29. 閑話4 第四階梯への遠い道のり
それは、エリックが第二階梯となって間もない18歳の頃。
魔の森の奥地で奇妙な蜘蛛に遭遇した。大きさは普通の蜘蛛の二倍ほどだろうか。妙にバランスが悪い。胴体が異様に膨らんでいるのだ。フラフラ、ヨタヨタと歩む姿は、こちらを欺くための欺瞞行動かと一瞬思ったほどだった。
護衛隊の一人が槍で突いて難なく仕留め、解体したところ仰天。
何と蜘蛛の胴体の中には、その奇妙な外見をなるほどと思わせるほどの、明らかに不釣り合いな大きさの魔石が入っていたのだ。ビワの実ほどの大きさの原魔石が。
蜘蛛の魔物の魔石は普通なら大豆程度、最も大きい種類でもドングリ程度のはずなのだ。この異常な大きさの原魔石から見て、この蜘蛛は異常種になる途中だったのかもしれない。しかし、どう考えても、こんな大きな原魔石に胴体の大半を占められていた蜘蛛の臓器が無事であったはずは無い。
この蜘蛛が成長を遂げ、異常種としてこの森に君臨するとは到底思えなかった。
そしてこの時、エリックは直感した。これこそが “魔導師病” の正体なのだと。
魔物の体内で、宿主の身体の都合などお構いなしにひたすら拡大を続けた魔石。魔導師の場合なら、それは生涯を通じて育て続けてきた体内魔石に他ならない。
その魔石に体の内側から攻め立てられ、文字どおり “圧迫” されているわけで、これはまた何という皮肉だろうか。
魔法の行使を始めとする「魔力の消費と回復」という修行。魔導師が己の魔力を増大させるためにそうした修行を日々継続する内に、胸に疼きを覚える様になり、やがて激しい痛みに襲われる病。それが魔導師病。そして、未だ不治の病。
この魔導師病の痛みに絶えられなくなった時点で魔導師は日々の修行を断念し、その後の魔力の増大、さらには階梯上げを諦める事になる。
概ね30歳を過ぎたあたりから、この病に悩み始める。以降は魔法の行使を極力控え、後進の育成に励むのが魔導師の生涯なのだ。
公式には魔導師としての修行の結果、肥大化した自身の魔力に身体がついて行けなくなったからと説明されていた。まあ、体内魔石こそが魔力の源泉なのだから、まるっきり嘘というわけでも無いだろう。
ただ、体内魔石という言葉や考えは魔導師界隈では絶対的なタブーである。
それでもエリックは、魔力持ちの体内には魔石があると確信していた。
何より決定的とも言える証左は、魔導師が階梯ごとに使える様になる魔法だ。
それは、火、水、そして風なのだ。
火魔法を使える様になって、初めて魔導師と認められ第一階梯となる。そして、水魔法も使える様になれば第二階梯とされ、最終的に風魔法を習得して、火・水・風の3魔法を使えれば第三階梯なのだ。
魔石の属性数1,2,3と完璧に一致する。
どう考えても魔法と魔石属性との関わりは明らかであり、否定する方がおかしい。
しかし、魔導師界隈ではその関係を全力で否定し、見て見ぬ振りをする。
ただでさえ貴族家出身者ばかりでプライドが高い上に、魔法使いとしての選良意識まで持つ魔導師たち。自分たちが体内に原魔石を持つ魔物と同類だという考えを、どうしても認める事が出来ないのだ。まあ、精悍な魔狼あたりならまだしも、醜悪極まりない大蜘蛛や大蛇などと自分が同一視される事など死んでも嫌だろう。
その、とばっちりを受けたのが、魔物がその体内に宿している原魔石なのだ。
魔導師は不浄の物として触ろうともせず、ましてや研究対象とするなど正気の沙汰ではない。魔石を研究しているなどと知られれば、まず間違い無く魔導師界隈から追放となる。
誰が見ても明らかな魔法と魔石の関係性。おそらく、ほとんどの魔導師がその事実に気づいてはいるはずなのだ。しかし、その圧倒的な事実から目を背け、黙殺し続けた結果、魔法探求の最も重要な最初の一歩で間違った方向へ歩き出したとしか思えない。
公然と議論される事が無いから魔石に対する理解が深まる事は無い。個人レベルで秘密裏に研究を進めたとしても、その成果が広く一般に公開される事は無いし、記録として残される事も無い。
魔法のさらなる進歩のためにも、魔石についてもっと深く知らなければならないというのがエリックの率直な思いだ。まあ確かに、自分の体内にも魔石が息づいているかと思うと正直言って、やはり不気味ではある。
それでも体内魔石の存在を認めれば、多くの事がすっきりと説明出来るのだ。
辺境の寒村に生まれ育ち、魔法学院に入るまで魔導師界隈の “常識” とは無縁だったエリックには、魔石をタブー視する意識は薄かった。そして、年間の大半を王都の宮廷魔導師団から離れて活動している現在は、魔導師界隈からの余計な干渉も存在しなかった。だからこそ魔石に真正面から向き合う事が出来るのだった。
