85. イフナイ会戦(2)初動戦闘
開戦の合図は、テチス側によるものだった。これは、後攻側の特典。
概ね、両軍の配置が完了し、戦場の移動が無くなったと判断された後、テチス側の鐘を叩く音が平原に鳴り響いた。その数は3回。
ほどなく、サルト側からも3回の鐘の音が届いた。あちらも準備完了だ。
ここで、灰色ローブを纏った魔導師ワイルが、天空に向かって火球を撃ち放つ。
その火球が上空で爆ぜた瞬間、魔法合戦開始である。
前日にその精度を確認した砂時計が反転され、戦場のどこからでも見える大きな赤い旗を付けた旗竿が、双方の魔導師隊陣営で、すっくと立ち上げられた。
この赤い旗が翻っている間は、魔法合戦が続いている事を示す。
テチス魔導師隊の現在地は、2つの弓兵隊集団に左右を挟まれた中間地点であり、赤い旗が立っているのもこの場所である。周辺には煌びやかな鎧姿の護衛隊が展開している。トカレフ副団長の直属部隊である。
本隊は、魔導師隊の後方に位置し、魔法合戦終了後の総司令官であるフォークス騎士団長は、本隊のほぼ中央部に身を置く。副官のウォルフ卿は、連絡要員として数名の部下と共に、魔導師隊に合流していた。魔導師側から求められれば、軍事的なアドバイスを与える事になっている。まあ、もし、あればの話だが。
魔導師隊が総司令部よりも前方に布陣しているのは、概ね300歩という火球の射程距離と関係している。開戦時の魔導師隊の位置は、両軍の中間地点からそれぞれ300歩と定められた。したがって、魔導師隊同士の初期の距離は600歩となる。
かなりの距離があるが、それでもローブ姿の魔導師達は視認出来る。
平原が、すり鉢状であるため、視界を遮る物は無い。流石に個々人の識別は無理だが、それでも魔導師の杖が水平に近い状態になり、詠唱と精神集中が始まった事が察せられる。
次の瞬間、先攻のサルト側から火球が一斉にこちらへ向かって飛んで来た。
すべての火球が、両陣営の中間地点に落下した。続いて砂時計の切り替わり後に、テチス側も最初の火球攻撃を放つ。サルト側とほぼ同じ地点に火球は落下した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『初撃は挨拶代わりか』
ジェームスは、右斜め前方の両軍中間地点に着弾した火球群を見てそう思った。
横方向の離れた位置から見ているせいで、火球の飛翔速度も概ね察しがつく。
フェンリル遠征の際にクリス達が見せてくれた火球とほぼ同じ速度で、弓矢並み。
射程の方も同じで、概ね300歩。他の魔導師でも大体同じだと言っていた。
この後、どうするのかと思っていたら、次々と号令が伝言され、伝わって来る。
「50歩前進!」
続いて、ゆっくりとした太鼓の音が戦場に轟く。
その太鼓の音に合わせて、全軍がゆっくりと前進して行く。
騎兵も、片手を掲げた指揮官である伯父のテンポに合わせてゆっくりと前進し、指揮官の手が降りたところで停止した。
再度戦場を見渡せば、敵軍との距離が随分と縮まっており、あちらさんも同じ様に前進して来た事がわかる。既に歩兵集団は停止していたが、まだ動いている部隊がいた。
赤い旗が一緒に動いており、それが魔導師隊だとわかる。しばし歩いて停止。
開戦時点で、両軍の中間地点から長槍隊まで200歩ほどだった。その後方100歩ほどの位置に魔導師隊はいたはずだ。それが、この移動によって長槍隊は中間地点から150歩、魔導師隊はその後方50歩ほどの位置にいる様に見える。
魔導師隊から両軍の中間地点までは200歩だから、中間地点を越えて敵陣に100歩のところまで火球は届くはずだ。サルト側も全く同じ様に前進して来ている。
ジェームスの目視確認では、中間地点から敵側の長槍隊までは150歩あるから、依然こちら側の火球は届かないはずである。それは、向こうも全く同様だ。
しかし・・・
サルト側から放たれた第2射が、人の集団の中に次々と落下してゆく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
50歩前進の号令にガドは舌打ちした。懲罰隊は長槍隊の100歩前方なのだ。
最初に放たれた火球の落下地点に近づく事は、文字どおり死へと近づく事である。200人ほどの懲罰隊の面々が太鼓の音に合わせて刻む歩幅は、明らかに小さい。
