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47. パメラ!待ち人来たる


 まだ若かった頃、現ヤークト商会長は先代の父からこんな話を聞かされた。


「良いか、目聡く見つけた商品を誰よりも早く手に入れ独占的に売る。まさに商売の醍醐味だわな。けどな、それがとんでもない価値のある商品なら、それこそ天下を取れそうな代物なら、そいつを独り占めするのは悪手だ。止めておけ。

 一時的に儲けを減らしてでも、一緒に組める奴を探せ。信頼出来る奴、強い奴、そんな奴らと組め。あんまり欲を掻きすぎると、道の向こうから破滅がやって来るぞ。」


 パメラが差し出したシルクという布地のハンカチを初めて見た時、会長は綺麗な布だと思った。しかし、その場の女性陣(パメラ以外だが)の目つきを見て、これはとんでもない商機だと直感する一方、言い知れぬ不安を感じたのだ。

 そして、ふと思い出したのが昔、父から聞かされた話だった。


 シルクの布が、多くの女性を惹きつけ、虜にするのは間違い無い。

しかし、まだ見本程度の分量しか存在しない超希少品なのだ。だが、それを信じる者がどれだけいるだろう? とにかく寄こせ! 献上せよ! と言う者は必ずいる。


 金が無くて買えない連中は、まだ良い。厄介なのは、金はあるのに買えない連中なのだ。権力者の『欲しい』という意思表示が幾重にも変換されて末端まで達した時の “身の毛もよだつ” 蛮行の数々。浮かれている商会の女性達に会長は(さと)す。


「王家を筆頭に全ての高位貴族から呼び出しを食らうぞ・・・

そして、その騒ぎが広がれば、何としても同じ物を手に入れようと画策してくる連中が現れる。買収、脅迫、尾行に拉致まで行く可能性は否定出来ん。」


 まあ、もちろん会長にシルクを諦める気は毛頭無かった。ここで尻込みして放棄するなど商人として、いや男として有り得ない。

 それでも、これは難題だ。おそらく、自分の人生でも最大級の難題に違いない。

何しろ、荒事を荒事とも思わず、何でもござれという連中が群がって来るのだ。


 会長はシルクの持つ特質を、集まっている面々に語り聞かせながら、自らの考えを頭の中でまとめて行く。シルクに群がる有象無象にどう対処すべきか?

 そういった自分の欲望のためには手段を選ばぬ連中にも、欲しいだけのシルクをくれてやれば問題は起きない。でも、そうなるまでには一体何年かかる?


 では、量産体制が整うまでシルクを秘匿出来るのか? やはり否である。どれほど完璧に秘密を守ろうとしても、所詮は人のやることだ。いずれ秘密は漏れる。

 そして、その価値が知れ渡れば、手段を選ばず入手しようとする者達が現れる。自分や家族が誘拐され脅しの1つも入れば、秘匿技術は簡単に敵の手に落ちる。


 ならば、堂々と陽の当たる正道を歩むしかない。せいぜい強者を味方に付けて。

そして、この国で一番の強者と言うなら・・・


 大陸随一の大国イェルマーク。その王家を高々一商会の、一商品のために動かす事が出来るだろうか? そんな事を考えるだけでも、愚かだと人は言うだろう。

 どんな力業(ちからわざ)を使おうが、そんな傲岸不遜な事は不可能だと誰もが思うだろう。


 しかし、適切な場所に “梃子(てこ)” を用いれば、巨大な岩も動かせるのだ。

シルクの持つ可能性を適切なタイミングで適切な相手に使えば、あるいは・・・

そう、梃子の支点はあるのだ。来年の春、王女殿下は隣国へ輿入れされる。

 シルクの量産体制が整うまでの盾として、王家を頼るべきと腹を括った。


 そこへ至る道は既にある。最高権力へと繋がる道筋は大熊が作ってくれた。

味方としたい子爵からは、娘達の社交界デビューで纏うドレスを依頼されている。まさに天の配剤。受ける旨の返答はしていたが、その時点では “普通” のドレスのつもりでいた。従来の生地を使った一般的なドレス。しかし、ここは・・・


