55. 間章2 魔石変換の真実
エリックとシンシアの “新婚旅行” 兼 “逃避行” も、早や3ヶ月を過ぎた。
南国の海を皮切りに、ここまでシンシアの希望に沿って、この大陸の様々な観光地を巡って来た。ただ、世間はそろそろ冬を迎えようとしており、その冬をどの様に過ごすか2人で相談したわけだが、珍しくエリックの意見が通った。
この世界でも、湯治場として有名な温泉街にしばらく籠もる事にしたのである。
エリックには、この湯治場の高級別荘に宛てがあったのだ。
その別荘には、源泉からお湯が引かれており、好きな時に部屋で温泉に入れる。
また、食事も予約すれば毎日届けてくれる。わざわざ外へ出なくても良いのだ。
朝食には焼きたてのパンとともに様々な惣菜や果実が提供され、夕食には下拵えの済んだ具材の入った鍋や、焼くだけの状態の肉が提供される。部屋の中で火に掛けるだけで美味しい料理が堪能出来るのは素晴らしい事だった。
外での食事は、個室が無ければ諦めるしかなかった。
彼の新妻があまりにも目立ち過ぎるため、しばしば変な輩が絡んでくるのである。一度など、そこの街の領主のドラ息子が、同席しているエリックをガン無視して、軟派してきた事すらあったのだ。鬱陶しい事、この上無い。
そういうわけでエリックは、かねてより是非使ってくれと勧められていた、大商会の商会長が所有するこの別荘を使わせてもらい、冬場をここで過ごそうと考えたわけである。イェルマーク王国でも5本の指に入るヤークト商会の別荘を。
事の発端は、エリックがまだ駆けだし魔導師だった十代の頃。魔物討伐遠征の途上で嵐に遭い、街道途中の野営地で数日間足止めされた事だった。
前方の橋が流され、後方は崖崩れで身動きが取れなくなった。まあ、エリック一行は魔物討伐のために野営が基本であり、食料の用意に抜かりはなかったし、水は魔石でこれも問題無かった。
ところが、同じ野営地で足止めされたヤークト商会のご隠居夫婦一行に、そこまでの備えは無かったのである。結果、エリック達が提供した食料は、護衛やメイドも含めたご隠居一行から、大いに感謝される事となった。
後に王都へ帰って来た時、まだ三十代の当代ヤークト商会長からお礼の宴席に招かれ、それが縁となって、以後、討伐遠征で得た原魔石の買い取りを引き受けてくれるようになったのである。
最初の頃こそ、大した原魔石も無く、魔石相場に沿った買い取りだったのだが、その後、エリックの魔導師としての進化に伴い、稀少な原魔石を得るようになるに連れ、目立つ事無く内密に適正価格で買い取ってくれるヤークト商会は、実に有り難い存在となっていったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さらに、エリックが今回の旅で心底感謝したのが、ヤークト商会が身内や一部の上客にのみ発行している商会のメダルと、それに紐付いた預金口座であった。
ヤークト商会の紋章を象ったメダルをエリックにも渡してくれていたのである。
このメダルを示せば、国内外のヤークト商会の本支店で、商会内の口座に預けてある金を下ろす事が出来るのだ。これは、中世世界では有り得ない、実に画期的なシステムなのだった。
通常、貴族や富裕層、騎士や魔導師といった者達は、商業ギルドに口座を持っている。月々の俸給をもらっている者などは、その金が口座へ振り込まれる。
ただし、引き下ろしが出来るのは、あくまでその口座を開設した都市のギルドだけである。他の都市では下ろせない。なぜなら、残高の管理が出来ないからだ。
そんな事は、瞬時の通信と計算が出来なければ、絶対に実現不可能なのだ。
間違い無く、魔法以上に難易度の高いサービスなのである。
そこで、ヤークト商会の商会内口座となる。
本支店の間では定期的に残高の照会と書き換えが行われているため、本店で預けた金を他国の支店でも下ろせる仕組みになっているのである。
当然、口座の保有を許されている者は、絶対的な信用を持つ者であり、あちこちのヤークト支店で、残高のすり合わせが行われる前に片っ端から金を下ろし、残高以上の金を手にして、行方をくらます様な事は無いと信頼されているわけだ。
