61. フェンリル討伐戦(2)拠点と潜入
夜明け前の暗い内に、ジェームスは拠点を出た。
彼と彼の配下20名の領都潜入部隊は、2台の荷馬車に分乗している。その荷馬車の後方には、必要な武器や機材、食料等を積んだ荷馬車3台も続いている。
荷馬車の車列の両脇には、護衛の騎兵が10騎ずつ、計20騎並走している。
さらに、その外側に、もう30騎が小グループに分かれ、遊撃として展開中だ。
魔狼が現れたなら、彼らが殲滅するか、それが無理だと判断された場合には、潜入部隊から遠ざける方向へと誘導する事になっている。
領都街壁の内側へと撃ち込んだ矢文によって、事前に潜入作戦の説明と本日早朝の決行を知らせていた。領都内の者達からの了解の合図となる、街壁上の白旗振りも森から出る時点で確認されていた。
これは、街壁から周辺を見て、フェンリルや魔狼の集団が近くにいない場合に、白い旗を振って知らせる様にと通知した事への返答である。
ボーア騎士団の先行偵察隊による長期観察の結果、この明け方の時間帯が魔狼は最も不活発とされていた。彼らが魔狼の挙動について最も詳しい事は間違い無く、その知見を生かしてもらうため、今回の潜入部隊の半数を彼らが占めている。
残りの半数が王都からやって来た王国騎士団の斥候部隊。どちらも、それぞれの所属軍内では精鋭とされているベテラン達である。
彼らをまとめているのが、爵位の上ではメンバー最上位のジェームス。
そして、何とも悩ましい事に、彼はこの部隊で最も若かったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ボーア領の最西端で、ベズコフ領都に最も近い街ルスダン。
魔狼騒ぎにより運休になるまで、ベズコフ領都への唯一の定期路線馬車が往復していた隣の街である。この街は、今や対魔狼戦のための後方支援基地となっており、ボーア領都に集結していた討伐部隊のすべてが、ここへ移動していた。
ただし、ルスダンとベズコフ領都の間には、かなりの距離があり、騎乗でも日中に往復するだけで精一杯なのだ。実戦部隊の活動には、前進拠点が必要だった。
しかし、相手はフェンリル。それに300頭を超えると報告された魔狼の大集団。
これに対抗するための大部隊となれば、自ずと拠点の規模は大きくなってしまう。
そして、当然の事ながら、実戦部隊が十分に休息を取れる安全な場所でなければ拠点の意味が無い。
魔狼の侵入を阻止する防護柵。仮に侵入されても兵士を守れる堅牢な建屋。雨風を凌いで安眠出来る寝床。そして、暖かい食事の提供も重要だ。そうした最低限の環境が整わなければ、安定した戦力は維持出来ない。
しかし、実際にそんな拠点を造ろうとすれば、一体何ヶ月掛かる事やら。
しかも、主戦場と目されるベズコフ領都に近くて、拠点に適した場所ほど、魔狼が好き勝手に歩き回っている危険地帯なのだ。
さらに不幸な事に、現在のベズコフ領都の状況を鑑みれば、とても “何ヶ月” といった悠長な事は言っていられない。一刻を争う状況での無理難題なのである。
普通なら、こんな任務は絶対に不可能だと、誰もが匙を投げるだろう。
しかし、この奇跡的な偉業は見事に成し遂げられたのだ。しかも、たった1日で。
その解決の道筋は、サザーランド侯爵の文書の中に示されていたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔狼の跳躍力は魔物の中でも群を抜いている。
ベズコフ領都を始め、多くの都市の街壁が、最低でも成人男性の背丈の5倍ほどになっているのは、魔狼の跳躍力を想定した結果なのだ。
では、前進拠点も魔狼対策として同等の高さの防護壁が必要という話になるわけだが、これは不可能だ。石材にせよ、木材にせよ、莫大な量を短期間に調達し、運んで来るのは絶対に無理である。それ以前に、そんな大規模工事を始めたら、間違い無く目立つ。それを、あの賢いフェンリルが見逃してくれるとは到底思えない。
しかし、この “対魔狼” という観点を別の角度から見直すと、魔狼にだけ効果があれば良いと割り切った妙手があるのだ。それは、丈夫な麻の縄で編んだ “網”。
人間相手なら障害とも言えない、粗い麻縄の網だが、魔狼相手なら十分に有効な “防護柵” になるのだ。イェルマークの知恵には皆、本当に唸ったものだ。
