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know Love

作者: 深宮こゝ

 イルーダ・メヤング。彼女は国家研究院はじまって以来の天才である。最年少で研究員となると、数多の法則を覆し功績を残した。

 天地の脳と呼ばれていた”マイズ博士”の再来ともいわれている。

 彼女、メヤングの属する研究院は国の機密文書の特別閲覧、研究費用の負担といった権限が与えられる。そしてその対価とし、準研究員と呼ばれている研究員候補を一年間指導する事になっている。これは研究員の義務であるのだ。もちろん最年少で研究員になったメヤングも例外ではなく、彼女の下で学びたいと(指導者はランダムで決まるのだが)沢山の準研究員が志願した。

 しかし、運よくメヤングの下につけた数人の準研究員はみな一年を待たずに辞めていった。そして口々に言うのだ。

「彼女は”変人”である」と。

 次の年、メヤングの下には誰もつかなかった。

 研究員の義務を放棄したのであるから、メヤングは研究院を去るのだろう。皆はそう考えていたがメヤングは研究院にとどまり続けた。

 あれから十年は経ったであろう今も彼女は研究院で一人自由に文書を読み漁っていた。

 そう、”過去形”である。


 光栄なことだと羨む人もいれば、大変だな可哀想にと哀れむ人もいた。圧倒的後者が多かった気がするのは考えないことにしておこう。

 準研究員の僕、アリリオ・リファレが冒頭に”メヤング”の話をしたのはただ僕の所属する国家研究院に一風変わった人がいる! と紹介したかった訳ではない。

「うそ……だ」

 僕の初めての指導者、それは先にあげた天才であり変人である”メヤング”だったのだ。

 再三事務員に間違いではないのかと確認したが返ってくるのは同じ。

「間違いありませんよ」

 僕としても”天才”に指導してもらえるのは光栄だ。ただ、十数年も一人でいたのになぜ今更指導者に?

 疑問に答えてくれる仲間もいない。どうやら”メヤング”の下についた準研究員は僕一人だけのようだ。友人たちは「頑張れよ」と軽く肩を叩き、それぞれの研究室へと荷物を運ぶ。

 一年間僕らは指導を受ける研究員の元で暮らすのだ。全く想像のできない未来に僕は一人覚悟を決め、荷物を引きずるように研究室へ足を進めた。



 ”メヤング”の研究室の方向へ向かえば向かうほど空室が増えていった。

 僕のよく知る研究院のはずなのに、いつもより静かで薄暗くまるで隔離された世界のようで少し怖かった。

「突き当りの部屋だったよな、まったく何でこんな遠い場所に研究室を構えるのかな」

 気を紛らわそうと独り言をブツブツと繰り返す。

「そもそもどうして」

「アリリオ・リファレだな」

「!!」

 背後から突然名を呼ばれ肩が大げさにあがった。

 まさか、人がいるだなんて。慌てて振り返るとそこにはレンガ色の髪をした綺麗な女性が仁王立ちしていた。

「行くよ」

「へ?」

「荷物持ってるね、よし。裏に車を置いているんだ」

「え?」

 女性は僕の荷物を確認したかと思うとさっさと裏門に向かって進んで行く。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 僕ミスメヤングの研究室に行かないといけなくて」

 僕が声をあげると女性は勢いよく振り返り、ロングカールが綺麗に揺れた。

「おや、私のことはもう知ってると思っていたよ」

 女性は笑みを浮かべた。

「私がメヤングさ」


 裏門に着くなりミスメヤングは僕の荷物を取り上げ車に詰め込んだ。すでにミスメヤングの荷物は乗せてあったようで後部座席は埋まってしまった。

「アリリオ・リファレ、運転はできるか」

「あ、はい」

「なら私が指示を出す」

 それだけ言うとミスメヤングはさっさと助手席に座った。

 右へ、左へと指示以外にミスメヤングは言葉を発することはなかった。

 少しの居心地の悪さを感じながらどれくらい走り続けただろうか。いつの間にか目の前に深い大きな森が現れ、またミスメヤングも迷うことなくその森へ入るよう指示した。

「うん、ここからは道なりだ。迷うこともないだろう」

 そう言われ僕は少し息をついた。出会ってまだ数時間だ、ミスメヤングがどのような人かも分からない。道に迷い機嫌が悪くなり途中でほっぽり出されないよう、と集中していたのだ。

 あまり舗装されていない道で車体はガタガタと揺れる。

「さて、色々と挨拶が遅れたな。私はイルーダ・メヤングだ」

 ミスメヤングは唐突に挨拶をはじめた。

「僕は準研究員のアリリオ・リファレです。研究員の方に指導していただくのが初めてなのでご迷惑をおかけするかと思いますが」

「あーいいよいいよ、畏まらなくたって。私なんか十年ぶりくらいに指導に立つんだ。寧ろ私はアリリオ・リファレに、謝らないといけない」

「謝る?」

 運転をしながらなので表情はうかがえない。

「アリリオ・リファレ、君を巻き込んでしまった事に対してね。さっきも言ったけど私は十数年ほど指導をしていなかったんだ。それは私が指導以外で結果を出すと院にワガママを通していた結果でね」

「指導は研究員の義務なのに、そんなワガママが十数年も通るんですか?」

「うん、天才だからね」

 目の端でピースサインが見えた。

「今回の件もそのワガママで通そうと思ったんだけど、さすがに難しかったみだいでさ」

「一体どんなワガママを」

「研究室の移動だよ」

 僕はハッとして今の状況を考える。ミスメヤングの大荷物、車、出会った時に僕の荷物を確認。

「ふふ、多分君の考えは正解だよ。今その新しい研究室へ絶賛移動中だ」

「……なら、その条件は”指導員になること”なんですね」

「そうさ。選ばれてしまった君には迷惑をかけるね、来て早々に大引っ越しだからね。まあ、きっとこれも何かの縁だ宜しくたのむよ」

 天才の十数年ぶりの指導の理由は案外簡単なものであった。

「はい、よろしくお願いします」

「ところでアリリオ・リファレ。君は何の研究をしているんだ? へんぴな地へ招くのだから知識なら貸すぞ」

 僕はハンドルを少し握り直した。指導してもらう立場なのだから、いずれは言わなければならないと分かっていたがやはり緊張してしまう。僕の学びたいものはとてもマイナーでありマニアックなのだ。

「あんまり興味はないかもしれませんが……ドラゴンです」

「ドラゴン!!!」

 ミスメヤングはこちらに身を乗り出してきた。危ない。

「ああ! ドラゴンか! 私はそんなにドラゴンについて明るくなくてな」

 いや、絶対に僕よりは知識があるだろう。なんせ天地の脳と呼ばれていた”マイズ博士”の再来だぞ。

「うんうん、共に学んでいこうじゃないか! アリリオ・リファレ!」

 ミスメヤングは”知る”という事が好きなのであろう、本当に嬉しそうに微笑んだ。

「あの、ずっと気になってたんですが、フルネーム呼びにくくないですか?」

「そうか? でも確かに、早口言葉みたいではあるな。アリリオ・リファレ、アリリオ・リファレ、アリリオ・リファレ」

「あんまり連呼しないでくださいよ、フルネームで呼ばれるとなんか変に緊張しちゃって」

「うむ、なら君のことは”アーリ”と呼ぼう。これならいいかい?」

「はい、フルネーム以外なら呼びやすいように」

「なら私も下の名で気軽に呼んでくれ」


 ミスメヤングもといイルーダさんとそのまま会話を続けているといつの間にか正面に巨大な門が現れていた。

どうやらその門で行き止まりのようで、左右を見渡しても他に抜けるような道は見当たらない。

「もしかして僕道間違えちゃいましたか?」

「いや、間違ってはいないよ。このままで大丈夫だ」

 イルーダさんはこの扉の開け方を知っているのだろう。僕はそのまま門の前まで車を走らせゆっくりとブレーキを踏む、つもりだった。

「このままのスピードで進め」

「へ? もう目前ですよ?!」

「だからだ」

 イルーダさんはそうニヤッと笑う。

 いやいや、なぜに門に車ごと突っ込まなければならないのか。実はイルーダさんは院を追い出されて路頭に迷い、自殺を図ろうとしているんじゃないか。僕はそれに巻き込まれた哀れな子羊ではなかろうか。

 色々と思考が混ざり合う中いよいよ門が近づいてきた。

「大丈夫だ、スピードを緩めずに。どうか私を”信じて”」

 信じてだなんて! イルーダさんと出会ったのはついさっきなのに!