フンメルが、テチスからイェルマークへの移動途中の国で、大金を入手出来たのも、ひとえにヤークト商会のこの仕組みのお陰であった。
エリックは、魔物討伐で得た原魔石を商会で換金してもらい、さらにその金を、このヤークト商会の口座に入金してもらっており、支店でメダルを提示すれば、その時点での残高までの金額を、他国でも自由に下ろす事が出来たのである。
今回、エリックは国境を越えて、この大陸の様々な国を訪れ、このヤークト商会のメダルの価値を思い知らされたわけだ。そして、新妻にも大いに面目を施した。
さらには、このヤークト商会の本支店間の定期的なやり取りに便乗させてもらう事により、自分の居場所を秘匿したまま、手紙の発送や受け取りが可能となった。
最寄りのヤークト支店に手紙を託し、本店への定期便を経て王都からの発送にしてもらったり、受け取りをこれまた王都のヤークト商会本店とした上で、最寄りのヤークト支店に転送してもらって留め置きといった形にしたりする事も出来た。
“逃避行” 状態の2人にとって、これは本当に都合が良かった。
これにより、シンシアの両親や護衛隊メンバーへの結婚報告に、突如行方知れずとなったお詫び、さらには近況報告までもが可能となったわけである。
ところで、温泉でノンビリという魅力以外にも、実はもう一つシンシアを前のめりにさせる大切な要素がこの温泉街にはあったのだ。
それは、ここの魔素濃度が高いかもしれないというエリックの推測だった。
この温泉街の背後の山は、魔の森となっているのだ。ただ、間に越えられぬ断崖絶壁があり、間の谷は蒸気が噴き出し、硫黄の臭いが立ちこめ、魔物も普通の生き物も生息していなかった。唯一、鳥の魔物だけが時折、温泉街の方までやって来る。
以前は、この温泉街も魔の森の外縁部だった可能性があるとエリックは考えた。
実際、別荘に着いてから試したところ、魔の森ほどではないものの、王都などに比べれば遙かに魔力の回復度は高いとわかり、シンシアは大喜びであった。
別荘には、どんな客人が来ても良い様に、大きなフリースペースがあり、そこで武術や体術の修練が可能となっていた。シンシアはそこで護身術としての体術を、身体強化の訓練と合わせて実施し、汗を流す毎日となった。
まあ、基本的には、とっても快適な毎日ではあったのだが、予想どおりシンシアの魔法少女ならぬ、魔法オタクの本領発揮は凄まじかった。
何か思いつくと、エリックに論争を持ちかけ、時には夜が明けて空が白みかけるまで続く事すらあったのだ。それ自体は昔からあった話なのだが、夫婦となり別荘に2人きりで籠もった現状においては、益々絶好調のシンシアなのであった。
そして、そんな毎日が続く中で、遂に “奇跡の夜” を迎える事になる。
後年、エリックが自分の魔導師人生の中でも5本の指に入る、驚愕の事件だったと振り返る出来事である。実際、それはエリックのみならず、魔法史や魔石研究の上でも、一時代を画す大事件と言えるものだった。
天才シンシアは、世のすべての人間が信じて疑わなかった魔石に関する常識を、この夜、見事にひっくり返して見せたのである。
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その日の議論は、過去に最も激論を交わしていながら、未だに結論の出ない事実に関するものであった。何しろ、3年前にシンシアがエリックの魔物討伐遠征隊に加わり、初めて魔の森に踏み込んだ時に気づいた、あの魔石の件だったのである。
魔の森には、死んだ魔物の原魔石がたくさんあるはずだ。そうした原魔石は雨に濡れたり、風に吹かれたり、土に塗れたりする事で属性石に変化しているはず。
なのに、魔の森を歩いていても、属性石をまったく感知出来ないのが不思議。
そうした事実に対し、この夜のシンシアは、真に驚くべき事を口にしたのである。
「原魔石を属性石に変換する時にしている、火に放り込んだり、水に漬けたりするお約束の儀式って、本当は意味が無いんじゃないかしら? だから、人のいない魔の森では、水溜まりに沈もうが、風に吹かれようが、原魔石はそのまま変化しなくて、それで私たちは魔の森で魔石を感知出来ないんじゃないかしら?
