63. フェンリル討伐戦(4)街壁上の死闘
カンテラの揺れている方向を確認する。
ここ、領都の東側である正門から見て北側。北門に至る途中だ。領都の中心部から見れば、北東方向のどこかという事になる。その街壁の下に魔狼の集団がいる。
シュルツと他2名の計4名で走る。ちらりと背後を見ると、南西の空には満月が輝いていた。ジェームスは自分たちの予想が正しかった事を知った。
2日前、ようやくフェンリルを視認した。
5,6頭の魔狼を引き連れ、西方から現れた。早速、隊員の1人が長槍に白旗を付けたものを持って街壁上を追走する。領都の中心とフェンリルとを結ぶ線上に、常に自分を置く様にして、街壁上を歩くのだ。
正門上の見張所に設けた監視隊本部からは、フェンリルは直接見えないが、領都の中心からこの白旗の延長線上に、フェンリルがいる事になる。こうして割り出したフェンリルの現在位置を、正門近くの街壁上に設置した巨大な状況表示板に掲示する。同時に白旗も表示板の横に掲げ、この情報がフェンリルのものだと示すわけだ。
ところが、フェンリルは直ぐに追跡役の持つ白旗の存在に気づくと、わざと立ち止まったり、逆行したりしたらしい。その後、正門前の草原地帯に姿を現し、森の中の前進拠点を窺う素振りも見せた。
遠くから見ていても、あの白い巨狼は畏怖すべき存在だと感じたものだ。
結局、その日は大人しく西方へと戻って行ったが、あの追跡用の白旗を気にしていた様子からも、街壁上の監視隊を襲撃する可能性は十分あると、ジェームスと隊員達は判断した。警戒レベルを上げるべきだろう。
もし、フェンリルが街壁上を攻めるなら、大三角を作るしかない。
問題は、いつ? どこに? それを作るかだ。夜目の利く魔狼による奇襲攻撃を想定すると、『いつ?』に関しては、当然夜間になるだろう。
そして、その狡猾ぶりから、夜間でも一番暗い場所こそ『どこに?』を考える上でヒントになるはずだ。そこで出て来た考えが、満月の夜に出来る “影”。
すなわち、南天を巡る月の影となる領都北側の街壁沿いに、大三角を作って侵入するのではないかという予測だった。
全員にこの話を説明し、街壁上を巡回する役割を持つ自警団の者達にも、街壁の真下を頻繁に確認するよう指示していた。
異常を見つけたら、街壁上にグルリと這わせてある紐を引く決まりだ。
この紐は、東西南北の見張所の中に設置した小さな鐘に繋いである。隊員に異常を知らせるとともに、日中なら旗、夜間ならカンテラを使って異常を見つけた自分達の場所、要するに魔狼の集団がいる場所を知らせる事になっていた。
そして、大三角が出現した場合、それを阻止するために用意したのが油。
街壁の上から魔狼に油を撒いて火を着けるのだ。東西南北の見張所、そしてそれらの中間地点も合わせた合計8カ所に、油の入った樽を事前に集積しておいた。
樽は人の頭くらいの大きさ。今回持ち込んだ荷物の中で、かなりの量を占めた。攻城戦における防衛側が、密集隊形の攻撃側に対して最も有効に反撃出来る手段である。シュルツを始め、ボーアの先行偵察隊メンバーが強く希望した物資だった。
前回、初めて魔狼の大三角を見た時は何も出来なかった。今回は一矢報いたいのだと語っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カンテラが振られていた場所は、ちょうど北門と正門の中間辺り。
それぞれの門から概ね400歩くらいの地点。自警団の少年2人が待っており、カンテラを持っている少年が足下の街壁を指差し、魔狼が塊になっていると言う。
見れば、少年が立っている側の街壁の端には、油の樽が2個、10歩ほどの間隔を空けて置いてある。1人がカンテラを振っている間に、もう1人が北東地区の集積所から運んで来て、魔狼の集団の位置を示す目印にと置いたらしい。
その少年が言うには、2つの樽の間の下方に、魔狼の群れが街壁に沿った帯状の塊になっていると言う。少年達のこの措置には、ジェームスも思わず唸った。
そこへ北門の見張所から走って来た2人も合流する。
取り決めどおり、この場は監視隊が引き継ぎ、自警団は周辺警戒を続行する。
この場所の魔狼が囮で、他に本命の大三角を作るくらいのフェイントは、十分にやりかねないのがフェンリルの怖いところである。
少年2人は、油樽の搬送を手伝った後、この場を離れて行った。
