62. フェンリル討伐戦(3)領主家の困った人々
領主館の応接室に入ると、部屋の奥でドアに相対した1人用の豪華なソファーにふんぞり返った子爵本人と思しき中年男性がいた。その両袖の先には、2,3人が座れそうなソファーが向き合って配置されており、片方には夫人と思われる厚化粧の中年女性がいて、その向かいには若い男と少女が座っている。嫡男と娘か。
子爵のソファーの横に立っている老人は家宰だろう。
どうやら、ジェームス達が座る椅子は無さそうだ。呼びつけておいて、この待遇は一体何だろう。そのままソファーの近くまで歩み寄り、無言のまま立ち止まる。
家宰と思われる人物が、ジェームスを怒鳴りつけた。
「ご領主様の前だぞ! 何故、跪かん!」
ジェームスは家宰をチラリと見た後、領主にペコリと会釈し、勝手に喋る。
「王国騎士団、東方派遣軍所属のジェームス・ハリスです。本日は、どういったご用件でしょうか?」
領主のベズコフ子爵は、怒り狂う家宰を片手で制して、まったく騎士団は礼儀も知らん若造を送り込んで来て、何を考えておるのか。我らの下で、性根を叩き直してやる必要があるなと、こちらに聞こえる様に呟いた。
そして、ジェームスを睨み付けながら、ベズコフ子爵が問い質す。
「それで、いつまでこの状態は続く? 我らはいつまで我慢すれば良いのだ?」
「現状ではいつまでに討伐出来るのか、まだ予測出来ていません。敵は魔狼の異常種フェンリルとその眷族です。準備不足のまま戦える相手ではありません。」
「全く意気地の無い事だ。何のためにここまで来た! もう良い! 貴様と貴様の部隊は、これより私の指揮下に入れ。武人としての心構えを鍛え直してやる!」
『自領の騎士団を全滅させた男が、良く言うよ』とジェームスは心の中で呟く。
続いて、領主の側に座っている、夫人と思しき中年女がヒステリックに喚いた。
「それなら、まず私達をここから安全な場所へ連れて行きなさい。魔物も倒せない様な騎士団でもせめて、それくらいの事なら出来るでしょう!」
「そうよ! 王国貴族の保護! それこそ王国騎士団の一番の任務でしょう?
今からでも直ぐに、まずはこの領主館の警備につきなさい!」
母親そっくりの娘も吠える。『ああ、この娘が例のお漏らし令嬢か』と、笑いの発作に襲われそうになるのを、鋼の意志で抑えつける。正直、かなり苦しい。
さて、ツッコミどころが多すぎて、一体どこから反論すれば良いものやら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「王国騎士団所属の者として、勝手に所属を変える事は許されていません。」
「今は戦時だ。緊急措置と心得よ! 融通の利かん馬鹿者め! 少しは頭を使え!」
「ならば、私の上官である派遣軍司令官のソロモン伯爵宛に要望書を出してもらえますか。定時連絡の際に一緒に送りますので。」
子爵夫妻の目の色が変わる。ただし、食いついたのは最後の言葉に対してだった。
「何! 早馬の運用でもあるのか!」
「ならば、その際に私達を一緒にここから連れ出しなさい!」
『残念ながら違うんだよな。まあ、もう良いかな』と思うジェームスである。
「報告書の送付は、袋に重りの石とともに詰めて投石機で撃ち出しますので、無理かと思います。それから、この領都からの脱出はベズコフ子爵家の名誉のために、お奨め出来ません。
魔狼に包囲されて引き籠もっている情けない街に、わざわざ外部から応援に来た子爵がいるのに、同じ子爵位の領主一族が逃げ出したとあっては、王国貴族の中でとんだ笑いものになるでしょう。王都の新聞の紙面を飾り、爵位はもちろん、領主としての資質も問われる事態になるかと思いますが。」
ベズコフ子爵家一同は、ジェームスの想像を絶する、あまりの暴言に理解が追いつかなかった様で、ただ眉をひそめ息を呑んでいる。そして、追い討ちだ。
「ああ、私は若輩のため長らく、仮の子爵とされておりましたが、この春から正式にハリス子爵家の当主となっております。今春の王国大会議の場で紹介されておりますので、ご存知かと思っておりましたが。まさか、どなたも参加していないわけではありませんよね? その参加は、王国貴族の最低限の義務とされている春の大会議なのですから。」
「ああ、それは確かに・・・」
ゴニョゴニョと末尾は消えた。『ああ知ってるさ。丸出しとお漏らしの件で、急遽家族全員が “急病” になったんだよな。まあ、取り敢えず、義理は果たしたかな。長居したい場所でも無いし、さっさと帰るとしよう。』
「何か要望がある場合には、ソロモン伯爵へ送付しますので、文書で提出していただける様、お願いします。では、引き続き任務がありますので、これにて。」
そう告げると、返事も聞かずに、唖然とした顔立ちの領主一家を残して、さっさと応接室を出た。
領主館の敷地を出たところで、同行していたマルスと歩きながら話す。
「あんなもんかな?」
「そうですな。ただ・・・」
「ただ?」
「いえ、事前説明で最も “ウザ絡み” しそうだと聞いていた、嫡男のモーリがやたら静かだったなと思いまして。」
