83. そして、戦場へ
テチス王国宮廷魔導師団の副団長にして、対サルト王国戦で前半の総司令官を務める事になっている魔導師カーンは、最近ご機嫌麗しく無かった。
いや、むしろ内心では怒り狂っていた。
魔法合戦なる故事を文献で知り、テチス、サルト両国首脳に根回しを実行。
ようやく思い描いたとおりの絵図を描き終えたと思った矢先、東方でのフェンリル騒ぎ。まあ、これには自分に反抗的な者どもを送り込んで、事なきを得た。
精々、魔獣相手に苦しんで来いと放り出し、さて、無事に帰って来られる者が何人いるだろうかと、密かに楽しみにしていれば・・・
派遣部隊司令官の騎士団副団長からは、送り込んだ10人に対する絶賛の嵐。
実際、男性魔導師全員が地方領の魔導師たちと共に白兵戦に参加し、騎士達と並んでフェンリルやその眷族と直接交戦したという。
極めつけは、ベズコフ領都の街壁上に待機していた3人の女性魔導師達である。彼女達がフェンリルに火球を連射して、止めを刺したと報告されていた。
ご丁寧な事に、そうした事実をまるで上書きでもするかの如く、東方地域の領主貴族からも連名で感謝状が届いており、王国騎士と宮廷魔導師を絶賛し、優秀な部隊を迅速に送り込んだ王家の英断を、最上級の褒め言葉で称えていた。
本来ならカーンとしては、その様な優れた者達を選んで送り出した宮廷魔導師団の幹部として、賞賛を浴びながら鼻高々にしていれば済んだ話である。
ところが、あろう事か、送り込んだ魔導師全員が帰還後、辞表を提出したのだ。それも、副団長であるカーンの事を名指しで非難しての辞職だった。
拙い! これは本当に拙い! カーンはそう思った。
今まで、カーンに逆らう者は皆、カーンの厳しい指導について来る事の出来ない “落ちこぼれ” という体で、カーンには非が無い事を印象づけて来たのだ。
しかし、今回は、フェンリル討伐という圧倒的な戦果を挙げた連中なのだ。
何とも、説明に窮する状況である。王宮の者達のカーンを見る目も微妙である。
どうも、辞めた連中から一斉辞任の件が漏れている様だ。
しかし、もうすぐ魔法合戦。それさえ無事に乗り切れば、こんな国に用は無い。
カーンとしては、それまで対応を先送りするしかない。それが唯一の方策。
魔法合戦さえ終わらせてしまえば、何の問題も無い。後は知った事では無いのだ。
そういうわけで、頭を抱えオロオロしている宮廷魔導師団長には、魔法合戦が終わるまで下手な対応は控える様に言い含め、戦場へと向かう事にした。
多少雑音は増えたかもしれないが、大局的には自分の構想を外れる事にはなっていないと、カーンは確信していたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
長テーブルを挟んで、対面に座る尊大な男を目にし、いよいよ明日かと思った。双方3人ずつの宮廷魔導師が、戦場予定地の中央で会する。周囲には僅かな護衛。
魔法合戦の実行に向けた最後の確認会議。まあ、今さら特に問題などあるまい。
“黒炎の魔導師” と呼ばれる、目の前の男カーンから封書が届いたのが半年前。
サルト王国の宮廷魔導師団の副団長であるゴルトムントは、その封書に書かれていた魔法合戦という言葉に興味を覚えるとともに、文面の節々に滲み出るカーンという男の為人から、彼が自分と同類の人間であると直感した。
すぐに、団内で過去の文献を調べさせた結果、魔法合戦に関する記録を見つける事が出来た。むしろ、サルト側の知見の方がテチスよりも多かったくらいだ。
面白いと思った。そして、カーンに返書を送り、第三国での会談を了承。
やはり、予想どおりカーンは自分に良く似た男だった。貴族の中の貴族。
口外したりはしないが、優れた魔導師は皆、その様な矜持を抱いているものだ。
見れば、今日、身に着けている物は上下とも純白。流石にローブは灰色の物だが。
40歳前後と思われる年齢から、第三階梯に達していても不自然ではない。
本人としては、“純白の魔導師” として、この場に立ちたかったのだろうが、流石に第二階梯として白ローブを纏う事は憚られ、着衣だけを純白にしたというわけか。
その気概は悪くない。同じ宮廷魔導師団副団長のゴルトムントは、そう思う。
本当に、魔導師としてのプライドの塊の様な男だ。
