67. フェンリル討伐戦(8)危険な消耗戦
仕留めたと思った。バリスタの射手は、そう確信した。
距離は50歩強といったところ。相手は、ほぼ静止していたし、風も弱かった。森の木立の中に生まれた僅かな隙間。そこを見事に貫き、獲物に深々と突き刺さったと思った。
しかし、無情にもバリスタの強力な矢は、フェンリルのすぐ脇の木に突き立った。狙いは完璧だった。なのに、外れた。
理由はわかっている。麻縄の網に接触したのだ。唇を噛む。再度狙う事は出来るだろうか? いや、そんな猶予をくれる相手ではないだろう。
「装填、待て!」
巻き上げ機でバリスタの弦を引き、矢をセットする兵士達は、一旦大亀の背後に身を隠していた。バリスタの次発装填のため、再び大亀の背に戻らせるべきか悩むところだ。射手も大亀の内部に身を潜め、天井の穴から頭だけ出してフェンリルの様子を窺う。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フェンリルが、魔狼の群れを平原の一角に見出し、そこへ到着した時には、既に突撃は始まっていた。前方の森の中から、魔狼の荒ぶる吠え声とともに、悲鳴も轟いていた。
何という秩序の無さ。その滅茶苦茶ぶりには呆れるしか無かった。
仕切っていた連中が軒並みいなくなったのだから、まあ、こうなるしかなかったのだが。
驚く事には、辺り一帯が真昼のように明るい。見れば、森の木立の上の方に、満月よりも遙かに明るい、それこそ太陽並みに輝いている丸い物がある。何とも不思議な光だ。
フェンリルは、その光が気に入らなかった。
敵は、ここが戦いの場になる事を予想していたに違い無い。まさに敵の思う壺だ。
前方を見れば、魔狼の団子状態だ。ただし、それは高い石壁を越えるための意図した密集状態ではなく、打ち倒された魔狼を後続の魔狼が踏みつけて出来た無様な混乱の極み。
本当に見るも無残な惨状だ。どうやら、前方に何か障害があるらしい。
火球を放って、一挙に障害物を除去しようかとも思ったが、あまりに前方が魔狼達で混雑しており、下手にここで火球を放てば、少なからぬ魔狼達を巻き込むのは明らかだった。
仕方無く、少し前へ進み、もう少し状況を把握しようと森の中に踏み込んだ瞬間だった。
ドスッ! という音がすぐ脇でした。咄嗟に音のした方を見れば、細長い棒が木に突き立っていた。この細長い棒が、自分に当たっていたかもしれないと知り、ぞっとする。
突如思い出したのは、魔の森で、あの大男が放って来た同じ様な細長い棒。
予期せぬ遠い場所から放たれたにも拘わらず、自分を傷つけるには十分な威力があった。ここは自分にとって、とても危険な場所だと瞬時に理解する。
フェンリルは、その高い知能で多くの敵を倒し、人からも真の脅威と認識されていた。しかし、賢いからこそ、過去の経験をきちんと記憶していた。所謂、学習効果というやつだ。
遠距離から自分を狙える脅威というものを、しっかりと認識していたのだ。
そして、例え今は無事でも、その脅威が直ぐに自分へ降りかかる可能性を想像出来てしまった。そう、知能が高いからこそ想像出来るのだ。普通の魔狼とは違って。
真の脅威を知っているという事は、臆病と言うより、用心深いという美徳に繋がるもの。フェンリルは撤収を決意した。撤退の遠吠えを放つと、塒に向かって速やかに駆け出す。
しかし、一旦駆け始めると心の中に言い知れぬ恐怖が広がり始めた。走る勢いはしだいに増して行き、いつしか全力疾走となっていた。塒を目指して走る。走る。
前方拠点前の平原に取り残された魔狼達も、やがて撤退を始める。トボトボと。
怪我をしているのか、それとも魔力が枯渇してしまったのか、その逃げ足は鈍い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「伝令! 騎士団は命令しだい全力出撃! 北門を出て正門へと向かう! 歩兵部隊も所定の配置に就け!」
北側へと疾走して行くフェンリルが、北門側へと回り込んで視界から消えると同時に、王国騎士団のベズコフ進駐軍指揮官ゴダード卿は、街壁から正門に下りる階段付近で待機していた伝令にそう命じる。伝令は復唱すると、魔狼出現の報の後、領都の中央公園で待機していた部隊を目指し、馬で掛け去って行った。
ベズコフ領都進駐軍は、フェンリル不在の状態で魔狼の集団だけが草原にいる場合、積極的に打って出ると決めていた。フェンリルが現れるまでの間、一撃離脱戦法を基本に魔狼を削るのだ。フェンリル出現なら、速やかに領都へ帰還し、石壁の陰に隠れる。
今回の状況では草原の魔狼に止めを刺すために、北門から出撃後は時計回りに領都の周りを移動し、正門から領都への帰還となる。
歩兵の所定の位置というのは、今回の場合で言えば、西門と北門の街壁上に30名ずつを配置。残りの40名がゲートキーパーとなる。