だったら、どうして人は原魔石を属性石に変換出来るのか?
そうね、魔石変換は変換を行う人の意志というか、思念こそが主役であって、お約束行為は人の意志なり思念なりを補強するための “脇役” でしかないとしたら?
そして、もし強烈な思念を込める事が出来るのならば、魔石変換にお約束の儀式なんか要らないんじゃないかしら! そうよ! どう? この考え。」
相も変わらず、自由奔放に自分の考えを一方的に話す妻。いや! いくら何でもね。それも、今回はまた特大の珍説を! エリックは半ば機械的に常識論で切り返す。
「君は、この世界の全ての人々が信じて、日々実行している習慣が誤りだと言うのかい? 世界中の、君以外のすべての人が間違っていると! 人の思念が魔石に影響を及ぼすなんて、そんな事が・・・」
エリックの反論は途中で尻すぼみに終わった。そして、目を見開き絶句する。
『人が思念で魔石に影響を及ぼすだって!?』
それこそまさに魔石の日常的な使い方そのものではないか! 魔石を働かせたり、止めたりしているのは人の意志であり、おそらくは思念だろう。そんな事が出来るのなら、原魔石から属性石への変換も “ちょいと原魔石を押す” 程度の容易い作業なのではないか?
彼が言い淀む姿を見て手応えを感じたのか、微笑みながらシンシアは攻め立てる。
「まあ、世の中のほとんどの人達、魔石変換を実際にやってる魔力の無い人達には無理なのかもしれないわね。思念だけで魔石を変換するなんて。だって、お約束の儀式を間違えたのにちゃんと変換出来ました! なんて事が起きれば、絶対に騒ぎになるわよね。例えば、」
そこまで話すと、シンシアは視線を上方に向けて唇を尖らせ、いつもの黙考スタイルだ。にっこり微笑むと無事、上手い表現を思いついたらしく、話し続ける。
「例えばね、水の魔石が欲しくて壺に水を入れたとしましょう。そして、その壺に原魔石を放り込もうとした時、誤って床に落としちゃったと。なのに何故か水魔石に変化しちゃいましたとかね。そんな事があれば、きっと騒ぎになったはずよね。
でも、そんな話は一度も聞いた事が無いわ。この程度のお約束儀式の失敗なら、それなりにありそうなのにね。だから、魔力の無い人達の場合には、お約束儀式の補助が無いと本当に魔石変換は出来ないんだと思うの。でもね、」
そこで一息つくと、悪い笑みをエリックに向けてきた。まさに悪魔の微笑みだ。
「でもね、原魔石が大嫌いで触ろうともしない魔導師さんの場合、魔石変換なんてあんまりやらないでしょ? もし、魔導師の様な魔力持ちが “強烈” な意志をもって儀式無しで魔石変換を試みたら、どうなると思う? ねえ! 面白そうじゃない!」
2人して見つめ合い、そして頷く。片や勝ち誇った笑顔で。片や苦笑しながら。シンシアは台所へ行くと、調理用に買い置きしてある属性数1の原魔石、通称ドングリ魔石2個を手にして戻って来た。
それからしばらくの間、居間には “賢者タイム” が流れたのだった。
2人はそれぞれ必死に、火魔石になれと心の中で叫んでみたり、実際に声に出してみたりと色々試してみる。
ふと、シンシアの方を見れば、眉間に皺を寄せて唸っている。思わず笑ってしまったが、あなたもそうよ! と切り返された。
そろそろ飽きてきた。大きく深呼吸をする。さっきの “ちょいと石を押すだけ”
という、いい加減な思いつきが疲れかけたエリックの脳裏を過る。
それと同時に、是非そうなってくれたら嬉しいという強い願いもある。それは、ある意味、魔法の発動にも似たものだったかもしれない。
原魔石を手のひらに載せ、目を瞑る。そのまま原魔石の重さを手の平に感じる。円錐形の高い山を想像した。頂上は平たいが、とても狭い円形だ。そこにドングリの格好をした石が載っている。その石を頂上から願いを込めて斜面へ押し出すという想像をしてみる。石は山の麓へ向かって転がり落ちて行った。
その瞬間、何かが起きた!
