40. パメラの幸運とケインの不運
イェルマークへの約1ヶ月の旅路は、パメラにとって楽なものではなかったが、楽しいものではあった。
旅の前半の野営では、夜は馬車の中での就寝となったが、時折聞こえてくる野獣の遠吠えはやはり怖かった。一緒に同じ馬車で枕を並べる女性達がいる事が、本当に有り難かった。
そして、全く異なる生い立ちながらも年齢の近い彼女達との移動中のお喋りは、新鮮で興味深いものだった。男性陣も傭兵とは言いながら粗暴な者は全くおらず、フンメルが安心して自分を託した理由が良く分かった。自分は何という幸運に恵まれたのだろうと、しみじみ感じたものだった。
イェルマーク王国へ入国した時点で遠征先を秘匿する必要は無くなり、野営生活も終わった。国境近くの都市で宿を取り、本当に久しぶりの入浴も堪能出来た。
休養を兼ねて宿で2泊する事になり、翌日は終日自由行動となったので、ここで街着を買い揃える事も出来た。フンメルが渡してくれた金貨のおかげである。
本来ならレオさんの弓代になっていたはずなんですけどねと、笑いながら渡してくれた金貨10枚を、彼女は遠慮する事無く受け取った。
もう、パメラは腹を括っていたのである。
フンメルは命の恩人であり、彼女に新しい人生を与えてくれたと言っても過言では無い。彼に受けた恩義に、新たに金貨10枚が加わったとて何の違いがあろう。
そして、フンメルが用意してくれたイェルマーク王国屈指の大商会への紹介状、この大陸の庶民にとって、おそらく楽園への通行証にも等しいものだろう。
そんな物を自分のために用意してくれたフンメルの信用を、自分のせいで傷つけるわけには行かない。否! 良い人を紹介してくれたと言われる事すら生温い!
フンメルがヤークト商会に現れた時、既に一目も二目も置かれる存在となっている事を目指すのだ。自分の活躍でそんな状況を作り上げたいと切望した。
そのためには、今までの様な自制はしないとパメラは固く決意したのである。
自分の中のもう1人の住人、ミカが『リミッター解除ね!』と燥いでいた。
尤も、これまでミカの知識で都合良く助けられたという記憶はあまり無い。
例えば今回の大熊の毛皮にしても、毛皮を工夫して大熊が生きている様に見せようと話し合っている時、即座に『剥製ね!』と心の中で囁くものの『それって何?』と訊けば、『ごめん! 詳しくは知らないんだ。』で終わりなのだ。
まあ、パメラも獣の解体とか毛皮の処理なんて知らないから、責める気は無い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
幼い頃、パメラは自分の中に得体の知れない膨大な記憶がある事が、何とも薄気味悪くて恐ろしかった。あまり考えない様にしていたものだ。見た事も無い景色や聞いた事も無い言葉、そして初めて見る文字。しかも、それらの意味を何故か自分が知っているらしいという朧気な自覚。心を静め、そっと寄り添えば、その記憶に触れる事が出来る事も理解していた。
パメラの成長に伴い、記憶の輪郭は少しずつ鮮明になって行き、やがてその記憶の本来の持ち主と対話をするようになっていった。ミカという名のその若い女性、最初はパメラの母親か姉のような立ち位置で優しく接してくれたと思う。
ミカからは、自分の事は誰にも話さないようにと言われた。やはり、ミカと自分との関係は普通ではないのだろうとパメラは思い、決して人には話さなかった。
それでもパメラは、一度だけこの心の中の “驚異” を他人に相談した事がある。子供達に読み書きと算術を教えてくれる地域の学校。そこで仲良くなった一人の友人に、パメラはそれとなく訊いてみたのだ。あなたは、自分の心の中で誰かと対話をしたりする事はあるだろうかと?
