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88. イフナイ会戦(5)騎兵の本懐


 乱戦の中に割って入ったサルト騎兵隊は、その圧倒的な戦力でたちまちの内に、その場の主導権を掌握した。魔導師を救出するとともに、本隊の立て直しを図る算段であった。


 しかし、テチス側もただ傍観していたわけでは無かった。

味方の長槍隊突入のための援護射撃を行い、矢を使い果たしていたテチス弓兵隊。

ここに至って後方から駆けつけた補給隊によって、矢の補充を受けた弓兵が、順次射撃を再開し始めたのである。


 さらに、一旦は粉砕したと思っていたテチス側の長槍隊が、ここに来て嫌らしい抵抗を見せ始めていた。倒れた両軍兵士の槍を拾い上げ、サルトの騎兵目がけて投げつけ始めたのだ。

そして、戦場には、誰ともなく自然に叫び声が挙がった。


「馬を狙え!」


 人の何倍もの体格と重量を持つ馬は、ただそれだけで人には脅威なのだが、それ故に、静止していれば狙いやすい的となる。


 本来なら、投槍には重すぎる長槍なのだ。しかも、深手を負った兵士である。

それでも、蝋燭の最後の瞬きの如く、燃え尽きる生命の最後の一滴を絞り尽くす様にして、長槍を投げつけて果てる者が相次いだのだった。


 たちまちのうちに、傷ついた数頭の馬が狂乱状態となり戦場を駆け回る。


 サルト騎兵優位の戦況は消え去り、両軍入り乱れての混乱状態が再開する。

突入したサルトの騎兵部隊も今や、目の前の対応に追われて組織的な行動が取れなくなりつつあった。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 そんな混沌とした状況の中で、明確な目的意識を持った2騎の騎兵がいた。

サルト騎士団所属の騎兵ハインツと同僚にして親友のロンダード。騎兵の本隊から逸れて必死に馬を操り、混乱の渦の中心へと向かう。目指すのは小柄なローブ姿。


 いた! 大声で呼び掛ける。


 「レイチェル!」


 小柄な2人の黒ローブが振り返る。1人は、泣き出しそうな顔の妹。

もう1人は、妹の魔導師仲間のスザンヌだった。


 どけ! どけ! と叫ぶ。自分でもかなり乱暴だとは思うものの、そうでもしなければ妹のそばには近寄れそうにない。必死に愛馬を操りながら近づいて行く。


 そして、妹の腕を掴んで自分の前に引き上げる。ロンダードもスザンヌを同じ様に引き上げてくれた様だ。そのまま、この混乱状態から必死に脱出を図る。

 幸い、馬のおかげで辛うじて抜け出せた。徒歩では絶対に不可能だっただろう。妹の周辺には他にもまだ魔導師がいて、助けを求めていたが、為す術も無かった。


 昨日、この平原を妹とともに馬で駆けた。

しかし、その時と今とでは、同じ場所だとはとても思えない。天国と地獄と言っても良いくらいの隔たりがある。まあ、レイチェルを救い出せただけでも幸運だ。


 しかし、集団から抜け出てホッとしたのも束の間、ロンダードが走れと叫んだ。敵の右翼騎兵部隊が、明らかに速度を上げながら、こちらへと向かって来る。

 まずい! 間違い無く追いつかれる。こちらは2人乗りなのだ!


 焦燥感に駆られながらも、必死に敵騎兵から離れるべく駆け続けた。

背後からの喚声と悲鳴で振り返る。その光景にホッとした半面、ゾッとする。

 敵の右翼騎兵部隊は、既に自分達を追って来てはいなかったのだ。


 しかし・・・ハインツは唇を噛む。

この結果は、自分達サルト騎兵が味方の救援に向かったせいであった。

 確かに、それはやむを得ない事ではあったのだ。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 サルトの軍勢を横目に見ながら、ジェームスの左翼騎兵部隊は粛々と前進する。

見れば敵本隊の右側面、こちら側に面した者達は、必死になって長槍を持った兵士を集めようとしている。怒鳴り声を挙げる現場指揮官。その焦る姿が半端無い。


 しかし、とても自軍の側面すべてをカバー出来るはずも無い。

どこを、いつ攻撃するかは完全にこちら側に選択権があるのだ。サルト側には防ぎようが無いのは明らかだった。


 ここまで移動する間に、敵騎兵部隊の惨状をつぶさに目にする事になった。

馬上の騎兵は、歩兵よりも当然高い位置にいて目立つ。そこをテチス側の弓兵により精密に狙われている。これが歩兵だけの混戦だったなら、味方への誤射を怖れ、如何に腕の良い弓兵でも矢を放つ事は出来なかっただろう。