直ぐに、後方から怒号が轟く。もう、あと20歩だと。
不満げに足を止めて振り返った奴らのところに、矢が飛んできた。何人かが悲鳴を上げる。長槍隊の位置から弓矢を撃ってきた連中は、立派な金属製の鎧姿で、他の兵士たちとは明らかに雰囲気が違う。どうやら、お貴族様らしい。
陣形も何もない200人ほどの男達の集団は不承不承、さらに前へと進んだ。
見れば、前方の敵が随分と近づいている。当初200歩ほどの距離が今や100歩。
そいつらも、自分達と同じ懲罰隊なのは明らかだ。
後方をチラリと見れば、味方の長槍隊までの距離は、開戦前と変わらず100歩。
全体がそのまま前に移動した形だ。
そんな周囲の状況に気を取られていたら、突如、悲鳴が聞こえた。
火球が迫っていた。そして、降って来た。
全員が盾を掲げ、自分に向かって来る火球は無いか、必死に目を凝らす。
出来れば火球を避けたいところだが、それなりに人が密集しており、咄嗟の時に必要な方向に身を動かす事が出来るとは限らない。
幸い、ガドの方に飛んで来る火球は無かった。
多くは、地面に激突して炎を上げたが、盾で受け止められた火球が2つあった。
木製の安っぽい盾は、一瞬にして炎に包まれ、その盾を持っていた者は瞬時に盾を手放した。その結果、被害は免れた様だが、貴重な盾は失われてしまった。
何とか助かったと一息吐いた直後、今度は背後から敵陣に向かって火球が飛ぶ。
100歩ほど先の敵の懲罰隊に火球が着弾した。どうやら、向こうの部隊が持っている盾は、こちらよりも小さい。罪人の盾まで揃える気は無かった様だ。
そのせいだろうか。火球を避けるか、盾で受けるか迷ったらしい一人の男が火球の直撃を喰らって火達磨となった。そいつは草原の上を転げ回ったものの、直ぐに動かなくなった。敵味方とも、声も出ない。
直ぐに敵の第3射が放たれた。まずい! 1つこちらへ飛んで来る。
そう思って、身構えていたら、直ぐ前方にいる三の村繋がりのゲイルとデーブの所に落下して来た。結局、ゲイルの盾がその火球を受け止め、そのまま燃え尽きた。もう一人の三の村出身のゾットは、ガドのすぐ隣で、その一部始終を震えながら見ていた。
ただ、この時点でこちらに人的被害は未だ出ていなかった。火球が着弾した地面が焦げていたり、草原の一部がチョロチョロと燃えているだけだった。
続くテチス側からの火球攻撃も、新たな犠牲者は生まれなかった。
そして、続いて敵が放った第4射は・・・
それまでの10発程度の火球群では無く、たったの1発。
ただし、その1発は明らかにこれまでの火球よりもサイズが大きかった。そして、より重要な事は、それがガドの方に向かって飛んで来ている様に見える事だった。
しかも、あろう事かその直後に、背後から飛んで来たのは・・・
「動くな! そこから動いた奴は撃つ!」
味方からの信じられない命令だった。ガドは絶句する。これは処刑ではないか!
次の瞬間、前の攻撃で盾を失ったゲイルが、デーブの盾にしがみつき奪い取ろうとした。デーブも必死に抵抗する。
横を見れば、ゾットがその場に蹲って、両手で頭を覆いながら震えている。
しかも、肝心の盾はその場に放置してだ。
たった1発の火球なのに、動くな!の一声は懲罰隊をパニックに陥れた。
ガドは、かつての仲間達のそんな光景を目にして、逆に心は冷えて落ち着いた。
ゾットの捨てた盾を拾い上げ、自分の盾と並べた。これで、多少大きな火球でも何とか凌げると思った。
次の瞬間、その大きな火球は1つの盾を廻って争っていた、かつての仲間2人を呑み込んだ。1人は即座にその場に崩れ落ち、もう1人は火達磨で転げ回る。
突っ伏していたゾットが顔を上げ、その光景を目の当たりにして発狂した。
「いやだ! いやだあ~! 俺は帰る! 村に帰るんだあ~!」
そう叫びながら、走り出した。後方に向かって。
直ぐに、止まれ! という声が後方から飛んだが、もちろん聞く耳など持たない。
味方の長槍隊の陣まで、あと少しというところで、複数の矢が放たれた。
ほんの僅かな時間だった。その、ほんの僅かな時間の間に、同じ村から来た連中が全ていなくなった。ガドは大きく息を吸い、吐き出す。冷静になれ! 落ち着け!