街壁上の部隊は、フェンリルの監視に当たり、再び現れた際には、フェンリルの接近を妨害する。領都の外にいる騎士団が、領都内へ戻る時間稼ぎを目的とした遅滞行動である。
ゲートキーパーの歩兵部隊は、騎兵出撃後に北門を閉じた後、正門へと移動。騎兵が帰還する際、正門の開閉と周辺の警戒を行う事になる。
ゴダード卿がジェームスに話しかける。
「卿はどう思う? あの勢いだと身体強化を使っていると思うが。」
「あの速さは間違い無く身体強化だと思います。領都の中心部とフェンリルを結ぶ線上に常に身を置く事になっているマーカーが、残念ながら追いつけずにカンテラを降ろしています。各見張り所からマーカーの代替登場が無ければ、フェンリルの現在位置の把握は難しい状態ですね。
それにしても、速すぎます。あの全力疾走は、何があったんでしょうね? 魔導師の火球の様なものは見えませんでしたから、バリスタの矢が掠ったのかもしれません。」
ジェームスの返答にゴダード卿は大きく頷いた。
「このまま西方の塒まで一気に戻ってくれると有り難いのだがな。手下どもを置き去りにしたままで。」
そして、では合図を頼むと言い残すと、階段を下りていった。
ジェームスの伯父であるソロモン伯爵、今回の討伐軍の司令官だ。その伯父の片腕と言われ、最も信頼されている実戦指揮官こそ、ゴダード卿。その彼が、今まさに出撃して行く。
王国騎士団員として、ジェームスやマルス達も、この追撃戦に参加したい気持ちは強いのだが、ここまでの監視隊の仕事ぶりは高く評価されており、下手に交替させるべきではないと判断されていた。増員はされたが、従来メンバーはそのままである。
やがて、西門の街壁上から松明が振られる。フェンリルが視界から消えた合図だ。
正門上で、他の門からの合図も確認した上、北門から見える位置にて2本の松明を振る。いよいよ作戦開始である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よし! 始めるぞ。」
指揮官ゴダード卿のその号令で、出撃開始だ。今日までに、ボーア領の街ルスダンで何度も演習を繰り返して来た成果を、遂に見せる時が来たのだ。
まずは、街壁上から街の外側に光魔石が吊るされ、北門外側周辺を明るく照らし出す。異常無しという声が街壁上の監視部隊から届く。直ぐに門が開けられ、短槍を持った歩兵が足早に出て行くと、北門の外側を半円形に取り囲み警戒態勢を敷く。
歩兵の半円形陣に空けた隙間を、騎兵が次々と通過して行く。
最初に門を出た部隊が、領都から一番離れた位置に展開する。次の部隊は、先行した部隊よりも領都の街壁寄り。最後に出た部隊が街壁に一番近い位置を占める。
横に広く展開した状態で、これからヘタレ魔狼の “落ち穂拾い” である。
3騎が1組となって、草原上の魔狼に次々と槍を突き刺して行く。既に息絶えていようが、槍で突いた後も生きていようが、気にしない。そのまま、速やかに正門を目指す。
ゴダード卿は、最も街壁から離れた部隊とともに進む。フェンリルがここへ戻って来た時には、この部隊が最後に正門を潜る事になるはずだ。
しばらく進んで行くと、前方から魔狼の悲鳴が聞こえた。その側に佇んでいる騎兵達がいる。ゴダード達に気がつくと、その中の一人が状況を報告した。
「こいつが一番うるさそうなので、生かしておく事にします。」
何とも哀切な遠吠えというか、泣き声を間断なく挙げている。
深手を負っており、自力ではもう歩けない様だ。楽にしてやろうかという気も一瞬だけ心の中を過るが、魔物に情けは禁物だ。それよりも、この叫び声でフェンリルを呼び戻す事が出来れば、儲けものだと思う。ゴダードは頷いて、一同そのまま通り過ぎた。
移動を続けていくと、遂に前方拠点のある森の近くまでやって来た。
森の中から、短槍を持った歩兵が数人出て来て、手を振っている。こちらも槍を持った手を掲げてみせた。前方拠点側も落ち穂拾いという名の “止めを刺し” に行っているのだ。
その時、遠方から微かに鐘の音が聞こえた。直ぐに、正門の上の見張所から、明確な鐘の音がし始める。フェンリルが再登場したようだ。森との境界線にいた歩兵達も、即座に森の中へと消えて行った。
ゴダードは、北門同様、光魔石で明るく照らし出された正門に馬首を廻らせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「フェンリル!」
西門の上で監視任務に当たっていた歩兵の1人が、そう叫んだ。一番の目の良い奴だった。直ぐに他の者達も次々と確認の声を挙げる。
「鐘を鳴らせ! 迎撃用意!」
鐘を打ち鳴らし始める。直ぐに他の門の鐘も鳴り始めた。監視任務は無事達成。
