4. 知らぬ間にタブーを犯す
レオはベッドの中で残余の魔力で身体の各部位へ “軽く” 意識集中をしてみた。頭から始め、右腕、胸、左腕、腹、右足、左足。そして、また頭へと繰り返した。頭に意識集中すると冴え渡る気がした。その他の身体部分は、ほんのりと暖かくなる感じだ。武術鍛錬時にやるような本気の意識集中による “漲る” 感じとは、またちょっと違った感覚だった。面白いなと思いつつベッドの中で繰り返していたら、しだいにダルさを感じてきた。ベッドの中だし、まあ良いかとそのまま続けていたら意識を失ったのだった。
これこそ魔力循環。自然発生の魔素循環とは異なる意図的な魔力操作である。元々は、残っている魔力で何か出来ないかと考え、身体各部への “軽い” 強化のつもりで始めたものだった。ところが、意識集中を次々に、身体の隣接した部位へと連続して行う行為が、あたかも体内を魔力でなぞってゆく形となり、結果的に見れば、それは魔力循環そのものになっていたわけである。
この意図的な魔力の体内循環は、これまた魔力操作の基本中の基本であった。
また、魔力循環による魔力の緩慢な消費は、魔導師を目指す魔力持ちの子供たちにとって、毎日欠かす事の出来無い必須修行だったのだ。尤も、レオがやっていた様な失神するまで魔力循環を行う子供など、この世界には一人もいなかったのだが。
多くの魔導師やその卵たちが、その単調さから嫌がる魔力循環の修行なのだが、そうとは知らずにレオは、毎晩欠かさず失神するまでこれを繰り返したのである。何故なら、魔力枯渇で寝落ちした翌朝の目覚めが、すこぶる良かったからだ。
とにかく、過去にちょっと覚えが無いほどの爽快な目覚めで、身体の疲れも見事なほど綺麗さっぱり取れていた。実際これをやって寝落ちすると、前日にどれだけ過酷な作業をしていても、翌朝に疲れや痛みは残らず素晴らしい回復ぶりだった。
レオが迷う事無く、これを日課としたのも当然だろう。それが魔の森という魔素の濃厚な場所で眠りに就いている “地理的幸運” の恩恵だとは、気づきもせずに。
まあ、この無知のせいで後年、レオはとんでもない目に遭うのだが。
ところで、この世界の他の魔導師たちが、レオのこの “日課” について聞いたとしても、誰も真に受ける事は無く、到底信じようとはしなかっただろう。
なぜなら、魔力を使い果たして失神してしまうのは魔導師として恥ずべき失敗であり、彼らの常識では絶対に避けるべき “タブー” とされていたからだ。
それは、魔導師修行の中で必ず体験し、思い知らされる “苦行” でもあった。
魔力枯渇による失神後の “ガス欠” 状態から回復するには何日も必要とし、その間は極めて不快な倦怠感に苛まれるのだ。魔法の修行どころか一切の日常生活すらままならず、悲惨な状態が続く事を知っていたからである。
では、どうしてレオだけが、こんなとんでもない “タブー” 修行が可能だったかと言えば、それはもちろん、濃厚な魔素の漂う魔の森に住んでいたからである。
この世界の辺境地域では、村の近くに魔の森がある事などさして珍しくは無い。
しかし、レオの住む村は、村の住人たちでさえ忘れかけていたが、中州が無ければ誰も手を着けなかった “真性” の魔の森そのものだった。そして、今も昔もそんな魔の森の中に造られた村など、この世界に存在した事は無かったのだ。
純朴で無知なレオの村の住民たちは日々の農作業を熟し、時折現れる魔物と闘いながらひたむきに生きていた。自分達が住んでいるこの村が、他のどんな場所とも一線を画す、桁違いに濃厚な魔素の漂う場所である事など知りもせずに。
他方、この世界のエリートたる魔導師が住んでいたのは、王都や高位貴族の領都といった大きな都市ばかり。魔の森の様に魔物が自然発生する場所ではないから、魔素は希薄なのだ。消耗した魔力を回復させようにも、大気から取り込める魔素は微々たるもの。一旦魔力を使い果たそうものなら、その回復には何日も要した。
しかし、それがこの世界の “普通” だったのだ!
そうした “普通” の世界とは大いにかけ離れた魔の森で生まれ育ち、魔力持ちとなったレオだったが、魔の森はその後の彼の日常にも、当然影響を及ぼしていた。
師もいないレオが単調で憂鬱な魔導師修行を続けられたのは、朝の爽快な目覚めという予想外の “おまけ” のせいだったが、その奇妙なおまけも実は、森の濃厚な魔素に起因するものだったのだ。
魔力を枯渇させ、失神状態で眠りに就いたレオの身体は、文字どおり飢餓状態の如く魔の森の魔素を貪欲に体内へと取り込む。結果として、体内魔石が満杯となり魔力が全回復した時点でも、体内には魔石に吸収されずに行き場を失った余剰の高濃度魔素が、溢れんばかりに残っていた。そして、この残留した高濃度魔素は微弱な魔力へと姿を変えると、レオの全身を “軽く” 身体強化し、リフレッシュ効果を及ぼしていたのである。朝の爽快な目覚めの原因はこれだった。
魔素の希薄な都市部では、これほどダイナミックな魔素の取込みは起きず、体内で余剰となった魔素の濃度も高が知れていた。
こうした魔素濃度の違いは実に残酷なものであり、世の魔導師たちは皆、レオが毎朝享受していた “爽快感” など生涯知る事も無かったのである。
尤もレオからすれば、何の楽しみも無い退屈な日没後の田舎の村。さっさと眠りに就けて、快適な朝も迎えられてラッキーといった程度の認識だったわけだが。
こうして日中の武術鍛錬を除けば、一見する限り、とても修行とは思えない魔力枯渇後の “寝落ち修行” を始めてから凡そ1ヶ月、レオは頭を抱えていた。
『おかしい! 直ぐに寝落ち出来ない!?』