「タバサ、どうする?」


 会長のその問い掛けに、タバサはニヤリと笑って応じる。シルクしかないと。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 翌日、会長はタバサとサリーを伴って、クロイツ子爵邸の応接室にいた。

さほど待たされる事もなく、子爵夫妻と双子の令嬢達が部屋に入って来たが、子爵以外の女性陣の表情は皆一様に硬かった。


 挨拶とともに、タバサとサリーがヤークト商会服飾工房のトップとNo.2だと紹介すると、令嬢達の硬かった表情も心なし緩んだ様に見えた。おそらく、商会の本気度を理解したのだろう。それでも、夫人の方はまだ不安があるようだ。

 ここしばらくの間、娘達の人生の門出を祝うためには必須であるドレスの目途が立たず、日々憂いを抱えたまま過ごして来たのだから仕方が無い。


「お引き受けいただいた事は感謝に()えませんが、ギルドと揉めたりなどは?」


 恐る恐るそう問い掛けてくる夫人に対して、会長は破顔一笑。


「全く問題ございません。何せ、我が商会は既に服飾ギルドから追い出されておりますれば、何の関係もございません。」


 この返答には、子爵も含め一家全員が息を呑む。


「我が商会の新品既製服という新たな商売が気に食わない工房主が多かった様でしてな。されど、規約に反した事をしているわけではないので除名にも出来ず、結局 “追放” という奇妙な形で追い出されました。

 対外的には何も発表されておりませんので、関係者しか知らないはずです。

まあ、うちとしては、仕事は十分にあるのですが、大きなイベントの際にギルドが取り仕切る衣装コンペには参加出来なくなり、その点だけは痛手なのです。」


 そうか、我らは共にギルドから疎外された者同士であったかと力なく笑う子爵。そこで会長は一つ頷くと、居住まいを正して語り出す。


「タバサとサリーが腕を振るえば、お二方には何処へ出ても恥ずかしくないドレスをご用意出来ると自負しております。ただ、子爵家の皆様方は、果たしてそれだけでよろしいのでしょうか? この不条理な仕打ちを許す事が出来ますでしょうか?

 うちの服飾工房の若い者達は、ギルドコンペへの参加の道を閉ざされ、職人としての大きな目標を奪われました。一方、こちらのご令嬢方は、貴族令嬢として最も重要な社交界デビューの機会を失いかけました。どちらも、あまりにも安易に人の人生を踏みにじっていると思います。

 私は、服飾ギルド、さらには背後で圧力を掛けた連中を、このまま許すつもりはありません。」


「ほお、商会長には何か考えがあるようだな。」


「実は、この世界で私どもだけが入手可能なシルクという稀少な布がございます。

その布を用いたドレスでお嬢様方に、是非とも大舞踏会でデビューいただきたい。

舞踏会場を、そして世間をあっと言わせてほしいのです。」


 そう言うと、会長は懐から青と赤の2枚のハンカチを取り出してテーブルの上に載せた。クロイツ家の4人が食い入る様にシルクのハンカチを見つめる。


「どうぞ、ご遠慮なさらず、お手に取って感触も確かめてみてください。そして、この生地で出来たドレスを身に纏った、お嬢様方の姿をご想像ください。」


「こっ、これは一体何ですの?」


 夫人の声は震えていた。会長が答える。


「魔の森の産物です。あの大熊の縁で当商会へと持ち込まれたものなのです。お気に入りいただけた様ですね。」


 母娘3人が揃って頷いた。それに応じて、会長が笑みを返す。


「このシルクを見た女性は、皆同じですな。昨夜見せた私の家内や息子の嫁も同じ有様でした。生地そのものが光沢を放つなど、今まで誰も見た事が無いでしょう。

 これで作ったドレスなら、年明けの大舞踏会で他の参加者全員の印象を掻き消す事が出来ると思いませんか? その中にはギルドに圧力を掛けて、お二方のドレスの製作を邪魔した貴族令嬢も間違い無く含まれているはずです。そして、彼女達の自慢のドレスを作ったギルド加盟工房の連中も、顔色を亡くす事でしょうな。