『恐怖に呑み込まれたら、そこで終わりだ! 何としても生き抜け!』
必死に自分に言い聞かせる。ガドにはそれしか出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「今の大きな火球は、ゴルトムント卿ですわね」
「うむ、間違いあるまい。隊長が単独で火球を放ったという事だろう。」
女魔導師の言葉に、ワイルが返すと、ともにカーンに視線を向ける。
「こちらも応えてやるべきであろうな。」
ニヤリと笑うと、カーンが頷いた。これまではカーン以外の者達だけが、火球を放っていた。いよいよ、黒炎の魔導師の力を見せつける時が来たようだ。
居並ぶ魔導師達が俄に活気づく。カーンは一歩前に出ると杖を掲げた。
彼の直ぐ前方に、巨大な炎が出現する。それは、焚き火の消えかけた熾火の様な赤黒い炎。戦場のあらゆる場所で、大きなどよめきが湧き上がる。
そのどよめきに心地良さを覚えつつ、カーンは巨大な炎を敵陣に放った。
騎士団長副官のウォルフは、今まさに敵陣に向かって飛んでゆく大火球をじっと見守る。この火球が持つ致命的な欠点については、以前ソロモン伯爵から聞かされていた。そして、それが正しい事を直ぐに理解した。それまでの火球の飛翔速度と比べて、明らかに遅い。
弓矢の速さでは決してない。小走り程度の速さとは、まさに言い得て妙。
どうやら、敵方もそれがわかったらしい。着弾位置と予想される一帯から、綺麗に人影が消えたのだが、何ともゆっくりとした歩みでその場を離れてゆく。
「何をしておる! 何故、只人の移動を許す! サルト側は魔法合戦の意義を理解しておらぬのか! 戻せ! 兵士を元の位置に戻すのだ!」
烈火の如く怒り狂い、そう叫ぶ魔導師カーン。
『こいつは、馬鹿なのか! どこの世界に自ら火刑に処せられたい奴がいる!』
ウォルフはそう思った。
ところが、である。
ウォルフの考えが間違っていたのか、それともカーンの願いが天に通じたのか、無人と化した着弾予想地点のど真ん中に、1人の敵兵が駆け込んで来たのだ。
戦場の全ての人間が唖然として見守る中、その兵士は両手を腰に据え胸を張ると巨大な火球に堂々と向き合った。まさか、死ぬつもりなのかと誰もが息を呑む。
しかし次の瞬間、そいつはクルリと身を翻し、テチス側に背中を向けると、そのまま腰を屈めて尻を突き出した。そして、あろう事か、両手でズボンと下着をずり下ろすと敵に向かって自分の尻を晒し、その剥き出しの尻を右手で思いっ切りひっぱたいたのだった。パン、パン、パ~ン! という3連続の音が戦場に響き渡る。
その一連の独演会が終わると、戦場の道化師は両手でズボンを押さえ、あたふたと着弾地点から “無事” 逃げおおせたのだった。
まるで、汚い尻が晒された草原の一角を消毒しようと言わんばかりに、カーンの巨大火球がそこへ着弾。草原に大きな焦げ目を作った。それがこの喜劇の終幕。
結局、この巨大火球が敵軍に齎したものは、全身の皮膚への火傷といった重篤なダメージでは無く、多くの者の腹の皮をよじれさせた事だった。
たちまちのうちに、戦場を爆笑の渦が襲った。魔導師の一方的なやり方に不満を募らせていた多くの者達は、ここぞとばかりに馬鹿笑いを始めたのだった。
しかも、笑っている者達は、敵軍だけでは無かった。テチスの兵も、カーンたち魔導師隊から離れた位置にいる者達は、敵と一緒に腹を抱えて嗤っていた。
魔導師隊の側にいるウォルフは、必死に笑いを堪えながらも、戦場という非日常の場では、時としてこうした己の想像の埒外の事も、起こるのだと感じていた。
一方、怒りのあまり、真っ赤に染まった顔でブルブルと震えるカーン。
只人によって、これほど多くの人間の前で恥を掻かされた事など、記憶に無い。
権威や面子を異常なまでに重視する者達にとっては、笑いこそが大敵なのだ。
即刻、あやつを引っ捕らえて・・・
それは無理だという事は、辛うじて理解していた。
ならば、サルトの連中に魔法合戦の正しい姿を見せつけてやるしかあるまい!
