79. ウドの大木
それが部隊内でレオについた、あだ名。
無駄に身体が大き過ぎるせいか、動作は緩慢。そして、見た目ほどの力も無い。
結果として、軽く見られ、小馬鹿にされる存在。それでも、体格自体は立派なものなので、何かの拍子にキレたらヤバいと思われ、率先して苛めようとする者はいなかった。まあ、レオとしては、概ね狙ったポジションである。
途中まで一緒だったリゲルのアドバイスに従い、目立つ事は極力避けていた。
身体強化など、もっての外。そんなものを使わなくても、レオの筋力は世の平均から大きく抜きん出ているのだ。意識的に力をセーブする必要があった。
技巧面も、幼い頃からの武術鍛錬の成果によって、農民とは隔絶した、そんじょそこらの騎士や兵士にも劣らない剣術、槍術、弓術のレベルにまで達していた。
とにかく、目立つ事は厳禁という毎日を過ごしていたわけである。
まあ、そのせいで魔力切れに苦しむ事は無かった。レオも、初めて領都へ行った時の事は覚えていて、どうやら、一晩眠れば魔力全回復とは行かない場合がある事を知っていた。魔力の回復ペースについては、最優先で調べる事にしたのだ。
そして、その結果は恐ろしいものだった。
夜間、寝床で魔力放射を行い、倦怠感を覚えるまで魔力を消費した。魔狼2,3頭を無力化する程度の一番良く使う魔力放射を、およそ50回以上放った。
翌朝、倦怠感は去ってはいたものの、夜になって再度魔力放射を行ったところ、僅か5回ほどで倦怠感を覚えたのである。一晩眠っても一割しか回復していない。
レオは、世の魔導師の日頃の苦労、(まあ、それが普通と皆、思い込んでいるわけだが)希薄な魔素環境での切なさを初めて実感したわけである。
理由は分からない。しかし、実際問題として魔力を温存する事を真剣に考えなければならないと肝に銘じた。調子に乗って、日頃の訓練で身体強化を使って無双していたならば、徒に自分の評価を爆上げさせた挙げ句、魔力枯渇による廃人同然の醜態を晒した事だろう。おまけに、魔力持ちとして余計な注目を集めかねない。
レオの目標は村へ無事帰る事。ただし、それ以外の事について明確な方針があるわけではなく、日常の諸々全てを拙い自分の判断で生きて行くしかなかった。
リゲルのボディーガード役としてケインに引き抜かれた結果、開拓村の他の連中とは違う部隊に移ったのだが、その後、村の連中の姿をすっかり見なくなってしまった。下っ端のレオに、その理由などわかるわけもない。
結果として、レオには相談相手はもちろん、話し相手すらいなくなった。
それでも軍隊生活の初期において、短期間ながらも思慮深いリゲルと一緒だった事は、本当に幸運だったと言える。実力を隠せと忠告してくれたリゲルには、感謝しかないと思っていた。
こうして、軍隊内では消極的な態度を基本とし、厄介事はそれなりに避けられたと思っていたレオだったが、実はそうでもなかったのである。
何の取り柄も無いと判断されたレオは、そういった兵士が配属される兵科へと、割り当てられる事になったわけだが、そこは死傷者の多い危険な部隊だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
長槍隊。それがレオの配属先となった兵科。
全軍の最先頭で長槍を構えて、敵の騎馬隊の突入を牽制しつつ、開戦とともに敵の長槍隊と切り結ぶ。最先頭であるが故に、最も矢が飛んで来る部隊でもある。
号令一下、敵陣に向かって真っ先に突入するわけだから、死傷率は高くて当然だ。
この世界の平原における野戦で最も一般的な布陣は、この長槍隊を先頭に、その直ぐ後ろには弓隊が控える。弓隊は少しでも多くの敵を矢の射程内に収めるために前方へ配置されているわけである。
