60. フェンリル討伐戦(1)賢者の知恵
「フレディ・ベルン、出頭致しました。」
イェルマーク王国騎士団の団長執務室の前にある受付で、そう申告すると即座にフレディは団長室へ入るように指示された。
室内には、団長やその副官は当然として、王国騎士団の頭脳とも言える参謀部の者達が揃っていた。王国軍全体の作戦立案や編成を取りまとめる秀才達である。
その錚々たる顔ぶれの中、若干20歳の青二才である自分の場違い感は半端無い。
「揃ったな。諸君等には中央山脈の向こう側、テチス王国へ行ってもらう。」
一同を会議机の席に着かせ、騎士団長の開口一番が、これだった。
フレディも流石に驚いたが、テチスという国名には覚えがあった。4,5日ほど前に聞いた国名。確か、魔狼の異常種フェンリルが現れたと騒ぎになっている国だ。
そのフェンリルは魔法を使え、火も吐いたという。さらに、魔狼の集団が領都の街壁を越えて侵入したとかいう話も聞いたが、魔狼に乗り越えられる街壁とは、何とも情けない都市もあったものだと皆で笑っていた。
しかし、テチスから移動して来た商人が齎したという最新の情報を聞くに連れ、
フレディはもちろん、他のメンバーの表情も強張ってゆく。魔狼を巧みに操ってみせるフェンリルの統率力。さらには、高い街壁を無効化した魔狼の大三角形。
これが騎士団長の話で無ければ、果たしてどこまで信じる事が出来ただろうかというほどの異様な話だ。室内は、静まり返った。
その重苦しい雰囲気の中、執務室のドアが開くと、受付の者の冷静な声が響く。
「団長、侯爵がお見えです。」
フレディの見知った老人がそこにいた。王国南東部の領主、サザーランド侯爵。
王国一の広大な領地ながら、同時に最大規模の魔の森と接しており、魔物の被害が最も多い場所である。
そこで生まれ育った侯爵は、武の才には恵まれず、自ら魔物討伐とは行かなかったものの、その優れた知性で魔物研究者として大成。今や王国一の魔物学者と目されていた。
領地経営の激務の合間に長年続けた研究は見事なものであり、貴族学院を始め、いくつかの学校で魔物に関する特別講義を不定期に受け持っており、この国の貴族の中で、最も顔を知られている貴族の一人だと言われている。
フレディもまた、貴族学院、騎士学院の両方で講義を受けていた。その博識ぶりと機知に富んだ講義の面白さは格別で、大人気の講義だった事を覚えている。
サザーランド侯爵は、小脇に抱えた数冊の本を会議机の上に置くと、挨拶もそこそこに、いきなり口を開いた。
「フェンリル出現と聞いたので、資料を持参した。ここへ来る馬車の中で、使者の方から詳細な説明も受けた。相当に知恵の回る、厄介な相手のようだな。
しかし、何としても倒すしかない。そして、その方法は先人の尊い犠牲によって得られた叡智の中にこそある。」
そう言うと、室内の者達をゆっくりと見回して、こう宣言した。
「それは、フェンリルと闘わない事だ。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後の侯爵による解説は、緊張感はもちろんあるものの、どこか学校の講義の延長の様な雰囲気で、ユーモアに満ちた話術もあり、時折笑い声すら漏れた。
驚く事に、侯爵が持参した資料はすべて写本であり、騎士団にこのまま差し上げるので、好きな様に使ってくれとの事。今回の様な緊急事態を想定して用意していたわけである。本当に凄い人だ。
同じ侯爵として、自分が目指すべき先は遙かに遠いと溜息が出る。
そう、若干20歳のフレディは、ベルン侯爵家の当主なのだ。
昨年、長らく大病を患っていた父が亡くなり、その後を追うかの如く、嫡男である兄までが亡くなってしまった。この様な場合、その後を継ぐ者は不正な行為が無かったか、一定の調査と審問が行われるのが慣わしである。
