66. フェンリル討伐戦(7)王国騎士団の入場
「領主の息子、また来てますね。」
ベズコフ領都の街壁上に立っているマルス卿が、隣のジェームスに囁く。
ふと見れば、領主の嫡男モーリが取り巻きを引き連れて、100歩ほど離れた場所にいる。ジェームス達がここへ来て領主館を訪れた日から、1日と空けず街壁上に姿を現す様になっていた。特に邪魔をするでもないので、放置している。
直ぐ背後、正門の内側からは、今朝も多くの領民の熱気が伝わってくる。
ボーア領の先行偵察隊員であるロンによる毎朝の戦況報告は、今やすっかり名物となって、多くの領民が正門内側の小広場や大通りに集まるようになっていた。
昨夜、大規模戦闘があった事は、街壁北東部の炎や多数の魔狼の絶叫によって、多くの領民の知るところとなっており、今朝はロンの説明を聞こうと朝早くから、一段と多くの領民が集まっていた。
初めてロンに説明役をやらせた時も、中々に良い人選だと思ったものだが、日を重ねるに従って話術のみならず、聴衆の喜ばせ方にも磨きが掛かって来た様に思うジェームスだった。今朝の魔狼撃退の話も、大いに盛り上がっている。
魔狼が再び領都の街壁を越えようと大三角を作っていたが、無事に撃退したと話した後、魔狼の大三角を見つけて通報した自警団の少年2人を、聴衆から見える様に街壁上へと登場させた。
「この自警団の少年2人が、この街を救ったのです! 皆さん、拍手を!」
大いに聴衆が盛り上がったところで、ロンは昨夜の顛末を微に入り細を穿って語り始めた。聴衆が大喜びで耳を傾けているだろう事は、時折聞こえるどよめきや悲鳴からも手に取るようにわかる。閉塞状態にある今の領民にとっては、唯一の娯楽であり、鬱憤晴らしといったところだろう。
その時、正門上の見張りが声を挙げた。前方拠点から青旗ですと。
何らかの連絡、または輸送の合図だ。こちらも青旗を振って了解した事を伝える。
現時点でフェンリルも魔狼の集団も、各見張所の視界には入っておらず、ここの状況表示板にも何も表示していない。騎兵が正門まで来るには絶好のチャンスだ。
直ぐに、護衛役も含めた20騎ほどの集団がやって来る。正門前を横切りながら落としていったのは、折り畳まれた麻縄の網と麻袋が1つ。それに、それらを引き上げるためのとぐろを巻いた麻縄。そして、その縄に繋いである紐を結びつけたボウガンの矢を、正門越えで放つと騎兵はそのまま去って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の夕刻少し前、ベズコフ領都の正門を潜り、次々と領都へと入場して来る王国騎士団騎兵とテチス東部の領兵を、多くの領民達が歓呼の声で迎えていた。
ジェームスは正門上で、各見張所からの敵発見の報が無いか、自らの目でも確かめる。門の真上には、朝のうちに運ばれてきた、例の麻縄で編んだ網が用意され、いつでも展開可能な状態で監視隊のメンバーが待機していた。
万一、魔狼の集団が突撃して来て閉門が間に合わず、領都への大量侵入が防ぎきれないと判断された場合には、直ちに網を街壁から正門の前へと垂らす事になっていた。
魔狼が昨夜の手痛い一撃から、日中の内に反撃して来るとは考えにくい。
それでも、必要な備えは欠かせない。
当初は、最も可能性の高い流れとして、前方拠点への襲撃が想定されていた。
その際の反撃によって魔狼にある程度のダメージを与えて押し返し、その直後の隙を突いて、王国騎士団をベズコフ領都へ送り込む計画であった。
しかし、大三角を粉砕した戦果は、魔狼を一旦現在の塒まで撤退させ、一時的に行動を見合わせるほどの損害だったと、派遣軍首脳部は判断したのだった。
その結果、王国騎士団の領都進駐が前倒しで実施される事になった。
いよいよ、魔狼に対する人間側の攻勢が始まる。そのための機動力なのである。
騎兵100騎、歩兵100名、その他の支援要員50名が、この日ベズコフ領都へと進駐して来た。結局この間、魔狼が姿を現す事は無かった。
後に、マロリー卿率いるイェルマーク王国騎士団のテチス派遣部隊が、王国へ帰還して開催されたフェンリル及びその眷族の討伐報告会は、多くの参加者を唸らせる内容だった。
ただし、その会議に招かれていた数少ない文民の1人、サザーランド侯爵は最終段のフェンリルとの戦闘よりも、領都街壁での大三角を阻止した戦いを高く評価したとされている。侯爵は、大三角で魔狼集団が失ったものは、単なる頭数だけでは計り知れないダメージだったのではないかと推測し、こう結んだ。