いつも大人しいけど、思慮深い雰囲気のその女生徒は、しばらく考え込んだ後に「ある」と答えた。家族や親しい人々が、この場面なら多分こんなふうに言うんだろうなと、心の中で想像する事は良くあると言うのだ。
パメラはしばらく、その子と語り合った。そして到達した考えは、要するに自分の中にある身近な人々に対する膨大な記憶を元にして、心の中にそうした人々を形作り、如何にも彼らが言いそうな言葉を自分自身が紡いでいるという事。
この一連の会話は、パメラにとって救いとなった。
長年というほどの人生を未だ生きてはいないパメラだったが、実は怯えがあった。経験も知識も遙かに自分を圧倒するミカによって、自分の意識が(それはパメラ自身という事になるわけだが)追い出され、乗っ取られてしまうのではないかと。
それが、学校の友人との語らいにより、身近な人々に対する記憶が元となって、心の中でその相手と対話を交わすのは、自然な事なのだと知ったのは大きかった。
膨大と言うのも憚るほどの圧倒的なミカの記憶を、単なる記憶と割り切り、自分に乗り移った霊的なものではないと信じる事により、ようやくパメラはミカと向き合えるようになったのである。
そうして、落ち着いてミカと交流するようになってみると、彼女は意外と抜けていると言うか、けっこう “ポンコツ” であると思うようになったのである。
例えば、ミカはこんな事を言っていた。
ミカの世界の人間がこちらの様な技術の未発達な世界にやって来た場合、元の世界の知識を使って無双する事が出来るのだと。それを「ちーと」と呼んでいた。
一番多く登場するのが、「火薬」とかいう物で、只人に魔導師の火魔法以上の攻撃を可能にする大変な代物だとか。ミカの記憶の中の光景を見ると、その威力は確かに途方もない。ただし、幸か不幸かミカはその製法をまったく知らなかった。
次に多いのが、ミカの世界の珍味を再現出来る調味料の話。これもまた、ほとんどの調味料の製法は分からない。唯一ミカが知っていると主張した「まよねえず」と言う白い調味料は、材料として生の鶏卵を使うと言い出した時点で却下した。
そんな物を食べたら、お腹を壊して大変な事になってしまう。
何かミカにも作れる異世界の品は他に無いのかと訊いて出て来たのが、盤面遊戯の一種だった。表裏が白黒に塗り分けられた硬貨の様な円形の駒を、盤面上でひっくり返しながら勝負する遊戯。ルールは誰でも簡単に覚えられるという。
しかし、真に残念ながら、この話にも “ただし” が続いた。彼女は、2,3回遊んだ後はこの遊戯に飽きてしまい、その後はまったくやっていないと言うのだ。
ちなみに、彼女が知る異世界の盤面遊戯の中には、その遊戯の最強の者を決める競技会があり、強者はそれだけで十分生活出来るほどの収入を得られるという。
お約束どおり、ミカはそうした遊戯のルールを知らなかった。
そして、彼女が唯一ルールを知っている白黒ひっくり返し遊戯では、そうした競技会は無い様で、その遊戯で食っている者もいないらしい。まあ、一時の暇つぶしには良さそうだが、これで金儲けは無いわ! とパメラは遠い目をしたのだった。
ミカは確かに色んな事をたくさん知っている。けれど、それは色んな事柄の断片を、ただ大量に知っているだけなのだ。彼女が何か真っ当な物を一から作れるかと言えば、そんな物は恐らく無い。その点、裁縫を学んでいて、布地さえあれば服を作れるパメラの方がミカより上かもしれなかった。
パメラにとって役に立つミカの記憶は、彼女の中にある情景の場合が多かった。ミカが日頃何気なく見ていた平凡な光景。それが、こちらでは驚天動地なのだ。
