80. 医務隊と黒弓
ほどなくして、魔の森を抜けて平原に出た。
少しばかり離れた林の木陰に馬車と馬が待機しているのが見える。戻って来た一行に違和感を覚えたらしく、見張りのために残っていた兵士5人が駆け寄って来た。
兵士の中のリーダー格が、医務隊と一緒に魔の森へ行った仲間の兵士達がいない事に困惑した顔で、マーサに彼らがいない理由を尋ねる。
「逃げてったのさ。森の中で魔狼の群れが現れた途端、全員一目散だったよ。」
その兵士は、とても信じられないという表情で大きく目を見開くとともに、初めて見る大男のレオに目を留める。それに気づいたマーサが、説明する。
「彼は、レオ。一人でこの森に来てたのさ。彼が助けに入ってくれたおかげで、私達は全員助かったんだよ。それより、さっさと帰るよ。」
でも、あいつらが戻って来るまで、もう少し待ってくださいと懇願する兵士に、医務隊の副隊長であるケビンが宣告した。
「分かっているのか? これは、立派な敵前逃亡なんだぞ! 待っても良いが、全員ここで捕縛して連れ帰るか? 何なら、この場で処刑する事も出来るんだぞ!」
軍隊で敵前逃亡という言葉は、あまりにも重すぎた。
真っ青になったその兵士は、他の兵士達とともに大慌てで馬車に馬を繋ぎ始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオは移動する馬車の中で、マーサから医務隊の待遇について説明を受けた。
まあ、特殊技能者と見做される医務隊の待遇が、長槍隊に劣るはずもないのだが。しかし、そんな事より、全軍の先頭で真っ先に敵に突撃させられる事が無いという、その一点だけでも、医務隊に移るメリットは十分だとレオは判断した。
問題は、レオを長槍隊からどういう理由で引き抜くかである。
医者の社会的な地位は高いが、それは軍でも全く同様だ。身分の貴賤を問わず、怪我や病気の不安は人間なら誰しもある。ましてや、ここは戦場なのだ。自分が負傷した時、それに対処してくれる人間を邪険に出来るはずがない。医務隊が欲しいと言えば、間違い無く引き抜けるだろう。ただ、余計な波風は立てたくない。
魔狼の群れを相手に、あれほどの腕を見せたレオが長槍隊の一兵卒というのは、明らかにおかしい。魔の森の道中で誰もが感じていた事だが、レオは間違い無く自分の実力を隠していたとしか思えない。
魔の森での活躍を馬鹿正直に話して、転属させるわけには行かないのだ。
何の取り柄も無いと思われていた男が、実は超人でしたと言って医務隊が連れて行ったとなれば、大騒ぎになるだろう。レオの配属を決めた軍人は、彼に騙されていたと怒り狂うだろうし、レオの上官だって良い気はしないはずだ。レオが恨みを買うのは間違い無い。穏便に進めた方が良い事は、レオにも十分理解出来た。
その点を踏まえ、マーサはレオの特技や徴兵される前の生活について、聞き取りを行ったのである。その結果、レオ引き抜きの妙案を思いついたのだった。
マーサ達、医務隊の野営地はレオのいる野営地とは違っていた。今回の戦いには多数の兵士が参加するため、野営地もそれなりの数になる事はレオも知っていた。入口の目印の旗によって自分の野営地はここで間違い無いと馬車を停めてもらい、レオはマーサ、ケビンとともに馬車から降りた。
馬車1台だけを野営地の入口に残し、他は医務隊の野営地へと移動して行った。
医務隊の2人に付き添われ、まだ休暇中だったはずのレオは、直属の上官の下へと出頭した。さらにもう一段上の上官まで呼んでもらい、後はマーサに説明を任せた。曰く、このレオという兵士は魔の森のベテラン狩猟者であり、医務隊に是非とも譲って欲しい人材なのだと。昼間一人で魔の森に来ている時に医務隊と出会い、その腕が確かなものだと認められたと。
戦闘力は、(ヘタレの振りをしていた大嘘つきなので)からっきしだが、魔物との闘いはひたすら避けて、罠猟と魔草の採取で生計を立てていた者であり、決戦前に治療用の魔草を大量に必要としている(紛れも無い真実)医務隊にとって、是非とも欲しい人材なのだとマーサがレオの上官達を説得してくれた。
お前さんに、そんな特技があったとはねえと言う上官に対しては、目の前で巧みに縄を結わえて見せ、この縄の先を、しならせた枝に結びつけるのですと、括り罠の作り方を実演して見せたのであった。
こうして、無事転属の許可をもらい、ホッとしながら野営地を歩いていたレオだったが、突如として背後から怒鳴りつけられたのだった。
振り返った先には、見覚えのある顔があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
火魔石の爆発で死んだギルの腰巾着の一人が、木の柵の向こう側から必死の形相でレオに怒鳴る様に叫んでいた。何処に行くんだと。