幸い、フレディには何の嫌疑も掛けられず、晴れて爵位を継ぐ事が正式に決定したばかりであった。近々には王国騎士団を辞して、侯爵領の経営に専念しなければならないはずだ。まあ、有能な家臣たちのお陰で、現在も滞りなく領の統治は進んでいるわけだから、いっそ、このまま今の生活をと考えてしまう事もある。
しかし、今回の他国への派兵。まあ実際には使節団に近いわけだが、何故自分が呼ばれたのかも、何となく察せられた。
老侯爵は、彼が様々な古記録から掘り起こしてまとめた、フェンリルに関する知見を一通り説明した後、最後にもう一度、重点を繰り返すと去って行った。
「フェンリルと正面切って闘ってはならぬ。引きずり回し、黄金の時を待て。」
その後、残された5人の遠征メンバーが改めて自己紹介を行い、フレディは予想どおりの役割である事を確認した。他国への遠征で、爵位至上主義の面倒な貴族が介入して来て、任務の妨げになりそうな時、イェルマーク王国侯爵の威光で粉砕せよと。
他国の爵位は基本的には関係の無い話なのだが、そこは大国の高位貴族ともなれば、中小国の王族ですら一目置くだろうという事。まあ、確かにそうだろう。
そういう爵位至上主義の貴族連中の多くが、日常的な礼儀作法や所作にはうるさいのだ。そういったものは一朝一夕で身につくものではない。高位貴族を騙ったとしても、いずれ見破られてしまうし、会食でもすれば一発アウトなのだ。
その点、フレディは本物の侯爵であるだけでなく、幼い頃から徹底的に宮廷作法教育を受けている。元王宮女官のクラリッサ先生は、真に容赦の無い教師だった。
彼女の指導方針は、とにかく無意識でも、考え事をしていても作法から外れない所作を身に着ける事だった。まずは、完璧な礼儀作法の刷り込みである。そして、それが出来たと思ったら、今度はその所作を微妙に “崩す” 事を求められた。
作法から大きく逸脱せず、下品にもならない。そんな “ギリギリ” の崩し方を求められたのである。時折、見本を見せてくれたのだが、何というか、独特の高貴さと危うさと色気を感じたものである。
15歳の成人直前に、やっとクラリッサ先生の合格をもらえたフレディだったが、そこで先生はサラリと、とんでもない事を言ってのけた。
彼女の様な、宮廷作法を教える教師たちは、それなりのプライドを持っており、気に入らない相手には完璧な作法までしか教えず、その後の崩し方までは教えないのだという。人を人とも思わぬ傲慢な貴族の子女や、何でも金で解決出来ると考えている商家の我が儘な子女が対象の場合、そうした教え方をするらしい。
一見すれば完璧な作法であり、そうした子女の両親はおろか、大抵の高位貴族ですら気づく者は少ないという。
「今後、社交の場で良くご覧になってください。完璧な作法のご令嬢は要注意!」
にっこりと笑いながら、クラリッサ先生はそんな恐ろしい事を言うのだった。
未熟なために不完全な作法、完璧な作法。完璧を極めた後、意図して崩した作法。
見る者が見れば、わかるはずだと言う。確かにそう思う。
まあ、フレディが先生のお眼鏡にかなっていた事だけは幸いだった。
幼い頃からフレディは、父や祖父から、爵位しか誇れるものの無い人間にはなるなと、散々言い聞かされて来た。そのせいもあって、人を爵位で威圧する様な真似は決してしなかった。次男坊という気楽さも、あったのかもしれないが。
思えば、邸の使用人や家庭教師から始まり、貴族学院に騎士学院、そして王国騎士団まで含め、人間関係は比較的良好を維持出来ていたと信じている。今回のテチス行きも、その辺を評価してくれての事なのは間違い無い。
父や祖父の方針は、今後自分も子や孫に引き継ごうと誓うフレディである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凄まじい強行軍だった。何せ、早馬のシステムを利用しての移動なのだ。
今回用意したフェンリルへの対策は、基本方針を全員がしっかりと理解し、それを忠実に守ってこそ意味がある。現地で最初に開かれる大規模な会議において、すべての関係者にそこを徹底出来ないと効果は望めない。移動は急がれた。