只人の戦争など、これまで全く興味は無かったはずである。しかし、古の魔法儀式の再現とあれば、カーンは大いに前のめりとなったのだ。そして自分もまた。
現在の膠着状態に不満を募らせていた、サルト国内の主戦派を巧みに誘導し、ゴルトムントも魔法合戦の機運を作り上げた。魔導師部隊が決戦に手を貸すと信じ込ませてからは、あっという間に話は進んだ。
後になって魔法合戦の子細を知り、騎士団の中には不満が渦巻いた様だが、まあ王命で決定された以上、今さら遅いと言うしかない。
そして、準備は整った。今日は、細やかな最後の詰めを残すのみ。
古式に則り、彼我の魔法発動の切り替わりを律する砂時計を、双方で検める。
砂が反対側に落ち切るまでの時間は、安静時の脈100回分。それまでの間に攻撃側は魔法を放たなければならない。2つの砂時計を同時に反転させて見守る。
結果、2つの砂時計は揃って同時に砂が落ち切り、全く差は認められなかった。この砂時計を攻守の区切りとして信じて良いと判断し、互いに1つずつ分け合う。
双方、合戦開始の合図と同時に砂時計を反転させる。先攻となった魔導師隊は、その砂が落ち切るまでに魔法を放たなければならない。
そして砂が落ち切れば、再び砂時計を反転させ、今度は後攻側が魔法を放つ。
こうして交互に魔法を放ちながら、魔法合戦は進んで行く。
途中、双方が必要に応じて只人の軍勢を前進させ、魔法の威力を披露し合う。
魔法の発動回数は、双方10回ずつ。最も若輩の魔導師に合わせた回数だ。
この回数を撃ち終えたら、後は戦場を只人に譲り魔導師は去る。騎士の出番だ。
こうした事は、もう既に合意が出来ており、今日は最終確認だけである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もはや、確認すべき事もあらかた終わったと思っていたら、テチス側の女性魔導師が発言を求めた。
「昨日の様な、異常種からと思われる突発的な魔力波に、どう対処いたします?」
ゴルトムントは意味が分からない。
脇を見れば、同行した側近のウィンター卿とクラウス女史も怪訝な表情だ。
聞けば、昨日、テチスの魔導師全員が一瞬ながら、強烈な魔力波を感じたと言う。
その様な魔力波を放つ魔物がいると思われる魔の森は、ここから歩いて半日程の距離だそうだ。遠距離からの魔力波ながら、詠唱を中断させるだけの威力があり、恐らくサルト側も昨日、そう感じたはずだと主張する。思わず首を捻る。
「ですから、その様な不測の事態への対処も、この場で決めておくべきかと。」
「そう言われても、我々サルト側は昨日、何も感知しておりませんので・・・」
クラウス女史が不審げにそう返した。テチス側の全員が魔力波を感じたと主張している以上、単なる勘違いとは思えないし、かと言って、俄には信じ難い話だ。
テチス側の紅一点、ボンド卿は明らかに不満顔のままだ。それを取りなす様に、カーンが提案してくる。
「それでは、その様な異常種の魔力波で魔法発動を失敗した場合、お互い、しばし中断という事で如何だろうか? あの様な魔力波ならば、双方とも感じ取れるだろうから、例外として扱う事に無理はないと考える。
そして、回復し、魔法発動が可能となりしだい再開という事で問題は無かろう。
もちろん、鍛錬不足による魔法発動の失敗は、この限りでは無いと思うが。」
魔導師の集団が、揃って魔法発動に失敗するという事例は、普通考えにくい。
詠唱中に、直ぐ側で大きな音がした場合などには、有り得るのかも知れないが。
あるいは、戦場で一瞬突風が吹き荒れ、巻き上がった砂埃で精神集中を乱される事だってあるかも知れない。ただ、そこも含めて魔導師の修行のはずである。
ゴルトムントは、テチス側の言う魔力波が今一つ理解出来なかった。
まあ、カーンの言う一時中断案に、無理に反対する理由も無いので承諾はしたが、彼の言った “鍛錬不足” という言葉に一瞬イラッとしたのも、また事実。
その後は予想外の事も無く、会戦前日の最終会談で決めておくべき事柄の内、残るは1つだけとなった。すなわち、どちらが魔法攻撃の先手を取るのかである。
先攻をどの様に決めるべきか? コイントスか、はたまたクジ引きか。
ゴルトムントがそう考えていると、何と、カーンがあっさり先攻をサルト側に譲ると言い出し、そのまま決着となった。
勝敗など度外視しているカーンにとっては、どうでも良い話だったのだ。