 ああ、でもイルーダさんは僕の初めての指導者だ。覚悟を決め、息をフッと吐きアクセルを踏んだ。

 門はもう、目の前だ。

 車の前方が門に触れる! と、これから来るであろう衝撃に身を構えた瞬間、門は車の動きに合わせるようにひとりでに開いた。

 まるでスローモーションだった。扉の開く動きと共に車は綺麗に通り抜けたのだ。

 門を抜けた先で僕は口をあけたまま車ごと止まってしまった。

「……そこまで驚くなんて私はそんなに信用なかったかい?」

 止まってしまった僕を覗き込むようにイルーダさんは尋ねる。確かにこの驚きようは”大丈夫”と言ったイルーダさんを信用していなかった、という事にもとれる。

「あ、いや、その」

「ふふ、すまないね。少し意地悪をした。ちゃんと説明もしてなかったし驚くのも当然だ」

 返答にも困りしどろもどろになる僕をイルーダさんは笑った。

「あの門はね、止まったままだとどれだけ押しても引いても、開かないんだ。ある程度のスピードが出たまま門に近づかないと開かない仕組みになっているのさ」

 それを先に説明して欲しかった、僕がどれだけ肝を冷やしたか。そんな気持ちでイルーダさんを軽く睨んだ。

「すまないって、そんな目で見ないでおくれ。これから一年も過ごすんだ。君がどういう判断を下すか少し興味が湧いてあえて言わなかったんだ」

「……どうでしたか、僕は。イルーダさんの御眼鏡にかないましたか?」

「そうだな……やけっぱちになりながらも最終的に私を”信じて”くれて嬉しかった」

 勝手に試されていてイラっとしたので嫌味のつもりで言ったのだが、返ってきたのはイルーダさんの本心のようであった。

「天才は孤独であるからね」

 その後にポツリとこぼれた言葉がやけに耳に残る。

「アーリ、君とは仲良くやれそうだと、思ったよ。どうぞ改めてよろしく」

 イルーダさんの再びの挨拶と共に僕は車を走らせた。


 門を抜けてから程なく、今まで森で隠れていたのであろう古城が現れた。

「ごくろう、ここで止めていいぞ」

 イルーダさんは新しい研究室へ向けて移動をしていると言っていた。ここで車を止めるということはつまり。

「この古城が新しい研究室なんですか?!」

「あれ言ってなかったかな?」

 イルーダさんは後部座席の荷物を引っ張り出しながらケロリと答えた。

「初耳ですよ!」

「そうか……らなば、ここが今日から私とアーリの研究室だ」

 イルーダさんは車から飛び出し、古城を両手で指し示した。効果音があるのなら”ジャジャーン”と鳴っている場面だ。当然反応に困る僕だが軽く拍手はしておいた。

「さてと、荷物が多いから往復はしないといけないね。とりあえず扉を開けるか」

 満足そうに頷くと途端にテンションを切り替え、イルーダさんは古城の扉へ向かった。僕は小さな荷物を掴み後を追いかける。

 その扉はとても変わっていた。木彫りであり、複雑な模様が彫り込まれている。それにこの模様。

「動く!」

 僕は慌てて手を離した。

「ああ、この模様がこの扉の鍵なのさ。正しい手順で動かせばいとも簡単に開く」

「さっきの門といい、この古城の持ち主はすごいですね」

「ああ、すごいだろう。因みにこの模様は数字を模していて、とある数式を示しているんだが分かるかい?」

 イルーダさんの言葉に納得した。先ほどから既視感を感じていたのはそのせいだったのだ。

「僕も一応、準研究員ですから。これはマイズ博士のシソーラスの数式ですね」

 イルーダさんは嬉しそうに拍手する。

「お見事、そのとおりだよ。ただし、この扉を作った人は学が足りないようでね数式を二、三間違って作ってしまっている。私のような天才はきちんとした数式で解いてしまうからね、その間違った答えを導き出すのに苦労したよ」

 イルーダさんはぶつぶつ言いながらも模様を迷うことなく動かしていく。

 マイズ博士の数式は通常の人には理解出来ない複雑なものが多かった。数式は見たことがあるが内容は理解できない、そんな現研究員がほとんどだろう。それをスイスイと解いていくイルーダさんはやはり天才であるのだと、僕は改めて感じた。

 マイズ博士も、イルーダさんも通常の人には理解できない世界が見えていると思うと、先ほど呟いていた”天才は孤独”という言葉がやけにしっくりときた。

 カタン……

 僕がそんな事を考えている間に、イルーダさんは扉を開けてしまっていた。


 最初に古城と表現したように(実際に百年も前の城らしいが)外観はとても古びていた。所々にツタがはい、レンガが剥がれ落ちている箇所もあった。

「わあ……」

 しかし中は百年の時が流れたとは思えないほど綺麗で思わず声がこぼれた。異様に感じるほど整っている城内をキョロキョロと見渡してしまう。

 対照にイルーダさんは扉から二、三歩踏み入れただけで止まってしまっていた。

「ついに来たんだ」

「……イルーダさん?」

 イルーダさんの小さな呟きはよく耳に残る。

 僕の声にニコッと笑い、パンと一つ手を叩いた。

「さあさ、さっさと片付けてしまおう! アーリ、二階に部屋が四つほどある。一番大きな部屋以外ならどこでも使っていいぞ」

「大きい部屋はイルーダさんのですか?」

「いや、この家の主人のだ」

 主人?

「えっと……他に誰か住んでるんです?」

 他に誰かがいるのなら、この異様に綺麗な城内もうなずける。

「まさか、この城に昔に住んでいたのさ。敬意を払って空けておくんだ。さ、動いた動いた」

 イルーダさんは研究室に荷物を運び込むからと、再び車の方へ向かった。僕は小さな荷物を持ったまま城内に一人残された。


 城の中を知っているのだから、イルーダさんは何度かここを訪れたことがあるのかもしれない。それは僕が違和感をかき消すために導いた結論だった。それならこの綺麗で整った状態の城内も納得できる。きっとそれだ、そうに違いない。

 二階に上がるとイルーダさんの言ったとおり四つの部屋があった。一つだけ扉の装飾が違うものがあったから、それが“主人”の部屋なんだろう。僕はその部屋から一番離れた部屋を選んだ。

 恐る恐る部屋の扉をあけると、カーテンが開いていて少しだけ明るかった。電気をなんとか見つけ出し、全体が明るくなるとようやくホッとし、ベッドに荷物を投げた。

 --ゴスッ

「…………え」

 明らかに、“何か”に当たった音がした。よく見るとベッドは膨らんでいる。血が一気に引いていくのを感じた。

 ゴソゴソとベッドの中が動き出すが、僕は固まって動くことができない。“何か”がゆっくりとベッドから姿を現し、しっかりと目が合った。

「あ“ーーーーー!!!」

 目が合った瞬間、僕は弾かれたように声を上げながら階段を駆け下りる。追いかけているのだろうか? 振り返りたくもない。ただただ、気を保つために声を上げながら、イルーダさんのいる研究室へ向かう。

「なんだい、変な声あげちゃって」

 研究室にたどり着く前の廊下でイルーダさんに出会えた。奇声をあげた僕の様子を見にきてくれたようだ。

「イルーダさ、ん! います、この城!」

「ん? そりゃ私はここにいるぞ?」

「そうじゃなくて! 誰かがいるんです!」

「誰か……か、アーリはなんだと思う?」

 僕と違い冷静なイルーダさんは冷静だ。それがまた僕を焦らせる。

「分かりませんよ! ここの主人の幽霊とかじゃないんですか?!」

 イルーダさんは驚いた顔をして、そのまま大きな声をあげ笑った。

「アーリ、面白いね。君は準研究員の端くれだろう? それなのに幽霊だなんてそんな、も……の」

 段々とイルーダさんの声が小さくなり、止まった。僕の後ろを見ながら。嫌な予感しかしないがゆっくり振り返ると。

「あ”ーーーーーーーー!!」

 先ほど僕と目を合わせた男性がゆらりと立っていた。

「……ここに居たんだ」

 イルーダさんはそう呟きあろう事か、その男性に“抱きついた”。


 幽霊でないと分かり僕は少しほっとしたが疑問が浮かぶ。

 イルーダさんが抱きついた、という事は彼は知り合いなのだろう。しかし、この城には”誰も住んでいない”と先ほどイルーダさんは言っていた。

 もしかすると彼はこの城の管理を任されており、定期的に掃除などをしに訪れているのかもしれない。それならこの城の綺麗さも頷けるし、イルーダさんも研究室を設けるための許可を求めに彼に会った事があるのだろう。

