102. 巨人の影
そして、レオの復讐劇は、テチス国内の意外な所にまで飛び火していた。
何かと悪評の多かったトカレフ侯爵家を、断崖の淵から “一押し” したのである。
かねてより、その独断専横は目に余るものがあり、王家も苦々しく思っていた。先のサルト戦役でも、主戦派として強硬な主張を繰り返した挙句、魔法合戦こと、イフナイ会戦における魔導士護衛隊の失態は、降爵に値するという声が多かった。
ただ、テチス国内でも指折りの旧家であり、無視出来ぬ影響力を持つトカレフ侯爵家への処断は、王家としても慎重にならざるを得なかった。
また、当時のトカレフ侯爵も、その辺りを敏感に察して引退を受け入れ、騎士団副団長だった嫡男に家督を譲って、何とか幕引きを図ろうとしていたのである。
そんな中、とある王都の新聞社が、ベズコフ領都で何者かが掲示した偽の告知書の件を報道したのだった。その新聞社は、3年前にもベズコフ家のスキャンダルを報じた新聞社だった事に気づいた者は、ほとんどいなかったのだが。
ただ、以前とは明らかに報道姿勢が異なっていたのである。
3年前は、お漏らし令嬢がベズコフ家の令嬢であると報じたわけだが、今回は、モーリがベズコフ家嫡男であると報じたのみならず、何と、トカレフ前侯爵の孫である事まで併記したのだ。高位貴族の名を出すなど、普通あり得ない事だった。
明らかに、背後には侯爵家よりも高位の意思が働いていると、誰もが思った。
トカレフ侯爵家に忖度は不要であると、王都中に公然と示されたのである。
王都の新聞社は競って、モーリやトカレフ家の過去の不祥事を報道し始めた。
それまで侯爵家の圧力で握りつぶされていた様々な事件の詳細が、あたかも鬱憤を晴らすかの如く、次々と明らかにされていったのである。
モーリに関しても騎士学院時代に、退学処分となって当然とされる様な、悪辣な事をしでかしておきながら、罪を問われる事も無く自主退学となった経緯が掘り起こされ、そこにもトカレフ侯爵による黒を白とする介入があったと報じられた。
要するに、罪を犯しても罰せられず、世の中は好き放題出来ると思い込んだ怪物を育て、放置した結果、開拓村や南の村々を壊滅させた事が明らかにされたのだ。
さらには、ベズコフ領に派遣された王家調査団の報告も、逐一報道された。
自分の領地の村々を壊滅させた理由が、算術の基本を理解していなかったという、貴族としては本当にあり得ない恥ずかしい事実まで、容赦なく暴露された。
トカレフ家の現当主は、妹であるベズコフ子爵夫人や姪であるお漏らし令嬢が、平民に落とされた事に抗議するどころか、ほぼ連日の様に暴かれる過去の悪逆非道な行いを前に、防戦一方となって行ったのである。
こうして、王都が反トカレフ家一色となった頃、王家は先のサルト戦役における侯爵家の不始末を理由として、現侯爵の伯爵への降爵を言い渡した。
しかも、併せて領地の見直しも断行され、伯爵位ながら領地の規模は子爵位並みに削られるという、驚くべき処分を下したのである。
多くの貴族家がこの措置には息を呑んだ。単なる降爵処分ではないのだ。
侯爵から子爵規模の領地への変更という事は、収入の激減を意味する。そして、子爵の収入で、伯爵の格式を維持する事が、どれほどの “無理ゲー” である事か。世が世なら、王家への反乱を企図しても、おかしくないほどの苛烈な処分。
しかし、王都内には、そうした処分も当然と受けとめる風潮が、貴族から平民の間にまで広まっており、王家を表立って非難する声は皆無だった。
王太子廃嫡や宮廷魔導士団喪失という、惨めな国威失墜の結果となったサルト戦役。あの戦争をトカレフ侯爵が声高に煽っていた事は、誰もが知っていた。
