57. レオの覚悟
『いっそ、火魔石にでもなってしまえ! 熊殺しの槍に使うような火魔石に!
そして、燃えろ! 青白く輝きながら燃え尽きてしまえ!』
レオは、前方を歩くギルの背嚢を睨み付けながら、心の中でそう叫んでいた。
そして、やり場の無い怒りを抑えつけると、俯いて歯を食いしばり歩き続ける。
しかし、そこでレオは、ふと感じた。何かが繋がった様な奇妙な違和感を。
それは、彼のこれまでの人生で経験した事の無い、実に不思議な感覚であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオがそのまま10歩ほど歩いた頃だったろうか。異変が生じた。
ギルのすぐ後ろを歩いていた男が、急に立ち止まったのだ。その背後に続いていた男達も足を止めざるを得ない。突如渋滞した隊列で、何だ! どうした! と思わず口にしそうになった男たちだったが、眼前の光景に思わず絶句する。
ギルが背負っている背嚢から、薄らと白い煙が立ち上っていたのだ。何か焦げる様な臭いまで漂って来た。
「おい! お前!」
後続の誰かが絶叫した。
ギルも何事か異常を感じ取ったらしく、後ろを振り向こうとしたその瞬間だった。ボッ!という音とともに背嚢が炎に包まれた。ヒィッ!と悲鳴を上げるギル。
早く背嚢を外せと周囲の誰かが叫ぶ。しかし、外せない。出発前、これ見よがしに背嚢の両の肩紐同士を、別の紐を使って胸と腹の辺りで念入りに結んでいたのだ。
背嚢の炎はギルの髪の毛に燃え移り、ついには着ている服まで燃えだした。
ギルは、もはや完全にパニック状態である。そして、そこで彼の目に留まったのは前方の川だった。そこまで、およそ30歩。
意味不明の絶叫を挙げながら、ギルは死に物狂いで川に向かって走り出した。
そのまま、頭から川に飛び込む。
数瞬後、水面へと浮かび上がった彼の髪や服は、流石にもう燃えてはおらず、彼の表情も気色を取り戻したかに見えた。
念入りに火を消そうとでも思ったのか、ギルは手足をバタつかせ、背中の背嚢が完全に水没する様に水面上で仰向けの姿勢を取ると、そのまま大の字になった。
取り敢えず助かったようだと、後を追って走って来た者たちも、息を切らせながら川の手前で立ち止まり、一様にホッとする。
しかし、まさに、その瞬間であった。
ドンという腹に響く音とともに、ギルのいた水面が爆ぜた。水柱とともにギルはその場から跳ね上げられる。鬱蒼とした森の高い木々よりも、さらに高い位置にまで達すると、そこからゆっくりと落下して来て、水面に叩きつけられた。その一部始終を誰もが呆然と見つめていた。とても現実に起きた事とは信じられなかった。
現代人なら多くの者がニュース映像で見た覚えがあるだろう。海底火山の噴火による水蒸気爆発。海底から吹き出た高温のマグマが海水と混じり合い、蒸気化した海水が一挙に膨張して海面で爆発する、あの現象である。
背嚢の中にあった超高温の火魔石が、水中で水と反応し、水蒸気爆発を起こしたわけだ。もちろん、今この場にいる者たちには、そんな知識など無いから、呆然と只々見つめるばかりだった。
ほどなくして我に返った者達が、下流側の岸辺に浮いているギルのところまで、恐る恐る近づくと、彼を川から引き上げようとした。既にギルが生きていない事は、誰の目にも明らかだった。背嚢も無くなっており、信じられない事に、ギルは全身の骨が砕けているとしか思えない様なグニャグニャとした、まるで脱ぎ捨てられた衣服のような有様だった。
リゲルがグループを率いている兵士に進言し、憲兵を呼びに行かせた。間もなくケインが、その上官と思しき軍人や他の憲兵数人と共に、この場にやって来た。
早速、現場の確認とその場にいた者達への事情聴取が始まる。ほとんどの受け答えを元文官のリゲルがテキパキと熟し、他の者たちは時折頷くだけであった。
そんな中、一人の男がレオを指さし、あいつだ! あいつが何かやったんだ!