 僕は一人納得する答えが導け、満足そうに微笑んだ。彼の言葉を聞くまでは。

「誰です」

「知り合いじゃないんかい!」

 心の叫びがつい口に出てしまった。

「いや~、ごめんね。感極まっちゃってつい」

 なぜか照れながら離れるイルーダさんに僕は頭を痛めた。

「君たちは誰、何故ここにいるのです?」

「ああ、申し遅れたね、私はメヤング・イルーダ。国家研究員さ。この子は準研究員のアーリだ」

 睨みをきかす男性に臆することなく、イルーダさんは元気よく答える。僕も慌てて後に続いた。

「あ……アリリオ・リファレです!」

 僕がぺこりと頭を下げると嬉しそうに笑いさらに続けた。

「ここに私たちの研究室を設けに来た」

 聞いていない、という顔で男性はこちらを見てくる。

 やっぱりだ、やっぱりイルーダさんは許可を取らずに勝手に研究室を設けようとしていたんだ。

「すみませんでした!」

 僕は大声で謝り、未だニコニコと男性を見つめるイルーダさんの腕を引く。

「おや、どこへ行くんだい?」

「帰るんですよ! 研究院に!」

「どうして?」

 きょとんとしているイルーダさんは天才なはずなのに、こんな常識も分からないのかと僕はイライラしてくる。

「管理人さんに許可も取らずによく研究室を設置しようと思いましたね!」

「あはは、彼は管理人じゃないよ。そもそもここに”人”は居ないからね」

「……へ」

 掴んでいた腕の力が抜ける。

 だって、ここの城には彼が居るじゃないか。

「貴女はどこまで知っているのですか」

 男性の声が廊下によく響いた。

「知っているよ。君がレカード・マイズの最期に遺した“謎”という事も」

 イルーダさんは振り返りニヤッと笑った。



 レカード・マイズ

 天地の脳を持つ天才。

 その才を買われ、大戦時に兵器を研究するよう命令されるが拒否する。

 しかし、愛する者守るため研究に参加、数々の兵器を生み出した。

 戦後、犯罪者として処される寸前に“最終兵器”を遺した。

 なお、その“最終兵器”の内容、使い方は不明である。

 破棄しようと試みたがいずれも失敗し、生前彼の住んでいた古城に隔離されている。


「そんな」

 一つ一つの情報が大きすぎて処理が追いつかず、僕は思わず声をあげていた。

 まず、イルーダさんが歌うように話したマイズ博士の過去は、僕らの知っている【天地の脳を持つ天才と呼ばれ、この世界の科学を百年進めた】という歴史上の人物としての一文ではなく、国によって隠された事実と生々しい生き様があった。

 そして彼をレカード・マイズの最期に遺した“謎”と呼んだ。つまり彼は”最終兵器”であり、その”最終兵器”が隠されたここはレカード・マイズの古城なのだろう。


「どうだい、君。数年の研究の成果だ、間違っているとは思わないのだが」

「まさか百年を超えた今、私を知る者が現れるとは思いませんでした」

「まあ、天才だからな」

 イルーダさんは相変わらず落ち着いていてピースをしている。

「私もここまで調べていたが本当に”最終兵器”がこの城にあるかは分からなかった。だからだ、アーリ私は研究室を設ける“許可を取りたくとも”取れなかった。分かってくれるかい?」

 もはや許可を取る、取らないなんてどうでもよくなるような話題が出ているのだが、イルーダさんは律儀に(屁理屈がかった)弁解をしてきた。

 適当にそうですね、と返せば満足そうに頷いた。

「それでも、私はきちんとしているからね。城の関係者に出会ってしまったのなら人でなくとも許可を請うよ」

 今度はイルーダさんが僕の腕を引いて、二人揃って男性の目の前に立った。

「どうぞ、ここに研究室を設ける事を許可いただきたい」

 勢いよくイルーダさんがお辞儀したので、僕も慌てて続いた。

「……研究してどうするのです、私を利用しますか?」

 男性の冷えた声が聞こえ顔を少し上げると僕たちを睨みつけていた。

 たしかに、イルーダさんは“最終兵器”をどうして研究しようとしているのだろう。イルーダさんほどの天才であれば、“最終兵器”を起動する事ができるのかもしれない。何を考えているのか分からず不安になり横目でイルーダさんを見ると少し困った顔をしていた。

「うーん。すまないが正直“最終兵器”自体にはあまり興味がなくてね」

「え」

 僕と男性の声が被る。

「私が研究したいのはレカード・マイズの”心”ただそれだけだ。付随して“最終兵器”についても研究はするが、まあ“最終兵器”は嘘だと考えているし」

「……嘘?」

「私はこの数十年間ずっと、レカード・マイズについて研究していたんだ。彼の事が知りたくて知りたくて……国にあるレカード・マイズに関する文書は読み尽くしてしまう程にね。だから分かるんだ、レカード・マイズがそのような物を遺すとは到底思えない」

「そんな……”信じる”だなんて、百年も前の人ですよ?!」

「時が流れたって、その人の堅実さは伝わるものさ」

 思わず声をあげてしまった僕の方をチラッと見てイルーダさんは話を続けた。

「ここなら、まだ知らない事実が眠っている。知りたいんだ、彼の事をもっと。彼が何を考え何を感じ、何を思ったのか。ここに研究室を構える事を許可してくれるのであれば、私はきっと真実に辿りつく」

 イルーダさんは男性の目をまっすぐに見つめた。

「そうしたら君を解放しよう。もちろん、彼の意に反さなければだけど」

「……どうして、そこまでするんですか」

「私はレカード・マイズに恋をしているからね。ただ、それだけだ」

 まっすぐだ、イルーダさんは本当に。まだ出会って数時間なのに、それだけはハッキリと分かった。

 素直に百年も前に存在した人を本気で”信じ”、本気で恋をしている。

「僕からもお願いします。イルーダさんはきっとまっすぐだから、きっと悪いことにはなりませんよ」

 隣で僕が声をあげるとイルーダさんは目をまん丸にし、笑った。

 そんな僕らを見て、しばらく目を閉じて考えていた男性はゆっくりと口を開いた。

「貴女方を信じたい……私も博士が”最終兵器”を遺すなんて思っていないのです。真実を知りたい。研究室を設けてください」

「本当かい?! ありがとう!」

「?!ありがとうございます!」

 僕らは手をとって喜び、イルーダさんはそのまま踊りだした。

「ありがとう! ありがとう、君」

「いいえ、こちらこそ。希望をありがとうございます」

「そういえば君の名はなんていうんだい? さっきから呼びにくくて仕方がない」

「そ、そうですね、名前聞いてませんでしたね」

 僕は手を掴んだままくるくる回され遠心力で若干気持ちが悪くなる。

「私はハイルです」

「ハイル……か! いい名だな」

 まだ僕を回し続けるイルーダさんはとても嬉しそうに笑っていた。


 あれから、まだ外に放置されていた荷物を(ハイルさんも手伝わされた)研究室に運び込む。そこはどうやらマイズ博士が書庫にしていた場所のようで、本が乱雑に積まれ今にも崩れ落ちてきそうであった。

 端にあった大きな机をイルーダさん、その隣の小さな机が僕のものになった。

 研究室に持ち込むものはイルーダさんに比べれば多くなく、あとは部屋の整理をすれば片付けが終わるな……とそこで思い出した。荷物をベッドに投げたら、ハイルさんに当たった事を。

「そういえば荷物、ハイルさんに当たりましたよね。すみませんでした」

「いえ、大丈夫ですよ」

「あの部屋はハイルさんの部屋なんですね。他どこが空いてますか?」

 できればマイズ博士の部屋から離れた場所がいいが。そんな僕の心情を知ってか、ハイルさんは優しく微笑んだ。

「アリリオくんがあの部屋を使っていいですよ、私は気分で部屋を変えていましたから」

「ありがとうございます!」

「ならば私はアーリの隣の部屋をもらおう、いいかね?」

「ええ、大丈夫ですよ」

 しれっと会話に混じり、しっかりとマイズ博士の部屋の隣を手に入れたイルーダさんはにこにこと作業に戻っていった。



 マイズ博士の古城を研究室にしてから早一ヶ月。

 イルーダさんは日常のほとんどを研究室で過ごしていた。

 山のように積んである書物をものすごい勢いで読み解いていく姿を見た時には、やはり天才であると再確認した。

 僕は時々読解の手伝いやレポートの補助、自分の研究(幸いにもこの場所からドラゴンの谷は徒歩圏内であった)の経過をイルーダさんに見てもらい助言をもらったりと、きちんと研究を続けている。