 我らは、それを見て大いに溜飲を下げる事が出来るでしょう。」


笑いながらそう話した会長だったが、そこでガラリと表情を厳しくする。


「しかし、問題はその後です。間違い無く、シルクを見た高貴な方々は、これは何か? どうやって手に入れたのか? 自分も欲しい! という流れになるはずです。

 残念ながら、現時点では高位貴族どころか、王族の要求にすら満足に応えられない希少品なのです。まったく困ったものです。

 でも、そんな事は関係無く、何としてでも明日までに用意せよと命じられるかもしれません。応じねば、私や家族を監禁し人質にするかもしれません。」


 そこで会長は、懐からもう一枚のハンカチ、白シルクのハンカチを取り出す。


「そうした有象無象から身を守る盾が、どうしても必要なのです。

この “純白” のシルクを最も尊いお方に献上し、我らの盾となっていただく事を考えております。そういうわけで、閣下、ご相談に乗っていただけますかな。」


「わかった。我々は場所を変えるとしようか。」


 会長は、席を立ちながらタバサとサリーに目配せする。二人も頷くと、サリーが持参した鞄からドレスのスケッチを束ねた画集を取り出す。今日この場でドレスのデザインもある程度絞り込めるだろう。また、二人の採寸も済むはずだ。

 そこで、会長はふと思った。双子なのだから、採寸は一人で十分なのではと。

そんな取り留めの無い事を考えながらドアに向かい、子爵の後に続いたのだった。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 年が明け、新年の大舞踏会の開催直前、ヤークト商会長は妻とともに王宮の奥、王族の私的な領域にいた。高位貴族ですら、よほど王族との距離が近い者でなければ入る機会の無い場所である。クロイツ子爵家の者達も揃っている。

もちろん主役は、それぞれ淡い青色と桃色のシルクのドレスを纏った双子である。


 シルクの件で子爵邸を訪問した際に今後の進め方を子爵と相談した。

双子の令嬢には、クロイツ家としての意趣返しとシルクの広告塔としての役割を担ってもらうが、矢面に立たせるつもりは毛頭無かった。ヤークト商会製の品だと、直ちに公言させるつもりだ。そして、矢面に立つ者には矢避けの盾が必要なのだ。

 共に考えた文言を、子爵から王太子殿下へと密かに伝えてもらったのである。


『大熊の毛皮を(もたら)した異国の商人が、今度は異国の布を当商会へ持ち込みました。

皮はこの国の男達を大いに喜ばせましたが、今度の布は世の女達を大いに喜ばせるものと確信しております。つきましては、是非王家のご婦人方にご紹介したく。』


 建国祭を大いに盛り上げた「皮」に匹敵する「布」の話に興味をそそられた王太子殿下に、面会の場を設けてもらう事に成功。そこで王家の女性陣も同席の上で、シルクの紹介を行ったわけである。例によってハンカチが大活躍した。


 その場で、是非ともこの生地を使った王女殿下のウェディングドレスを献上させていただきたいと申し入れ快諾された。服飾ギルドのコンペ案件を見事に粉砕だ。

 正式には現王の孫娘なのだが、王女で通っており、春には隣国へと嫁ぐ予定。

さらに、王家によるシルク販売の管理と保護についても王太子殿下の確約が得られた。取り敢えず、やるべき事はすべてやり遂げた事になる。


 唯一懸念されたのが、シルクドレスの世界初公開が、王女殿下ではなく子爵令嬢であった点だが、社交界デビューの妨害の顛末を説明したところ、王太子妃は眉をひそめ、王女殿下もご立腹。商会長、良くやったとお褒めの言葉をいただいた。

 その代わり、シルクのドレスを間近で見たいので、舞踏会の開催前に是非披露しに来るようにと仰せつかった。そして、今日ここに至るというわけだ。


 双子のシルクのドレスは絶賛された。王家女性陣のあまりの熱狂ぶりに、却って冷静になった王太子殿下が急遽、大舞踏会での双子の登場順位を変えたほどだ。

 思いっきり目立って来なさいという王女殿下の言葉に、双子は力強く頷く。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 度肝を抜かれた。舞踏会場には異様な熱気と興奮が渦巻いている。