「あ~! 言われてみれば確かにそうだな。まあ、絡まれなかったのは何よりか。」
馬鹿の考える事は、普通の人間にはわからないものだ。悩むだけ無駄だと2人して囁き合いながら、直ぐに忘れてしまったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「若、どうでしたか? 手玉に取れそうな相手でしたか?」
ここは、領主家敷地内にある離れの一室。嫡男モーリがその取り巻き達と占有している部屋である。鼻を鳴らすと、モーリが応じる。
「ああ、生意気なだけの融通も利かない馬鹿だったな。あれなら何とかなるだろうさ。それよりも、フェンリルの毛皮の件、本当に大丈夫なんだろうな?」
「ええ、確かですよ。」
室内にいる2人の取り巻きのうちの1人がニヤリと笑いながら答える。もう1人も薄ら笑いを浮かべている。以前は、4人の取り巻きがいた。いずれも、ベズコフ子爵家に関わる一族の三男以下の連中だが、ここ1年で2人がいなくなっていた。
1人は、古着屋の女店主を襲った挙げ句、返り討ちに遭った。もう1人は、あの魔狼が領都に侵入して来た日から見ていない。まあ、そういう事なんだろう。
「昔からの取り決めで、魔物を倒した場合、その原魔石は倒した者達が均等に分ける事になってます。もちろん、換金した後の話ですがね。この場合、倒した者というのは、その魔物に一太刀でも、魔法の一発でも当てた者を言います。」
そこで、説明をしていた取り巻きは、頷くと笑みを深くして続ける。
「ただし、これは原魔石の話です。原魔石以外については指揮官を筆頭に、討伐に参加した者全員に権利があるとされています。討伐の最中に、具体的な討伐指示を出して導いたとなれば、当然その魔物に対する権利を主張出来るわけです。」
「毛皮は、高く売れるんだよな?」
「ええ、間違いありません。ありふれた熊の魔物の毛皮でも、傷が少ないというだけで、イェルマーク王家は金貨1万枚で買い取ってます。数百年ぶりのフェンリルの毛皮なら、どれほどの値がつく事か。100人で均等に分けたとしても・・・」
そこまで話したところで、取り巻きは、モーリの前で割り算はタブーという事を思い出し、適当に話を誤魔化す。
「まあ、指揮を執っていれば、当然、配分される金も多いでしょう。徴兵免除で集めた金よりもずっと多いはずですよ。」
モーリも、満足げに頷いたものの、少しばかり顔を顰めて愚痴をこぼす。
「しかし、大熊の毛皮が金貨1万枚か。そんな大層な物を献上する村もあるのに、うちの領の田舎村は本当に役立たずだったな。思い出すだけでも腹が立つ。まあ、フェンリルの毛皮の代金が手に入れば、当分遊ぶ金には困らないだろうさ。」
「そのためにも街壁の上には頻繁に足を運び、チャンスをものにしてくださいよ。」
「ああ、分かってるさ。だから、あんな生意気な奴にも我慢していたんだ。」
『捕らぬフェンリルの皮算用』
もし、ジェームスがこの場にいたなら、鼻で笑ってこう言った事だろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジェームスが正門の街壁上まで戻って来ると、大勢の男達が動き回っていた。
どうやら、隊員1人につき数人の領民が組となって、作業を進めている様だ。
全体の指揮を任せていたシュルツがいたので声を掛ける。
シュルツとともに、2人の領民の男がやって来た。1人は30歳前後。服装から教会の神官とわかり、ホアキンと名乗った。もう1人は20代半ば。本来は領都の商店主だが、今は商業ギルドの一員として活動しており、こちらはピートと名乗る。
確か、ピートは領主館へ向かうために街壁の階段を下りた際、群衆の先頭にいた男だったと思う。
シュルツの説明によると、現在、この領都における難民や貧民の救済は、教会と商業ギルドが担っているのだそうだ。所謂、炊き出しを行うとともに、その恩恵を受けた者に対しては、何らかの奉仕作業を課しているという。街の清掃もあれば、炊き出しの手伝いや魔狼の見張りなど、多岐に亘っている。
ジェームスが領主館に向かった後、ロンによる領民達への説明と質疑応答は、かなりの時間に及んだらしい。とにかく、領主家からの説明など、今まで何も無かったのだという。尤も、領主自身も何も知らなかったというのが実情なのだが。
実際、領都の住民には、魔狼がどこから領都へ入って来たのかも謎だった。今日のロンによる説明で、初めて実態を知ったらしい。
そして、ロンを通じた状況説明の甲斐あって、少なくない者達が潜入部隊改め、監視隊への協力に名乗りを上げてくれたらしい。その多くが自警団の者達だった。
ここの騎士団が全滅し、魔狼集団の領都内侵入で恐慌状態となった領主は、警備隊のほぼ全てを領主館の護衛に貼り付けた。その結果、本来なら警備隊が行うはずの街壁上での監視体制は、維持出来なくなっていた。