フンメルへの恩返しのためには、ミカと一緒にミカの記憶をこれまで以上に注視し、そこから商売のタネとして使えそうな物を少しでも拾い上げるしかない。
理想を言えば、フンメルがヤークト商会に現れた時、彼が独自に率いる事の出来る新しい事業がある事が望ましい。商会の既存の事業には無い新規事業だ。
王都への移動中に周りの景色を眺めながら、何か利用出来る物はないものかと心の中でミカと語り合うパメラだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イェルマーク王国内に入ってからの後半の旅路は、立派な街道とちゃんとした宿に泊まりながらの移動であり、前半よりも格段に楽なものとなった。旅のゴールと言える王都の正門である南門に到着したのは、日が落ちた直後だった。
この世界の都市における街門の開閉は、日の出・日の入りに合わせて行われているのだが、流石はイェルマーク王都と言うべきか、警備体制には絶対の自信があるらしく、終日、門は開いており王都の出入りは自由であった。まあ、そうしないと食料を始めとする日常必需品の物流が追いつかないのだそうだ。
出来るだけ目立たぬ様にと、日没直後に王都南門に着いたわけだが、簡単な検査と聞き取りの後、無事、門をくぐり抜けた先には斥候役のケンが待っていた。彼は2日前に先行してヤークト商会に任務成功と到着予定日の報告に向かっていた。
ケンによって伝えられた商会からの指示に従い、商会倉庫の一つへと向かう。
ケンは、一行の王都南門通過を伝えに再び商会へと戻って行った。
着いたのは、何台もの馬車がそのまま乗り入れられる大きな倉庫だった。
倉庫内には既に10人ほどの男達が待っており、馬車から降りたパメラはガードナーに促され、一緒に男達の方へと向かう。光魔石で倉庫内は十分に明るかった。
年配の男が、よう! ご苦労さんと笑顔でガードナーに声を掛ける。
ガードナーも、旦那! お待たせしました。でも、上々の物だと思いますよと明るく応じながら歩み寄る。旦那と呼ばれた男のすぐ後ろには、若い男が続いている。
ガードナーがパメラを2人に紹介するとともに、2人がヤークト商会の会長と若旦那だと彼女に教えてくれた。
「そうかい、あんたがフンメルの紹介で来たパメラさんかい。ケンから同行者ありと聞いていた。明日にでも詳しい話を聞かせてもらうとして、まずは毛皮だな。」
会長はそう言うと、倉庫で待機していた男達とガードナー傭兵隊のメンバーが、荷馬車から大熊の毛皮を降ろすのを見守る。
毛皮を載せた馬車は、倉庫入口付近の大きな天秤のすぐ横に停めてあった。
馬車の横の床、天秤の真下に、広くて厚い生地の麻の布が広げられる。その上に大熊の毛皮は一旦置かれ、皆で検分を行う。デカいな! と誰かが呟き、皆が頷く。
天秤は倉庫の様々な荷物の重さを計るため、重量物にも耐えられる様に頑丈な作りだ。天秤を上から吊るす太い縄は、天井の梁から滑車を介して伸びていた。
その天秤を大熊の背後から肩の辺りに宛がい、その両端に熊の両腕と言うか、両前脚を絡めて縄で括り付けた。天秤を使った大熊の “磔” といった絵面である。
続いて熊の首の辺りを、天秤を上から吊り下げている縄に縛り付けた。これで天秤を上げても熊の頭部がダラリと前傾しないで済む。
滑車を使って天秤と毛皮が巻き上げられる。
巻き上げは途中で何度か止められ、その都度、毛皮の検分が行われた。
商会で毛皮に詳しい者や木工職人が呼ばれているという。最終的に後脚が床から浮き上がる寸前で巻き上げは終了。吊り下げられた大熊は、本当に大きかった。