森の奥地で遭遇した異形の蜘蛛、そしてその不釣り合いに大きな魔石を見た時にエリックはこの蜘蛛が示唆する様々な事柄に気づき、真剣に考え込む事になった。
自分が住むこの世界において、魔の森とそれ以外の場所で魔素の濃度に差があるというのなら、魔の森そのものにも同様に濃度差があっても、おかしくは無いはずだとエリックは考えた。異常種が闊歩する魔の森の中心部は、外縁部よりも魔素が濃厚だとしても不思議では無いだろう。いや、むしろ当然ではないかと思う。
そして、エリックが自らの身体によって証明したとおり、魔素が濃い場所で活動するほど、体内魔石の成長も速くなる。それは、紛れもない事実だ。
そんな魔素の一段と濃い場所で生き続ける生き物たちの運命が、まさにこの異形の蜘蛛なのだろう。体内魔石の拡大に追い立てられ、文字どおり “必死” で肉体を成長させる。そして、それが出来なくなると、やがて、、、
同じ種の中でも、本当に僅かな魔物たちだけが、魔石の異常な成長速度に適応して自らを巨大化し生き残るのだろう。そうして、その僅かな生き残りこそが異常種と呼ばれる化け物たちなのだろうとエリックは考える。
そう、人間には無理なのだ。そんな巨人化した人間の記録など無いし、それ以前に、これほど危険な魔の森中心部で生活してゆける人間など絶対にいやしない。
幸か不幸か自分は、魔の森の外縁部で一晩眠れば魔力を回復出来る程度の恩恵に浴しているだけなのだ。しかし、それならそれでやるべき事はあると思った。
自分の肉体の成長期がまだ終わっていない若いうちに、少しでも身体を大きくするべきではないかと思い至る。魔石の入る器を大きくするのだ。
魔狼が元の狼より一回りから二回りも大きくなるのは、身体強化で筋骨逞しくなるというだけでなく、大きな魔石をその身に受け入れるためでもあるのだろう。
魔力が自分の胸の中心で渦巻いている自覚は、魔導師ならば誰もが持っていた。
魔石が存在するのは、胸の中心部で間違い無い。ならば、やるべき事も明白だ。
エリックは護衛隊の面々に早速相談した。上半身の鍛え方、とりわけ胸板を厚くする鍛錬法はどんなものかと。これには、護衛隊一同が大笑い。急にどうした?
好きな女でも出来たか? と散々揶揄われたのだった。
結局、エリックは護衛隊のメンバーが魔物討伐の合間などに日々行っている鍛錬に参加する事にした。ついでにこの際、身体強化についても試してみる事にしたのだが、これはこれでかなり難しい。武術家と魔導師で魔力の使い方は随分と違うものだと痛感させられたのだった。
それでも、半年ほど経って胸の筋肉がついてきたと自覚した頃、ギクリとした。
太くなった胸の筋肉は、却って体内魔石と互いの居場所を争う事になるのではないかと思ったのだ。まあ、そこはまだ身体に柔軟性もあるし、何とかなるだろうと自分に言い聞かせたのであった。
こうして諸々悩みは抱えつつも、18歳のエリックは自分の身体の肉体的な成長がそろそろ終わりに近い事を自覚し、当面の目標である第三階梯への到達のためにその後も必死になって魔の森通いを続けたのである。
時にエリックは夢想する。もし濃い魔素の環境下でずっと暮らす事が出来たなら、そして、そんな場所で幼児の頃から魔力の消費と回復の修行が出来たなら、今よりもずっと速く階梯上げが出来たはずだという事。
さらに、体内魔石を肉体が急速に大きくなる時期に合わせて成長させられるのなら理想的だろう。幼児期から青年期までの身体成長期は、魔導師にとってまさに、ゴールデンタイムと言える時期だろう。15歳の成人前に、一挙に第三階梯超えも夢では無いかもしれない。
しかし、真に残念な事に魔導師修行の現実は、希薄な魔素濃度の下にある。
どうしても魔力枯渇対策として、1日で回復可能な魔力消費という制限がある。
日々の修行での魔力消費が少ないから、魔力増加もそれに応じて少なくなり、修行の効果は微々たるものだ。逆に、魔力を消費し過ぎてダルさを覚えれば、幾日も修行は出来なくなり、下手をすれば子供は修行を嫌がりそのまま脱落しかねない。
そういう事情から、魔力の体内循環という魔力消費の軽微な修行を規定の回数繰り返すしかない現状なのだ。単調極まりない修行は、まさに苦行そのものだ。
子供にそうした修行は本当に難しい。魔力を増やしてゆく繰り返し修行は、目に見えて上達が分かる様な面白いものではないのだ。魔導師の肉親や専属の指導者がいる恵まれた環境であっても、修行を続ける事が出来ずに魔導師への道から脱落する子は多いのだ。