通常よりも遙かに速いテンポで馬を走らせ、要所、要所の騎士団駐屯地で馬を替えて走り続けたのである。日によっては2回も馬を替えた。
早馬用の特別なクッションを尻に敷いて騎乗していたが、それでも尻の感覚がおかしくなっていった。流石に一同、もう限界と泣き言を言う頃、ようやく国境目前に至り、このシステムというか苦行も終了となった。
こんな苦行に耐えられる早馬の騎手達は本当に凄いと本音を漏らしたら、普通は馬とともに騎手も交替し、文書だけ伝達するのだと言われ、思い切り脱力した。
まあ、その甲斐あって、通常の半分の日数で無事目的地のテチス国、ボーア領都へと到着した。伯爵領と聞いたが、中々の賑わいがある領都であり、領主は十分に力量のある人物だと思われた。正門で聞いた騎士団本部へと真っ直ぐに向かう。
王都の騎士団本部を出る際に、ありふれた革鎧に着替えて傭兵隊一行という体裁になっていたが、騎士団員の証である紋章入りの短剣は、全員が身に着けていた。
その短剣をボーア騎士団の受付で示し、イェルマーク王国騎士団所属の者である事を明かした上で、用件はフェンリルに関してだと伝える。
さらに、騎士団にフェンリルの情報を齎した商人フンメルの名を出すと、さほど待つ事も無く、ボーア騎士団長の部屋へと案内された。
事務的かつ、お堅い雰囲気は、会見の冒頭だけだった。
イェルマーク一行のリーダーであり、騎士団で次席参謀の地位にあるマロリー卿が来訪の目的を説明し、サザーランド侯爵の叡智の結晶とも言える、フェンリルの記録をボーア騎士団長へと渡す。どうぞ、写本されてもけっこうですと言いながら。
すると、最初の数頁を見ただけで騎士団長は溜息を吐き、この様な学問分野にまで労力を注ぎ込むとは、流石はイェルマーク王国と感嘆の声を挙げたのだった。
その後の雰囲気はがらりと変わり、詳細な現状の説明もしてくれた。
幸いな事に、ベズコフ領都内への魔狼の侵入は、あれ以降は起きていないという。
領都の西方領域に魔狼の大半が留まっているらしい。そこは丘陵地帯のため、農耕よりも牧畜が昔から盛んな土地であり、大量の家畜が放牧されているそうだ。
なるほど、絶好の餌場を見つけ、しっかり確保しているわけだ。
尤も、領都周辺にも魔狼の監視部隊は残されており、夜中にこっそりと領都から逃げだそうとした者達は、悉く狩られているそうだ。包囲は依然解けてはいない。
どの様にしてフェンリルと魔狼集団を倒すかは未だ見えておらず、現地に送り込んだ偵察隊に、魔物のどんな些細な事も記録せよと命じていると言う。
周辺の他領からの増援部隊にも、まずは敵情視察の応援を依頼しているそうだ。
一方、早馬の先触れによれば、テチス王都から移動中の部隊が3日後に到着する予定との事。この部隊の到着によって、実戦部隊はすべて揃う事になる。
そして、大会議が開かれる。強行軍で移動して来た甲斐があったというものだ。
商人フンメルが、ここの騎士団長は話の通じる御仁と評していたとおり、何と、イェルマーク一行による説明会には、領主であるボーア伯爵にも声を掛けてくれた。
結果、ボーア領の関係者全員がサザーランド侯爵の資料を高く評価し、大会議でも是非、その内容を披露すべきだという流れになった。
王都からこちらへ向かっているテチス王国騎士団の副団長は、ボーア伯爵とは旧知の仲であり、この内容を聞けば積極的に推してくれる、懐の深い人物だという。
結局、ボーア領主の理解が得られた事により、こちらが提案していた初期対応は概ね認められ、様々な先行手配が始まった。フレディも安堵の吐息を漏らしたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フレディたちの到着から3日後、ジェームス始め、テチス王国騎士団一行が予定どおりボーア領都に到着した。
領都の外のほど近いところにあるボーア騎士団の演習場が、野営場所として指定され、設営された天幕が林立していた。ジェームスは、久しぶりにのんびりとお茶を飲みながら休憩していた。