ただし、近接戦には不向きなため、本格的なぶつかり合いが始まる前に、後方の本隊と巧みに入れ替わる事となる。
剣を主武器とし、兵数が最も多いのが本隊。中心部には全軍の総司令官もいる。その本隊の両脇には騎馬隊が配置されており、味方の側面への攻撃を牽制しつつ、時機を見計らって、敵の騎馬隊や敵側面を攻める事になる。
こうした配置は戦理に則ったものであり、敵の布陣もまた同様である。
これ以外の戦闘部隊と言えば、そのほぼ全員が、生きて帰る望みはまず無いと言われている懲罰隊がある。軍内部の犯罪者や命令違反者の行き着く先。
三の村出身の小麦泥棒にして、レオの魔石を盗んだギルのお仲間が放り込まれた部隊である。
長槍を持たされ、長槍隊のさらに前方に配置され、真っ先に突撃させられる。
それも、万全な状態で待ち構えている敵陣への強行突撃だ。躊躇う者、後方に逃げ出す者に対しては、容赦無く味方からの攻撃が浴びせられる。
これで生き残れたら、本当に奇跡だ。
もちろん、この懲罰隊ほどの破滅的な危険は無いだろうが、それでもレオが配属された長槍隊が、犠牲の多い兵科である事は間違い無かった。
まあ、他の兵科にレオが配属される可能性など無かったのも事実である。
馬には乗れたが、馬上で戦うスキルは無かったので騎兵は無理。弓の飛距離こそ、ここの弓兵を遙かに凌いでいたが、如何せん、その肝心な弓を持っていなかった。
開拓村で徴兵された時、愛用の鉄製の弓は持参する事を許されなかったのだ。
よって、弓兵の目も無かった。
唯一可能性のあった、剣の腕を認められた上での本隊配属の目も、自らの手抜きで潰しており、今さら相手にされるとも思えない。
要するに、無芸な農民の行き先としては、長槍隊は真に妥当な場所であった。
戦場に身を置く限り何らかの危険は必ずある。
最先頭とは言え、いざとなれば身体強化による動体視力と俊敏性で、敵の矢や槍を避けるなり、弾くなりする事は可能だと、レオは考える事にしたのである。
そうした悩みを抱えつつも、テチス王国の西方を目指して行軍と訓練は続いた。
尤も、場所によっては移動を中断し、何日もその場で訓練を繰り返す事もあって、こんなゆっくりした移動で大丈夫なのかと思う時もあった。
レオは知る由も無かったが、例の魔導師カーンによる魔法合戦の約定が結ばれた結果、会戦は春と定められ、戦場に急行する必要が無くなったせいであった。
ただ、そうは言っても、小競り合いを繰り返して来た隣国との国境線を無防備のまま放置するわけにも行かない。結局、それなりの規模の部隊が国境に沿って配置される事になり、その中にはレオの開拓村の者達の部隊も含まれていたのだった。
レオが、同郷の者達の顔を見なくなったのは、そういうわけだったのである。
そしてようやく、魔法合戦の場とされる平原の周辺にある、野営地の一つに到着したレオの所属部隊は、驚く事に休暇を与えられた。それも2日間である。
少ないながらも兵士としての給金がここまでの日数分支給された。
人が住む街や村など近くには無かったが、皆、大喜びで野営地内に商会が開設した売店や酒場で散財する。
一方、レオはと言うと・・・
何と、彼は魔の森を目指していた。
野営地に着いた直後に小耳に挟んだのだ。ここから歩いて半日ほどの所に魔の森があると。まあ、この野営地にいる兵士達が興味を示す話ではなかった。
随分と長い間、自重してきた事もあって、久しぶりに思いっきり暴れたいという欲求が募っていた。また、あわよくば原魔石も手に入れたいと目論んでいた。
ここまでの移動において、飲み水には常に不満と不安を感じていたのだ。