この網を防護柵代わりにして、前進拠点の周囲に張り巡らせたのである。
以前、魔狼の集団が屯していた領都の直ぐ近くにある森。魔狼の大半が領都西方の家畜放牧地帯へと去ったため、空いた場所を今度は人間が利用しているのだが、もちろん、魔狼に一矢報いたと “イキがる” ためではなかった。
網を、魔狼が飛び越える事の出来ない十分な高さから、地面にまで垂れ下げるためには、高所に頑丈な枝の生えた大木を利用するのが一番だったからだ。
網目の大きさは、人の拳と腕が通り抜ける事が出来る程度だから、魔狼の前脚、そして途中までなら後脚も入る。
魔狼が網を駆け上ろうとすると、網目に脚が嵌まり込んでしまい、一挙に上まで登る事は難しい。そして、例え僅かな時間でも網目に嵌まって、もがいている魔狼の姿は、無防備なまま腹を晒しているだけの格好の標的なのである。
実際、狂った様に吠え掛かりはするものの、単なる静止した “射的の的” と化している魔狼を、至近距離から槍やボウガンで倒すのは容易な事だった。既に数頭の魔狼がこの “網” で討伐されているのである。
この様に巨大な麻縄の網を、何枚も横方向に連結する事により、縦横50歩ほどの前進拠点全体を、グルリと取り囲んで防護柵代わりにしているわけだ。
馬や馬車の出入りのために、森の外縁部に近い比較的平坦で、木々も少ない場所を事前に選んでおき、その場所を囲い込む様に網を張り巡らせて行った。
周辺警護の兵士を除けば、10名にも満たない兵士たちが、1日もかからずに網の展開作業を終えた。これは、現在の拠点の外側に新たな網を張れば、容易に拠点の拡張が可能だという証左でもある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、周囲に網が吊り下げられて行く拠点内部では、骨組みだけの馬車が次々に運び込まれていた。大型の箱形馬車ほどの大きさながら、床も壁も天井も無い。
普通の馬車よりも頑丈な柱と補強材を持つこの馬車を、拠点内部で前後左右に2台ずつ、全部で4台を合体させる。この特大馬車は、“大亀” と呼ばれていた。
何も無い側面と天井部分には、軍で一番大きな盾を、あたかも亀の甲羅の様に並べて防御壁とする。最後に、雨風を凌ぐために大亀全体を天幕で覆って完成だ。
もし、網の防護柵を突破された場合には、天幕を跳ね上げ、全員が大亀へ立て籠もり、盾と盾の隙間から槍やボウガンで戦うのである。魔狼相手なら、十分に優位な戦いを進められるだろう。
拠点内には、大亀以外に通常の天幕も設営され、様々な軍務に供されている。
なお、大亀の普段の用途だが、兵士の就寝場所として使われている。
短槍2本に毛布の端を巻き付けて担架状にし、大亀内の所定の位置に固定すれば、ベッドになるという優れ物である。2段ベッドの形式で配置される様になっているので、大亀1台で30人ほどが同時に就寝可能となっている。
今の様な冬の野営では、地面に直接寝そべると、体温を奪われて本当に辛い。
そういう点からも、大亀の評判は上々なのである。
最終的には、大亀は拠点から討って出る予定だ。内部に入った歩兵部隊が人力で大亀を移動させながら、魔狼集団を相手に野戦を行う事になる。上に見張り役を乗せて、視界の悪い内部の者達に進行方向を指示。大弓すなわち、バリスタも取り付けて魔狼のみならず、フェンリルにも有効打を与える事が期待されている。
新たに追加された網と大亀、それに単独で利用されている天幕によって、前進拠点は急速に拡張されて行き、一つの区切りに達した。
3台目の大亀も完成して大人数の投宿が可能となった日、新たに50騎の精鋭が荷馬車とともに前進拠点へと到着した。いよいよ潜入作戦の決行である。
到着した彼ら騎兵部隊は、翌日、ベズコフ正門周辺の草原地帯を密かに視察し、現場の地形や草地の状況を確認した後、作戦の最終打ち合わせを行った。
こうして翌朝、ベズコフ領都への潜入作戦が開始されたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
荷馬車に許される最高速で草原をひた走る。乗り心地という言葉は存在しない。
荷馬車の四方にある衝立を握り締め、振り落とされない様に必死である。遠くで警戒に当たっている4,5騎の騎兵が目に付く。本来なら、あそこにいたはずだと唇を噛むジェームスだった。