 ところが、馬上の騎兵は一段高いところにいる。水平射撃の格好の標的なのだ。仮に外しても、騎兵の向こう側にいるのは敵兵だけであり、何ら問題無い。

 高速で自由に動き回れる機動力こそが騎兵の強みであり、脚を止めた騎兵がどれだけ不利かという事を、目の前の冷厳な事実からジェームスは実感する。


 味方弓兵は、この戦場でかなり前方に出ている。随分と大胆な配置である。

フォークス騎士団長の采配と思われる、本隊からの近接支援で厳重に守られ、落ち着き払って矢を放っている様に見える。それだけ敵にとっては、弓矢の脅威が増しているというわけだ。



 その結果、テチス左翼騎兵隊を脅かす有力な敵部隊は存在せず、そのままゆっくりと敵の側面を移動して行く。その圧迫感、まさに武威により敵側面は戦々恐々としている。


 そして、左翼騎兵部隊の先頭が、敵陣営の半ば辺りを過ぎたと思われた頃、指揮官であるソロモン卿が右腕を掲げた。左翼騎兵全軍がその場で停止する。


 すわ! 突撃開始か! たちまちの内に、敵陣の隅々に極度の緊張が走る。

敵兵は皆、目を見開いて、前進を止めたこちらの動向を必死の思いで探り始める。

騎兵600騎は主攻部隊であり、最大の脅威なのだ。


 その直後であった。


 喚声と悲鳴が戦場から湧き起こる。ただし、それは敵の反対側から。

ゴダード卿が率いる右翼騎兵部隊が、サルト陣営の中央部へと、向こうの側面から突入を開始したのだった。


 本来は、敵の騎兵主力を牽制するのが目的の補助部隊であり、数も400騎。

しかし、ゴダード卿という優秀な指揮官を配置している事からも分かる様に、隙あればこうして攻勢をかける事が出来る部隊なのだ。


 今日、ゴダード卿が率いる騎兵の多くは、先のフェンリル戦で投槍突撃を繰り返した猛者達なのだ。まさに、大陸随一の精悍な突撃と言っても過言では無い。


 しかし、この攻勢を予期して主力の脚を停め、一瞬とは言え敵全軍の注意をこちらへと向けさせた伯父の采配にも息を呑む。何と言う嫌らしさ! そして見事さ!

事前に打ち合わせをしていたとしても、これほど見事なタイミングでの左翼と右翼の連係は、とても信じられなかった。


 ゴダード卿の右翼部隊は、ほとんどスピードを落とさず、敵中を易々と駆け抜けて来る。まさに、騎兵の本懐! そう、誰かが言っていたなとジェームスは思う。


『熱いナイフでバターを切り裂くように』


 そんな勢いで、ゴダード卿は敵陣をこちらに向かって突っ切って来る。

突入のタイミング、ポイント、ともに完璧である。思わず見蕩れるほどだ。

その時、ジェームスに対して伯父の命令が下った。


「ハリス卿! ゴダード卿に通達。我が左翼隊列の後方に続け!」


 その命令を復唱すると、右翼部隊の先頭近くで翻っているゴダード卿の指揮官旗を確認し、合流のための最適位置を念頭にジェームスは駆け出す。


 敵陣を突破して来たゴダード卿へと向かい、馬を寄せると伯父の指示を伝える。

そして、余裕の笑みで承知と応えたゴダード卿に、ジェームスは、お見事でしたと賛辞の言葉を贈る。


 前進を再開した伯父の側へと戻って来たジェームスは、今こそ左翼側からも敵陣へと突入し、再度中央を突破すべきだと思った。ゴダード卿による大胆な突撃が敵に与えた衝撃と混乱は大きく、敵軍全体が浮き足立っているのは明らかである。


 まさにここだ! とジェームスの勘が告げている。

我が騎兵部隊を見つめる敵兵達は、呆然と立ちつくすばかり。その顔には、絶望の色が浮かんでいる様に見える。敵は諦めているようにすら見えるのだ。

 ところが、伯父は黙々と進むばかり。


『何故、突入しない! 目の前の敵は、もはや何の抵抗も出来ないはず!』


 ジェームスは焦りにも似た気持ちで、伯父の背中を睨むように見つめ続ける。


『今なら右翼隊同様、易々と敵を切り裂き、決定的ダメージを与えられる!』


 しかし、伯父は泰然としたまま、粛々と前進を続けるのだった。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 敵の右翼騎兵部隊が、味方の本隊横腹から中央部目がけて突進して行く。