「この一撃で、魔狼集団は司令官と一兵卒だけの軍隊に成り果てた可能性が高い。
大三角戦闘の前と後で、魔狼の集団戦闘に何か顕著な違いは無かったかね?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フェンリルは、頭を抱えていた。
昨夜、石壁の上に達するために作らせた魔狼の密集隊形。それが、一瞬にしてユラユラに包まれてしまい、多くの配下を亡くしたのだ。替えの効かない連中を。
サザーランド侯爵の推測は的を射ていた。魔狼を密集させて大三角を作る、過去に例の無い高い知能を見せつけた集団は、魔狼の中では特別な存在だった。
自然界の狼は群れを成し、巧みに狩りを行う。
魔狼は狼の魔物であり、その習性は同じはずである。ところが実際には、狼よりも一回りから二回りも大きな体躯と、魔力による身体強化によって圧倒的な力を得た結果、単独でも容易に狩りが出来るため、群れとしてのチームワークといった連係行動では、本家の狼には遠く及ばない状態になっていた。
とにかく、獲物を見れば、ひたすら突撃するだけなのだ。しかも、大抵の場合、それでどうにかなってしまうのが問題だった。
フェンリルとして、魔狼の頂点の存在として、彼と出会った魔狼は例外なく彼にひれ伏した。それでも、長年の悪しき習慣が染み込んだ魔狼達は、獲物を前に我慢する事が出来ない。彼が命じても、本能に抗い、じっと待つ事が出来ないのだ。
そんな中で、仔狼の頃からフェンリルの命令に従って来た若い魔狼達の一群は、従順で思慮深かった。斥候や見張り、集団間の連絡に無くてはならない存在。
彼らは、言わば軍の将校であり、フェンリルの方針に従い、各集団を率いる役割を果たしていたのだ。まあ、現場の小集団5,6頭の中にもリーダーはいる。人間の軍隊で言えば下士官である。しかし、魔狼の小集団リーダーは、その中で一番強いというだけで、指揮能力があるわけではない。突撃で先頭に立つだけなのだ。
そう、同じ魔狼でも、じっとしていられない連中には無理だった。
高い石壁を越えるため、多くの仲間とともに密集状態を長時間、維持出来るのは、フェンリルに従順で思慮深い配下だけだったのだ。
人が魔狼の大三角と呼んでいた、あの密集隊形はフェンリルが最も信頼している “将校クラス” の魔狼集団に他ならなかったのである。
多少の犠牲はあるかもしれないとは思っていた。しかし、まさか密集全体がいきなりユラユラに覆われてしまうとは、想像もしていなかったのだ。
彼の大切な配下のほとんどが、死ぬか使い物にならないかのどちらかとなった。まさに、侯爵の予想どおりであったのだ。そして最早、石壁越えによる二本足の巣への侵入も、不可能になってしまった。
その様な状況下で、事態をさらに困難にしているのは、二本足のこの反撃に怒り狂った連中が、勝手に戦いを始めようとしていた事だった。
今、対峙している連中は、明らかに今までの相手とは違う!
それを理解出来ないのだ。慎重に戦い方を考えなければならない。しかし、待つ様に命じたとしても、果たして彼の指示を守れるかどうか怪しい限り。
まあ、仮に守ったとしても問題なのが、例え良い攻略法を思いついたとしても、最早それを実行するための優れた配下が、残っていない事であった。
そして、何とも不気味な事に、何故か魔力の回復が遅い様な気がするのだ。
魔の森の直ぐ側にある大男の巣では、久しぶりの二本足相手の戦いで興奮した多くの魔狼達が魔力切れを起こしたが、翌朝にはいつもどおり回復していた。
その後は、魔力を温存するように言い聞かせ、それでもへたり込んだ奴は、その場に放置して先へと進んだ。回復したら追いつくはずだと思って。
ところが、中々合流して来ない。
身近で魔力切れを起こした連中を見ていると、翌朝に全快と言う状態にはほど遠い事がわかった。魔の森とは何かが違う。回復が遅い。そう感じた。
でも、何故そうなのか、フェンリルには、皆目見当もつかない。
そうなのだ。残念ながら、初めて領都を訪れた時のレオと同様、この世界の魔素の濃淡など、フェンリルには与り知らぬ事であったのだ。
それより、暗くなるに連れ、姿が見えなくなる奴が増えている様に感じるのは、たぶん気のせいでは無いだろうと、フェンリルは気づいた。
行き先はわかっている。このまま放置するわけにも行かない。困ったものだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「西門から合図! 魔狼の集団発見! フェンリルは今のところ不在!」