軍から各個人に支給された品でパンパンに膨らんだ背嚢を背負い、中年とは言え、女連れで野営地を歩いて行くレオを見かけ、滅多に無い状況だと思った様だ。
流石は悪党、その辺は敏感だ。
立ち止まり、振り返った一行。マーサがあたし達は医務隊さと応じる。
それを聞いたギルの取り巻きが、吠えた。
「レオ! 俺だよ、ガドだ! 俺も連れて行ってくれよ! 隣村の仲じゃねえか!」
柵の側にいる監視役と思しき武装兵が、睨んでいる。
ありゃ、誰だいとレオに訊くマーサに、レオは吐き捨てた。
「盗人さ!」
そのまま医務隊の3人は立ち去った。
その後ろ姿を目で追いつつ、懲罰隊の柵の中で、ガドはフンと鼻を鳴らす。まあ、彼も本当に連れて行ってくれるなどと、甘い考えを抱いていたわけではない。
それでも、この懲罰隊という地獄の底から這い出すためには、何でもするつもりでいた。周りを見れば、へたり込んで俯いている半ば死人同然の奴らばかり。
ガドが、自分の生まれた村が、実に下らないちっぽけな世界だと気づいたのは、まだ成人前の事だった。このまま、ここで一生を過ごすなんて我慢出来なかった。
せめて領都へ出たかったが、先立つものが無い。村長の馬鹿息子やそのお仲間とつるんで、色々と画策したものの、その結果がこれだ。ギルが死んだ時、ゲイルの馬鹿がレオのせいだと叫んだ挙げ句、尋問で俺の名前まで出しやがった。
本当に馬鹿ばっかりだと思う。
俺は、他の奴らとは違う! こんなところでくたばる様な人間じゃないんだ!
必ず、ここから抜け出してデカくなってやる! そう心に誓うガドだった。
一方、将来の事はすっかり諦めてしまった感のある、他の腰巾着連中は、醒めた目でガドを見ていた。ゲイル、デーブ、ゾットの3人は、ガドがレオに気づいて、大声で呼び掛け、その後もレオを睨んで何事か呟いている光景を見ても、さして表情を動かさなかった。そして、心の中で呟いていた。お前も俺たちと同じだよと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
再び馬車に乗って、レオは別の野営地にある医務隊の拠点へと移動した。マーサ達、医務隊の拠点はそこの野営地の中心部近くにあった。中心部には、軍の偉い人がいるのだろうから、医務隊はやっぱり軍内では高い地位にあるのだと思った。
拠点にはいくつも天幕が並んでいたが。その中に停まっている大きめの箱馬車に案内された。マーサが言うには、彼女の専用馬車なのだそうで、事務室であり就寝場所でもあると言う。元々女性専用馬車なので、夜間はマギー等の女性隊員も一緒に使用しているそうだ。何と、トイレに洗面設備まであると言う。
しかし、馬車の中に入るなり、レオの目は馬車の片隅に置かれている、ある物に釘付けとなった。
黒弓! それは、村でレオが愛用していた鉄製の強弓と瓜二つの物だった。
側には矢筒が立てかけてあり、その中には何と鋼の矢らしき物まで見えている。
レオの強い視線に、マーサは直ぐに気がつくと微笑みながら語りかける。
「父親が昔、特注で作らせた物だけど、興味があるのかい?」
「ああ、まったく同じ物を村で使っていた。」
なるほどと頷くと、マーサはその鉄の弓について教えてくれた。
猟師をやっていた魔力持ちの父親が、強弓を欲しくて高名な鍛冶師に特注した物だと言う。きっかけは、高級馬車で使われている鉄の板バネだったらしい。
同じ物を他の客にも売って良いという条件で、その鍛冶師は引き受けたそうだ。
試作を繰り返し何とか形は出来たものの、結局、実戦では使えない代物だった。
何しろ、弓に弦を張るのも只人には困難で、身体強化を当然必要とした。
そして、目一杯弦を引くのも同様で、魔力持ちでも、それを維持しながら狙いを付けるのは無理だったという。本当に1日に矢を1本放つのが精一杯だったらしい。保有する魔力の関係だと、彼女の父親は自嘲気味に語っていたそうだ。
そこで、父親は木材を使ってこの強弓を改造し、ボウガンとして使っていた。
弦を引く時だけ、身体強化を使えば済むわけだ。無理すれば、日に10回程度の発射が可能で、その威力と射程距離は本当に凄まじいものだったらしい。ただ、木製の部分が鉄の弓の力に耐え切れず、直ぐに壊れてしまう。かと言って、すべて鉄製では重すぎるだろう。
結局、この弓は家の飾りと化してしまったと言う。
「まあ、昔は魔力持ちの騎士として、それなりに有名だったらしいんだけど、貴族のゴタゴタに巻き込まれて嫌になり、辺境の田舎村で猟師生活さ。あたしの母親は只人だったんで、あたしにも魔力は無いから良く分からないけど、この弓が引けるのは魔力持ちだけらしいよ。レオ、あんた使ってみるかい?