しかし、先攻をあっさりと譲ると言ったカーンが、一瞬見せた嫌らしい笑みが、ゴルトムントには妙に気になった。魔力波の件と言い、先攻決めと言い・・・
このカーンという白装束の男を信じた自分の判断は、果たして正しかったのだろうかという小さな疑念が、ゴルトムントの脳裏を一瞬過ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、テチス魔導師隊の天幕では3人の男達が豪勢な食事を摂っていた。
口の悪い者がその光景を見たならば、高位身分の者が処刑前夜に与えられるという “最後の夕餉” の席と言ったかもしれない。
3人とは、カーンとワイル2人の魔導師と今回の魔導師隊の護衛隊指揮官である騎士団副団長トカレフである。紅一点のボンド卿は、地面の露出した天幕での食事を嫌がり、食事は女性専用馬車の中で別に摂っていた。
食事を終えて、ワインを楽しんでいる時、ワイルが口を開いた。
実は、昨夜、医務隊の平民から無礼を働かれたのだと。そして、たまたま通りかかったハリスとかいう騎士が仲裁に入り、その平民を庇ったのだと話す。
トカレフは、そのハリスという名に覚えがあった。同じ副騎士団長で騎士団内におけるトカレフの最大のライバル、ソロモンの甥だったはず。
確か、フェンリル戦においては、総司令官ソロモンの “七光り” によって、若輩にも拘わらず一団の指揮官に抜擢され、運良く身分不相応の手柄を立てた男だ。
その平民の大男と騎士のハリスに対して、憤懣やるかたない様子のワイル。
せめて、平民の方は懲罰隊送りに出来ぬものかと、カーンとトカレフに訴える。
まあ、動かぬ証拠か衆人環視の下での凶行でもない限り、懲罰隊送りは難しい。あまり無理をすれば、それこそハリスを絡めた決闘騒ぎとなり、得策ではない。
トカレフは、しばし黙考した後、ワイルに尋ねる。
「卿の言う、その医務隊の平民という男は、どれほどの大男だったのだろうか?」
「そうですな。騎士の中に交じっても十分目立つほどの体格でしたな。」
「なるほど。ならば、やりようはある。ただし、カーン殿、あなたにも同行してもらい、ご協力いただく事になるが、よろしいですかな。」
カーンは快諾した。
はっきり言って、ワイルが無礼を働かれた事など、どうでも良かったのである。
ただ、魔導師が平民に馬鹿にされ、それを放置するなど有り得ない事だと思っただけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
決戦の日、朝から周辺は晴れ上がり、どうやら天候には恵まれたようだった。
早朝は一帯を覆っていた朝靄もすっかり消え失せ、視界は極めて良好だ。
戦場の敵味方、それぞれ両端の部隊同士でも、お互いに視認出来る事だろう。
既に、野営地の部隊は決戦場である、すり鉢状の地形へと移動が始まっていた。
医務隊も必要な物資の馬車への積み込みは昨日までに完了しており、移動の順番が来しだい、所定の位置に移動して救護所を設営する事になっていた。
そんな慌ただしい野営地の中、医務隊のところへ護衛を引き連れた3人の男達が現れた。医務隊随一の大男、レオを見つけると歩み寄って来る。
「トカレフ卿、この男です。どうです、この見事な体格。医務隊には惜しいと思われませんか? 今日の様な大切な一戦では、是非とも先頭に立つべきでしょう!」
「ふむ、確かにそうだな。この様な大男なら、長槍隊には打ってつけであるな。」
そして、始まったのは灰色ローブのワイルと、煌びやかな金属鎧姿のトカレフによる三文芝居。もう一人の灰色ローブ、カーンもすぐ側に立ち、笑みを浮かべる。
ここの責任者を呼べという指示でやって来たマーサに、トカレフはレオの転属を告げる。もちろん、マーサは猛然と抗議した。必要な人員を、決戦の朝にいきなり引き抜かれるのは困ると正論を述べながら。
「その重要な決戦において、勝利のために最善を尽くすのが、我らの使命である。どう見ても、この様な男は医務隊ではなく、先頭で槍を振るわせるべきであろう。それこそが、適材適所というものだ。そうですな! カーン最高司令官閣下!」
そう言い放つ鎧姿の騎士トカレフに対して、カーンが鷹揚に頷く。
酷薄で執念深い蛇の様な目をした魔導師ワイルが、勝ち誇った様に宣言する。
「人員の配属や配置は、すべて最高司令官である魔導師カーン様の権限である!