完全に日が落ちてしばらくした頃、西門から合図が発せられた。続いて、長い棒の先に付けられたカンテラが、街壁上をゆっくり北の方へ移動して行く。こちらへ接近中というわけだ。既に、状況表示板への表示とカンテラを振った合図を、前方拠点へと送った。拠点の監視小屋でカンテラが揺らめくのが見えた。了解と。
前方拠点の方から、鐘の音が聞こえて来る。
しばらくすると、今回のベズコフ領都派遣部隊の指揮官であるゴダード卿が正門上に上がってきた。西門からの報告を騎兵の伝令によって受け取り、今夜の主戦場を予測して東側に面した正門へと移動して来たのだろう。
指揮系統上では、彼はジェームスの直属の上官という事になる。
「どうだ?」
「北門を通過したところですね。そのまま、こちらへ向かっています。」
「前方拠点への連絡は?」
「連絡し、受信確認を得ました。先ほどから拠点内の鐘の音が聞こえます。」
正門上の状況表示板の両脇には、かがり火が焚かれており、異常事態発生の報は誰の目にも明らかだろう。ゴダード卿が西門の観測結果を教えてくれる。
「西門からの伝令の報告では、50頭以上を確認。その後も五月雨的に通過しており100頭以上になる可能性大との事だった。」
「了解です。では、100頭以上の合図を送ります。」
ジェームスは、そう応じると、かがり火の間で2本の黒旗を左右に振らせる。
1本当たり50頭以上という事にしてある。再び、監視小屋からランタンが振られた。今頃、前方拠点内では総員戦闘準備の号令が掛かっている事だろう。
同時に、今日、領都へ入って来た騎兵部隊も、領都の中央付近で待機し、好機と見れば最寄りの門から出撃となるはずである。
街壁上のジェームスの監視隊も、今日入ってきた歩兵から20名の増員を得ていた。彼らとともに今日運び込まれた物資の中には、正門上に束ねてある麻縄の網と同じ物があり、今ではすべての門の上に展開出来る体制となっている。
これで、どの門から騎兵部隊が出撃しても、魔狼による領都侵入は防げるはずである。また、開門中は50名の歩兵部隊も門周辺の防衛に当たる態勢だ。
昨夜は満月だった。今夜もまだまだ明るい月夜である。
前方拠点の近くの草原に、魔狼の大集団が集結しつつあった。最早、拠点内の監視小屋からも視認出来ているはずだ。迎撃態勢も完了している頃だろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
前方拠点の監視小屋で今夜の当番を務めていたニックは、目の前の草原に集まっている魔狼の集団をしっかりと見据える。彼には、この後に重要な任務があった。
ついに、魔狼が前進を始める。直ぐにカラン、カランという音が響き渡る。
森の中、拠点の手前に張り巡らした縄にぶら下がっている小さな鐘の音だった。
遂に、始まった! 魔狼が前方拠点へと襲い掛かったという合図だ。
直ちにニックは、光の魔石を起動する。前方の網の上方に配置されている魔石。
それを起動出来る10歩以内の位置にいるのは、ニックら監視小屋にいる者だけである。
たちまち、拠点と平原の間にある森の中が明るく照らし出される。
急な光の出現に、魔狼は一瞬だけ反応したものの、次々に麻縄の網にぶつかるか、取り付くか、し始める。待ち構えた兵士達が、これまた次々にボウガンを放ち始めた。
馬から下りた騎兵と歩兵、合わせて200名が拠点防衛に就いている。
もっか、領都に面した側に50名のボウガンを放つ兵士。その背後には、侵入時に備えて30名の短槍を構えた兵士が待機している。
至近距離からの大量のボウガンによる射撃で、魔狼は絶叫を挙げながら次々に斃れて行く。既に、30頭を越えたかと思われる頃、頭上の監視小屋から警告が発せられた。
「フェンリル接近中! 待避用意! バリスタ用意!」
既に、魔狼の勢いは無くなっており、短槍部隊が指揮官の命令の下、大亀の背後に移動を始める。続いて、ボウガン部隊も順次後退を始めた。この後は、大亀の上に装備されたバリスタとフェンリルによる重量級の戦いが始まるはずだ。
月明かりの下、白銀の煌めきとともに、草原と森の境界上にフェンリルが姿を現していた。既に、フェンリルはバリスタの有効射程圏内に入っている。もっと引き寄せてからの一斉射撃が正しいのだろうが、先に火球を放たれるのも避けたい。
ただ、この位置では、まだ森の木々が邪魔で狙うのは難しそうだ。
「射界を確保出来た者から、撃って良し!」
防衛部隊指揮官の声が飛ぶ。
その直後、ブンという音とともに、1台のバリスタが矢を解き放った。