 正直、イルーダさんの研究動機がマイズ博士への恋心と知った時は、このままマイズ博士の研究ばかりで僕の研究など見てもらえないと思っていた。しかしそれは杞憂であり、話しかければきちんと返答もかなり的確な助言ももらえたのだ。

 そしてこの一ヶ月で一番驚いたのはハイルさんの事である。

 朝昼夕、彼は欠かさず料理を作ってくれた。掃除も隅々までこなし、頼んでいない僕の部屋まで掃除してくれた。”最終兵器”というよりももはや家政婦である。

「あ、いた」

 そんなハイルさんは今日も掃除をしている。今は廊下の窓を拭いているようだ。


「アーリくんどうしましたか?」

「ちょっと研究が行き詰まったので、お手伝いをしようかなと」

「ありがとうございます、助かります」

 そう笑い、ハイルさんは雑巾を絞った。

 二人並び、もくもくと窓を拭いていく。城というだけあり、窓の数はやはり多い。

「これ、いつも一人でされてたんですよね。大変でしたね」

「いいえ、やる事がなくてですね。暇つぶしにはピッタリでしたよ」

 ハイルさんは少し悲しそうに笑う。

「一人でいると時間が経たないんです。だから、貴方たちが来てくれてとても嬉しかった」

 そこれがハイルさんの百年刷り込まれた”癖”なのだと気が付いた。欠かさず料理を作り洗濯、それにあえてやらなくていい場所まで掃除をし忙しく過ごす”癖”。

「……ハイルさん、休憩しましょう」

「え?」

「百年も動き続けて、大変だったでしょう? 今なら時間は経ちます。僕とお話ししませんか?」

 ハイルさんは驚いた顔をしたが、僕の言いたい事が分かったのかすぐに笑顔になった。

「はい、お茶でもしながらゆっくりと過ごしましょうか」


 僕らは食堂に移動して並んで紅茶を飲む。

 ほっとハイルさんの息を抜く音が聞こえ、僕も少し息を吐いた。

「ありがとうございます、アーリくん。気を使わせてしまいましたね」

「いいえ、僕が勝手に休憩したくなったんです」

 ふふっと、ハイルさんは笑った。

「じゃあちょっと勝手に過去を話してもいいですか?」

「ええ、時間はそうやって使うものです」

 僕もニヤッと笑った。イルーダさんっぽい笑いになってしまったのは気のせいであってほしい。

 ちょっと長いですよ、とハイルさんは言葉を挟んだ。


「博士が私を遺し亡くなった後、その場に居た人々が博士の復讐ではないかと恐れました。もちろん、その場に居た人々は私を含め、私が何なのかも使い方も処分の仕方も分からなかったんです。ただ、不条理な死に追いやられてしまった博士。この世を憎み壊すために遺されたのだと信じ込まれ、私は”最終兵器”と名付けられました」

 驚いた、”最終兵器”という名はかなり乱暴に付けられたものであった。

「まあ、それから兵士と数年間暮らすんですが、私が勝手に出て行かないよう、他の人が入ってこられないように入り口の扉に仕掛けるんです。でも、その仕掛けを間違ってしまって、数年後に自分たちも入ってこられなくなって。あれはちょっと面白かったなぁ」

 ふふっと思い出しハイルさんは笑うが、すぐに笑顔は消えた。

「兵士も入ってこられなくなり忘れ去られ、後は朽ち果てるまで待てばいいと思いました。しかし、その日は一向にやってこない。博士は何を考え私を、”最終兵器”を遺したのか終わりの見えない監獄で百年もの月日が流れました」

 自身が何者かも分からず、マイズ博士を信じたくとも信じられない時間はどれほどのものだったのであろう。計り知れない孤独と不安に胸が締め付けられた。

「だからこそ貴方たちが孤独の百年を突き破って、”最終兵器”は嘘だという強い言葉をもってきた時は本当に嬉しかったんです。ありがとうございます」

 ハイルさん頰には一筋の光が流れていた。

「僕、頑張りますね。イルーダさんの研究を少しでもサポートして、早くハイルさんを開放できるように」

 ハイルさんは涙を流したまま、綺麗に微笑んだ。



 数ヶ月過ごす間に僕は度々イルーダさんの奇行を目にした。どうやらそれは研究に行き詰まってしまった際、意識的に行っているようだった。

 急に逆立ちをしたまま書物を読みだしたり、この間はハイルさんの掃除の手伝い(高速窓みがき)をしながらレポートをまとめていた。後からそのレポートを見せてもらうがもちろん読めない。

 そんな今日は急に床に寝転びだし、うねうねと研究室を這い回る。

「ちょっとイルーダさん」

「なんだ?」

 何事もないようにイルーダさんはうねうねしたまま顔をこちらに向けた。

「なんだ? じゃないですよ、何やってるんですか」

「ちょっと行き詰ってしまってね、視点を変えてみようと思ったんだ」

 その発想はどこからくるのか僕は呆れて溜息をついた。

「それ以上うねうねすると汚くなりますよ。お茶なら付き合いますから」

「……お茶?」

 イルーダさんは止まって僕を見上げた。

「ええ、息抜きがしたいんでしょう? 付き合いますからほら立って立って」


 あれからあっさりと立ちあがったイルーダさんは食堂に着くと率先的に紅茶を淹れてくれた。そういえばイルーダさんは紅茶が趣味だった。

「ありがとうございます」

 暖かいカップを受け取ると、イルーダさんが笑う。

「いや、こちらこそ”息抜き”に付き合ってくれてありがとう。とても嬉しいよ」

「大袈裟ですよ」

「本当さ、誰かに付き合ってもらうのは初めてだからね」

 イルーダさんは何てことないよう、にこにこと紅茶を啜る。

「え? だって同期や後輩……一応準研究員が下にいましたよね?」

「これが一度もないのさ。同期や院にいた者は最年少の登場に妬んだ、後から入った者は天才という称に畏れ多いと近づかなかった」

 それは想像に容易かった。

「準研究員……は、最初こそ関係はよかったが段々と年下に否定され、教えられる事にプライドが傷付いたのだろう。一年待たずに皆離れて行ったよ」

 これも簡単に想像することができた。

 天才は孤独とイルーダさんがよくこぼす理由はここからだったのか、と僕は納得した。

「すみません。色々聞いてしまって」

「話したのは私だからね、気にしないでくれ。確かにあの頃は寂しかったさ、でも今こうしてアーリが相手をしてくれている。それで十分じゃないかい?」

 はい、かんぱ~いとイルーダさんは僕のカップと無理やり乾杯させカチンと音を鳴らした。

「それに一人でいたおかげでレカード・マイズの研究もはかどったしね」

「……ずっと気になってたんですが、どうしてマイズ博士を研究しようと思ったんですか?」

「知りたいかい?!」

 そう高らかにイルーダさんが勢いよく近付いてきた。明らかに直前とテンションが違い僕は小さく笑う。その笑に満足したのかイルーダさんもニヤッと笑った。

「まあ、これも”孤独”がきっかけなんだがね。同じ天才と称されたレカード・マイズの孤独に触れてみたかった。そして触れていくほど……レカード・マイズを知るほど、もっともっと知りたくなったんだ」

「じゃあ、いつの間にか恋になっていたんですね」

「ああ、”より知りたい”と思った瞬間に恋ははじまっているみたいだ。百年前の人なんて関係ない、恋した人がたまたま先に生まれただけだ。その恋した人に愛する人がいたって、百年の恋は冷めているかもしれないしね」

