人という言葉に衝撃を受けた。そして、開拓村に対する理不尽極まり無い徴兵の理由が、何となく理解出来た気がした。表には出せない裏金、おそらくは遊ぶ金欲しさにやった事だろう。
改めてモーリに対する怒りが、沸々とこみ上げて来たのである。
こうして、故郷を離れてから2年近く経った夏、ようやく軍から解放される事になったレオ。まあ、何でそうなったのか、下っ端のレオには分からなかったが。
東方から動員された兵士に対する帰還手続きが始まり、その窓口で事務を担当していた懐かしい人物と再会する。リゲルであった。
リゲルは、後方部門で文官としての才能を発揮した結果、派遣軍の中心的存在であるボーア騎士団幹部の推薦で、ボーア領の文官の職を得られそうだという。
それは良かったと笑顔で祝福するレオに、しかし、と顔を曇らせるリゲル。
その後、彼が語ったのは、フェンリルによるベズコフ領の惨状であった。
サルト戦争の最中も、東方諸領と常にやり取りをしていたリゲルの補給部隊は、当然の事ながらベズコフ領のフェンリル騒ぎに関しても、情報を得ていた。
リゲルは、ベズコフ領の南の村々が壊滅した事実を知る事になったのである。
自分の身の振り方に目途がついた後は、レオの事を心配してくれていたらしい。
ベズコフ領の惨状を聞けば、レオが1日でも早く開拓村へ帰ろうとするだろうと予想していた。開拓村の詳しい状況までは、リゲルにも分からなかったが、レオのために最速で彼が故郷に帰れる方法を、模索してくれていたのである。
そこでリゲルが辿り着いた答えが、先行支援隊。
東方へ帰還する部隊の中で最速となる騎兵部隊。彼らのために先行し、騎兵の宿や食事、それに馬の餌を手配する役割を担う部隊である。
騎兵部隊と同じペースで、常に数日先行するため、かなりハードな任務であり、志願するとあっさり認められた。ついでとばかりに、助手1名も認めてもらった。馬に乗れる事が最低条件だが、徒歩移動の歩兵部隊と比べれば、2,3ヶ月は早く故郷へ帰り着く事が出来るはずである。
幸いな事に、レオは馬に乗れただけでなく、医務隊で鍛えられたおかげで、基礎的な医療処置も出来るという事が評価され、無事、先行支援隊に編入された。
レオからすれば、リゲルには本当に感謝しかない。彼の優しさ、そして未来を見通す能力には惚れ惚れする。戦う力は皆無でも、尊敬すべき男はいるのだと、改めて肝に銘じたのだった。
出発に際しては、マーサや医務隊の者たちも見送りに来た。そのうち是非、王都にあるマーサの診療所を訪ねて来るようにと言われた。土産がてらに、各種薬品の詰め合わせを持たせてくれた。買えばけっこうな値が付く品である。
また、マーサはレオに、例の黒弓を正式に譲ってくれた。飾っておくだけより、使える人間に使ってもらった方が良いだろうからねと言いながら。
いつか、お代は払うからと笑顔で話すレオに、高いよ! と、これまた満面の笑みで返すマーサであった。そして、2人と医務隊のメンバーはしばし笑い合う。
後年、まさかこの弓の代金が金貨数千枚になろうとは、マーサの想像の埒外であったし、一方のレオも、それが金では決して手に入らない、新たな運命を自分に齎す事になろうとは、この時知る由もなかったのである。
その後レオは、最速のペースで東方へ、そして故郷へと向かったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ボーア領の領都でリゲルと別れ、その後は事前に教えられていたルートで開拓村を目指す。ボーア領都からは、乗り合い馬車で移動し、ベズコフ領都の隣街で唯一の定期馬車便があるルスデンに到着。
翌朝の馬車便に乗るべく、ルスデンで宿を取り、夕食がてら出かけた居酒屋で、レオは恐ろしい話を聞く事になった。
ベズコフ領の惨憺たる状況、とりわけ南の村々に関する詳しい話であった。
予定では、明朝ベズコフ領都行きの馬車に乗るはずだったが、そんな回り道をする気には到底なれなかった。ルスダンで貸し馬を借り受ける。高額の保証金が必要だったが、幸いな事に、医務隊に原魔石を売った時の金もあり、何とかなった。
ルスダンから開拓村へのルートは大河沿いに遡って行くだけだった。
2つの村を通り過ぎた。いずれもボーア領の村であった。夕刻、無人の村に辿り着いた。前夜に聞いていた話から、それが、かつての一の村だと知った。
村の中心近くの空き家で一泊する。
翌朝も大河沿いに南下した。二の村を通り過ぎた辺りで、遠くに南方の山々と魔の森と思しき緑の帯が薄っすらと視界に入る。