ベズコフ領都の正門の真下で荷馬車は停止する。
直ぐに荷馬車の後部に横向きに搭載されていた梯子が降ろされた。2カ所で折り畳まれて3分の1の長さになっている梯子は、ルスダンの木工職人による特注品だ。伸ばして本来の長さにし、街壁に立て掛ける。
梯子は2つあり、次々に潜入隊員が駆け上がって行く。ちなみに、これまでこの梯子は、拠点の網の展開作業で重宝していたらしい。
ジェームスが梯子を登り切ったところで、先に街壁に上がっていた隊員が腕を掴んで引っ張り上げてくれた。
ベズコフ領都の街壁の厚みは、幅が5,6歩といったところ。転落を防止する柵の様な物は設けられておらず、少々おっかない。こういうところに、この領の地力の無さ、領主の能力不足が現れている様に思う。
全員揃った事を確認した後、街壁の下を見ると、運んで来た荷物はすべて荷馬車から降ろされており、梯子を折り畳んでいる最中だった。
遠くでは、遊撃部隊が2,3頭の魔狼を相手に戦っているのが見える。
周辺には他の遊撃部隊もおり、様子見をしている様なので、優勢なのだろう。
荷馬車も撤収準備が完了した。周辺を警戒していた護衛隊リーダーと視線が合う。隊員の潜入完了を宣言し感謝の言葉を述べると、ご武運をと返してくれた。
護衛隊のリーダーが笛を吹くと、荷馬車を取り囲んだ状態で拠点に戻って行く。
笛の音を聞いた草原の遊撃部隊も随時、撤収を始めた様だ。
こちらも、まずは荷揚げである。柵が無い分、楽かもしれない。
そう思っていたら、ここの指揮官は誰だ! という声が街壁上に轟いた。
まったくの想定どおりの進行に溜息を吐いていると、王国騎士団斥候部隊のリーダーであるマルスに案内されて、警備隊の制服を着た中年男がやって来た。
ジェームスの顔を見て、眉が跳ね上がる。まあ、何を思ったか大体想像はつく。
「ご領主様がお呼びだ。ついて来い!」
華麗にスルーして、背嚢から紙束を出すと、初期作業の確認を始める。
きびすを返して歩き出していた警備隊の男は、自分の指示に従わないジェームスに怒り心頭。引き攣った顔で、俺の言う事が聞こえなかったのかと喚き出す。
「何故、王国騎士団員の私が、貴君の命令に従わなければならないのかね?」
「ふざけるな! この俺の命令は、ご領主様の命令だ! 貴様はベズコフ子爵閣下に逆らうつもりか! 不敬であろう!」
再度、ジェームスは盛大に溜息を吐くと、目の前の男に言い放った。
「不敬と言うのなら、貴様こそ不敬だろう! こう見えて、私もテチス王国貴族の端くれなのだよ。まあ、貴族の中では下っ端とされる子爵程度なのだがね。」
警備隊の男は絶句して、そのまま沈黙してしまった。
「別に行かないとは言っていない。ただ、ここへ来たのは任務があるからだ。
取り敢えず、その任務を進めるために最低限の指示を出すから、少し待ちたまえ。シュルツ! 予定どおりに作業を始めてくれ。ここの住民で使える者達がいるなら手伝ってもらえ。謝礼として金や食料を与えて良い。すべて、計画どおりに。
これから、ここの領主館へ行ってくる。マルスは同行してくれ。」
ちなみに、シュルツというのは、ボーア騎士団先行偵察隊からこの潜入部隊に参加しているグループのリーダーである。
潜入作戦の成功のため、ルスダンの街で事前に何度も予行演習を行って来た。
梯子を使った街壁越え。その際、数人の隊員は紐を手首に結んで街壁上へと登っており、その紐の先には、丈夫な縄が10本ほど繋がっている。
街壁に上がった後、紐をたぐり寄せて手元にまでその縄を引き上げる。それぞれの縄は、荷物を詰め込んだ麻袋に縛り付けられており、その縄で個々の荷物を引き上げるわけだ。
縄には、荷物の重要度に応じて、引き上げの順番を示す札も付いている。
最初の荷揚げ品は滑車。滑車をまず引き上げ、その滑車を使って真っ先に引き上げるのが、3分割されている投石機。部品すべてを引き上げて街壁上で組み立てる。
それに並行して、他の荷物も順次引き上げて行く流れになっている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
警備隊の男の後について、東門の側に設けられた、街門の上から街の中へと下りる階段まで来たら、下には群衆が待ち構えていた。数百人はいるだろう。