フンメルのアイデアで、熊を直立させて生きている様に見せるため、内部に型や木枠を入れる事になっていた。開拓村では藁入りの麻袋を毛皮の内部に詰めて、要所を縄で吊り下げただけだったが、こちらは木工職人を呼んで毛皮を自立させるという、より本格的なものになる予定だ。
型や木枠の製作のため、大工と家具職人に声を掛けたという。皆、日頃の仕事とは無関係の作業だろうに、喜々として大熊の毛皮を検分している。
「こいつは、凄い! 想像していたよりもずっとデカいな! 木がもっと要る。」
毛皮内部に木材を入れる際、毛皮に新たな傷を作らないで済むよう、大熊解体の時に刃入れされた箇所を出来るだけ利用しようと職人達が相談を始めた。
会長はガードナーに、長旅の疲れもあるだろうから今夜はもう休めと指示する。商会傘下の宿を取ってあり、夕食も用意していると言う。遠征の報告は明日、昼飯でも食いながら聞き、パメラの話もその後に聞こうと言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の昼食時、会長は至って上機嫌だった。もちろん大熊のせいである。
何でも、今回の建国祭向けの出展品を王国内の商会が競い合っており、ヤークト商会に日頃から並々ならぬ対抗意識を燃やす老舗のネルソン商会が、やたらと煽っているのだそうだ。噂では、金銀細工に宝石を散りばめた宝剣を用意したらしい。
ヤークト商会から出展品に関する話が一切出て来ないのは、ネルソン商会の宝剣に驚倒し、これでは勝てぬと頭を抱えているからだと吹聴しているらしい。
中には、ショックのあまりヤークト商会の会長が寝込んでいるという噂まであるらしい。その噂は、当の本人が目の前で笑いながら元気良く話してくれた。
「お前さんたちの見事な仕事ぶりのおかげで、誰にも気づかれずに毛皮を王都まで持ってくる事が出来た。だからこそ、この見事な毛皮のお披露目をどうするのか、自由に絵が描けるというもんだ。本当に感謝しているよ。」
そう話す会長に、キャロが笑顔で問い掛ける。
「あの毛皮なら間違いなく宝剣に勝てると思っておいでですか?」
「ああ、金さえあれば宝剣は作れるだろうが、毛皮はそういうわけにも行くまい。物は文句なしの一級品だ。あとは、どうお披露目するのが一番効果的かだよな。
みんな、何か良い考えは無いか。パメラだったか、お前さんはどうだい?」
新顔のパメラにいきなり無茶振りするのが、いかにも会長らしいと皆が笑う。
しばし考え込んだ後、微笑みを浮かべるとパメラは口を開いた。
「誰もが驚く様な物を、誰にも知られずに持って来られたわけです。どんなふうにお披露目して誰を驚かせるのかは、見せる側のお楽しみですよね。それならいっその事、このまま王城まで秘密裏に運び込んでしまい、王家の方々にお披露目の仕方を任せてしまうというのは如何でしょう。」
会長はニヤリと笑うと、同じく笑顔の息子と顔を見合わせ、頷き合う。
多少驚いたけれど、意表を突いたわけでは無さそうだ。会長が説明する。
「俺たちも同じ事を考えていてな。何とか秘密裏に王城内へ運び込めねえかと知恵を絞っていたわけだ。宰相補佐官で一人、話の分かる御仁がいるんでな、まずは、その御仁に現物を見せて真夜中に運び込む許しを得ようと考えてるんだ。
皆も聞いてるとは思うが、今回の建国祭の出展品で、王太子殿下を唸らせた品は金貨1万枚と言われてる。熊の毛皮に唸り、そいつをどういう順番で誰に見せるか決められるというのは快感だよな。毛皮への思い入れも湧くというもんだろう?