そこからは、大河を外れ、魔の森に向かって草原をひたすら進む。以前、領都へ向かった時は、草原の中から遠くに三の村が見えたが、今回は全く見えない。
村ごと焼失したという話は本当らしい。
フェンリルの騒ぎが収まった後、魔物の溢れを警告せずに逃げた開拓村の村長を捕縛するため、村に向かった警備隊は、無人と化した開拓村で腹いせに火を放って村を完全に焼き払ったという。
一昨夜聞いた信じられない話。それが嘘だと心の中で叫びながら進み続ける。
そして、2年ぶりに帰って来た故郷は、完全に焼け落ちた廃墟と化していた。
元々川だった堀が残っているのは当然ながら、太い丸太を横に束ねた渡し板が少し焦げながらも、堀に掛かった状態で残っていた。渡し板の上を恐る恐る歩いて村の中へと入る。
ざっと見渡して見ても、レオの身長を越える様な物は見当たらない。
完全に燃え尽きて風雨に晒され、廃墟とすら言い難い黒ずんだ地肌があるだけだ。かつて、そこに村があったとわかる住人の痕跡は、家々の竈くらい。
ベズコフ領都が魔物に襲撃されたという話をリゲルから聞いた時、まさかと思いながらも、開拓村は何とか無事に凌いでいるのではないかという楽観があった。
常に魔物と対峙している開拓村の防御は堅く、最悪の場合でも、備蓄した食料で数ヶ月は籠城する事が出来る様に備えられていた。たとえ男手が壊滅していても、籠城すれば女子供だけでも保つはずだった。そして、その間にゴードンが打開策を打ってくれるに違いないと信じていた。
自分の家があった辺りへも行ってみる。かつて、ミーナと暮らした家。
やはり、そこには竈くらいしか見当たらなかった。
事態は最悪の展開だった。歯を食いしばり、うなだれ、ひたすら涙を流すレオ。ついには膝をつき、両手もついて号泣した。
二の村も三の村も全滅している。草原を歩いて逃げる事など不可能だったはずだ。ミーナを含め、村に残された面々が村を脱出できたとは思えなかった。
やがて立ち上がったレオは、魔の森を睨む。しかし、魔物のせいではないのだと改めて感じる。敵は人間であり、その中の異常種、貴族。そう、ベズコフ領主家。
かくして、体内に怒りのマグマを秘めたまま、レオは馬に跨るとルスダンの街を目指して静かに歩み出したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後、レオはルスダンからの定期馬車でベズコフ領都へとやって来た。
やるべき事は既に決まっていた。それにはまず、このベズコフ領都でじっくりと情報を集めなければならない。
領都への入門税は銀貨1枚と高額だった。貧乏な領地ほど高いと聞いていた。
サルト戦争の帰還兵に渡された王家の証明書で、これまで立ち寄った街では無料で入門出来た。ここでも使えるのか聞こうかと思ったが、目立つのでやめた。
領都に入る時、フェンリルの件を警備兵に聞いてみたが、まともには答えてくれず、酒場にでも行って訊けと言われた。領都に入ると以前来た時と比べ、明らかに人通りも少なく寂れた様に思えた。街全体に活気が無く、煤けたような感じだ。
既に夕刻だったので、以前、貢納の際に利用した宿を探し、何とか辿り着く事が出来た。取りあえず1人部屋で1泊する事にし、支払いをしながら宿の受付の男にフェンリルの事を訊いてみたが、やはり答えづらそうな雰囲気があった。
仕方ないので、大銅貨を1枚カウンターに置いて、良い酒場を教えてくれと頼んでみた。男は、レオの意図を理解してくれた様で、レオの目を見ながら意味ありげに頷くと、自分の馴染みの店だと言って近所の酒場を教えてくれた。宿から歩いてすぐの店だった。
酒場を訪ねると、まだ早い時間のせいか他に客はいなかった。
店は中年のマスターが一人だけでやっているらしく、他に人の気配は無かった。
レオはカウンターに陣取ると、酒と適当なつまみを頼む。マスターに宿の名前とそこの受付にいた男に、この酒場を教えてもらった事を告げた後、自分は5,6年振りでこの街に来たが、以前よりも寂れているのではないかと率直に尋ねてみた。
マスターは頷くと、あっさりと答えてくれた。
「魔物の溢れに下手を打ったのさ。でけえリーダーが率いる魔狼の大集団だった。付近の村から逃げ込んで来る奴らも大勢いて、街はぐちゃぐちゃ。
そして何と、領都が魔狼に包囲されちまった。領軍はてんで役立たずで、魔狼の群れに手玉に取られて全滅。領民は仕方無く、街の中に立て籠もった。そしたら、今度は何と、魔狼が街壁を乗り越えて街の中に入って来やがったのさ。」
レオが聞いていたベズコフ領都の惨状は、概ね事実だった。しかし、領民の知っている事がすべて事実というわけでもなさそうだ。