まあ、父親の形見みたいなもんだから、あげるわけには行かないけどね。」
レオは、是非にと頼み込み、魔の森遠征の時に限って、この黒弓を使わせてもらえる事になった。離ればなれになっていた相棒に再会出来た様な気分で、本当に嬉しかった。矢筒の中は、鋼の一本物の矢が3本入っているだけだったので、医務隊がストックしている普通の矢を用意してくれるという。次の遠征が楽しみだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
早速と言うか、翌朝天気が良かったせいか、連日での魔の森遠征となった。
今回は護衛兵が30人招集され、途中で昨日の逃亡兵と出くわす事も考え、憲兵も同行する事になった。結局、レオが森の中ですれ違った5人は、今朝までに誰一人この野営地には戻って来ていないらしい。まあ、あの逃げ方から見て、明らかに魔の森に関しては素人。森を脱出する前に魔物の餌食になった可能性はある。
レオは、医務隊の馬車に揺られながら昨日の場所に到着した。
前後を護衛兵に守られながら、レオは医務隊の者達に交じって森の中を進む。
流石に大人数のせいか、接近して来る魔物はいない様だと思っていたら、樹上蛇の大きな奴が医務隊一行の上にいた。
蛇だ!と叫ぶと、そいつに向かって魔力波を放つ。樹上で鎌首をもたげ、一挙に獲物を襲おうとしていた大蛇は、レオの魔力波を浴びて力無く首を垂らした。
その首を、腰から抜いた剣で一気に切り落とす。一連の動作でレオが身体強化を使ったのは、剣が大蛇の首を切断する瞬間だけであった。
素早くその場を離れ、吹き出る大蛇の血を避ける。樹上にあった大蛇の胴体も地面にドスンと落下して来て、首無しなのに、しばらくのたうち回っていた。
護衛の兵士も含め、誰もが呆然と見守る中、レオは落ち着いて大蛇の胴体の一部を剣で裂くと、剣先で巧みに魔石をほじくり出した。そのまま指で摘まんで血を振り落とすと、用意していた麻袋の中に入れる。
そこでようやく再起動を果たしたマーサの声で、行軍は再開されたのだった。
尤も、マーサは奇妙な違和感を覚えていた。そして、直ぐにその違和感の正体に気づいたのだった。彼女の父親は絶対に、あんなふうに原魔石を素手で掴んだりはしなかった。魔力持ちが原魔石に触れると、痺れを感じるのさと苦笑していた父。
危険な魔の森の中で考える事では無いなと、マーサはその疑問を頭から振り払ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨日よりも少し開けた場所に出て、そこでしばらく魔草類の採取となった。
周辺警戒は全面的に護衛兵に任せ、レオも医務隊のメンバーに交じって、採取活動に励む事にする。ついでに、魔草とその用法の講義を受ける事になっていた。
途中、空き地の上空を鳥の群れが旋回した。
早速、持参していた黒弓を使い狙ってみた。3回ほど普通の矢を放ち、飛距離だけは十分だったが、全部外した。周囲からは期待したのに残念という声も聞こえていたが、レオはこれまで、弓で鳥を落とした事は一度も無かった。全ては魔鳥に対して魔力波を使った狩りであり、死因は墜落死なのである。
ここでその技を見せるわけにはいかなかった。
そして、弓の飛距離もまた同様。
レオは、意図的に力を抑えて弦を引いており、体感的には全力のほぼ半分。
奇しくもその時の飛距離は、護衛兵が見慣れている一般の弓兵の放つ矢の飛距離と大差無かったため、誰も驚く事は無かった。
しかし、レオは、この黒弓が彼の愛用していた弓と全く同等レベルであり、彼が全力を込めてこの弓を引けば、飛距離は今の2倍とは行かないまでも、5割以上は間違い無く伸びると感じた。彼が “行ける” と確信した目標には、確実に届くと。