まあ、仕掛けるのは熊が目覚める半月後だな。お前さんたちも見に来てくれよ。」
なるほどと一同が頷く。その後は、大熊を倒したレオの話題となった。
以前、フンメルをノケ反らせた話を交えつつ、レオは相討ちで亡くなった事にし、名前もレオではなく「マルコ」という名前で外部には公表すると説明された。
昼食会も終わり、解散となった。パメラはこれから就活の面接である。
カーラとキャロがパメラのところへやって来て、あなたは合格よ! また会いましょうねと耳元で囁いて去って行った。
まあ、そう言われても、当人としては緊張していないはずはない。
それでも、フンメルからの紹介状を受け取って読み始めた会長に、では父上、後は任せましたと告げ、パメラに対して、今後よろしくと言葉を掛けて部屋を出て行く若旦那を見送りながら、どうやら最初の関門は突破した様だと思うパメラだった。
例によって彼女の心の中では、ミカが「ガッツポーズ」を決めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
神様が、世の幸運と不運のバランスに常に気を配っているとも思えないのだが、パメラの幸運の裏返しとも言える不運に見舞われていたのがケインだった。
ベズコフ領で若様モーリの取り巻き殺人事件の捜査責任者に任命された警備隊の小隊長である。平民出身ながら彼の実績は抜きん出ており、今回の任命も何ら不思議では無かったのだが、本人としては全くもって嬉しくは無かった。
恐らく犯人は現場となった古着屋の店主、パメラで間違い無いと思われた。まあ果たしてこれは殺人事件なのか、ケインには甚だ疑問であったのだが。
被害者は、領主家とも縁戚関係の男爵家三男デニス。父親は前のベズコフ騎士団長で、実兄が現在の騎士団長だ。両者とも評判は芳しくない。その彼らからも見放され、ほぼ勘当状態であったのがデニスである。
事件は厳しい箝口令が敷かれ、当初こそ被害者デニスの親族は、皆一様に事件を黙殺していたのだが、ある時点から風向きが変わった。
隣領を始めとするテチス王国内のあちこちの都市の新聞で、今回の事件の詳細が報じられたのである。内容は、領主の娘が取り巻きとともに古着屋にたかり・・・というところから始まり、丸出し用心棒にお漏らし令嬢という結末であった。
ベズコフ領都の住民なら誰でも知っている内容だったが、国内隅々にまで広がったというその衝撃は想像を絶するものだった。
ベズコフ領主は、急遽 “重病” となり、王都への出仕を欠席。娘も進行中だった縁談は消滅。もはや、貴族家相手の嫁入りは不可能と言われた。
かくして、丸出し用心棒の父兄も目の色を変えて捜査の進捗に口を出す様になる。とりわけ引退して暇な父親は、ほぼ毎日警備隊にやって来る様になった。
苦労して探し出した彼女の住居からは、意味のある物は何も出て来なかった。
8年前にこの領都へやって来たパメラは独身であり、恋人もいなかったという。
幼い頃に孤児となり、養父母に育てられたが、二人とも既に他界していると話していたそうだ。彼女を知る者達からの評判は例外なく良いものだったが、身の危険を冒してまで彼女を匿おうと思う人物に心当たりは無いかと問えば、皆口を揃えて、思いつかないと言うのだった。
まあ、知っていても言う気にはならないだろうなと、ケインは感じたものだ。
犯行の夜、間違い無くデニスは、パメラを襲う気満々で人気の無くなった時間に店を訪れていた。店から男の叫び声が聞こえたという複数の証言を得たが、それは死体発見の前々日の夜で一致していた。古着屋が軒を連ねる通りでその時間帯なら人通りは無いだろう。事件後に店から出て行ったパメラの目撃者は皆無だった。
パメラの店の2人の従業員については、デニスが犯行の少し前頃から店で散々の嫌がらせをしたため、休んでいたらしい。この騒ぎで態々店に舞い戻って、厳しい取り調べを受けようとは思わないだろう。こちらも行方はわからない。そもそも、名前だけしかわからず、風貌も住所もわからないのだから探しようもない。
当初の想定どおり、この事件での聞き込みは難航した。住民に協力の意思は感じられない。警備隊独自で動くしかない。しかし、領都内の全戸を家捜しするほどの捜査体制は無かった。そこで、行き場を無くした若い女が身を潜める事が可能だと思われる歓楽街への捜索を集中的に行った。真っ昼間の娼館に踏み込んだところ、とある部屋の前で店の主人が必死になって隊員を押しとどめたという。