と突然叫んだのだった。見れば、ギルの腰巾着の一人だった。歪んだ形相でレオを睨み付けている。もう一人の腰巾着がその男の肩を掴み、おい! よせと叫ぶ。
その場の全員が唖然とする中、リゲルが即座に騒ぎ出した腰巾着を責める。
「おや? あなたはレオさんがギル殿の背嚢に火を付けたとでも言うんですか?」
「兄貴の背嚢の中にあったのはあいつの原魔石、、、」
レオに食ってかかった腰巾着の一人はそう言い出したところで言葉に詰まる。
薄ら笑いを浮かべながら、集結地近くの森で自分に “お礼参り” をした連中に対して、リゲルが容赦の無い厳しい追及を続ける。
「語るに落ちるとは、こういう事を言うんですね。どうもありがとう。確かにギル殿が原魔石を皆に見せびらかしながら、麻袋に入れて背嚢にしまっていたのは確かですね。私も覚えています。」
リゲルがそう言うと、周囲の男たちも皆頷いて、その言葉を肯定した。
「そして、その少し前にレオさんが、原魔石を盗まれたと訴えていました。
なるほど、あの原魔石はやはり、レオさんのものだったんですね。納得しました。
ところでその原魔石ですが、いつの間に火魔石に変換されたんでしょうか?」
薄ら笑いを浮かべたままリゲルはケインに向かって頷く。ケインも苦笑しながら頷き返す。憲兵隊や軍の高官の前での発言だ。そして、強制されたものではなく、ほとんど自白に近い。それも大勢の前で。証拠としては十分だろう。
かくして、ギルとその腰巾着による原魔石という貴重品の窃盗が確定した。
レオを名指しで告発したギルの腰巾着の一人は、火も使っていないのに、原魔石が勝手に火魔石に変わったと荒唐無稽な主張をした挙げ句、墓穴を掘ったわけだ。
真に皮肉な事に、レオを名指ししたこの男だけが唯一人、真実を言い当てていたわけだが、もちろん誰もそんな事は知るはずも無かった。
ケインと一緒にやって来た偉そうな(階級の高そうな)軍人が訊く。
「しかし、何故、誰も魔石を止めなかった?」
「私も、まず、そう思ったのですが、魔石を感じ取れなかったのです。」
リゲルがそう話す。他の男達も皆頷き、確かにそうだったと口々に言いながら、誰もが首を捻るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、この件は事故として処理される事になった。ギルがレオから原魔石を盗んだ件については、別途ギルのお仲間を連行し尋問する事になった。ベズコフ領都での貢納小麦すり替えの前科についても、ケインが証言したので常習犯と見做され、懲罰部隊行きは確定となった。もう、彼らと行動を共にする事は無いだろう。
最終的にギルの死亡に関する経緯は、以下のように半ば強引に結論付けられた。
元々ギルは火魔石を背嚢の中に持っており、行軍の最中に、本人か周囲の誰かがうっかりその火魔石を “働かせて” しまった。
彼が火達磨になった姿に驚き、焦り、誰も火魔石の働きを止められなかった。
その後ギルが川に飛び込んだまでは良かったものの、背嚢の中にしっかりと閉じ込められていた火魔石が、通常よりも大きな威力を発揮したと推測される。
あの爆発は、水の入った鍋にしっかりと蓋をして火に掛けると、蓋が吹き飛ぶのと同じ現象だと説明された。
そして、ギルは水の中から、周囲の大木よりも高い位置にまで吹き飛ばされたと皆が証言している。人力を遙かに越える力で打ち上げられたわけで、もしハンマーで同じ事をされたなら、全身の骨が砕け散っていても何ら不思議は無い。
ギルの死体は憲兵隊に任され、ギルの子分4人も憲兵隊に連れていかれた。
そして、レオ達は行軍を再開した。まるで何事も無かったかのように黙々と。
