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バチバチ


「やっぱり変だと思うの。今のところどの先生に聞いてもそんなこと頼んでないって言うのよ」


 翌日。休み時間のたびに例外なくやってくる早紀の話を聞いている余裕は、今の春にはまったくなかった。

 昨日、講師から指導を受けている雨海の声を聞いて、自分の姿を重ねてしまってから、春の心は錘でもつけられたかのように沈み込んでいた。


 机に突っ伏して何をする気にもなれない。そんな春の様子などお構いなしに喋り続けている早紀。

 春にはそんな早紀が、別の星からやってきた宇宙人のように見えた。きっと宇宙人だから空気も読めないのだろう。


「こういうこと頼んできそうな先生は全員に聞いたんだけど…ちょっと春、聞いてる?」

「……いや、聞いてないよ」

「あ、ひど~い! ちゃんと聞いてよ!」

「今ボーっとするのに忙しいから」

「ていうか担任の先生じゃなかったんだけど、適当言ったでしょ?」

「え~、そうだと思ったんだけどなぁ」

「はぁ、いいけどね。でもあの沢木さんって子はちょっと変だよ」

「何が変なのさ」


 春からしたら目の前にいる早紀の方がよっぽど変である。


「だって、どの先生に聞いても違うのよ。きっと沢木さんが嘘をついたんだと思う」

「なに? 探偵にでもなりたいの?」

「え? ならないけど、私はこれからもずっと春を支えてあげるんだから」


 それなりに大きな胸を張る早紀。

 他の男子ならほぼ釘付けになるその光景に、春は何の感情も動かない。


「って、それより沢木さんだよ。あの子には気を付けた方がいいかも」

「はぁ、どういう意味?」

「たぶん沢木さんは春の事が好きで、あんな嘘をついたんだよ」


 あっさりと確信をつかれて言葉につまる。

 早紀に動揺をさとられないように、春は机に顔をふせた。


「……妄想力たくましいね」

「ん~でもそうだと思うんだよねぇ。だから気を付けてね春」

「だから何を気をつけろって言ってるのさ」

「変な女の子に騙されないようにってこと。まぁ私がそばにいるから大丈夫、心配しないで」

「いや、余計なお世話だから」


 早紀はまだ一人で喋り続けている。

 机に顔をふせながら、春はこれ以上二人を合わせない方がいいかもしれないと思った。昼休みや放課後は、なるべく二人が接触しないように動かなければ。





 そう考えていたというのに、春は目の前の光景に頭を抱えたくなった。


 昼休み。春はすぐに教室から離れようとしていたのだが、運悪く授業が少し長引いた。慌てて教室を出ようとするも、もう遅い。

 出ていく教師と入れ替わりで、教室に入ってきた早紀が、にこにこ笑いながら手を振ってくる。


 気づかないふりをして反対側のドアから教室をでれば、当然のように追いかけてくる早紀。

 トイレに行くと言ってもお構いなし、入口までついてこようとする始末。

 さすがに教室で待っていてほしいと、そう必死に説得しているところに現れたのが雨海だった。


「こんにちは泉田君。昨日はありがとう。今日もよろしくね」

「え、あ、うん! 任せて」


 まるで、春と話しをしている早紀は見えていないかのように、春も思わずあっけにとられるくらい、強引に会話に割り込んできた雨海。

 なんとか合わせられた春の返事を聞いて、雨海はすぐに歩き出そうとする。


「ちょっと待って沢木さん! 春はまだ私と話しをしてるの」


 そんな雨海の腕を早紀が素早く掴んでいた。


「すみません、気が付きませんでした。ですがこちらも急いでいるので、これで失礼しますね」

「だから待ってって言ったよね? それに私は沢木さんに聞きたいことがあるの」


 構わず歩き出そうとする雨海を早紀が力を込めてとめる。

 雨海の顔から一瞬だけ、貼り付けていた笑みが消えた。


「私たち急いでるんですけど」

「どうして急いでるの? 備品の整理なんてホントは嘘なのに」

「何を言っているんですか?」

「先生たちに確認したのよ。誰もそんなこと頼んでなかった」

「先生方全員に確認したのですか? ずいぶんとお暇なんですね?」

「……全員はまだだけど、それなら誰に言われたのか教えてよ、私も暇じゃないからすぐに聞いてくるよ」

「言いましたよね? 私は急いでるんです。離してください」

「答えられないってことは、嘘をついてたってことでいいのかな?」


 段々と場の空気が熱を帯びていく。

 春は首筋に、針で刺されたような痛みを感じた気がした。


「沢木さん、春に変な感情を抱いているなら無駄なので諦めてくださいね」

「……急に何ですか、意味が分かりません」

「春が好きだから、嘘をついてまで連れて行こうとしてるんじゃないんですか?」

「たとえそうだとして、どうしてあなたが気にするんです? 関係ありませんよね?」

「いいえ、私は将来も春と一緒にいるのが決まっているので、大いに関係あるんです」

「それってあなたが勝手に決めたことじゃないんですか?」

「いえいえ、春のご両親公認ですから。だから無駄なことはやめてくださいと言いたかったんです」

「……泉田君の意思はどうなんでしょうか?」

「……何が言いたいの?」


 お互いに声を荒げたりはしない。

 それでも二人が纏う空気の緊迫感が周りに電線していく。少なくない注目が集まりつつある中心で、雨海と早紀はお互いに一切視線をそらさず見つめ合っていた。いや、にらみ合っていた。