あの双子の登場は、一体何だったのだ。あの歩き方、ピッタリ息の合った所作。

金を払ってでも、また見たくなる様な出来映えではないか。

 他の貴族令嬢の静々とした歩みではなく、あの躍動的な歩き方だからこそシルク生地の持つ光沢が一層映えたのは間違い無い。


 隠すよりも公開してしまえ。それも出来るだけ目立つ場所で、ド派手に。

そう思って年明けの大舞踏会の社交界デビューに乗ったわけだが、これほどとは。

そう、仕掛けた張本人ですら、痺れて言葉も無いのだ。皆、呆然としている。


 双子をエスコートしていた子爵と双子の兄は、会場内で子爵夫人と共に見守っていた商会長夫妻のところへとやって来た。会場中央で儀礼挨拶を済ませた後も、鳴り止まぬ拍手の中で、再度四方に向かって挨拶を繰り返した双子が満面の笑みで、家族のいる場所へ歩いて来る。


 クロイツ子爵家の周囲には次第に人が集まり始めた。

2,3人の貴族令嬢が、双子に駆け寄る。「良かった」「心配していた」「素敵だった」そんな声を掛けながら。その令嬢達を双子が笑顔で迎え抱き合っている。

 高位貴族の令嬢の中にも双子のまともな友人達はいたようだ。


 しかし、どこにでも無粋な輩はいる。

双子と友人達とのやり取りで、このドレスがヤークト商会製だと聞こえた瞬間、一人の男が会長に歩み寄ってきた。その顔を会長は知っている。服飾ギルド長だ。


「ほお、この見た事も無い生地はヤークト商会の扱いであったか。良かろう、この生地をギルドに必要量提供するのであれば、ヤークト商会のギルドへの復帰を許す事を考えてやっても良い。この服飾ギルド長が自らな。」


 自分の方から縁を切っておきながら、上から目線で偉そうに復縁を求める姿は、以前報告を受けた金物屋の息子そっくりだなと会長は苦笑する。一体どの様に断ってやろうかと考えていると、突然、若い娘のヒステリックな声が轟く。


 「あなたが、ギルド長ですって! 何故なの! 何故、双子はドレスを着てここにいるの? ギルドは双子のドレスは作らないと約束していたはずよね! しかも、私よりも目立つドレスを用意するなんて。我が侯爵家は絶対にあなたを許さない!」


 その宝石を散りばめたドレスを見て、会長はこの令嬢が “トリ” を務めた侯爵令嬢だと理解した。まあ、自分が今宵の主役だと思っていたら、その後に “大トリ” が登場したのだから、それは怒りで理性も吹き飛ぶというものだろう。

 しかし、会長は生まれて初めて ”(なま)” で見る「語るに落ちる」という珍しい光景に、何故か感動すら覚えていたのである。


「あらあら、随分とまた聞き捨てならないお話をされてますこと。」


 再び、若い女性の声が響くと、周囲の者達が一斉に(ひざまず)く。王太子一家の登場だ。

声の主は、王女殿下であった。それに続いて、色々と訊くべき事があるようだなという王太子殿下の声。ギルド長と侯爵令嬢を別室へ案内し、審問官を呼ぶ様に護衛の近衛騎士に命じた。二人とも真っ青だ。

 立派な身なりの高位貴族が、娘は舞踏会の慣れない雰囲気に呑まれてと、必死に釈明し始めたが、仲良く父娘で連行されていった。


 そして、その直後に王太子殿下が高らかに宣言する。


「明日、正式に布告するが、この双子の令嬢が身に纏っているシルクという生地は今後、イェルマーク王家の専売品とする。

 この生地の素となるシルク糸は魔の森の産物であり、ヤークト商会が王家に齎したものであるが、これを欲する者は王家に希望を出す事になる。盗難はもちろん、王家が許可していない者が身に着けていただけでも厳罰に処す。心するように。

 この措置は、シルクの供給が十分と判断されるまで続く事になる。」


 王家による、この布告は稀少なシルクを得るためには手段を選ばずという行為を封殺する事になるだろう。ヤークト商会は当面の安寧を手に入れたわけである。

 何故、人の道を外れてまで希少品を欲しがる者がいるのか?