トカレフ家に対する王家の不興は、想像以上のものだったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうして、当然の事ながら、この件は他国にも伝わって行くことになる。
テチス王国の東隣にあるヴォークト王国。その王都にあるヤークト商会のヴォークト支店では支店長が、とある新聞記事に目を留めていた。それは、日頃から取引のあるテチスの東端、ボーア領の商会経由で齎された新聞だった。
そこには、フェンリル災厄と開拓村に関する、驚きの新事実が掲載されていた。これは是非ともフンメル殿にも知らせなければと、支店長は思った。
かつて、フェンリル災厄の直前にベズコフ領からイェルマーク王都へと向かっていたフンメルは、ここヴォークトで友人たちの安否確認を傭兵に依頼した。
その際、私費での調査依頼にも拘わらず、隣国の情勢には関心があるだろうと、調査結果の報告をまずは、このヴォークト支店長に行うよう手配してくれた。
同じ商人として、実に有難い配慮であった。それに、今や彼は同僚であり、サザーランド領の支店長を勤めている。ならば、本支店間の定期便を使って、この情報を届けてやるべきであろう。
こうして、ヴォークト支店長は、その新聞記事と彼自身の注釈も加えた文書の入った封書を、イェルマーク王都のヤークト本店へと定期便で送り、そこからサザーランド領の支店長フンメルへと転送するよう、手配したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「村長は殺され、魔物と闘える男たちは、残らず徴兵されていたとは・・・」
ヴォークト支店長から送られて来た封書を読んで、フンメルは暗澹たる気持ちだった。それでも、1つだけ希望の灯があった。レオは、開拓村の壊滅の場にはいなかったという事実だ。彼は、間違いなく徴兵されていたはずだ。
まあ、行き先は戦場であり、諸手を挙げて喜ぶわけにもいかないわけだが。
しかし、同時にフンメルは理解していた。
ゴードンは、その徴兵の場にはいなかったのだろうと。貢納のために領都へ来ていた彼から、フンメルは魔の森の異常を聞かされていた。
そんな状況での50名を越える徴兵。村長同様、命懸けで防ごうとしたはずだ。
間違いなく、モーリや領兵隊との戦いになっただろう。
そんな事が起きなかったという事は、そこにゴードンはいなかったのだ。領都から帰還したゴードンを待っていたのは、女子供と老人だけが残された村だった。
改めて、ゴードンや村長、それに開拓村の者たちの冥福を祈る。
ともに封書を読み、同様に沈痛な表情を浮かべているパメラに言葉を掛ける。
「せめて、レオさんだけでも無事でいてくれれば良いのですが。」
パメラも頷いた。
「私たちの伝言が届いてくれれば良いけど、もう2年も経っていますし。」
「開拓村の人たちは、あまりお金に執着する人たちでは、ありませんからね。レオさんなど、とりわけそうでした。パメラのイェルマーク行きの旅費として、大熊の原魔石をポンと出してくれた人ですから。」
「あのメダルを使ってくれさえすれば。でも、きっと大丈夫。レオさんは無事だと思います。だって、」
フンメルは微笑みながら頷いた。そう、大熊を一人で倒した男なんだからと。
「そうです! この件は、クルーガー様にもお知らせしておかなければ!」
そうして、夫婦で頷き合ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『これが、魔の森か!』
ケインは、目の前に広がる森を見つめる。彼の知る魔物がいない普通の森とは、どこか違うような気もするのだが、では、どう違うのかと聞かれたら少々苦しい。本当にここが、フェンリル災厄の起点となった森なのかと不思議な思いだ。
あれから、もう1年かと思う。封鎖中のベズコフ領都に王家の調査団がやって来て、領主とその腹心は地下牢へと放り込まれ、領主家一族は追放された。