残された者たちは、元々ギルと親しかったわけでは無く、ギルは関わりたくなる様な男でも無かったので、嘆き悲しむ者はいなかった。まあ、不幸な事故だった。火魔石を感知して止めてやれなかった事は残念であり、可哀想ではあったが。
それが一行の平均的な感じ方であったろう。そして、誰もがひたすら歩き続ける。
同じく黙々と歩むレオだったが、彼の胸の内は少し違っていた。
彼だけは火魔石をしっかりと感知していた。しかも、それは背嚢から煙が立ち上る少し前からの事だった。感知されたその火魔石は、直視出来ないほどにまで青白く輝く状態になっていたと分かっていた。まさに、あの熊殺しの槍に使う火魔石のように。そしてギルが川に飛び込み、水面に巨大な水柱が現れた直後、その火魔石が燃え尽きて潰れ、感知出来なくなった事まで知っていた。
そう、レオは知っていたのだ。なぜなら、その様に彼が “渇望” したのだから。
レオは、敢えて何も言わなかったし、言う必要も無いと感じていた。ただ、この日を境に彼は明らかに変わった。
辺境の開拓村出身の、人の良い純朴な好青年から、己への悪意や害意に対し躊躇する事無く立ち向かうという、断固たる決意を持つ者へと変わろうとしていた。
その決意は自ずと自分の生き残りに対して、真摯に向き合う覚悟へと進化して行くのだった。この世界の不条理を生き抜き、何としても故郷へ帰るのだと。
そうした心境の変化とともに、レオのさらなる独り立ちを促す、予想外の出来事も起きた。リゲルとの別れであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ギルの死とその後始末が済んだ日の夕刻。ケインがリゲルを連れ去って行った。元々有能な文官であり、冤罪で徴兵されたリゲルを何とかしようと、ベズコフ領時代から彼と親しかったケインは、周辺に働きかけていたらしい。直属の上官にも、ベズコフ領の徴税業務を実質的に取り仕切っていた優秀な男がおり、一兵卒のままでは惜しいと訴えていたという。
今回の騒ぎでは、上官も一緒にやって来て、リゲルの受け答えが極めて的確で論理的である事に感心し、後方勤務の事務職として推薦する事に決めたという。
おそらく、補給に関する仕事に就く事になるだろうとケインは言う。
それは、後方の安全な職場なのだと、レオには申し訳なさそうに説明した。
しかし、レオはリゲルの転出を、彼が安全な部署に異動する事を心から喜んだ。
レオにとって、リゲルは既に身内認定されていた。村長や、ゴードンの様に。
絶望的な状況に落ちてもなお、まだこの世界には信じる事の出来る人間が、確かに存在する。リゲルは、レオにそんな思いを齎した貴重な存在だったのである。
だからこそ、自分とは違って戦いには決して向いていないリゲルが、安全な場所へ異動となるのは喜ばしい事だった。ただ、それは寂しい事でもあった。
テチス国の東方領域から集められたこの集団は、既に軍隊としての編成を整えており、もはや個々人の出身地が考慮される余地は無かった。
レオの周辺には、開拓村の同胞は一人もいなかったのである。
レオは、寡黙な男となった。日々の行軍も教練も大過なく熟してはいたが、かつての様に明るく笑う姿は、そこには無かった。
それでも、後年振り返って見て、それは人として必要な時期ではあった。
拙い、間違いだらけの結果だったとしても、後から考えて後悔しかない判断だったとしても、自ら考え、悩み、勇気を振り絞って自分の歩み出す方向を決める。
それは、この理不尽で不条理な世界をレオが生き抜いて行くためには、間違い無く大切で必要な事だったのである。
レオこと、レオポルト・クルーガーは、こうして険しい道を歩き出したのだった。




