旅順攻囲戦と二十八珊榴弾砲①
「けぇんてぇつだぁーん」
独特の抑揚を伴った指揮官の声が響く。
「距離、さんぜんにひゃぁく」
「方位、42度3分」
照準担当の将校の声に応じて、各砲についた砲兵たちが砲の向き、角度を調整する。
「打てー!」
指揮官が手に持った軍刀を振り下ろす。
続いて、空気を切り裂く轟音、大地を揺るがす振動。もうもうたる黒煙を辺りに撒き散らしながら口径28cmの巨大な砲弾が敵の要塞めがけて飛んだ。
日本国家と国民の命運を賭けたロシアとの大戦。その勝敗の行方はこの時、その戦線の一部である中国遼東半島の南端に位置する要衝、旅順に築かれたロシア陸軍の一大要塞の攻略にかかっていたのである。
明治三十七年二月六日から三十八年九月五日まで、一年半に亘り東洋の小さな島国日本は当時世界最強の陸軍を持つといわれた帝政ロシアと戦争状態にあった。
世界の大勢がロシアの勝利を疑わず、大国ロシアに挑んだ日本の行動を信じがたい暴挙と見た。
しかし日本には、この「暴挙」に出ざるを得ない理由があったのである。
当時、押し寄せる欧米の植民地化政策の波にのまれないよう、日本は支配される弱小国から支配する強国への進化を図り、国を護ろうと考えた。
日本という国土の位置的に最も現実的な脅威であったのがユーラシア大陸の東から西まで広大な国土を有する大国、ロシアである。
そしてこの身近にある脅威である大国ロシアから我が国を護る為には、朝鮮半島が最後の砦であると思っていた。
しかしロシアは、冬には凍りついてしまう自国の軍港の不利を覆すために不凍港を求めて南下政策をとっており、このままでは朝鮮半島がロシアの影響下に置かれてしまう。これを恐れた日本は朝鮮を属国にしていた清国と戦争をし、清の影響力を朝鮮半島から排除した。これにより日本が影響力を持ち、大陸からの列強の侵略に対する最終的な防波堤にしようとしたのだ。
しかし、中国への進出を目論む欧米の思惑を利用して、ロシアがフランス、ドイツを誘い、いわゆる三国干渉により日本が清国から得た遼東半島の権利を放棄させた。
ロシアの狙いは不凍港、旅順にあった。
アジア地域の平和を脅かすとして三国で干渉をしておきながら、ロシアは日本が手放した遼東半島にある旅順、大連を租借し、旅順口に要塞を築きこれを我がものとした。
このまま黙していてはいつかロシアに国が呑まれてしまう。
そうした危機感が、日本をしてこの無謀ともいえる大国ロシアとの戦争に踏み切らせたのだ。
国家の存亡をかけた日本はしかし、列国の大方の予想を覆し、開戦以来海に、陸に辛くも勝利を収め、戦い続けているのである。
東鶏冠山方面の要塞群へ向けて撃ち込まれた巨弾が着弾し、観測していた将校が声を上げる。
「噴煙に瓦礫が見える。命中だ!」
「よおーし!」
指揮官が拳を握り、兵たちを激励する。
「この調子で撃ち込み続けるのだ!次弾装填急げ」
「はっ!」
兵たちは弾を釣り上げ、砲身に装填していく。
「うてぇー」
指揮官の声が響き、再び陣地を黒煙と地響きが襲った。
歩兵の突撃と重砲隊の正確な射撃、工兵たちの正攻法による坑道掘削による敵要塞の爆破。
日本軍が二百三高地と呼んだ小高い丘を占領してから、山越しに二十八珊榴弾砲の射撃を行い、要塞の奥、旅順湾内にあったロシア極東艦隊に砲撃を加え、これを撃滅せしめた。
その後も本要塞に向けた攻撃を続けているが、夥しい犠牲を出しながら、しかし旅順の要塞群は落ちぬままいたずらに月日が過ぎていった。
しかし、この日東鶏冠山方面に放たれた砲弾が思いがけない殊勲を挙げた。
たまたまこの時、この方面の前線基地を視察に訪れていたロシア軍の将軍、ロマン・コンドラチェンコ少将に命中したのだ。
将軍は戦死。旅順要塞の防衛戦は彼の指揮によるところが大きかった為にこれ以後、ロシア軍は急速に抵抗力を落とし、彼の戦死から一ヶ月後に、ついに旅順要塞は陥落したのである。
二十八珊榴弾砲を配備し、実戦に投入しなければ、おそらくロシアが、というより名将コンドラチェンコが築いたこの難攻不落の要塞は落ちなかったであろうし、またこの頑強な要塞に籠るコンドラチェンコを戦死に追いやることもできなかったであろう。
まさに二十八珊榴弾砲の巨大な一発の砲弾がこの要塞攻略戦の雌雄を決する分水嶺となったのだ。
かくして乃木希典率いる第三軍は、来るべきロシア軍主力との決戦、奉天大会戦への開戦に間に合ったのだった。
ロシア軍主力の総指揮官クロパトキンは、旅順を猛攻し、到底不可能と言われた永久要塞の攻略を成し遂げた乃木第三軍を恐れた。そのクロパトキンの恐怖は日本軍が勝利する一因になったのである。