何が何やらと混乱していると、領主館に呼び集められ、そこで代官による説明を受ける事に。その代官の脇には何とリゲルがおり、にこやかにほほ笑んでいた。
本人からの強い希望で警備隊長は引退。彼に代わって自分が隊長に指名された。そんなこんなで、ボーア領への転職は立ち消えとなり、家族も呼び寄せた。
そして、つい最近、新しい領主がやって来たのである。
王家としても、この旧ベズコフ領の新しい領主については、慎重にならざるを得なかった。何せ、ベズコフ子爵は、歴史に残るレベルの最低の領主貴族だったわけであり、領民の貴族を見る目も、殊の外厳しくなるのも当然だった。
かくして、新領主として白羽の矢が立ったのが、ハリス子爵である。
夫婦揃ってフェンリル討伐の英雄。夫ジェームスは、眉無し隊長さんと呼ばれ、
領都民に親しまれる一方、妻のクリスはフェンリルに止めを刺したばかりか、その原魔石を領都民のために寄付しており、慈愛の女神とまで言われていた。
同じ子爵なのに、どうしてここまで・・・ いっそ・・・との声も多かったのだ。
こうして、住民の熱狂的な歓迎に迎えられた新領主である。無理をしてまで前任者との違いを際立たせる必要は無かった。結果として、その施策は極めて穏当なものとなったのである。
王家が派遣していた代官の仕事ぶりを率直に評価し、彼が抜擢した人材は、全て留任させた。唯一手を付けたのは騎士団だったが、そこは元々壊滅状態だった。
領の幹部や商業ギルドも交えた、今後の領経営の方針は驚くほど明るい未来を描き出した。ここを、テチスの新たな穀倉地帯にする事が話し合われ、袋小路という領の地理的な欠点を解消する新たな方策も示された。
こうした方針をまとめ、王家からどの様な支援を引き出すか交渉するため、ハリス子爵は一旦王都へ戻る事になった。次に来る時には、家族も連れて来る事になるわけで、領の将来の目途も立ち、至って明るい表情となっていた。
その王都帰還の前に、是非、南の村々と魔の森を見ておきたいという事になり、騎士団による遠征となった。ケインも希望して、その一団に加わったのである。
ケインには、どうしても決着をつけておきたい問題があったのだ。
ベズコフ子爵の処刑と一族追放によって、そこへ至った数々の謎は未解決のまま、放置される事となった。
誰がモーリを攫ったのか? その後モーリはどうなったのか? 偽の告知書は誰が作ったのか? 残念ながら、もはや組織的な解明が行われる事も無いだろう。
犯人探しなど誰も望んでいないのは、紛れもない事実である。
それでも警備隊員の端くれとして、ケインにも思うところがあったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それは、予想していたよりもずっと簡単に見つかった。
廃墟と化した開拓村の入口に一番近い廃屋。その中で、辛うじて原型を留めていた竈。そして、その竈の中に燃え残っていた木片を見た瞬間、ケインは最後のピースを見つけたと思った。すべての点が繋がったと。
薪では無い。人の手で加工された滑らかな木工品。弧を描いている部分もある。間違いない! これは車輪の一部だ。しかも、さほど擦り減ってはいない。まだ、新しい車輪に見える。そう! あの時、イートン商会の牧場頭は何と言っていた?
『あの大男が持ち逃げした荷車は、うちのやつでしてね。見つけたら是非、教えてくださいよ! 何せ、まだ新しいやつなんでさあ。』
新入り業者の一の村への逃走を示唆した後、あの牧場頭は、そう頼み込んで来た。
モーリが失踪した翌朝に領都を出たという、生ごみ回収業者のマルコ。
結局、彼の行方は杳として知れなかった。探しても見つからないはずだ。
そう、ここだ! マルコはここへ来ていたのだ!