辺境の貧乏村の生まれ育ちながら、飲み水だけは常に水魔石の水を利用しており、川や湖、泉といった場所で少々濁った水を飲むのは、本当に勇気が必要だった。
また、個人で水を携行するための皮袋も独特の匂いがして馴染めなかった。
背負う荷を軽くするためにも、何としても水魔石は手に入れたかったのである。
短槍と鉈を借り受け、教えられた方角へと走った結果、それなりの規模の魔の森に辿り着いた。明らかに雰囲気が、普通の森とは違う事が感じ取れる。
ゆっくりと足を踏み入れた魔の森。初めての場所なのに、そこは何故か懐かしい気すらした。
しかし、誰もいないと思っていた魔の森の中で、レオは盛大に人の気配を感じる事になったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
前方から、5,6人の男達がこちらに向かって走って来る。
皆、見覚えのある革鎧を身に着けており、味方の兵士だ。魔の森で自分の気配を隠す余裕すら無く、明らかに逃走中と知れる必死な走り方だ。先方もレオに気づいた様だが、そのまますれ違って行く。最後尾を走っていた男が、魔狼だ! 逃げろ!と叫んで行ったが、レオは構うこと無く前進した。
森の中の少し開けた場所で革鎧姿の10人ほどが、魔狼に取り囲まれていた。
レオに近い側にいる2頭の魔狼が身を翻し、レオに狙いを定める態勢を示した。
包囲されている者達の一部もレオに気づいたようだ。
チラリと見たその10人ほどの中には、何とも場違いな事に女が2,3人いる様に見えた。意味不明である。
無造作に近づいて来るレオを目がけ、跳躍して一気に片を付けようとした2頭の魔狼に対し、その跳躍のまさに寸前、レオは魔力波を叩き込んだ。村でハンターとして行っていた、いつものありふれたやり方であった。
普通の人間にとっては、魔狼の跳躍は死神の抱擁の様なものなのだが、レオにとっては、間抜けな肉塊がただ飛んで来るだけでしかない。
レオの魔力波を浴びた魔狼は、身体強化を喪失し完全なパニック状態である。
1頭は空中で無惨にもレオの鉈の餌食となり、もう1頭は無様に着地に失敗した挙げ句、態勢を立て直す暇も無くレオの短槍で仕留められた。
レオは、そのまま近くの魔狼に歩み寄りながら、その場にいる全ての魔狼に次々と魔力波を浴びせ、一時的ながらも硬直状態に追い込んで行く。
竦んで動けなくなっていた魔狼2頭に、相次いで短槍を突き刺したところで、残りの魔狼達は一斉に森の中へと逃げ去って行った。
その場にいる全員が呆然とレオを見つめている。
「助かった~!」
一人の若い男が膝をつくと、実感のこもった情けない声でそう呻いた。
他の者達も一様に大きな安堵の吐息を漏らしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あんた、いい腕だねえ。魔狼を相手にしても余裕だったし、慣れてる感じだ。
どうだい! あんたさえ良けりゃあ、うちに来ないかい? あたし達は医務隊でね。こうして時折、魔の森に来ては魔草の採取をしてるのさ。あんたみたいに腕の立つ護衛なら是非とも専属として欲しいところさね。今日、護衛に回してもらった連中は、てんで使い物にならなかったからねえ。危うく、全員あの世行きだった。」
レオに助けてもらった礼を述べるや、興奮気味にそうまくし立てる中年の女。
魔物を斃した後に、興奮して大はしゃぎのおばさんには、何となく既視感がある。ああ、大熊を斃した後の、村長の奥さんだったかと苦笑するレオ。
「マーサさん、まずは名乗りましょう! それに、もっとちゃんと説明しなきゃ駄目ですよ。ああ、私はマギーと言います。あなたのお名前は?」