どうやって魔狼が侵入したかはわからなかったが、それでも領都への魔狼の接近は警戒すべきであると考えた領民たちは、自警団を組織して街壁上から魔狼の監視活動を行っていたという。魔狼の集団が近づいて来たならば、鐘を鳴らして知らせる体制を整えていた。
ホアキンやピートとの信頼関係を確立し、領民によるこの自警団と協力すべきと考えたシュルツの判断は、実に的確だった。
東西南北4カ所の各門の上には、石造りの見張所がある。
この内、正門であり、前進拠点に面している東門の見張所を、監視隊の本部としてジェームスと隊員8名が詰めている。それ以外の3つの門に各4名ずつ常駐させ、監視任務に当てる予定だった。
はっきり言って、4名で昼夜の監視任務は厳しいのだが、人数が増えると潜入の困難さや、その後の補給の維持の問題もあり、仕方無かった。
しかし、自警団の協力により監視体制が充実し、隊員の負担も減る。
隊員2名で行う監視任務を、隊員1名と自警団数名で行えるのは、地味に助かる。
ジェームスは、自警団の者達に対して魔狼の大三角について再度説明し、自分達が有効な反撃策を用意している事も打ち明けた。
やられたなら、やり返すのだと力を込めて語る。皆、深々と頷いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
監視隊の最重要任務である、フェンリルと魔狼集団の状況表示板は真っ先に組み立てを終わっていた。
これは、街壁上からの監視で敵を視認した場合、旗を使ってその現在地や動向を正門上の本部に伝え、本部の者達は、その内容を正門の上に表示して草原や拠点の者達に知らせるものである。
フェンリルを白旗、魔狼の集団を黒旗で表し、東西南北を示す記号を大書した板を正門近くの街壁上に並べて、現在いる場所を示すわけだ。また、北と西の記号2枚を同時に並べれば、それはベズコフ領都の『北西』方向にいる事を示す。
フェンリルと魔狼集団が異なる位置にいる場合には、フェンリルを優先表示する事になっている。
さらに、こちらへ急速接近中である場合には、鐘を鳴らし、それぞれの旗を勢いよく振って知らせる。拠点の外にいる部隊は、急ぎ拠点へ撤収という流れになる。とにかく、この表示が見える位置にいる部隊は、個別に撤収判断を下せる事になるわけで、指揮系統を気にせず、かなり自由で大胆な行動が可能になる。
要するに、フェンリルが遠くにいる場合のみ、拠点の近くの魔狼を狩るわけだ。そして、フェンリルが近づいて来たなら、さっさと森の中の拠点に隠れる。
フェンリルが森の中の前進拠点に接近して来るなら、バリスタと魔導師の火球でお迎えするという算段なのである。
フェンリルとの交戦は極力避けつつ、まずは魔狼を削るという大方針を実現する上で、ジェームスの率いる監視隊は、無くてはならぬ存在であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フェンリルは久しぶりに移動していた。
草食いの大人しい獣ばかりが囲いの中にいるという、夢のような楽園を離れるのは、少し気が引ける。草食いは出る事が出来ないが、魔狼は出入り自由の柵がある。
これも二本足が作り、草食いを集めて飼っているのだろう。なんて素敵な贈り物。
ただ、気になる事が起きていた。大きな石壁の二本足の巣。そのちょうど反対側に残していた配下が、最近現れないのだ。どうも、何かが起きている。
賢い奴を偵察に送り出したところ、例の四つ足の使役獣に乗った二本足が大勢現れたという。これは、本格的に何かありそうだと、直接様子を見に行く事にした。
石壁から少し離れた位置をゆっくりと移動していると、石壁の上に白い物が翻っているのが見えた。しばらく歩くと違和感を覚えた。その白い物が動いていない?
近くにあるはずの物なのに、自分が動いても追い越せない。
そして、左右に広がる石壁の、常に真ん中にある様に見えるのだ。
不思議に思い、その白い物を見つめながら、逆方向へと動いてみる。
すると突如、その白い物も自分と同じ方向へと一瞬だけヒョイと動いた。
でも、その後は、また止まって見えるのだ。彼が止まると、そいつも止まる様で、一瞬だけヒョイと動くのが何とも不思議である。
フェンリルは、石壁が大きな丸い形をした巣である事を知っていた。既に周りを2周している。どうやら、この白い物は、その石壁の上を移動しながら、丸い巣の中心と自分との間に常にいようとしているらしい。だから、自分が動いても向こうは常に石壁の真ん中にいて、動いていない様に見えるのだ。
何のために? おそらく、自分の位置を仲間に知らせるためだろう。
あまり良い兆候ではないと思った。
早めに片付けた方が良いだろう。明日か、その次の日の夜は満月だったはず。
例の手で一掃するとしよう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
正門見張所の小さな鐘がカラカラと鳴っている。
就寝中だったジェームスは、部下とともに跳ね起きる。異常発生!
満月に照らされ、白く弧を描く街壁。遙か前方で、カンテラが揺れていた。