ここまでの移動において、護衛任務の出番となる様な事件は皆無だったが、護衛対象の魔導師たちとは随分親しくなった。3人の女性魔導師たちとも、野営の夜には、焚き火を囲んで語らいあったものだ。
そうした話の折りに、フェンリルが火を吐く事が話題となり、行軍途中の休憩時には魔導師たちにお願いして、魔法による火球攻撃を見せてもらう事が出来た。
これには、多くの騎士団員も興味を示し、全員参加のイベントとなった。
こんな魔導師ばかりなら苦労はせんなと、伯父は苦笑いをしていたものだ。
尤も、クリスが言うには、フェンリルの魔力量は人よりずっと多いだろうから、火球の大きさや投射速度は、もっと、ずっと凄いはずだから要注意との事。
そのクリスや他の魔導師たちは、到着と同時に領都内のちゃんとした宿へと案内されて行った。まあ、それくらいの待遇差は当然かと思う。
また、伯父も会議出席のために領都内へと赴いていた。この全体会議は、テチス東方各領からやって来た増援部隊の指揮官と、一部領主も参加しているらしい。
そして夕刻、会議を終えて戻って来た伯父から呼び出されたジェームスは、何と魔狼により完全包囲中のベズコフ領都への潜入を命じられたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ただ漠然と、フェンリルや魔狼の大集団と戦うんだと思いながら、ここまで移動して来たジェームスだったが、恐らくそれは他の騎士団員も大差無かったと思う。しかし、伯父の話によると、今日の会議の内容は驚嘆すべきものだったという。
伯父から聞いた会議の内容には、彼も本当に驚いた。“イェルマーク王国スゲー” と言うしかない。
フェンリルに対する基本方針には絶句した。勝つためには闘うなと言うのだ。
そして、その後の具体的な戦術も含め、まさに “賢者の知恵” と言うしか無い。
最初の策として、前方拠点の設営とフェンリル監視部隊のベズコフ領都派遣。
どちらも戦理に適っており、見事と言う他無い。異論を挟む余地など無かった。
会議の間中、終始圧倒されながら、このまま終わるかと伯父が思った頃、イェルマーク騎士団の中で最も若い騎士が発言を求めると、驚きの一言を放ったという。
彼は、こう訊いたのだそうだ。
「今、魔狼に包囲されている街の領主殿は、まともな御仁なのでしょうか?」
テチス側の全員が意表を突かれ、絶句したらしい。これまでフェンリルと魔狼にばかり気を取られ、ベズコフ領主家一同の為人を皆、失念していたのである。
ただでさえ、あまり芳しい評判を聞く事の無い一族なのだ。それが長らく領都に閉じ込められて鬱屈した状態で、外部の部隊がベズコフ領都へやって来たと知ったなら、彼らが黙っているはずがない。あれやこれやの余計な口出しにより、まともな任務遂行が出来るのか、全く以て怪しい限りだ。
何せ、あの丸出し用心棒やお漏らし令嬢の一族なのだから。
誰もが頭を抱える中、あっさりと解決策を提示してテチスの体面を救ったのが、伯父の提案。すなわち、ベズコフ領主と同等以上の爵位を持つ騎士団員を、ベズコフ領都派遣部隊の指揮官に据える事。要するに、ジェームスの派遣案だった。
まあ、どう考えてみても、それしか無い。承知しましたと言うしか無かった。
フェンリルと闘わないためには、フェンリルの所在を可能な限り把握し続ける事が必要だ。そして、そのための最高の監視場所はベズコフ領都の街壁の上なのだ。
今や、警備隊しか残されていないベズコフ領都に、そうした監視任務を期待するのは、無理だと判断された。意思の疎通の問題もある。万難を排しても、魔狼集団に包囲されているベズコフ領都に、監視部隊を送り込まなければならない。
その成否は、今後の討伐作戦すべての鍵を握るのだ。
その重要性に震える様な興奮を覚えつつも、どうやらこの戦いでは、騎兵としての活躍の機会は無さそうだと思うジェームスであった。