矢文を放って、今回の潜入部隊の件を事前に知らせている。それも、矢文が変な場所に落下して誰も気づかない事が無いよう、同じ文面で3通放っている。
当然、拾った領民から領都全体へと、今朝の情報は広まっているはずだ。
これも想定されていた事態の1つ。ただ、群衆に殺気だったところは無い。1ヶ月以上の籠城で、飢餓状態に陥っている者が、多数いても不思議では無いはずなのだが。
むしろ、警備隊の男の方がよほど殺気だって、一方的に怒鳴りつけている。
「私達は、現状を知りたいだけなんです。可能な範囲で構いませんから、教えていただけませんか? 特に、魔狼による襲撃について。」
群衆の先頭にいる若い男が、ジェームスに向かってそう語りかけてくる。
うるさい! どけ! と警備隊の男が吠え始める。
ジェームスがマルスに頷くと、マルスは隊員達のところへ戻って行った。
「私は、王国騎士団のジェームス・ハリスだ。先ほど、部下20名とともに、ここへやって来た。残念ながら、私はこれからここの領主と面会しなければならない。
そこで、部下を一人残して行くので、知りたい事は彼に聞いてほしい。」
直ぐにマルスが一人の隊員、ロンを連れて戻って来た。彼は、ボーア組の平民。
この事を予想して、住民への説明、説得、協力のお願いをさせるのに一番向いているだろうと、シュルツが推薦した人物であり、本人にも通知済みである。
ジェームスとマルスが階段を下りると、群衆は素直に進路を空けてくれた。
階段の中ほどまで下りてきたロンが、群衆に語りかける。
「俺は、ここのお隣であるボーア領の領兵でロンという。俺たちは、魔狼やその異常種・フェンリルを倒すために、ここへやって来た。」
おお! というどよめきが挙がる。
背後で流れるロンの現状説明を聞きながら、警備隊副隊長と自己紹介していた男(名乗った名前は覚えていない)につき従って、領主館へと足を運んだ。
そう、自分がこの任務に抜擢された、まさにその役割を果たすべき時であると、自分に言い聞かせるジェームスであった。ふと、制服のポケットに入っている小さな皮袋の事を思い出す。手を当てて制服の上から触れてみた。
ちょいと集中すれば、そこに魔石があるのを感知出来るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ルスダンの街壁での訓練中に、たまたま通りかかった宮廷魔導師のクリスが渡してくれたもの。中身は水魔石だという。幸運の魔石だと言っていた。ベズコフ領都潜入部隊に参加すると言ったら、絶句して大きく目を見開いた後、差し出された。
「この任務の間、お貸しするだけです。必ず持ち帰って返してください。」
そう言った彼女の、力のこもった目が強烈な印象として記憶に残っている。
その翌日、また訓練を行っていると、今度はキャンディが現れた。一緒にいるのは、派遣された宮廷魔導師のリーダー格である、ロイス卿だった。これから、街の外の演習場でフェンリルの魔法対策訓練に参加するのだという。
そして、キャンディが真剣な表情で、口を開く。
「ハリス卿には、前々からお礼を言いたかったのです。あの副団長の大火球の話を教えてくださった事です。あれ以来、クリスお姉様が本当に明るくなったんです。何と言うか、まるで憑き物が落ちたみたいな感じで。」
そう話した後、副団長とクリスの兄の因縁を教えてくれた。
クリスの年の離れた兄は、かつてテチスの宮廷魔導師団にいたのだが、当時在籍していた先輩魔導師カーンから何とも理不尽な苛めに遭い、精神を病んでしまった挙げ句、自殺したのだという。ロイス卿も横で悲しげに首を振っている。
結局、それが引き金となって、カーンはテチスを去ったのだそうだ。
クリスは、亡き兄の夢を想い、宮廷魔導師になって頑張っていたが、いきなりそこへカーンが戻って来たのだった。でも、反発しても大火球で魔導師としての力を誇示されてしまうと、何も言えない事が本当に残念で悔しかったのだと言う。
「ベズコフ領都への潜入任務は、とても危険だと思いますが、どうかご無事で。」
そう言うと、キャンディはロイス卿とともに去って行った。
魔導師も、やはり自分達と同じ人間なんだなと、ジェームスは2人の後ろ姿を見ながら思ったものだった。
そんな取り留めの無い事を考えている内に、領主家の応接室のドアが目の前に迫っていた。何とも憂鬱な任務(領主面会)だが、さっさと片付けて戻るとしよう。