ところで、今日の主要目的である魔草と用法の実地講義だが、医務隊の魔草知識の7割方は、レオが開拓村時代に教わったものと同じで、村の唯一の医療関係者であったカロン婆さんの知識は、中々のものだったと感心した。
村のハンターになると同時に、カロン婆さんの特訓を受け、魔の森で採取すべき魔草類の見分け方を叩き込まれたものだった。
そして、レオが知らなかった残り3割については、その薬効や使い方を丁寧に教えてもらった。中には意外な物もあり本当に驚かされた。その最たる物が真っ赤な毒々しい色をした茸。
村では、触るな、食べるなと教わっており、食べたら死ぬとまで言われていた。その毒茸をせっせと採取して行くのだから、レオはびっくりだ。
魔の森だけに生えているその茸の傘の部分に薬効があるのだと、医務隊の若い男がレオに教えてくれた。
医務隊ではこの茸を「眠り茸」と呼んでいて、干して乾燥させた後、砕いて粉末にするそうだ。その粉末を一摘まみ鼻から吸い込ませると、どんな大男でも丸一日死んだ様に眠り続けるという。
もちろん普通の眠りではない。眠っている間は、傷口を針で縫い合わせようが、手足を切り落とそうが、絶対に目覚める事は無いという。重症者の治療の際に使うのが基本だが、助かる見込みも無いのに苦しんでいるだけの兵士に与え、楽にしてやる事もあるのだと医務隊の男は悲しげに言う。
「今回は、魔導師様が大勢来るそうだから、とりわけ必要になるんだよ!」
そばにいたマーサが、そう吐き捨てる様に言った事がレオには妙に印象的で、記憶に残ったのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
採取のために、時折実施していた魔の森遠征も終了となり、今は採取してきた魔草や薬草の加工の手伝いを行う日々を過ごしていたレオだったが、決戦の日と聞かされていた日は目前に迫っていた。
決戦当日のレオの役割は、その体格を活かして重症者の搬送や薬品類の配送を主任務とされた。また、万が一医務隊が敵の侵攻に曝された場合、マーサ隊長の他、マギーとエリスの女性2名を守って後方へ退避するという役割も命じられた。
まあ、どれも納得できる任務であり、レオとしては何の不満も無かった。
医務隊の天幕の中で、そうした任務の詳細について話をしていた時である。
レオは、ふいに感じたのだった。
原魔石の属性数1か2を持つ魔物の群れを! 近い! この野営地の中心部へ綺麗に並んでやって来る。ゆっくり列を成して! まるで、狐か狸の家族の引っ越し。
そう! 開拓村時代、レオは密かにそう呼んでいた。
あいつらが来たんだと思った。開拓村でレオが可愛がっていた若い連中。
皆、レオより年下の者達。たぶん、レオと同じ魔力持ちの子供達。何故こんな所にと思う一方、込み上げる懐かしさによって、そんな疑問は吹き飛んでいた。
椅子から立ち上がると、天幕の入口へと歩み寄る。
入口の幕を払い除けようとしたところで、ふと悪戯心が湧き起こった。開拓村で時折レオがやっていた、レオだけに出来るちょっとした挨拶。ただ、それが通用するのは、魔力持ちの子供達だけだったが。
最弱の魔力波を放った。人が瞬きするほどの、ほんの短い時間。
開拓村の子供達は一瞬ビクリとするものの、直ぐに相手がレオだとわかると、笑いながら手を振ってくれたものだった。さて、今回も皆は驚いてくれただろうか?
レオが天幕の入口の幕を開いて外を覗き見ると、そこには、一列に並んだ状態で立ち竦み、顔を強張らせている黒いローブの集団がいたのだった。