 ”より知りたい”と思った瞬間に恋ははじまっている、なんてイルーダさんは見た目に反してロマンチックなようだ。そして……

「恐ろしくポジティブですね」

 思わず口から漏れていた僕にイルーダさんはピースサインを向ける。

「これくらい前向きでないと天才はやっていけないよ」

 これくらい寛大でないとならないな、そう考えながら僕は少しぬるくなった紅茶をすすった。

「あ、お二方ここに居たんですね」

 ちょうど話が途切れた時、ハイルさんがやって来た。

「おお、どうしたんだい?」

「お二人に教えなければならない事がありました」

 僕とイルーダさんは顔を見合わせ首を傾げた。


 ハイルさんによって連れて来られたのはマイズ博士の部屋であった。

 ハイルさんもイルーダさんもまるで私室のように堂々と入るが、僕は立ち入る機会もなく縮こまってしまう。

「……この部屋に何かあるのかい?」

 イルーダさんの言葉にキョロキョロと辺りを見渡すが、マイズ博士の私室は僕らの部屋に比べたら多少豪華ではあるが気になるようなものはない。

「はい、ここなんです」

 ハイルさんがコツコツとノックしたのは暖炉の横のレンガ壁だった。

「ああ……確かにここは色が違って気になっていたんだが」

 確かにこのレンガ壁、ドアのような大きさだけ他のレンガ壁よりも色が薄くなっている。しかし、本当に微々たるもので僕は言われるまで気づかなかった。

「実はここ、部屋に繋がっているんです」

「まさか。私は試しに押してみたがビクともしなかったぞ」

「はい、普段は開かないんです。でも、今日だけは……」

 ハイルさんが優しくレンガ壁を押すとゴリッとレンガのズレる音がして奥から部屋が現れた。

「わぁ……」

 僕が小さく声をあげる、隣のイルーダさんは微動だにしなかった。

 中はとても小さな部屋で、月が描かれたステンドグラスが一枚はめ込まれていた。電飾のない部屋であり、差し込む朝日でキラキラと輝いている。

 しばらくボーッとしていたイルーダさんはハッと我に返り、ごそごそと地図を取り出した(一体どこに入れていたかは聞かないことにする)。

「……ここの部屋、地図に載っていないな」

「そうなんですか?」

 イルーダさんの持つ地図には確かに、この部屋は存在していなかった。

「開くのは一年に一度だけなのかい?」

「ええ、ずっとここに居ますが開く日は変わらない。今日だけですよ」

 ふむ、とイルーダさんは部屋の中をウロウロと探索しはじめた。

「なんで今日だけなんですかね?」

「私も分からないんです。でもお二人の役に立つ情報かと思いまして、実際にお見せできてよかったです」

 そういってハイルさんは笑った。

 イルーダさんは未だに部屋の中をキョロキョロと見渡している。

「嬉しそうですね」

「ああ! 嬉しいことにこの城はまだ知らないことだらけだ。まだまだレカード・マイズの事を知れると思うと喜びでいっぱいだよ、これで研究も捗るな」

 どうやら研究の行き詰まりから抜け出したようで、僕は笑顔のイルーダさんにホッとした。



「アリリオ・リファレさんです?」

「え、あ、はい」

 城から一番近い街へ立ち寄った際、郵便のおじさんから手紙を受け取った。

 誰だと思い裏面を見ると院の刻印が押されている。急ぎの用かと思い慌てて封を切るが、”ミスメヤングと共に一度院へ戻るように”そう簡潔に書いてあった。覚えのないことで僕はとりあえず、イルーダさんに相談しようと城へ戻った。

「院から手紙?」

「はい、僕宛なんですがイルーダさんの事も書いてあるんです」

 受け取った手紙をイルーダさんに渡した。

「……アーリ、君何か覚えは?」

「特にないんですよ」

 自分で言うのも何だが、準研究員としての研究も成果を出している方であるし、レポート提出も遅れたことがない。呼び戻される理由が本当に浮かばなかった。

「……うーん、悩んでいても解決しそうにないな」

 急な手紙にイルーダさんは少し考えていたが、車の鍵を差し出した。

「戻るか」

 僕とイルーダさんはそれから簡単に荷物をまとめ、すぐさま院へ戻ることになった。

「すぐ戻りますね」

「お気をつけて」

「ああ」

 ハイルさんが城の前で手を振り、僕はゆっくりと車を発進させた。


 半年前と同じようイルーダさんは助手席に座り、右へ左へと指示を出した。

 あの時は複雑と思っていた道も思えば法則性があり覚えやすい。これなら今後一人でも運転しても大丈夫だな、と考えながら車を走らせれば院が見えてくる。たった半年しか離れていないのにとても懐かしく感じた。

 門裏に車を停め、事務室で手紙の旨を伝えると応接室に案内された。

「中でしばらくお待ちください」

 僕もイルーダさんに続き入ろうとすると隣の部屋を指された。

「貴方はこちらです」

「部屋違うんですか?」

「ええ、そう指示を受けていますので」

 それだけ案内すると事務員さんは去っていった。

 あの手紙からして、一緒に話を聞くものだと思っていたから予想外で驚いてしまう。

「よく分からないがまた後で」

 イルーダさんは特に気にしていないようで軽く手を挙げさっさと消えてしまった。

 僕もすぐに部屋に入ったが、応接室など普段院にいれば通されることもないから緊張してしまう。

 目の前にあるソファを見ながら、イルーダさんはきっと優雅に腰をかけているんだろうな、なんて思い僕は緊張と不安でどうする事もできずただ立ち尽くしていた。

 --コツコツ

 急にノックが響き背筋を正した。

「はいっ」

「失礼するよ」

 そう入ってきたのはここの副院長であった。入室してすぐに目があった僕に少し驚いたようで、掛けていいんだよとソファを勧めてくれた。

「さて、まずはリファレくん、今回は急な呼び出しに応じてくれてありがとう」

「いえ。呼び出された内容に見当がつかなかったので、イルーダさんが戻ろうと」

「そうだったのか。でもまさかミスメヤングも戻ってくるとは誰も思っていなくてね、驚いたよ」

「呼び出したのにですか?」

 自分たちが呼んだのにその態度はなんだと少し呆れてしまった。

「ああ、君なら十二分に知っていると思うが彼女はかなりの自由人だからね。きっと来ないだろうと話していたんだ」

 前言撤回である、大きく頷いた。

「ミスメヤングの件は私たちも反省していてね。あの時は条件を出せば諦めると思ってたんだ。まさか指導者になるとも本当に研究室を移動させてしまうとも思っていなかった」

 そうでしょうね、僕は院の人に少しだけ同情した。

「ランダムとはいえ”ハズレ”を引いてしまった君には迷惑をかけたね」

「あ、いえ。僕は迷惑だなんて思っていないので」

「おや、そうなのかい?」

 副院長はとても驚いている。

 イルーダさんは確かに変わっている。それでも、それによって迷惑をかけられた事は一度もないと心から思っている。

「ところで今回呼ばれた理由はなんですか?」

「ああ、そうだねそろそろ本題に入ろう。君を呼んだのはこれから行う予定の準研究員の“育成プログラム”についてだ」

「……育成プログラム……ですか?」

「そう、来年からはじめようと思っているものなんだがね。準研究員の優秀な者を選定し研究員になるまで私や院長が直にサポートしよう、というものなんだ」

 何度も言うようだが指導者はランダムだ。皆が皆、優秀な指導者に当たるとは限らない。

 しかし、これは優秀な人からの指導が確約されている夢のような制度だ。

「そして君は、その育成プログラムの候補者に挙がっているんだよ」

 僕は目を見開いた。

「もちろん、他にも候補者はいてまだ本決定ではないんだがね、その選定は平等に行わなければならない。しかし現時点で君は私たちも知らない遠く離れた地で研究を行っている。さらにあの自由人が君の指導をしているとは思えない。……この時点で平等とは言えないだろう」

 副院長は一枚の紙を僕に手渡した。

「私たちの反省の形、そして特別な措置だ」

 受け取ったその紙には“指導者の解除”と書かれていた。

「え?」

「君は今日限りでミスメヤングの指導を断ち切り、こちらへ戻り他の指導者の下につくんだ。そして来年のプログラムに備えなさい。そもそも設備が違うんだ遠く離れた地で研究を続けていても、こちらの準研究員と差ができてしまう」

「……これ、イルーダさんにも」

「ああ、本人がいては君も本心を言い難いだろうと思ってね。ミスメヤングには院長が同じ説明を行っている」

 副院長の話は半分正論であった。

 確かに、あの古城にはマイズ博士の資料はあってもドラゴンの資料は一つもないのだ。

「…………断ります」

「なんだって?」

 僕の言葉に副院長は立ち上がった。

「確かに、あそこには資料はありません」

「そうだろう。君はミスメヤングの私欲のために巻き込まれたんだよ、貴重な時間を無駄にしてはならないだろう」

「副院長の言うとおり、僕はイルーダさんの研究に巻き込まれました。それでもイルーダさんはきちんと僕の研究に対しても向き合ってくれます。私欲のためなら、そんな事ないですよね? 確かに読めない行動も多いですが、知りたい事のためにまっすぐで驚くほどに純粋なんです。」