当たりを引いたかと勇み立つ隊員に、店の主人が言った言葉は「若様がいます」であった。部屋のドアをこっそり監視していたところ、確かにモーリが大変にふくよかな女性(それは明らかにパメラとは異なる体格)に送られて出て来たという。
流石にケインもその話を聞いた時は、脱力したものである。
捜査の初期段階にはセオリーどおり、領都からの脱出を想定した調査と対応を行っていた。街門の警備部隊や唯一の定期便の御者達には聞き取りと注意喚起を行ったが、有力な情報は得られなかった。周辺都市の警備隊にも手配書を送付したが、こちらの方も今のところ返答は無い。
一体、パメラはどこへ行ったのか? 実に見事な消失ぶりだった。
聞き込みでパメラの行方や人的繋がりは分からなかったが、店の帳簿から意外な情報が得られた。それは、店の商品の仕入れ先と大口の顧客に関する情報だった。
即座に双方へ調査班を派遣した。しかし、結局は空振りに終わった。
仕入れ先は、パメラが養父母に育てられた都市にある大手の商会だった。
成人になると同時にそこで働き始めたパメラは、服飾に関するセンスがずば抜けており、容姿の美しさもあって商会長夫婦に気に入られ、その息子と恋仲になった。いずれは夫婦にと思われていたのだが、領主の娘が割り込んできたという。
不祥事から貴族家への嫁入りが困難になった自分の娘を、領主が地元の有力商家に無理矢理捻じ込んだらしい。憐れ、行き場を失ったパメラに商会長夫婦は迷惑料を払い、仕事上の援助を約束して送り出したそうだ。そうしてベズコフ領都へ。
パメラがここへ舞い戻って来た形跡は全く無かった。その途中の都市へ寄った記録も無かった。
ケインは、調査に行ったものの空振りとなった隊員を労いつつも、この話を聞いてパメラに同情を禁じ得なかった。貴族令嬢に泣かされる運命なのかと。
一方、大口顧客の調査だが、こちらは調査にすらならなかった。
そもそも、古着の商売に大口の客がいるとは思っていなかったのだが、毎年何十着もの古着を買っていく客がいたのだ。それは、ベズコフ領都の南にある開拓村。
商店すら無い辺境の村では、毎年貢納の際に領都で売った毛皮や魔石で、村民の衣服をまとめ買いして帰っているそうだ。
道も無い草原をそんな遠いところまで、若い女が行けるものかと思ったが、命がけなら出来るかもと思い、調査班を派遣したのだが、這々の体で帰ってきた。
途中の草原で魔狼と出くわしたと言うのだ。巨大な白い狼が率いていたという。
どうしても行けと言うのなら、騎士団の護衛をお願いしますと懇願され、これではそもそも女一人で行けるはずも無いと感じたので、取りやめとした。
ただ、この魔狼の話には違和感が残った。以前は、そんな事は無かったのだ。
実は、この事件の少し前に彼は、開拓村の手前に位置する三の村に行っていた。
4年前に起きた麦の貢納品に偽物が混じっていた事件。文官のリゲルから相談されて自らアドバイスをしていたのだが、その時騒ぎにしなかったせいか、ほとぼりが冷めたと思ったらしく、犯人達はまたしても同じ事を繰り返したのだ。
不審者がいるとの連絡を受けて倉庫へ駆けつけてみれば、5人の若者が皆揃って私物と言い張る妙に大きな背負い袋を持っていた。中身は貢納品の小麦袋だった。
結局、処罰は同行していた三の村のリーダーに任せ、後日、確認のために三の村を訪問すると言い渡した。事を上に上げれば大変な騒ぎになるので、敢えて上には内密に三の村を訪問したのが、ほんの数ヶ月前の話だ。
三の村では、例の5人は当分の間、村の汚物処理の仕事をやらされると決まっていた。村長からは穏便な処置について、随分と感謝されたものだった。
三の村と開拓村で、それほどまでに魔物の出現具合が違うものなのだろうかと、ケインは不審に感じた。しかし、それ以上の事はわかるはずもなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、半年経ってもパメラの行方はわからず、新たな手がかりも無かった。
焦燥の日々が続く中、ついに領主からの呼び出しが来た。捜査の進展が無い事の責任を問われるのは間違い無い。軽くとも降格。下手をすればクビかと覚悟する。
嫌らしい笑みを浮かべる元・現騎士団長が脇に立つ中で、厳しい顔つきの領主は予想どおりケインの降格を言い渡した。
しかし、その後に渡された辞令を見た彼は、その想定外の内容に凍り付いた。
辞令に書かれていたのは、彼を隣国との戦争に派遣するというものだった。