「魔の森に一番近い開拓村の連中が仁義を欠いたと、領軍の連中は言ってたな。
魔物に異常な兆候が見えたら、何をさて置いても、直ちに隣村や領都に連絡すべきなのに知らせなかったと。
常日頃から魔物の間引きをやっていれば、異常な兆候は掴めたはずなのに、サボってやがったに違いないと。そうして、いきなり魔物の大集団に襲われたから、他所に警告すら出来なかったんだろうとな。
領主が怒り狂って、開拓村の村長の手配書を街の広場の告知板に貼りだしたよ。確か、まだ残っていると思うぞ。まあ、その村長も生きてるとは思えんけどな。」
マスターの話を聞いて、レオは愕然とした。そして、怒りが込み上げてくる。
そんなのは真っ赤な嘘だと叫びたい衝動を抑え、静かに問いかける。
「モーリという奴を知ってるか?」
「ああ、知ってるさ。跡取り息子だよ。癇癪持ちで粗暴で、領都中の嫌われ者さ。街が魔物に囲まれている時も、夜な夜な遊び歩いていたそうだ。
教会と商業ギルドが必死に動いてくれたおかげで、魔狼に閉じ込められたこの街で餓死する奴は出なかったんだ。でも、日頃威張りくさってる領主様は、皆が本当に困っている時には何もしてくれなかったのさ!」
大きな声ではなかったが、マスターはこの街の次期領主になるだろう男に対し、嫌われ者と言い切った。そして、領主も領主たる資格は無いとまで。
なるほど、街門の警備兵も宿の男も、話が進めば領主家の話題に触れてしまうと思ったに違いない。
まあ確かに、日のある内から、初対面の人間を相手に話せる内容じゃない。
そこで、宿の受付の男は、自分と気心も通じたマスターのいるこの店を紹介したんだろう。
それならまあ、良いか。ここで話してしまってもとレオは思った。
少しでも情報は欲しい。ここは腹を括るところだろう。用心ばかりでは前へは進めない。レオは話すことに決めた。
「俺は、開拓村にいたんだ。」
マスターは片方の眉を持ち上げただけで、何も言わなかった。軽く頷いてレオに続きを促す。
「2年前にそのモーリが、領兵を引き連れて村にやって来た。そして、魔物と戦闘の出来る奴全員を村から徴兵したんだ。隣国との戦争のためだと言って50人ほどな。女子供に老人まで含めて200人ほどの村人の中から、いきなり50人も引き抜いたんだ。俺もその中の1人だったのさ。
魔物の間引きをさぼってた? そうじゃない! ちゃんと報告に向かっている!
貢納の際に、魔の森の異常を報告したはずなんだ。騎士団と南の村すべてに。
何より、開拓村が健在だったなら、魔狼をすんなり通すような真似は絶対にしなかった。でも、出来なかったんだ。村にその戦力は残されていなかった。
そして、戦争から、やっとの思いで帰ってみれば、嫁も含め、村には人っ子一人いやしない。見事なまでの焼野原さ。家で俺を迎えてくれたのは竈だけだった。」
レオはカウンターに載せていた両手をぎゅっと握りしめる。
向かいに立っているマスターは大きく目を見開いていた。レオはさらに、モーリに抗議した村長が殺された事も話した。じっと、レオの話に耳を傾けていたマスターは、レオの話が終わると深々とため息を吐く。
「なるほどな。さもありなんだ。あいつならね。」
そこで、自分の眼をじっと見つめ続けている、視線だけで人を殺せそうなレオの目を見返しながら、穏やかな声で話し始めた。
「俺も、街が包囲された時の混乱でカカアを亡くした。口うるさいやつだったが、それでも長年苦労をともにしてきたカカアだったんだ。夕方、市場に買い出しに行って、そこに魔狼が突入して来て、その混乱に巻き込まれて・・・」
そこで、マスターの声が詰まった。そして、俯いた後、首を振るとレオを見つめながら言い放った。
「そうかい、結局、あの馬鹿息子が余計な真似さえしなければ、カカアや街の連中も死なずに済んだかもしれないわけだ。それでお前さん、これからどうするつもりだい?」
「殺る!」
レオは即答した。
マスターは一瞬目を見開いたが、頷いた。そしてレオに問い掛ける。
「お前さん、死ぬ気か? 相手は貴族だし、曲がりなりにも、ここの領主の跡取りなんだぞ。仮に殺す事が出来ても、街壁の門は直ぐに閉じられるだろうから逃げるのは無理だ。街中に隠れたとしても、領主家だってなりふり構わず探すだろう。
例え匿ってくれる奴がいたとしても、最後は街中虱潰しに家探しされて、見つかるのは時間の問題だ。」
「ああ、そうだろうな。でも俺は、刺し違えるつもりはないさ。とりあえず奴の、モーリの最近の暮らしぶりと言うか、行状を知ってる限り教えてくれないか。」
そこには、戦場での2年間をしぶとく生き抜いた不敵な面構えのレオがいた。