もちろん、身体強化のようにもっと魔力消費の多い方法によって、短時間で魔力を消費する事も可能ではある。しかし、魔力循環よりも遙かに魔力を消費する身体強化の場合、下手すると一瞬にして魔力を使い果たして倒れる事も珍しくない。
身体強化により、程良く魔力を消費するというのは加減が難しいのだ。ダルさを覚えた時点で既に魔力を過剰消費しており、その後何日かは修行が出来なくなる。
この様な事情から身体強化を信条とする武術家に、魔導師修行の様な地道な魔力増加の修行を継続するのは難しく、魔導師ほどの魔力量を持つ者は皆無なのだ。
結局のところ、どう足掻いたところで魔力の希薄な地域にいる限り、魔力を着実に増す方法は魔導師の単調な修行しか無いのが実情なのである。
エリックが理想として思い描いた状況が、現実的には難しいと彼も十分理解していた。そして、そんな理想的な環境で人外の魔力を身につけた人物が、まさか魔法を使えぬまま放置されている境遇など、まったく想像の埒外だったのである。
エリックとしては、それほどの魔力を獲得した人物なら、しかるべき師匠の下で魔導師としての指導を受けているはずで、第三階梯を超える超越者となった時点であっという間に大陸全土にその名を轟かせるに違い無いと思い込んでいたのだ。
後にエリックは、レオとの邂逅の後の語り合いで、この世界には自分の想像など遙かに及ばぬ奇跡の数々が、未だ存在するのだと痛感したのだった。
そして、エリックは異形の蜘蛛と遭遇した時、真に残念な事に、その最も重要な奇跡に気づく事が出来なかったのである。
そのビワの実ほどの大きさの原魔石は、討伐隊の飲料水を供給するための水瓶の中で水魔石へと姿を変えていた。属性数2の水魔石は、それまでの討伐隊の運用では、半年ほどで塵と化して潰れていたはずなのだが、2年以上も保ったのだ。
それは、属性数3の水魔石に匹敵する寿命だった。しかし、一旦水瓶に放り込んでしまった魔石の事など覚えている者はおらず、見過ごされてしまったのだった。
日々、肉体と体内魔石の双方を鍛え上げながらも、エリックには拭えぬ不安があった。一日も早く階梯を上げたいという切望とともに、ひょっとしたら魔導師病の到来時期を単に早めているだけではないのかという不安である。
その魔導師病の解決の重大なヒントが入った水瓶の水を飲みながら、エリックは結局その属性数2の魔石サイズながら、属性数3の魔石寿命に相当する奇妙な魔石に気づく事はなかったのである。
強大な魔力の源泉である体内魔石。魔力の増大に伴い拡大する魔石、その魔石とせめぎ合う肉体。多くの異常種がその身体を巨大化して折り合いをつけてきた。
しかし、折り合いをつける方法は、何も肉体側だけではなかったのだ。あの蜘蛛はまさに解決策の一つの道筋を辿りつつあったのだ。その最も重要な事実にエリックは気づかなかったのである。
かくして、エリックは超速で第三階梯へと到達したものの、魔導師病の解決の糸口すら見出せず、半ば惰性で魔物討伐のドサ回りを続けていた。華やかな王都とは縁遠い辺境生活であり、あたかも苦行僧の様な生き様で第四階梯への道を模索していたのである。属性数4の魔石に自分の身体が耐えられるのかと自問しつつ。
一方、この頃のエリックの現実と言うか、彼が籍を置く宮廷魔導師団内における彼の立場がどうだったか言えば、当然の事ながら芳しいものではなかった。
エリックの魔物討伐活動を宮廷魔導師団の者たちは、皆一様に軽蔑していた。
同期や先輩たちだけではない。目上の者たちがエリックを軽んじる姿を見ているせいか、最近では10代の若い魔導師たちまでもがエリックを見下す始末。論文も出せず、魔物を狩るしか能の無い平民魔導師とか、いや、魔導師ですらなく魔猟師だと嘲笑う者までいた。エリックが、既に第三階梯である事など、つゆ知らず。
魔導師だけでなく王国騎士団の騎士までが、エリックとその一行をむさ苦しい男ばかりで、華の無い惨めな魔物討伐隊と、いつも物笑いの種にしていたのだった。
ところが、である。
僅か数年後、宮廷の誰もが認める錚々たる美女達がエリックの討伐隊に加わり、一部とは言え宮廷魔導師や王国騎士団の若手騎士たちが、何とかエリックの一行に潜り込めないものかと、あれこれ画策する事態になろうとは誰一人予想していなかった。
そしてこの劇的変化のきっかけとなった一人の可憐な少女こそ、後にエリックが真の天才と呼び、この世界の行く末を変えたとされる存在だったのである。