 僕は受け取った紙を返す。

「イルーダさんはとても素敵な指導者ですよ」

「……そうか、あのメヤングが……」

 副院長は小さく呟いた。

「遠くの地では不利益だとは思わないのかい?」

「いいえ、幸いにもドラゴンの谷が僕の今住んでいる場所から近くて。研究しやすくなったんですよ」

「そうか、そうか……。すまなかった、余計な心配をしていたようだね。君たちはとてもいいチームワークでやれているんだね、安心したよ」

 副院長は納得したようで紙を受け取ってくれた。

「ならばこの事をミスメヤングに伝えなければね」

 どうやらこの“指導者の解除”は僕一人の返答で決まるものだったらしい。イルーダさんは今も隣の部屋で僕の決断を待っているのだろう。きっと、自信満々にソファーに座り僕の返答に「当たり前だ」と笑うのだ。

「入るよ」

 そう軽くノックをして入ってきたのは院長であった。

「ああ、こっちも話は終わったよ。彼は断った」

「なんだって?」

 院長も先ほどの副院長のように驚いた。

「あの、イルーダさんはどこですか?」

 一緒に入ってくると思ったイルーダさんの姿はなかった。

「彼女は帰ったよ」

「え?」

「指導者の解除の説明をしたら、“アーリの選択は分かる”と帰っていったよ」


 僕は部屋を飛び出し裏門へ向かったが、そこには車もイルーダさんの姿もなかった。

 呆然と立ち尽くす僕に院長と副院長が追いつき、車で研究室まで送ろうと提案してくれたが、あの城の存在はまだ黙っていないといけない。そんな気がして断り記憶を頼りに城へ走り出した。「天才も選択を誤るのだな」と、どちらかか分からない呟きを背に受けて。


 走りながらも考えるのはイルーダさんの事だった。“アーリの選択は分かる”といって帰ったのなら、僕がイルーダさんを解消する選択をすると思ったのだろうか。

 ゴチャゴチャになった感情のまま走り続け、ようやく門前にたどり着いた時には辺りはもう真っ暗だった。

 僕は一度立ち止まり呼吸を整えようとするが何度吸って吐いても胸の奥が痛い。

 落ち着く事は諦め一度大きくふっ、と息を吐き門に向かって走り出した。


 城の前までたどり着くとチラチラとランタンの灯りが見えた。

「ああ!」

 僕の姿が見えると嬉しそうに声を上げ立ち上がったのはハイルさんだった。

「やっぱり帰ってきてくれました」

「……イルーダさんは?」

 僕がキョロキョロと辺りを見渡すとハイルさんは苦笑いした。

「戻ってきていますよ。寝ていますが」

「寝てる?」

「彼女にも考えることが色々あったようでね、まあ取りあえず中に入りましょう」

 ハイルさんは僕の背中を軽く押す。

「おかえりなさい」

 それはイルーダさんと一緒に聞くはずだった言葉だった。


 ハイルさんは食堂で温かいお茶を入れてくれた。

「ありがとうございます」

「いいえ、いつも時間を潰すのに付き合ってもらってますからね」

「それもですが。イルーダさんが戻ってきてから、ずっと待っていてくれたんですよね。もしかしたら本当に戻って来なかったかもしれないのに」

 ハイルさんは少し驚いたがすぐに笑った。

「信じてましたからね。勿論、心の奥ではイルーダさんも」

「え?」

「いや、イルーダさんは信じる……よりも願望かな。帰ってきてほしかったみたいですよ」

「自分が“アーリの選択は分かる”と帰ってしまったのに。矛盾にもほどがあります」

 僕の意見にふふっとハイルさんは笑う。

「そうですね、私もそう思いますよ。イルーダさんが一人で帰ってきたから聞いたんですよ、院での話」

「酷いですよね、僕が解消するような人だと思われてたなんて」

 苦笑いでお茶を飲み干すが、胸の方がイガイガと痛い。

「その話を聞いた私の推測、聞いてもらえますか?」

 そういうと僕の返事もなしににっこり笑ってハイルさんは続けた。

「“アーリの選択は分かる”そう言ったイルーダさんは、アーリくんが”この話を断るという選択”を分かっていたんだと思います。それでも院長から聞いた研究の不便さは正論だった。自分の研究のため巻き込んだアーリくんを解放するため、”一人で帰ること”でアーリくんの選択を拒否したんだと思います」

 イルーダさんは僕の今後の研究ために、僕の選択を拒否するために帰っていった……という事なのだろうか。

「”天才は孤独”って、イルーダさんがよく言ってますが今回本当だなって思いました。意見を拒否すれば離れていく、それがイルーダさんの中の認識だったんです」

 --準研究員……は、最初こそ関係はよかったが段々と年下に否定され、教えられる事にプライドが傷付いたのだろう。一年待たずに皆離れて行ったよ。

 ふと、イルーダさんとの会話を思い出した。

「選択を拒否したから、もうアーリくんは戻ってこないと思っているみたいですよ。帰ってからすぐ部屋にこもって……部屋の前を通ったんですが、どうやら泣いているみたいです」

「……馬鹿じゃないですか」

 本当に本当に、イルーダさんは馬鹿だ。天才なんて大嘘じゃないかと思ってしまう。

「だから、行ってあげてください」

 そう言ってまたハイルさんは僕の背を押してくれた。

「そして二人で食堂に戻ってきてください。そうしたら私はもう一度言いますよ」


 廊下はいつもより薄暗く感じた。イルーダさんの部屋の前に立ちノックをしようと手を伸ばしたが辞めた。

「さんっはーーーいーーー!!!」

 僕は出来るだけ大声でイルーダさんの部屋のドアを開ける。部屋の電気は付いていなかったが、ベッドにもっこりとできた塊がビクッと動いたのが見えた。

 恐る恐るとベッドから顔を出したイルーダさんは僕の顔を見るなり、目をまん丸にして止まった。

 僕は部屋の電気をつけてイルーダさんの側へ寄る。

「一人で帰るだなんて、酷いですよ」

「な、え、な……」

 うろたえて言葉になっていないイルーダさんを僕は無視して話を続ける。

「僕、指導者の解除するつもりありませんからね」

「……私はそれを拒否して帰ったんだが……どうしてここに居る?」

「意味がわからないからです。なんで拒否するんですか?」

「私のワガママに巻き込んでしまって、結果アーリ自身の研究から遠ざけてしまったからだ。このまま私と一緒に居るよりも院で研究をする方がアーリのためだろう」

 イルーダさんは本当に僕の今後の研究のために、僕の選択を拒否するために帰っていったらしい。ハイルさんの推測は当たっていたようだ。

 僕はわざとらしく大きなため息をついた。

「僕のためにと、考えてくれた事は素直に嬉しいです。それでも、僕の意見が通ってないなら意味がないんです」

 イルーダさんは首をかしげる。

「僕はイルーダさんに最後まで指導してもらいたいです」

 イルーダさんはまた目をまん丸にした。

「……君は少し変わっているようだな」

「お互い様じゃないですか? ”選択を拒否すればもう城に帰ってこない”だなんて考える人はそういないと思いますけど」

 僕はニヤッと笑う。

「今までそれが普通だったからな。拒否すればそこで全て離れていったんだ、だからこそ城に一人で帰りとても苦しかった。でも、アーリはここに居る帰ってきている。本当にありがとう」