何のために? 荷物をここまで運ぶためだ。モーリというお荷物を開拓村へ連れて来る事にこそ、意味があったのだ! そう! これは正当なる復讐劇だったのだ。
警備隊員としては問題かもしれないが、一人の男としては喝采を送りたいほどの。開拓村出身の巨漢、レオの姿を思い浮かべながら。
マルコ、いや! レオは、目の前で村長を殺され、戦場へと連れて行かれた。
おそらく、戦地で他の村の出身者から、金貨1枚による徴兵免除の話を聞いたはずだ。その後、先行支援隊の一員としてリゲルと共に、ケインよりも数日先に帰投していたのだ。そして、ケインがボーア領の妻の実家で、家族と過ごしていた間に、モーリの拉致を企画し、実行したに違いない。
ようやく帰り着いた開拓村は、このとおりの廃墟。誰一人残ってはいなかった。レオが、モーリとベズコフ家に対する復讐を誓ったのは明白だ。
集結地でリゲルに “お礼参り” をしていた、三の村の小麦泥棒4,5人を相手にしても、苦も無く追い払ったとリゲルから聞かされていた。
鍛錬などした事も無い、小太りの酔っ払い一人を攫う事など、容易い事だったはず。後は、生ごみの袋に放り込んで、翌朝さっさと開拓村を目指したわけだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
偽の告知書は当初から謎だった。あまりにも出来栄えが良すぎたからだ。
現職、あるいは元職の文官が作ったとしか考えられなかった。レオが作れたとは、到底思えない。しかし、彼にはリゲルという元ベズコフ領の文官がついていた。
自分が受けた恩義には、正しく報いる男。実際、ケイン自身が警備隊長に抜擢されたのも、リゲルの推薦があったからだった。
真っ当な文官による理に適った施策。
リゲルを筆頭とする新文官たちによる政策は、そう称賛されていた。
とりわけ、大河の利用はその目玉だった。南の村々の再建のカギである。
騎士団による魔物の巡回監視と、万一の場合の脱出のために大河を利用する方法を示して、一の村の住民の帰還を促すとともに、他村の再建も目指す。
大河の水を引いて耕作面積を増やし、将来的には農作物の大量輸送にも大河を利用して、この領地をテチス有数の穀倉地帯にしようという壮大な構想。
そうした大河の利用を率先して提案し、推し進めているのがリゲルであった。元々、徴税事務を専門とした内勤が中心の文官には、少々意外な発想だと思った。
リゲルは、きっと知っていたに違いない。大河を使った実例を。
そして、レオが誰にも知られず、密かにベズコフ領を脱出できたのも、大河を利用したからだと、今日確信した。
大河と堀代わりの小川に囲まれた開拓村の姿を見た瞬間、そう思った。
その後、ボーア領都に移動したレオは、リゲルに頼んで偽の告知書を作らせた。十中八九間違い無く、リゲルは大喜びで、その制作を引き受けたはずだ。
そして、メダルとともに馬車便でベズコフ領の知り合いに送り、掲示させた。
モーリ失踪から偽の告知書が掲示されるまで、半月かかったのは、リゲルがボーア領都にいたからだったのだ。
いつか、自分の考えをリゲルに問うてみようと思う。
うまくすれば、一回限りだろうが、タダ酒が飲めるかもしれない。
その時には、大蜘蛛の生餌の話の真偽も聞いてみたいと思うのだ。
そして、実際のところ自分の運不運をどう思うかと、率直な意見もリゲルに聞いてみたかった。そう! 自分は戦地へ飛ばされたが、妻子は魔狼の襲撃を免れた。
その後帰って来て、ベズコフ領都に閉じ込められたが、結局、警備隊長になった。
まあ、少なくとも後半はレオのせいだ。間違いなく、あいつの影を感じる。
奴は巨漢だった。本当に大きな男だった。
しかし、大きいのは果たして、体だけだったのか?
実際は、人を超える巨人だったのではないのか? 異常種すら呼び寄せるほどの。
ケインは、ふとそう思ったのだった。
これにて、第2章「戦士の咆哮」編は終了です。
次回から、間章を何話か挟みます。




