表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

雨上がりに雨海と


 春の人生は、これまでずっと雨が降っていた。


 他人から見れば、羨ましいくらいの環境かもしれない。

 その生活から逃げ出したいだなんて、贅沢すぎる我儘かもしれない。

 嫌なら変わってくれという人が何人もいるかもしれない。

 それでも、春にとってこの人生は、毎日が雨のようなものだった。


 父親に練習を強制されるのが嫌だった。

 母親が何も口出ししないのが嫌だった。

 早紀が理想を押し付けてくるが嫌だった。

 何のために生きてるのか分からない人生が嫌だった。


 友達と遊んでみたかった。

 自分でやりたいことを見つけたかった。

 自分のために生きてみたかった。

 父親の作品として、決められた道を歩くのではなく、自分でどこに行くか決めてみたかった。

 そう思っていたところで、春には何もできなかったが。


 誰にも共感されず、一人でどうすることもできなかった。

 だから雨が降ったままだった。

 けれど、ある少女と出会い、春の人生の雨は上がった。


 沢木雨海さわきあみ。春と同じ境遇の少女。

 母親がピアニストの雨海は、幼い頃からピアノ漬けの日々を送ってきた。

 そんな雨海は、春に向かってはっきりと言ったのだ。


 ピアノは嫌いだと。


 お互いが同じ。親と、自分が他人の意思で打ち込んできたものが嫌い。

 初めてできた本当に理解し合える存在。

 雨海に出会えて、春の人生の雨は上がったのだ。


 初めて雨海に音楽室へ招待された日。春が雨海と分かり合えたあの日から、春は毎日、放課後は音楽室で雨海と一緒に過ごすようになっていた。


 クソみたいだった日常から切り離された穏やかな場所。

 そこは誰の邪魔も入らない、二人だけの空間。


「何をしても褒められたことなんてないよね? だって出来て当然だと思ってるから」

「わかるわ。あと、変なプライドがあるから、簡単にやりすぎると逆に機嫌悪くなるのよね」

「あぁ~、わかりすぎる」

「自分で教えて嫉妬して、バカみたいな人よね」

「アハハ! うちの父親とホントそっくり」


 ある時はお互いの親への愚痴を言いあった。盛り上がりすぎて、春も雨海も口から出てくる親への不満が止まらない。

 その日の夜、春は人生で一番すっきりと眠ることができた。


「で、その幼馴染は、僕がこのまま競技を続けていくって思い込んでるわけ、勝手にね」

「何それ、気持ち悪いわね。貴方がバドミントン嫌がってることに気づいてないの?」

「全然。むしろ大好きだと思ってるんじゃないかな」

「こんなに嫌がってる貴方のそばにずっといたのよね? それで気づかないって……私以上に友達がいないのかしら」

「残念ながら、人気者ですねぇ」

「あっそ、世の中ってやっぱり理不尽ね」


 またある時、春は幼馴染である早紀の話をした。

 押し付けられることの辛さを理解してくれる雨海は、心底早紀の事を嫌悪している様子だった。

 早紀の不満を言うと必ず春が悪者になって、最終的には早紀に謝ることになるのが、これまでの普通だった。

 だけど、雨海はしっかりと望んでいた反応を返してくれた。


「何か楽しい遊びって言われても、何も知らないよ」

「よっぽど寂しい子供時代だったのね……かわいそう」

「大丈夫? 自分にもブーメランかえってくるよ?」

「……悪かったわ」

「うん、よく言えました」


 何か二人でできる遊びをしてみようともした。

 二人とも友達と遊ぶことができなかったせいで、何も思い浮かんでこなかった。

 けれど、それこそが雨海と自分は本当に同じなんだと思わせてくれて、春は少し嬉しかった。


「僕らの話題ってさ、暗いのしかないよね」

「仕方ないじゃない。楽しいことなんてなかったもの」

「は、はは、その通りなんだけど、改めて実感すると凹む」

「あら、私は最近毎日が楽しいのだけれど」

「え、そ、それって」

「貴方は楽しくないの?」


 何気ない会話の中でドキドキしたり、からかわれても嬉しかったり、春は今まで生きてきて感じたことのない感情を、この数日だけでいくつも経験した。


 最初はまだぎこちなさのあった雨海との関係も、すぐに何の壁もなくなった。