 イルーダさんようやく笑い、続けた。

「アーリ、君がそう言ってくれるのなら私は最後まで指導させてもらうよ」

「あ、ありがとうございます!」

 涙の混じった声にイルーダさんは小さく笑った。

「すまなかったね」

「いいえ」

 イルーダさんは僕の頭を二、三度撫でてくれた。

「さて、心配かけてしまったみたいだから行こうか」

「……! ハイルさんのところですね」

「ああ、今度は一緒に」

「はい!」

 僕とイルーダさんが並んで食堂に戻るとハイルさんはとても嬉しそうに笑った。

「二人とも、お帰りなさい」



 僕とイルーダさんが仲直りし数日してもハイルさんはご機嫌なようで、廊下から鼻歌が聞こえる。

 僕は研究室から顔を出し、尋ねた。

「ねえ、ハイルさん。ずっと気になっていたんですがその曲なんですか?」

「ああ聞こえていましたか、お恥ずかしい。これは博士の部屋に置いてあるオルゴールの曲なんです」

「オルゴール? そんなものあったか?」

 急にイルーダさんが会話に入ってきた。

「ああ……、確かにあれはオルゴールとは分かりにくいかもしれないですね」

「どれだ? 教えてくれ」


 ハイルさんはマイズ博士の部屋に入り迷う事なく、暖炉の上に置いてあったバラの置物を指し示した。

 それは陶器で出来ているようでとても小さい。

「これが?」

「ああ、本当だ横に小さなぜんまいが付いていたんだね。気付かなかったよ」

 イルーダさんがゆっくりと数回巻くと、先ほどの曲が流れてくる。

「素敵な曲ですね」

「はい、私もとても好きなんです。……でも曲名は分からなくて」

「そうなんですね」

 イルーダさんはさっきから黙ったままで、曲は段々とゆっくりになり止まってしまった。

「う~ん、分からない。ハイルの鼻歌が下手すぎて曲名が分からないのだと思っていたが、実際の曲を聴いても分からなかった」

 さらっと失礼な事を言ったが、ハイルさんは別段気にしていないようだ。イルーダさんにもわからない事があるのか。

「百年前に流行っていた曲なのかもしれない、今に伝わっていないのが勿体ない程だな」

 僕はそうですね、と頷き、オルゴールのぜんまいを再び巻こうとした。


 --ゴツ

 嫌な音がして、そのオルゴールは床に落下した。

「あああああああ」

 僕は慌ててオルゴールを拾い上げる。

「おやおや、気をつけなさいよ」

 イルーダさんはのんびりと注意するが、それどころじゃない。僕はくるくるとオルゴール全体を確認し傷がないかを確認する。

「大丈夫ですよ、私も何度か落下させましたが博士の部屋の絨毯はもっふもふですから」

 ははは、と朗らかに笑うハイルさんに落下させたんかい! と内心つっこみながらも、欠けた部分や傷が入っていないようで、ふっと安堵の息をもらした。瞬間、先ほど確認した時には気付かなかったものが目に入り息をのむ。

「イルーダさん、これ……」

「どうしたんだい? 傷でも見つかったか?」

 僕はオルゴールの裏側を指差した。

「この模様、多分鍵になっています」


 この城の入り口にも数字を模した模様が彫られていた。それと同じようにオルゴールの裏にも同じような模様が彫られていたのである。目を凝らさなければ見落としてしまう、それくらいの大きさだった。ただ、ほんの少しだけ模様の種類が違っていた。

 入り口の模様はこの城に”最終兵器”を封じるために兵士が作ったとハイルさんは言っていた。ならば、このオルゴールの鍵はマイズ博士自身が作ったのであろう。

 導く数字は四桁であった。

 単純に考えれば一万通り。そう簡単に導けるものではないと、僕らはそれぞれの作業を一旦止め食堂に集まった。

「私なら無難に自分の誕生日を設定しますかね」

 ハイルさんの言葉にイルーダさんは直ぐさま数字を移動させるが(マイズ博士の誕生日をしっかり把握しているあたりさすがだ)何も起こらない。

「う~ん、マイズ博士の生みだした数式の数……とかですかね?」

 これもまた何も起こらない。

 イルーダさんは思いつく限り、マイズ博士に関する四桁の数字を試しはじめた。

 初めて数式を生み出した日、博士号をもらった日、兵器を生み出した日、処刑が決まった日……どれもこれも知っている事について正直驚いたが、その全てがダメだった。

「はあ、嫌だなぁ」

 イルーダさんはため息とともにこぼした。それもそうだ、ハイルさんの謎が解けていないのに、また謎を呼んでしまったんだ。

「難しいですね、少しず解いていきましょう」

「いや、思い当たる数字があと一つあるんだ」

「え」

 僕とハイルさんの声が重なった。

「試さないんですか?」

「ただ、これを試してこれで開いてしまったら私の最も危惧していた答えが本当になってしまう」

 怖いんだ、とイルーダさんは呟いた。

「どんな答えかわかりませんが、やってみましょうよ。これが全ての答えに繋がっているなら、いずれ向き合わないといけない問題なんです」

 僕の言葉にイルーダさんは小さく頷く。

「なあ、ハイル。あの部屋が開くのはいつだっけ?」


 ……パチッ

 小さな音であったが、静かなこの部屋には十分すぎる音がした。

 イルーダさんがゆっくりと向きをかえ、バラの蓋をあけると中には

「指……輪」

 僕の一声に、イルーダさんはゆっくりと息を吐いた。

「やはり……だな」

 イルーダさんは全てを悟っているようでそっと指輪を取り出し、ゆっくりと観察する。

 少し使い古されたようなその指輪には名前が彫ってあった、【アッネロ・ドーゼ】と。

「これを預かってもいいかい?」

「ええ、大丈夫です」

 イルーダさんは名前を見つけると、ハイルさんに確認し指輪とオルゴールを持って研究室に戻っていった。


「……マイズ博士は結婚していたんですね」

「そうみたいですね」

 マイズ博士の私室に残された僕らは唖然とした。鈍い僕らでもオルゴールの中の指輪、そして彫られた女性の名前で勘付いてしまった。

「もしかすると一年に一度部屋が開くあの日は……結婚記念日……。なのかもしれませんね」

 僕の言葉にハイルさんは頷く。

「そうですね、あの内装は小さな教会の様でしたし。二人でひっそりと祝っていたのかもしれませんね。イルーダさんはそれにいち早く気がついていた」

 真実に近づけば近づくほどに、愛おしい人の愛する人が姿を現わす。イルーダさんの事を思うと少しだけ胸が痛んだ。

 

 次の日の朝、イルーダさんは変わらず食堂でホットコーヒーを飲んでいた。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。揃ったようだね」

 イルーダさんは朝食を並べるハイルさんにも席へ着くように促した。

「昨日あれから調べていてな、少しだけ分かった事があるから伝えておくよ」


「まずは指輪にあったアッネロ・ドーゼ、百年前の歌手だそうだ。オルゴールは彼女の代表曲”ルナー・ノーチ”」

「ルナー・ノーチ……月夜……ですか」

 ハイルさんの呟きにイルーダさんは頷く。

「おかしいとは思っていたんだ。”愛する人”を守るために自分を犠牲にした。という事実は残っているのに、その”愛する人”に関する情報が、物がどこにもなかった事が」

 確かに僕もこの城に来てからずいぶんと書物を読み漁ったが、彼女に関する情報は一つも見つからなかった。

「まあ、ここからは全て想像に過ぎないのだが。調べていくと彼女は当時人気のあった歌手だったようでな、結婚は混乱を避けるため元々隠していたんだろう。その後戦争がはじまり、レカード・マイズは彼女を守るため研究に参加。そして、戦後レカード・マイズは自分が罪に問われると気付いていた。都合のいいことにレカード・マイズと彼女が結婚しているという事は周りにバレていない。レカード・マイズは彼女を逃し、彼女に関する全てのものを消した。この指輪以外と、あの部屋以外……な」