この大男には、長槍隊の先頭で活躍してもらう。護衛兵! 案内してやれ!」
意趣返しだ。間違い無い! マーサは確信した。一昨日の夜の件は、マギーから聞いていた。まったく酷い話だった。非は全て魔導師側にあり、レオは悪くない。
しかし、同時に途轍も無く危うい話ではあった。ハリス卿という真っ当な騎士が通りかかっていなければ、レオは懲罰隊送りになった可能性が高いと思った。
そして、今、目の前で展開されている茶番劇。
しかし、これは何とも難しい。無理に罰しようとするのではなく、転属扱いとは。
見れば、レオは呆然と立ちつくしている。無理もないと思った。
マーサは、自分や医務隊の生命の恩人が、目の前で理不尽な目に遭わされる状況を見るに忍びなかった。しかし、この不条理な状況を覆せる力が、自分に無い事は明らかだった。唇を噛み、そっと事務室代わりの自分の馬車へと戻って行く。
「命令に従わないのなら、懲罰隊に行くことになるぞ! さあ、ついて来い!」
ワイルがレオに向かって吠える。
レオも、急変した自分の立場は理解していた。是非も無い。
せめて、懲罰隊は避けるべきだろう。まさか、この場で魔導師2人を無力化するわけにもいくまい。
危険な長槍隊というどん底から、安全な医務隊という天国へ引き上げられ、そこから再びどん底へと突き落とされたわけである。これは本当に堪える。
正直、ずっとどん底にいた方がましだっただろう。
まあ、ここしばらくの間、随分と旨い物を食わせてもらったじゃないか。
それだけでも、有り難い事だったと思うしかない。レオは、そう考える事にした。
医務隊の者達は、本当にレオに良くしてくれたのだ。
ふと、視線を感じた。マギーが今にも泣き出しそうな顔でレオを見つめている。
何て顔だ! しかし、この理不尽な結末は、マギーのせいではない。断じて違う!
それに、長槍隊に行ったからといって、それが即座に死に繋がるわけでもない。
レオは穏やかな笑顔をマギーに向けてから頷くと、そのまま踵を返して案内役の護衛の後に続いて歩き始めた。以前いた長槍隊に合流するために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その時、一行の後ろからマーサの声が轟いた。
「待ちな! その子は弓兵だよ。ほら、これがその子の弓さ。」
振り返ると、そこには黒弓と矢筒を手にしたマーサが立っていた。
「その子は徴兵される前までは、ずっと猟師だったのさ。そんじょそこらの弓兵よりも、弓の腕前はずっと上なんだよ。何なら試してみるかい。さっき、適材適所だとか言ってたよねえ。」
魔導師と騎士の一行は、顔を見合わせて鼻を鳴らすと、不承不承頷いた。
流石に、総司令官の名前まで出して適材適所と宣言した手前、認めるしかない。
レオに歩み寄って来たマーサは、レオに黒弓と矢筒を渡しながら、そっと囁く。
「あんた、無事に故郷へ帰るんだって言ってただろ?」
そうだ。故郷にはミーナを始め、多くの者達が待っているのだ。
その中には、目の前の女性と同じ名前の人もいる。開拓村で孤児達の面倒を見てくれた女性。幼いレオを可愛がってくれた女性がいる。
マーサおばさんと呼んだら、叩き殺されそうだった。だから、姐さんと呼んだ。でも、時折、心の中ではこう呼んでいた。
『母さん』
「良いかい。まずは絶対にここへ、無事帰って来るんだよ!」
強い目で、そう言い聞かせてくる医務隊の隊長に、レオは大きく頷いたのだった。