一行の中の若い娘の一人が、中年女を呆れ顔で諭した後、レオに微笑みかける。
レオと名乗った彼に対して、助けられた者達が次々と名乗りながら礼を告げた。
医務隊というのは、軍の中の医者で、マーサはその一隊の隊長なのだそうだ。
レオは『マーサ姐さん』かと、心の中で幼い頃に自分や村の孤児達の面倒を見てくれていた、マーサおばさんの顔を思い出したのだった。
そのせいか、レオがうっかり「マーサ姐さん」と呼び掛けたところ、当のマーサは、「あんた、分かってるねえ!」と頷きながら満面の笑みであった。
そのマーサは年の頃、40前後だろうか。レオから見れば母親の世代だ。
他は10代から20代の若い娘が2人。同じく10代から30代に見える男達が8人だった。男達は皆、武器を持っており、護衛も兼ねているらしい。
全員が医務隊のメンバーで魔の森に採取に来て、魔狼に出くわしたと言う。
幸いな事に、一行には魔狼による負傷者は一人もいなかった。魔狼のリーダーが賢い奴だったせいだ。無秩序に獲物に襲い掛かるのではなく、きちんと包囲する事を優先したのだろう。ハンターとしてベテランの域に達しているレオにはわかる。まあ、それも8人の武装した男達が、冷静に円陣を組んで構えた事が大きい。
「ここの魔の森には、あんまり強い魔物は出ないと、言われてたんだけどねえ。」
マーサが顔を顰めてそう言う。それでも、初めての場所なので護衛を要請したのだそうだが、森の中にいきなり10頭を越える魔狼が現れた瞬間、5人の護衛は一斉に逃げ出してしまったと言う。
以前、ベズコフ領都での宴会の席で、リゲルが言っていた魔狼1頭には1個分隊5人で当たるのが軍の対処法という話を思い出したレオは、まあ、無理もないかと思うのだった。それでも、途中ですれ違った連中に同情する気にはなれない。
「馬車の方も気になるから、今日はこれで引き上げるよ。魔狼の死体で他の魔物が集まって来ても面倒だしね。レオも一緒に来てくれるかい。お礼もしたいし。」
マーサの指示で撤収と決まった。医務隊について知りたいレオも同意する。
男達が手分けして、レオが斃した魔狼から原魔石だけを取り出すと、一行はレオがやって来たのとは違う方向に向かって歩き出した。
並んで歩くマーサから、魔狼の原魔石を買い取らせてほしいと言われた。
傷の手当てに清潔な水が必須なのは、レオも理解出来る。自分の確保分1個を除く3個を渡すという事で話はついた。
魔の森の外に馬車を待たせており、そこにも護衛の兵士がいるという。
先に逃げて行った兵士が、そのまま馬車とともに野営地に帰ってしまうと面倒だという事で、さっさと馬車に戻る事にしたわけだ。
歩きながらレオの所属と階級を聞かれたので、長槍隊の一兵卒と答えたら、その場の全員に驚かれた。おかしい! 有り得ない! という声が湧き起こる。
医務隊の者達も、武技に未熟な者達の配属先が長槍隊という認識を持っていた。ところが、ついさっきレオが見せた魔狼相手の立ち回りは、こうして時間が経つほどに、尋常一様なものでは無い事をしみじみと感じさせるものだった。
まったく臆する事も無く、次から次に魔狼を屠って行ったのだ。あんな事はベテランの兵士どころか、騎士ですら無理だと皆、口々に論じ合う。
「はい、はい、静かにおし! まだ、魔の森の中なんだよ。」
マーサのその一言で静かになった一行は、魔の森の中をひたすら歩き続ける。
そんな中、レオの耳元に顔を寄せると、マーサがそっと囁いた。
「レオ、あんた魔力持ちだね。」
怪訝な表情で見返すレオに、森の中の進行方向に向き直ったマーサは言った。
「あんたの身のこなしを見ればわかるよ。あたしの父親がそうだったのさ。」