その間、ジェームスは少年達が設置した油樽の真ん中辺りで、街壁から身を乗り出してカンテラをかざし下方を観察する。思ったよりも近い所に黒い帯が見えた。
「盾を用意!」
作業を完了する前に、魔狼が上がってく来る可能性もある。近接戦を想定した楯も集積所には用意してあった。シュルツともう1人が盾を掴んで戻って来る。
その間に他の者達が、集積所から運んできた油樽を既に置かれている2個の間に並べて行く。10個ほど並んだところで、始めようと声を掛け合図をする。
カンテラを持ち、指揮を執るジェームス。盾を構えて周囲を警戒する2名。それ以外の3名が、街壁の端に並べられた油樽を手にすると、次々に街壁の外へとぶちまけて行く。魔狼が挙げていると思しき、奇妙な唸り声が次々に聞こえてきた。
後は、火魔石で着火するだけだ。油を撒いていた1人が後ろに下がり、ポケットから出した巾着袋の中から、豆粒大の火魔石を取り出した。
全員の注意が、火魔石に集まったその瞬間。まさに、ヒョッコリだった。
まるで、皆で集まって打ち合わせでもしているかの如く、本当に目と鼻の先に魔狼が後脚で立っていた。鋭い大きな犬歯がキラリと光る。双方ともビックリ仰天だ。
完成した大三角の頂点は、街壁の上から少し低いだけだった様だ。仲間を蹴りつけて高く跳躍する必要は無く、本当に “ヒョイ” と軽く跳ぶだけだった様だ。
後脚2本で街壁上に着地した魔狼は、前脚を降ろす暇も与えられず、シュルツの盾による一撃、所謂シールドバッシュで街壁上から押し出され、闇に消えた。
「しまった!」
突然の魔狼の登場に驚いたのだろう。着火係が魔石を取り落としていた。
間の悪い事に、その指から零れ落ちた火魔石は、街壁上で跳ねると、街壁の外の闇へと消え去った。
通常の魔石とは違って、一度働かせれば塵になるまで熱を発し続ける豆魔石。
ドングリ魔石以下の小さな魔石は、この世界では着火専用なのだが、如何せん小さいがために取り扱いにくかったりする。
指先から零れ落ちた魔石は、既に感知出来なくなっていた。
「急げ! 火魔石!」
シュルツが鋭く叫ぶ。しかし、別の魔狼が、街壁の際から一瞬顔を出し、こちらの様子を窺った。本格的にまずい! 魔狼との競争だ。早く着火しないと!
ジェームスも焦りを感じた。別の魔石は間に合うのか?
いや! 待て! 今、火魔石を働かせたとして、油に着火できるほどの高温になるまでには、一体どれくらいかかる? それまでに、果たして何頭上がってくる?
次の瞬間、街壁の外側へ1歩、2歩と踏み出したジェームスは、身を乗り出して下方の黒い塊を見ると、その街壁沿いの黒い帯に向かって、手にしていたカンテラを投げつけた。
ガシャンという音と同時に、視界がオレンジ色に染まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ウォッ! やりやがった。あいつら!」
前進拠点の監視小屋にいた男は、そう叫んだ後、口の端を上げてニヤリと笑う。
「夜間リーダーを呼んでくれ!」
男は、領都方面からそのまま目を離さず、一緒に監視小屋にいる部下に命じる。部下は小屋の中の紐を何度か引く。大亀の1つの中にある、夜間担当のリーダーの部屋で小さな鐘が鳴っているはずだ。直ぐにリーダーが監視小屋の下に現れた。
前進拠点の敷地内にある一番高い木の天辺付近、そこの枝を巧みに利用して造られた監視小屋。所謂ツリーハウスというやつである。
一緒に出て来た数人の部下達に、滑車へと延びた縄を引っ張らせ、自らを監視小屋まで釣り上げさせる。小屋の中へと入ってきた夜間リーダーは、草原に点々と揺らめいている炎の塊を眺める。
「何があった?」
「魔狼が例の三角形を作りましたが、監視隊が焼き払いました。」
燃え上がった瞬間には、確かに綺麗な三角形が見えたが、あっという間に崩れ去ってしまい、今や三角形の底辺部分の辺りで炎が揺らめいているだけだった。
直後こそ、火達磨になった多くの魔狼が平原を狂った様に駆けずり回り、火の玉が飛び跳ねているかの様な光景が現出したのだが、今ではそれらも平原のあちこちで静かに燃えているばかりである。そう、リーダーに説明する。
「こいつは初の大戦果だ。反撃の狼煙になるだろう。明日の報告が楽しみだな!」
不敵な笑いを浮かべてリーダーもそう言う。しかし、直後にその表情は強張った。
「フェンリル!」