「ねぇ、早紀、ちょっと」


 昨日のようにうまくは逃げきれない。そう思った春はさすがに口を出す決心をした。


「どうしたの春?」

「沢木さんに変な言いがかりはやめてよ。自意識過剰みたいで僕が恥ずかしいじゃん」

「え~。そんなことないと思うけどなぁ」

「それに誰に頼まれたのかは別にさ、整理が終わらなかったのは本当なんだから、一応最後まで手伝わせてよ」

「律儀すぎない? どうして春はそんなに沢木さんを手伝いたいの?」

「一度手を付けたら最後まで、ただの性格だよ。幼馴染の早紀ならわかるだろ」


 けっして動揺を覚られないように、春は早紀の目をまっすぐに見つめる。

 少しの間黙っていた早紀は、次の瞬間にはいつもの笑顔に戻っていた。


「確かに春ってばそういうところあるよね。なら私も」

「いや、それこそ残ってる先生に確認にでもいけば?」

「あぁ、そうしようかな。うん、じゃあ沢木さん、春にその気はないから、その辺勘違いしないでね」


 好き放題言った後、早紀はその場から離れていった。

 本当のところ、今ので早紀が納得して去って行ったのかは春にもわからない。

 それでも今のところはああしてでも、無理に雨海から早紀を引きはがすしかなかった。


 春は途中から気が付いていた。雨海が平常心じゃないことを。


 最初からおかしかった。普段の雨海ならもっと完璧な仮面をかぶってこれたはずなのに、今日は最初からどこかケンカ腰だった。

 いつもなら雨海は、あんなに目立つ言い争いをしないだろう。

 それがああなったのは、最初からまともな思考じゃなかったから。


 原因はおそらく、久しぶりに受けた昨日の指導なのだろう。

 聞いているだけの春でも吐き気を催した、あの邪悪な時間。

 あの後、雨海は何時間あれに耐えたのだろう。


「とりあえず行こう」

「うん……」


 見る影もなくうなだれる雨海を連れて、春はその場から逃げ出すように音楽室へ向かった。





「ごめんなさい私、我慢できなかった。もっと穏便にするべきだったのに」


 二人しかいない音楽室。落ち着きを取り戻したらしい雨海が、自らの頭を抱えてもらす。

 その様子からは、どうしてあそこまでしてしまったのだろうという後悔が見て取れる。


「貴方をどうにか連れ出したかっただけなのに」


 はじめはそうだったのだろう。けれど、途中から雨海は、明らかに自分自身を抑えきれていなかった。

 わざと早紀を挑発するような言葉さえ口にしていたほどだ。


「いいんだよ。助けに入ってくれてありがとう」


 雨海が後悔しているのは理解できる。早紀に目をつけられて、これから春へのつきまといが増えるかもしれないからだ。

 ただそれでも、春は嬉しさも感じていた。春の行動の全てを決めようとする早紀に、雨海は心から怒ってくれた。今まで春の周りにはそんなふうにしてくれる人などいなかったのだから。


「昨日の放課後のせいだと思うよ……きつそうだったから」

「やっぱり来てたのね。会えないって言ってたのに」


 視線を斜め下におとし、気まずそうにする雨海。彼女にとっては、あまり見られたくはない様子だったのだろう。

 春も自分が父親に指導されているところなんて、雨海には見られたくないから、その気持ちがよくわかった。


「ごめんね。つい心配で」

「いいの。私も貴方が捕まってないか心配なだけだったから」

「なんだ、じゃあお互い様だね」


 軽く二人で笑いあう。嫌なことがあっても、雨海と一緒なら笑うことだってできる。それだけ雨海の存在は、春にとって心強いものだった。


「でも、昨日は本当に無理だったわ。前までならもう少し何も感じないでいられたのに」

「あの先生が来るのは久しぶりだったんでしょ? 仕方ないよ」

「それだけじゃないわ。貴方と過ごしたから、もう前の自分には戻れなくなった」

「僕もそうだけど、こもしかしてれって悪影響だったかな?」

「ふふ、どうかしらね。少なくとも私は、今の自分が好きよ」


 春もそうだった。親のいいなりになって、目的もなく生きていた自分より、雨海と出会って自分たちのために生きてみたいと思えるようになった自分がよかった。

 だから後悔なんてない。たとえ上手く取り繕うことができなくなったとしても、それが本当の自分の姿なのだから。


 隣にいた雨海が寄りかかって体重を預けてくる。


「それに、今更貴方がいなくなるなんて、もう考えられないわ」


 その通りだった。春だって、なによりも雨海との出会いをなしになんてしたくはない。

 初めて出会った本当の意味で共感し、分かり合える存在。

 今では雨海は、春にとって、他に何もいらないくらいに大切な存在になっている。


「そ、それは僕もだよ」

「あら、照れてるの?」

「あんまりからかわないでよ」

「嬉しいだけよ」


 残り少ない昼休み。

 短すぎて満足なんて到底できっこない。


「今日も先生が来るけれど、明日は予定ではお休みよ」

「じゃあ、明日は一緒にいれるかもだね」

「えぇ、明日のお昼にまた伝えるわ。はぁ、その前に今日の放課後をなんとか乗り切らないとね」

「……大丈夫?」

「平気よ。貴方とこうして話せて落ち着いたわ。それに明日が楽しみだもの」


 どんなに望んでも時間が増えたりはしない。

 春は寄りかかってくる雨海を抱きしめる。

 少しでも、一緒にいられない間を埋めるかのように。

 雨海も顔をうずめてくる。お互いに、お互いを求めて。春は短くも幸せな時間を、確かに過ごしたのだった。

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