繋がった! エリックには火魔石が感知されたのだった。目を開けると手の平の上には、赤いドングリが載っていた。
「やった! 出来たぞ!」
そう叫んでいた。向かいでシンシアも大きく目を見開いて、彼の手の平に載っている赤いドングリ魔石を凝視している。妻のそんな顔も綺麗だと場違いな事を考えていたエリックに、シンシアは彼の持つ赤い魔石を見つめながら叫んだ。
「あなた! 感じられない! 私、その火魔石が感知出来ないの!」
その後、彼女も火魔石への変換に成功した。
そして、エリックもまた、彼女が変化させた火魔石を感知する事が出来なかったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
確かに、思念だけで魔石変換が出来た。しかし、普通の魔石変換とは些か様相が異なっているらしい事は、2人にもすぐに理解出来た。変換した本人以外にしか感知出来ないという事は、この魔石を使えるのは変換した本人だけという事になる。
その代わり、普通の属性石には無い特徴があった。
普通の魔石の場合、概ね10歩ほどの距離にある魔石を感知する事が出来、感知した魔石の働きを起動、停止させる事が出来る。
そして、火魔石の場合には、変換した時の温度がそのまま発熱温度となり、人はそれをOn/Off しているわけだ。
ところが、今回変換した魔石に意識を集中すると、その発熱温度を変える事が出来ると感じた。実際に竈の中で試したところ、見た目は全く変化のない色合いで、手で触る事の出来るほんのりと暖かい状態から、眩しい灼熱状態まで自由に温度調節が出来たのだった。
そして、驚く事に、その魔石の魔力残量まで感じ取る事が出来たのである。
2人とも、この結果には大興奮である。
続いて、1個だけ手持ちのあった属性数2の原魔石にシンシアが挑む。
ところが、直ぐに諦めてしまった。どうにも変換出来るというイメージが湧かないと言うのである。まあ、触った瞬間にピリッと来る第一階梯の彼女には、どうやら無理だったらしい。
一方、その魔石を変換出来るか試したエリックは、実行可能という感触を得た。しかも2種類の道筋が見えていた。それは、火魔石と水魔石であろう事は容易に想像がつく。ただ、エリックだけが使える魔石を作っても、普段使いには問題なので変換する事はしなかった。同じ理由と、あまりにもレアなサンプルという事から、例の双頭の蛇から獲った2個の原魔石も、手を付けず温存する事になった。
なお、変換自体は、一度実体験したせいで自信がついたのか、手の平に載せていなくても、ある程度離れた状態でも実行出来そうだという感覚を持った。
その後、2人は今回の魔石変換に関して議論した。前人未踏の新たな境地を切り開いた事は間違い無い。魔石変換の新たな真実に辿り着いたわけだ。
ただし、魔石絡みの案件なので、例によって魔導師界隈への発表は無理だろうという結論だった。まあ、いつもの事である。
そして、2人が今回の新たな魔石変換に対して下した最終結論は、魔法との類似性だった。属性石へ変換するという確固とした意志。どの属性に変換するかというイメージ。そして、それを実現するための、おそらく魔力消費を伴った渇望。
こうした一連の流れは、魔法発動に本当に近いものだと思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
属性数2の原魔石を変換出来なかったシンシアは、多少気落ちした様だったが、直ぐに立ち直った。いずれ近い将来、第二階梯に上がればリベンジだと宣言する。
のみならず、何とも野心的なチャレンジも併せて宣言したのである。
自分が変換した火魔石を、竈の中に高温状態で放置。時折、魔力残量を確認する。
そして、翌月、シンシアは誇らしげに手の平の上で発光するドングリを見せた。
火魔石の魔力残量をチェックしながら発熱、すなわち魔力消費を続け、残量が乏しくなった時点から発熱量を下げて見守り、最後は、ほんのり暖かい程度の微熱状態を幾度か繰り返して、見事に魔力が “空” になった魔石を得たのだった。
天才シンシアは、意図的に廃魔石を実現した世界初の人間となったのである。