断固たる覚悟を示すしかない! カーンは意を決した。そして、吠えた。
「全軍100歩前進! 移動後は1歩たりとも動くな! これは絶対命令である!」
ウォルフは目を剥く! いくら何でもやり過ぎだ! 明らかに無理がある。
その抗議をカーンは撥ねつけた。総司令官は自分であると。その命令が聞けぬのかと。ところが、全軍と言いながら、魔導師隊とその護衛隊は、その場に留まっており動こうとしない。命令は常軌を逸している上に、矛盾しているのだ。
カーンというこの男に、総司令官としての自覚は無いとウォルフは確信した。
これは、戦いでは無い! 断じて違う! これでは兵士は生きた射的の的だ!
ウォルフの怒りは、戦場のほぼ全ての者に共通したものであり、その怒りの渦は、今や戦場を覆い尽くそうとしていたのである。敵は正面だけでは無いと!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
100歩前進の命令は、長槍隊とそのすぐ背後にいる弓兵隊を激しく動揺させた。
しかも、移動後は1歩たりとも動くなというのである。到底、有り得ない命令だ。
しかし、命令は命令である。彼ら前衛部隊は怒りに震えながら、鳴り響く太鼓の音に合わせて移動を始めたのであった。
ところが、最も動揺していたのが、長槍隊の位置で懲罰隊の督戦を行っていた、魔導師護衛隊の一部である。彼らは皆、貴族家出身者であり、騎士団で貴族の特権に胡座を掻く者達。トカレフ副団長の率いる軍内部の派閥に属する者達だった。
懲罰隊が全滅するまで、前方で督戦を行えと命令されていた。直ぐに片付くと。
今回の魔導師隊の護衛任務は、身の危険は無い一方、サルト戦に参加したという実績だけは残る “美味しい” 任務のはずだったのだ。ところが、新たに出た100歩前進という命令に従うと、自分達まで敵の火球の落下範囲に入ってしまう。
困り果てた督戦隊のリーダーは、独断でその場から部隊を後退させ、魔導師部隊の側にいたトカレフと合流する。トカレフも頷いて、これを赦したのだった。
この督戦隊の身勝手な撤退の結果、恩恵を受けたのが懲罰隊だった。
懲罰隊はこれ以降、無意味な前進を強いられる事は無くなり、後方から前進して来た長槍隊の突き出た一部分といった格好で吸収されたのである。
かくして、ガドの置かれていた環境は、ほんの少しだけ改善したのだった。
一方、その無意味で危険な前進を命じられた弓兵隊とともに移動中のレオ。
周囲の兵士達は、汚い言葉で散々に悪態を吐いていた。レオもまったく同感だ。
100歩の移動後に停止した場所の周辺には、焼け焦げた跡が所々に見られ、ここが敵魔導師の放つ火球の落下範囲である事を、まざまざと感じさせられた。弓兵隊のジョンが教えてくれた火球の射程300歩は、ちょうどこの辺りなのだろう。
ならば、こちらから魔導師までの距離も300歩という事になる。
それは、開拓村の防護柵の内側から魔の森の境界までの距離であった。
見れば、前方でローブ姿の者達が一斉に杖を水平に掲げている。
これもまた、レオはこの戦いで知った。それが魔導師の魔法発動の前兆であると。
自分達は特別だと威張り散らす高慢な魔導師が、レオは大嫌いになっていた。
こちらに火球を好き放題に放ちながら、自分達は安全な場所でふんぞり返っている連中が、どうにも許せなかった。
ならば、始めようじゃないか!
魔力波は、間違い無く届く。そして、あそこの連中には十分効き目があるはずだ。村の防護柵の内側から、魔の森の外へと這い出て来る魔狼を撃退していた様に。
世界には想像を超える驚異が、そして脅威がある事を教えてやろうじゃないか。
レオは、そう決めたのだった。
そして、前方に横一列に並ぶローブ姿の連中に対し、帯状に魔力波を放った。