まさに、騎兵の教本に出て来そうな見事な突撃である。


 ハインツ達が呆然と見守る中、敵の騎兵部隊は、その隊列を維持したまま見事にサルト側の本隊を中央突破して見せた。本当に惚れ惚れするような騎兵運用だ。

 そして、次に来るのは “返しの一撃” だ。間違い無く左翼部隊が突入して来る。

右腕と左腕が交互に襲い来るパンチ。陥落は時間の問題だろう。


 まずい! 先ほどの敵右翼騎兵からの逃走で全力疾走した結果、馬は相当に疲労している。今、敵の左翼が味方本隊を切り裂くとしたら、自分達が今いる、この場所を目指して来る可能性が高い。しかし、自分達は2人乗りであり、これ以上の全力疾走は難しい。間違い無く馬は力尽き、潰れてしまうだろう。


 最悪、自分とロンダードは馬から降りて、妹たちだけでも馬で逃がすべきか。

ハインツは魔力持ちの騎士である。そうそう簡単に倒されるとは思っていない。

しばらくなら時間が稼げるだろう。そこまで腹を括った。


 妹のレイチェルは、彼に縋り付いたまま震えていた。無理もない。

元々この戦いへの参加には乗り気ではなかったのだ。しかし、魔法の師であるクラウス女史の強い誘いを、どうしても断り切れなかった。

絶対に安全だと断言していたそうだが、騎士団に所属するハインツは、戦場に絶対など無いと思っていた。そして、その結果がこれである。


 まあ、取り敢えず、馬の回復を図りながら、ゆっくりと後方へ下がろう。

貴重な魔導師2人を逃がすためという事であれば、このまま戦場を去ったとしても大義名分は立つはずだ。


 敵の左翼騎兵部隊の動向を注視しながら、そろりそろりと馬を移動させる。

いつ動く? そのタイミングで馬を駆るか、それとも下馬するか・・・

 とにかく、瞬時に判断しなければならない! いつ来る?


 しかし、敵の左翼騎兵は、中央突破を果たした右翼騎兵をその後続に従えつつ、それまでと変わらぬ悠然としたペースで、ゆっくりと前進を続けている。


『おかしい! 変だ! 何故、突入して来ない? 味方に防ぐ手立ては無いのに!』


 ハインツは混乱した。当然と思われる次の一手が来ない事が理解出来ない。

しかし、次の瞬間ハインツは、ふいに敵の騎兵部隊指揮官の思惑に気づいた。

 そして、愕然とする。まさかと思った。

そんな事は、あくまで物語の中だけの理想論。実戦で実現するのは困難だと誰もが知っている事。しかし、この戦況なら、あるいは可能なのかもしれない。


 この戦いは負けだと、ハインツは直感した。それも、完敗である。


 もはや、脱出のタイミングを如何にして計るか。それだけが問題だと思った。

自分と妹が生き残るための決断!

その瞬間のために、ハインツは全神経を集中するのだった。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 敵部隊の最後尾が見えてきた。


 ジェームスも遂に、伯父である左翼騎兵部隊指揮官、ソロモン卿の意図を正確に理解した。ここまでの移動の中で、まさに突入に打ってつけと確信する様な場所やタイミングを、伯父はいくつも見逃していた。悉く、迂回していたわけだ。