 確かにつじつまは合っていた。

「どうかね? 同じ天才の考えだ。限りなく答えに近いとは思うのだが」

「私もその考えがしっくりくると思います」

 ハイルさんも同意を示した。

「ただ、ますます私が遺された意味が分からなくなりました」

「それはまた研究を続けようと思う、あと少しで導けそうなんだ」

 イルーダさんはそうコーヒーを飲み干した。



 あの日を境に、ますますイルーダさんは研究室に引きこもった。

 ハイルさんも食事は全て研究室に運んでくれるようになり、僕も少しでも手伝いができるように、自分の研究を一時ストップし書物の整理をしている。


 --ガタン

 今まで聞こえていたペンを走らせる音が止まり、突然上がった音に僕は肩を揺らした。

「どうしまし……た……」

 言葉が続かなかった。

 突然立ち上がったイルーダさんの目から涙が流れていたのだ。

「……イルーダさん……」

 僕の声に小さく反応してイルーダさんは立ち上がった際に倒れた椅子を戻した。

「すまない、驚かせてしまったね」

「いえ。何かありましたか?」

「ああ」

 イルーダさんは大きくうなずき、真っ直ぐと僕を見つめた。

「分かったのさ。レカード・マイズの最期の謎が」


 それからすぐにハイルさんを呼び、マイズ博士の部屋へと集まった。

「分かったって本当なんですか?!」

 ハイルさんは駆け込み、イルーダさんに詰め寄った。イルーダさんは落ち着いておりゆっくりとうなずく。

「ああ、今から百年前の種明かしだ」

 イルーダさんは深く笑った。

「さて、結論から言うとハイル、君は”最終兵器”なんて恐ろしいものじゃない。君はアッネロ・ドーゼへの”想い”だ」

「……え」

 ハイルさんの長年の謎を、悩みをまるでなんて事ないようにイルーダさんはさらりと告げた。

「……想い……ですか」

 ハイルさんの呟きにイルーダさんはうなずいた。

「アッネロ・ドーゼとの関係を隠すためにレカード・マイズは彼女に関する全てのものを消した、と前に説明したな?」

「はい」

「ただ自分の”想い”だけが彼女を愛したという証だったんだ。……だからこそ、処刑され、この世界からアッネロ・ドーゼへの”想い”が消えてしまうのを恐れた」

「それでハイルさんが生まれた……とでも言うんですか?」

「ああ、にわかに信じがたいがな」

 そんな夢物語のようなことがあるのだろうか。百年前のマイズ博士の”想い”がここに存在しているだなんて。

「まあ、私がゴタゴタ言うよりも体感したほうが早いだろう」

 未だ困惑をしているハイルさんにイルーダさんは指輪を差し出した。

「この指輪はアッネロ・ドーゼが亡くなった後、この城に送られてきたらしい。これが今回の”鍵”だ」

 ハイルさんは恐る恐る手を伸ばし、指輪に触れた。

「あっ」

 ハイルさんは小さく声をあげると、目を大きく見開き止まってしまった。

「ハイルさん?」

 僕の声も聞こえていないのだろう、ハイルさんはそのままボロボロと大粒の涙を流した。

「……ありがとうございます」

 しばらくすると涙が止まりハイルさんが呟いた。

「どうだい、自分の存在が理解できたかい?」

 イルーダさんは優しく問いかける。

「はい。イルーダさんの言う通り、私は博士のとても大切で愛おしい”想い”のようです」

「そう……か」

 嬉しそうに、愛おしそうに指輪を持ち笑うハイルさんをイルーダさんは優しくうなずく。

 僕は何も言えなかった。

 ハイルさんの存在はイルーダさんにとって、どういう意味を持つのか。それに気付いてしまったから。

「さ、レカード・マイズも”想い”が中々戻ってこず困っていると思うぞ。そろそろ戻らないとな」

「……私は戻れるのですか?」

「ああ、君がその指輪へ語りかければいい。自分はアッネロ・ドーゼへの”想い”であり、今も変わることなく、愛していると」

 ハイルさんは指輪を両手でぎゅっと握りなおし、バッと頭を下げた。

「ありがとうございました。お二人に出逢えて本当に良かったです。博士は何を考え”最終兵器”という私を遺したのか、考えても分からず終わりの見えない監獄にいました。博士を信じたいのに信じられない、とても辛かった。……アーリくん私と時間を過ごしてくれて、イルーダさんまっすぐに博士を信じてくれて……ありがとう」

 ハイルさんは僕とイルーダさんを順に見つめ笑った。

 そして、そのまま目を閉じると少しずつ身体がキラキラとした光に包まれていった。まるで夢を見ているようだ、どこからかあのオルゴールの曲ルナー・ノーチが聞こえる気がする。

 そのオルゴールの最後の一音が鳴った時、コツン……と何かが落ちる音がしてハイルさんの姿は消えた。

 イルーダさんはその音の正体を拾い上げ、光にかざす。少し錆びていたがそれは【レカード・マイズ】と刻まれた指輪であった。


 イルーダさんはそっとオルゴールの中に指輪を入れた。

 百年の時を経て、二つの指輪は再会したのだ。

「このオルゴールはあの部屋に置こうと思う」

「それがいいですね」

 一年に一度、きっと二人の結婚記念日であろう日に開くあの部屋に。

「さあ、一仕事終えたしお茶にしようか」

 そう提案するイルーダさんは僕が思ったよりも明るい。

 食堂へ移動し、そのままの流れでイルーダさんは紅茶を淹れてくれた。

「ありがとうございます」

「ああ」

 いつもと変わらない態度でいるイルーダさんを僕はじっと見ていたようだ。

「どうしたんだい? アーリ」

 イルーダさんは首をかしげた。

 マイズ博士が最期に残した謎は、博士の愛した人への”想い”だった。

 イルーダさんは全てを捧げて解き明かしたのに、蓋を開けると他人へのラブレターだった。

 十数年間も追い続けた人なのに、こうあっさりと済むわけがない。

「いつも通りのイルーダさんで驚いているんです」

 イルーダさんは驚き、少し笑った。

「ああ、なんだか二人を見ていたら入る隙などなかったのだと改めて実感してな。吹っ切れたんだよ」

 ほらまただ、笑う。

 すぐに消える恋でないのは今までのイルーダさんを見ていたらよく分かる。無理しているのは分かっているのに、イルーダさんは僕にそれを見せてくれない。

「僕には話せませんか?」

 そう言うとイルーダさんは笑顔を消し黙ってしまった。

「僕はイルーダさんの本心が”知りたい”んです」

 カップの中をじっと見ていたから目が合うことはないが、僕はじっとイルーダさんを見つめる。

「……いつか私は”百年の恋は冷めているかもしれない”と言ったな」

 目線はカップのままイルーダさんは呟いた。

「冷めてなんかいなかった。むしろ百年経とうとも消えない。とても、一途な人だった」

 イルーダさんはそっと目を閉じ、今までの研究を思い起こしているようであった。

「”彼”の隣に立っていたかったな」

 イルーダさんが初めて”レカード・マイズ”でなく、”彼”と呼んだ。これがイルーダさんなりのけじめなのかもしれない。

「”彼”に見つめて欲しかったな」

 少しずつ、声が震えているのが分かった。

 そしてゆっくりと息をつきながら、小さく呟いた。

「好きだったなぁ」

 その声に、言葉に僕の胸がギュッと掴まれたように痛んだ。

 イルーダさんは僕に目線を合わせ笑った。

「ありがとう、アーリ。これで少しすっきりした」

「いいえ、僕こそ話してくれてありがとうございました」

 僕の言葉にイルーダさんはもう一度笑った。



 まるで早送りされるかのように日は過ぎた。

 もう数日で僕とイルーダさんの初めて出逢った日がやってきて、指導者という関係が終わってしまう。

 イルーダさんは僕の研究の手伝いを最優先にし、手が空くと今回の件をまとめていた。今後自分と同じ謎に出会った者がきちんと答えを求められるようにレポートに残すらしい。

 僕は順調に研究を重ね、とある決意をした。

「継続……ですか?」

 イルーダさんが提案してきたのはそんな時であった。

「ああ、たしか指導者には当人達が同意すれば継続できる制度があったはずだ。今アーリがやっている研究は先の件で中断させてしまった事もあり途中だ。アーリが望むのなら私はこれを受け入れようと思う」

 イルーダさんの配慮に僕は心が温かくなった。

「ありがとうございます」

 それでも僕はこの話を断った。

「それもそうだな、振り回したのは私だ」

 イルーダさんが苦笑いをした。

 僕は勘違いされたくなく慌てて訂正する。

「違うんです! 本当はすごく嬉しいんです! でも僕は……」

 決意はとうにしたはずなのに口にするのは怖かった。止まってしまった僕をイルーダさんが見つめている。

「僕は、研究員への昇格試験を受けるつもりです。だからこの研究の続きは、研究員になって“戻ってきて”からでもいいですか?」

 指導者の期間が終われば僕とイルーダさんが一緒にいる必要はない。

 イルーダさんが一人で研究を続けたいとそういえば、僕はもうここへ戻ってくることはできない。

 僕は祈るような気持ちでイルーダさんを見つめ返した。

「ああ、戻っておいで。大歓迎さ」

 イルーダさんはにっこりと笑った。

「ありがとうございます!」

「それにしても思い切ったね、てっきり育成プロジェクトに参加するのかと思っていたよ」

「ここで研究していたら自信がついたんです」

 ここは資料はないがドラゴンの谷は近い。実際にその場へ行き調査できる機会が増えたことが要因だろう。

「それはなによりだ」

「それに……イルーダさんの隣に早く並びたかったのも大きいです」

「私のかい? 天才だなんてあまりいいことはないぞ」

 イルーダさんは変人扱いされるしな、と笑う。

「”天才”という肩書きでなく、イルーダさん自身の隣ですよ」

 ”より知りたい”と思った瞬間に恋ははじまっているというのなら、僕の恋はとっくの昔にはじまっていたのだろう。

「天才でワガママで純粋で少し変わっててまっすぐな……。そんなイルーダさんのことがもっと知りたいんです」

「おや、ただの悪口かと思ったらどうやら違うようだね」

 どうやら僕の気持ちに少し気付いてくれたようだ。

「でも、今はこれ以上言いません。研究員になって戻ってきたらきちんと言葉にします。だから……」

 百年の恋に、十数年の恋に負けてはいられない。

「きちんと気持ちの整理、しておいて下さいね」

 僕はニヤッと笑った。

「生意気だな」

 イルーダさんも僕と同じようにニヤッと笑い小突いた。

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