月明かりの下、白銀の巨狼が炎揺らめく街壁の側に、いつの間にか現れていた。遙か彼方のここから見ていても、否応なく伝わるその圧倒的な存在感。
街壁上にいる連中は、果たして理性を保つ事が出来ているのかと不安になる。
そう感じた次の瞬間だった。フェンリルが街壁の上部に火球を放った。
あっという間の出来事だった。火球が出現したと思った次の瞬間には、街壁上部に突き刺さった様に見えた。まるで、太い “光の束” である。
監視隊の連中は、魔狼の大三角を見事に返り討ちにした。しかし、フェンリルのあの火球を避ける事は出来たのか? 火球を見てからでは遅かったに違い無い。
果たして何人が犠牲になっただろうかと、暗澹たる気分になるリーダーだった。どの道、明朝の報告を待つしか無い。ふと見ると、フェンリルはその全身に満月の光を煌めかせながら、静かに北の方角へと去って行く。その神々しい姿は変わらぬものの、何故か、フェンリルが意気消沈している様に見えるリーダーだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔狼の大三角を包んだ巨大な炎は、領都北東側の草原を一瞬だけ明るく照らし出した。しかし、直後には崩れ去り、そこから草原のあらゆる方向に向かって多くの火の玉が飛び出して行った。
跳ねるもの、のたうち回るもの、同じ場所をグルグル回るもの。断末魔の魔狼が草原のあちこちで、死のダンスを舞い踊っていた。
今回は人間側が勝ったのだと、ジェームスは思った。しかし、本当にギリギリ。
今後は、別のやり方も考えなければと思う。草原の喧噪も徐々に落ち着いてきた。
その時、大三角のあった場所から20歩ほど離れた、魔狼の燃える死体が点在している一角に、そいつは現れた。
静かに、そこに佇むフェンリル。前脚と背筋をピンと伸ばし、後脚を折り畳んだ姿勢でこちらを見上げている。何という神々しい姿だとジェームスは思った。
どう見ても明らかに怒りを滾らせている。それでも、満月の光を浴びる白銀の美しい毛並みは冴え渡り、どうしてもフェンリルから目が離せない。
その時、ふいにフェンリルの片方の耳が、不自然に揺らいだ。まずい!
「散れ!」
ジェームスはそう叫ぶだけで精一杯だった。そして、自らも街壁上をフェンリルの視線から逃れる様に、横方向へと思いっきり跳ぶ! と言うより、身を投げた。
直後、放たれた火球は街壁の角にぶつかり、そこを起点として扇状に広がって、自分達がほんの一瞬前までいた街壁上を、舐める様に炎の波が通り過ぎていった。あと、一呼吸遅かったら。そう思うと、ジェームスは震えが止まらなかった。
しかし、自分のすぐ隣を見て愕然とする。彼の隣で同じ様に横たわっている男の足が燃えていたのだ。
シュルツの片足、膝から下のズボンに火がついていた。
気づいた本人も身を起こし、手袋を着けた両手で必死にパタパタと叩きだした。
しかし、魔狼の大三角に撒いた油の一部でもズボンに掛かっていたのか、中々消えない。そこでジェームスはポケットの中の物、クリスのお守りを思い出した。
直ぐに水魔石の入った革の巾着袋を取り出すと、そのまま念じた。
巾着袋の絞った口の隙間から、細い水流がけっこうな勢いで飛び出した。その水をシュルツの燃えているズボンに浴びせて、ようやく火を消し止める事が出来た。
魔石の水を止めると、こわごわ慎重に立ち上がりながら草原を眺める。
そこには、去り行くフェンリルの後ろ姿があった。自分の一撃に余程自信があったのか、それとも魔力を温存したかったのか、追撃が無かった事にほっとする。
何とか今夜を生き延びる事が出来たと、しみじみ思う。死は直ぐそこにあった。そこで改めてクリスの事を思い出す。この水魔石もそうだが、何より、フェンリルの火球を避けられたのは、彼女のおかげだった。
フェンリルの火球を見てから避けたとしても、絶対に間に合わなかった。
まさに、間一髪だった。火球が出現する前兆である “揺らぎ”。
フェンリルの頭上に火球が出現する寸前の事だった。街壁上から見ていた時、たまたま満月の光に照らされたフェンリルの耳が一瞬、揺らいで見えたのだ。
ジェームスがそれを知っていたのは、王都からの移動途中にクリス達が、火球による魔法攻撃を何度も見せてくれたからだった。
間近で見る事の出来た魔法の火球! 火球出現の直前、その前兆として揺らぎが生じる事を、あの時知ったのだった。焚き火の炎の上に現れる様な、揺らぎが!