しかし、迎撃は失敗した。真っ直ぐにこちらへ向かっていたフェンリルは、ボウガンを構えた時には、横方向の北側に向かって進路を変えており、既に狙うのは難しかった。想像以上の速さだ。方向転換するまでの間しか、チャンスは無かった。
指揮官以下、唇を噛みながら、そう心に刻むのだった。
西門の鐘の音を聞くや、ここ北門も鐘を打ち鳴らし始めた。
直ぐにボウガンの弦を引き、矢を番える。油を染み込ませた短い紐が矢には結びつけられており、そこに火が着けられる。
斉射しても、あまり効果は無いという予想に従い、各自が自由に放つ。
幸いな事に、何本かの火矢は疾走中のフェンリルを急停止させる事が出来た様だ。
そもそも、よほどの至近距離で静止していない限り、敏捷性では図抜けた存在である魔狼にボウガンの矢が当たるとは思えない。ましてや、相手はフェンリルだ。それなら、多少の足止めをという話になり、夜間なら精々火矢で嫌がらせをという事になった。
ただし、嫌がらせのお礼に火球が来るかもしれない。撃った者は、即座に階段に走り、領都内へと避難する。間に合いそうにない者は、街壁から飛び降りるしかないのだが、夕刻にその救済策も整えられていた。面白いやり方だと、感心したものだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
正門上の鐘が、これ以上は人力では無理だと思われるほど、激しい連打に切り替わった。フェンリルが正門上からも視認されたという事だ。かなり際どかった。
騎兵は全員領都へと滑り込み。今、歩兵隊が正門を閉めようとしているところだ。何とか間に合うだろう。
ジェームスが見ているところ、フェンリルは正門ではなく、先ほどまで悲痛な叫びを上げていた魔狼のところに向かった様だ。もう、その叫び声は、ここからでは聞こえない。
草原に横たわっている魔狼の様子を窺っていたフェンリルが、こちらを向いた。
悪寒がした。直ぐに、街壁上でボウガンを構えていた歩兵隊全員に、街壁から下りるように命じる。残っているのは、本来の監視隊員8名のみ。
フェンリルが真っ直ぐに近づいて来る。ふと不吉な考えが頭に浮かぶ。
ここもそうだが、多くの街の外壁が成人男性の身長の5倍というのは、驚異的な跳躍力を持つ魔狼を想定しての事なのだ。目の前の敵は、体長、体高とも魔狼の2倍はある。
もし、本気でフェンリルが、ここの街壁を越えようとしたならば、果たして・・・
今や、魔狼の標的がここだというのは間違い無い。ジェームスはそう確信した。
「全員、退避!」
そう叫ぶと、街壁上から街の方、背後へと後ずさる。そのまま、暗闇の中に身を投げた。頭上、街壁の上を火炎が通り過ぎていった。そのまま、ボフンと騎士団の備品である天幕の中に身を沈める。その下には、今日領都へ運び込まれた大量の飼い葉が詰められている。
100頭もの騎士団の馬たちの当分の食料。天幕の丈夫な布の下に詰め込まれ、正門見張所の直下、街壁の内側に設置されていた。フェンリルの火球から避難する余裕も無い時には、ここへ飛び降りる様にと、今日の夕方に各見張所の下に用意されたものだった。
さらに4回。頭上を火球が場所をずらしながら通り過ぎる。街壁上を掃射した格好だ。前回の様に、横へ飛んで避けているだけだったら、絶対に助からなかっただろう。
天幕と飼い葉による緊急避難方法を考え出し、皆で実現してくれた自警団の連中は、本当に命の恩人だ。実際、4つの門すべてで実現出来たのは、自警団以外の一般領民も手伝ってくれたからだと聞いている。ロンによる毎朝の状況説明の賜だと言える。
その後、フェンリルは正門の鉄板を張った扉にも、3回の火球攻撃を浴びせて去って行った。よほど、腹に据えかねていたらしい。合計8回の火球攻撃がどれほどの魔力消耗に繋がったかは不明だ。しかし、こちらに犠牲を出さずに、成し遂げたのは大きい。
さらに、魔狼もおそらくは100頭近くを倒したと目されていた。明日のロンの説明会もまた大いに盛り上がる事だろう。
着実に前進はしている。
それでも、あの火球は相変わらず頭の痛い問題だ。何とも、悩ましい。
そう思っていた翌朝、前方拠点の監視小屋で再び青旗が振られた。
今度は何が来るのかと思っていたら、正門直下で馬から下りた騎士が、自らボウガンで放った紐と縄を使い、街壁上に引っ張り上げてくれと叫んだ。使者というわけだ。
みんなして、大急ぎで引き上げた騎士は知っている人物だった。
ソロモン討伐軍司令官の補佐役の1人。ドイル卿だ。彼は引き上げ時のために、自分の腰に巻いてあった縄を外しながらニヤリと笑うと、こう語ったのだった。
「君らに素晴らしい、夢のような贈り物を用意出来る。ただし、そのためには魔狼の原魔石、そう、風魔石を集めてもらわなければならない。」