 凄いと思った。安易な突撃の誘惑を捻じ伏せ自重した、その確かな自信と胆力。流石だと伯父を改めて見直した。


 そして、ようやくジェームスの予想が現実と一致した。

敵陣営の最後尾に達するとともに、テチス騎兵部隊は進路を右へと変えながら、徐々に速度を上げ始めた。


 ジェームスは、マルス卿とともに騎兵隊の先頭へとゆっくり移動する。

別に突撃の先頭に立とうというわけではない。むしろ、無謀な暴発を防ぐつもりであった。

 騎兵部隊の総指揮官の意図を、明確に具現化するための尖兵として、この大包囲網を完成するための一助となるべく。


 ジェームスは敵の退路を断つべく、敵陣営の後方を横断して行く。

流石に騎兵1000騎の縦隊は長く、振り返って見れば、ゴダード卿の “元” 右翼部隊は、まだ方向転換のポイントに達していない。


 その途上、前方を2騎の騎兵がサルト陣営から離脱して行くのが見えた。

ともに2人乗り。どちらも騎士の前に黒ローブ姿の者を横座りにして乗せている。ジェームスは、それが昨日目撃した騎兵だと直感した。

 マルス卿も同じ事を考えたらしい。2人で顔を見合わせ、首を振る。追う必要は無いだろうと互いに確認し合った。もはや、戦況には何の影響も無いはずだ。


 かくして、戦場の流れは決した。

サルト側は全周を完全包囲されたわけではなかったが、敵騎兵部隊によって後方を遮断された事により、実質的に退路を断たれ、ほとんどの兵士が戦意を喪失した。


 自軍後方に、横一文字に展開した騎兵部隊の中から進み出てきた敵将が、


「生命を無駄にするな! 武器を捨てよ!」


と呼び掛けた事により、徴兵されていた多くの兵士達は素直に従った。

 一部、激高して徹底抗戦を叫ぶ貴族子弟もいたようだが、無視されるか、極端な場合には周囲の兵士によって袋叩きに遭い、沈黙させられた。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 一方、両軍が直接激突していた場所では、直ぐに停戦とは行かなかった。

騎兵部隊による後方遮断が成った事を確認したフォークス総司令官が、攻勢を強めるとともに、その事実を戦線の各地でサルト側に大声で伝えさせた。


 そして、背後の壊滅状態を認識したサルト司令部の降伏宣言から、実際に戦闘が停止するまでには、さらに時間が掛かった。生命のやり取りの真っ最中で狂乱状態の兵士全員が、素直に槍や剣を収めるはずもなかった。


 とりわけ最後まで執拗に追い回されたのが、ローブ姿の魔導師だった。

安全な場所から自分達を射的の的扱いにした連中に、ようやく槍や剣が届くところまで、文字どおり命懸けで到達した興奮状態の兵士達。


 復讐の一撃を入れようとした、まさにその寸前に止められて、はいそうですかと我慢出来るはずもない。停戦命令など聞く耳を持たなかったのだ。


 その結果、サルト宮廷魔導師隊の損害は目を覆うばかりだった。

ハインツによって救出された2人を除く9人の内、生還したのは3人。それも無傷ではなかった。そして、戦場で死亡した魔導師が参戦者の過半数の6人だった。


 単純な死傷率として考えると、正規軍の危険ポジションである長槍隊はおろか、戦死が当然とされる懲罰隊にも匹敵する割合だったのだ。

 それが、魔導師の安全を確保して実施されたはずの魔法合戦で現実に起きた事。この事実は、当事者であるサルト、テチス両国を越え、周辺諸国でも大いに問題となったのも当然だった。


 この会戦での死傷者は、テチス側が約500、サルト側がその3倍の約1500。

思ったよりも損害が少なかったのは、早い段階で包囲と降伏が成ったからである。

最終的にサルト側の降伏で終結した事により、軍事的に見れば、テチス側の完勝なのは間違い無い。


 しかし、イフナイ会戦は、あくまで両国間の戦争の1コマに過ぎない。

この圧倒的な結果も戦争全体として見れば、残念ながら決着とはならず、政治的な思惑も絡みながら、しばし迷走を続ける事になったのである。


 軍人が夢に見る様な完璧な勝利であるイフナイ会戦の勝因は、魔導師という集団戦闘の素人から戦いのプロへの引き継ぎの巧拙にあったとされている。

 まあ、それは紛れもない事実である。


 ただし、多くの不可解な事実があった事も、この会戦では確認されているのだ。実際、敗れたサルト側は、魔法合戦の名を騙る魔導師暗殺の陰謀がテチス側にあったと声高に主張した。テチス宮廷魔導師団は約定を違えたと。


 そして、そうした混沌とした状態を象徴するかの如く、奇怪な事実が発覚する。何と、テチス側でこの魔法合戦を主導した2人の高位魔導師が、魔力を失ったという事実である。俄に信じられない話ではあったのだが、真実であった。


 古の神聖なる魔法合戦を汚した者達に、神罰が下ったとされた。

結果として、戦場では華々しい勝利を収めたテチス王国だったが、大陸では大いにその威信を失い、宮廷魔導師団を持たぬ王国へと成り果てた。


 魔導師カーンの後ろ盾となり、この魔法合戦を後押ししたテチスの王太子も面目を失い、結局、廃嫡の憂き目を見る事になったのである。


 会戦が終了した後も、こうした柵によって、即座に故郷へ帰る事が出来ないとは知る由も無く、医務隊の一員として戦場の負傷兵の救護に奔走するレオだった。


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