それは、大勢に披露して自慢したいからだ。それが、この布告でシルクを身に纏う事が、自分は非合法に手を染めたと白状する事になってしまったわけだ。

 後に、多くの貴族家や大商会の女性達が、この布告を歯ぎしりして悔しがったと言われている。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 一方、パメラはシルク糸の艶出し作業以降は、サザーランド領でのシルク増産に向けた計画立案に集中していたが、そんな忙しい最中、待っていた便りがフンメルから届いた。

 夏の終わりに、彼が長年仕えたミラー商会の会長がついに亡くなったという。

彼は新会長となった会長の息子に暇乞(いとまご)いをして認められたので、一月ほどかけて引き継ぎや挨拶を行った後、イェルマークへ向かうという。年末頃には来るだろう。


 そして、パメラは会長と若旦那に大胆な願い事をした。

フンメルをシルク事業の責任者とする事。そして、自分をその補佐役にして欲しいと訴えたのである。ところが、それは拍子抜けするほど、あっさりと認められた。

 逆にパメラがその理由を会長に訊いてしまう事になり、これには会長と若旦那も大笑いだった。


 ヤークト商会には元々製糸事業は無い。シルクは全くの新事業なのだ。

さらに今後の増産計画は、上はサザーランド侯爵家という貴族から、下は魔の森周辺の村々を相手にした交渉と利益調整が主な仕事となる。長年、商会の番頭を務めてきた実務派のフンメルには打ってつけの仕事だろう。それに、あの誠実さが服を着て歩いている様な男には、本当に向いていると会長は言う。


 しかも、大熊の毛皮の件で商機を見極める才覚も示した。

そして、おまけと言いながら、パメラを救った事も大きい。そこで示した豪胆さも見事なら、そのお人好しぶりも商会を裏切るはずは無いと信じるに足ると言う。


 既に、フンメルというトップ不在のままシルク事業はスタートしていた。

まずは、王都に出て来ていたサザーランド侯爵への挨拶と事業説明である。

会長がパメラとともに、王都の侯爵邸へと赴いて老侯爵に面会してくれた。

 既に齢70近い侯爵は、知性を(たた)えた学者肌で静かな佇まいの人物であった。

会談は何の問題も無く終わった。まあ、サザーランド領にとっては、今のところ何の損も無い話なのだから当然である。


 侯爵は、一旦は引退した身であったという。ところが、例の流行病で王都にいた一族全員を喪い、唯一人残った幼い孫娘が婿を取って独り立ちするまでと、現役に復帰したそうだ。普通なら認められない庶子の孫娘を跡継ぎにという異例の相続ながら、王家がそれを許したのは、サザーランド侯爵家の長年の地道な貢献を評価しての事だったという。


 侯爵家の実権はもちろん老侯爵が握っているが、領地では実務のかなりの部分をとある人物が差配しているという。侯爵は会長に対して、後は、あやつと話してくれと言うと微笑みながら頷いた。てっきり家宰だと思っていたら、意外な事に何と魔導師なのだという。侯爵家の魔導師を率いる魔導師隊の隊長だとか。

 さらに、会長とは魔石の取引で旧知の間柄だそうで、至ってまともな御仁という評価である。どうやら、フンメルの初仕事はその魔導師殿との交渉になりそうだ。


 そして、様々な雑事に没頭しながらも大舞踏会の結果に商会一同が熱狂した後、中々来なかったフンメルが、ようやく年明けから半月後に到着した。

 フンメル到着の報を受けて、急ぎ会長の執務室へとやって来たパメラだったが、そこで見たフンメルは明らかに元気が無かった。旅の疲れだけでは説明のつかない心労が見て取れた。パメラの心配顔を見て頷いたフンメルが口を開く。



 フンメルの語った内容は衝撃的だった。あのベズコフ領都が魔狼の大集団による襲撃を受けたと言うのだ。そして、大きな溜息を吐いて肩を落としたフンメルが、絞り出す様にして漏らした言葉は、パメラを凍り付かせた。


「開拓村は、壊滅しているかもしれません。」




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