「隊長! 助かりました。ありがとうございます。」
「大丈夫か?」
「ええ、ズボンの方はダメですがね。あと、すね毛も多少持ってかれました。まあ手当が必要なほどの火傷じゃありませんよ。」
そう話しながら、自分の剥き出しの足を撫でて、具合を調べていたシュルツ。
ふと、ジェームスと目が合った瞬間、大きく目を見開くと横を向いて、それきり、こちらを見ようとしない。どうしたと尋ねても、何でもありませんと答えるばかりである。
首を捻りながらも、ジェームスは他の隊員や自警団を集めて、その無事を確認し、夜明けまで警戒を怠らないように命じて、正門見張所へと引き上げた。
やはり、皆、挙動が変だった様な気がしたのだが、彼にとって初めての大戦果をどの様に報告すべきかに気を取られ、違和感は頭の中から消えて行った。
何とか報告書を仕上げ、外も明るくなり始めたので、眠気覚ましに顔を洗おうと桶に水を汲んだところで、水面に映った自分の顔を見て仰天した。
前髪の一部が巻き毛と化していた。明らかに火に炙られた結果であろう。
あのカンテラによる着火の瞬間だと気づいた。そして何と、眉が無くなっていた。
皆の奇妙な挙動はこのせいだったのかと、深く理解したジェームスは肩を落とし、盛大に溜息を吐いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、眉の部分が隠れる様に額に包帯を巻いたジェームスは、握り拳くらいの石とともに報告書を袋に入れ、長い紐で袋の口を縛ると投石機で撃ち出させた。
領都正門近くの街壁上に設置された投石機が撃ち出す石の入った袋は、そこから約千歩ある森の外周部までは到底届かない。バリスタなら届く様だが、拠点に向けて鋼鉄の矢を打ち込むのは危険だし、通信文が森の中で行方不明になっても困る。
それで、投石機に決まった。草原の中に落下したものを回収する事になるので、魔狼が多い時には使えない手だが、紐の尻尾を引きながら、弧を描いて草原の上を飛んで来る袋は、バリスタの矢よりも追いやすいのは確かだ。
もちろん、投石機で撃ち出す前には、監視隊と前進拠点の間で旗を振り合って、事前確認を行っている。森から回収部隊が出て来たところで発射である。
先端に鉤を付けた長い棒を持った騎兵が、落下した袋が空中で引いていた尻尾(紐が “輪っか” になっている)を鉤で引っかけて拠点へと持ち帰る。
その朝、前進拠点では多くの者達が監視隊からの報告文書を待ちわびていた。
昨夜の魔狼による大三角構築の件と、その撃退の成功は既に全員が知っていた。
報告文書に目を通した討伐軍司令官のソロモン伯爵は、その顔に会心の笑みを浮かべると、周囲の者達にこう告げた。
「魔狼の死体、少なくとも30体を確認。監視隊の損害は極めて軽微。」
周囲の者達から一斉に歓声が挙がる。
しかし、喜び、ほっとしながらも、誰もが理解していた。このまま終わる相手ではないと。再度、街壁上を狙うかも知れないし、あるいは・・・
そして、何となく感じていた。
フェンリルが次に狙うとしたら、それは恐らく、ここだろうと。
ソロモン伯爵は、ルスダンの街へ急使を送った。