 言葉遣いも軽くなり、遠慮もなくなった。

 たった数日のうちの数時間。それだけで、まるで何年も一緒に過ごしてきたかのように、実は春と雨海こそが、本当の幼馴染かのように、二人の距離は一気に縮まっていった。

 そんなある日のこと、


「本当にやりたいこと?」


 春は雨海から聞かれたその質問を、真剣に考えてみることにした。


「わかんない。むしろ見つけたい」

「……そう」

「そっちは? 本当にやりたいこと、あるの?」

「ふっふっふ、アハハ!」


 雨海が急に笑い出す。まるで映画の終盤、殺人のトリックがバレた犯人のようだと春は思った。

 けれど雨海は、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべていて、そこにはむしろ余裕すら感じられた。


「まさか! あるの?」

「あるわ! 私、手芸に興味があるの!」


 若干興奮気味に語る雨海。初めていたずらをした子供のように、そわそわしながらも妙な達成感を感じているようだった。


 春も負けないくらい興奮していた。自分はまだ見つけられていない目的を、雨海はもう見つけていたのだ。それは尊敬に値することで、素直に凄いと思えることだから。


「手芸って、縫物的な? 服とか作る感じ?」

「そういう系全般ね。デザインの道、詳しくは決めれてないけど」

「何かきっかけとかあったの? 人生の参考にしたいんだけど」

「やたらと重いから、もっと軽く聞いてちょうだい」


 一度咳払いをした雨海は、春がしっかりと聞く体制を取っているのを確認してから、幼い頃に行った展示会の話しをしてくれた。


 出かけた先で開かれていた展示会。雨海がそこを訪れたのは、本当に偶然だったそうだ。

 よくわからないまま入ったそこで見た光景は、雨海にとって一生忘れられないものになる。


 一般からの応募で集められた数々の作品たち、中には子供が作ったのか不格好なものもあったという。

 それでも雨海には、そこに展示されていた作品の全てが、キラキラと輝いて見えた。

 一生懸命で、それでいて作っていて楽しいと、見ているだけでそんな感情を、雨海は感じることができたのだという。


「あの時、一回だけしか見てないけど、それでも未だにはっきりと思い出せる。別に有名なデザイナーが作ったわけじゃない。皆趣味でやってる人たちの作品だった。けれど、一つ一つに確かに感じたわ。これを作った人はきっと楽しかったんだろうって、そう思えるようなクリエイティブなことへの魅力を、あのとき私は確かに感じた。だから、私もいつかああいう物を作ってみたいの」


 静かに、けれどその内には灯した炎を持って、雨海は彼女の想いを語ってくれた。

 それこそが雨海自身の本当の気持ち。やりたい事。目的。


 春は素直に雨海が羨ましいと思った。自分もこんなふうに思える何かを見つけたい。今までなぁなぁで我慢してきた自分に恥ずかしさを感じ、本気で生きる意味を探したくなった。


「実際にやったことは……あるわけない、か」

「えぇ、ピアニストにとって指は命だから、針なんて一切触られせもらえなかったわ」

「小学校とか授業であったよね?」

「やらなくていいって、横暴よね? でもそれも通しちゃうんだから、子供ながらに無茶苦茶だと思ったわ」

「じゃあ、ホントに一切ってこと?」

「えぇ、一時期頼み込んだことがあるから、私が興味を持ってると思ったんでしょうね。家じゅうの裁縫セットとそれに関係するものがなくなったわ」

「ピアノで食べていこうとしてる人って、そんなに気を遣うものなの?」

「それは知らないわ。私が知ってるのは、あの人のやり方だけだから」

「そっか。じゃあよっぽど面倒なとこに生まれたのかもね」

「かもね。でも、私は絶対そういう道に進みたい」


 決意を宿した瞳。雨海の気持ちが確かなものだと、その瞳を見れば疑う余地もない。


「貴方に話して自分の気持ちがはっきりしたわ……ありがとう」


 すっきりとしたような、晴れ晴れとした表情でお礼を言う雨海。

 そんな彼女の表情に見惚れていた春は、自分も雨海のように何かを見つけたいと思うと同時に、何か雨海のためになりたいと、そう強く想うようになっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