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よく言えました


 春の学校には、音楽室が二つ存在する。


 雨海が言っていたB棟の方とは、元旧校舎を改修した部室等にある音楽室だ。

 本校舎の方の音楽室とは違い、こじんまりとした広さで、授業ではこちらを使うことはない。


 この学校には大規模な吹奏楽部もあるが、そちらも放課後は本校舎の方を使っているのだろう。

 運動部の春は、その辺を詳しく把握しているわけではないが、あの少女が来なさいというのだから、部外者が入っても特に問題はないはずだ。


 初めて沢木 雨海と言葉を交わした翌日。

 春は放課後になるとすぐに教室を抜け出して、B棟の音楽室に向かっていた。


 早く行きすぎると雨海に何か言われるかも、と考えもしたが、もたもたしていると早紀に捕まってしまう危険がある。そう考えて足早にやってきたのだが……。


(さすがに早すぎかな?)


 目の前の音楽室からは、何の音も聞こえてこない。雨海がいれば、ピアノの音でも聞こえてきてもいいはずだ。

 それがないということは、まだ雨海も来ていないのだろう。そう考えた春は、ドアにかけていた手を放した。


「早く入ってくればいいじゃない」


 誰もいないと思っていた音楽室から聞こえてきた雨海の声。思わず身体が震えてしまった春は、誰に見られているわけでもないのに、恥ずかしくて悶絶したくなった。


 気恥ずかしさを隠すように、一思いにドアを開けて中に入る。

 中にいたのは、聞いていた通り雨海一人だけだった。

 雨海は特にピアノを弾くでもなく、窓際の手すりにもたれかかって外を眺めている。


「なんで分かったのさ?」

「ん、何が?」

「僕が音楽室の外にいたこと」

「あぁ、別に、これでも耳はいいのよ。この音楽室は古くて防音がいまいちだから、廊下を歩いてくる音も聞こえるの」

「へぇ……」


 内心関心するも、春は特に雨海を褒めたりはしなかった。うっかり褒めて。調子に乗られたらと思うと嫌だったから。


「いつまでたっても入ってこないから、勇気がでないのかと思って声をかけてあげたのよ、感謝して頂戴」

「はいはい、どうもありがとうございます」

「どういたしまして、見ての通り私の他には誰も来ないから、自由にくつろいで」

「……じゃ、お言葉に甘えて」


 部屋主?のような雨海からのお許しをもらった春は、遠慮なくくつろぐことにした。

 端っこに積まれていたパイプ椅子を広げて腰を下ろし、スマホを取り出す。

 春にとって雨海から音楽室に来てよいと言われたことは、正直かなり嬉しいことだった。


 雨海に興味があったというのもあるけれど、それ以上に、こうして放課後の時間を潰せる場所が欲しかったのだ。

 家にはなるべく帰りたくない春は、今まで適当に学校をぶらぶらして時間を潰していた。だがそうすると、至る所で他の生徒たちに出くわし、ひそひそとこれ見よがしに陰口を言われることも多々あったからだ。


 それだけならまだしも、春を探しにきた早紀に見つかったらもっと最悪だ。

 何とか理由をつけて断らなければ、早紀は強引にでも春を部活に連れていくだろう。それが正しいことだと、春のためだと思い込んでいるからだ。


 学校以外で時間を潰すのは論外で、もし親に見つかったり、早紀から親にチクられでもしたら……考えなくても面倒なことになるのは分かり切っている。

 そういうわけで、春は人目を気にせず、ゆっくりとできそうな場所を求めていた。

そして実際に、B棟の音楽室は春の期待通りの場所だった。


 建物の端に位置している音楽室の周りには、あまり人が来ることはない。さらには五階建て校舎の最上階にある関係上、外からも見えにくいことだろう。


 中にいるのも誰かに言いふらす心配のなさそうな雨海だけ。

 これ以上はない、というくらいの好条件だ。

 ここでなら人目を気にせず、めいいっぱい家に帰る時間を遅らせることができるだろう。


 あとはどういう理由か知らないが、せっかく居場所を提供してくれた部屋主の機嫌をそこねないよう、おとなしくしておけばいいーー


「せっかく呼んであげたのに、貴方って案外つまんない人なのね」


 ーーと、春はそう思っていたわけだが、どうやら部屋主的には不満だったらしい。

 春のイメージ的に、雨海は調子にのって距離をつめにきた男子には、遠慮なく蛆虫でも見る視線を向けてきそうで、だからこそ距離感を大切にしようと考えていたのだが。


 逆らうことなくスマホをポケットにしまう。春が視線を上げると、すでに雨海は、窓に背を預けて視線をこちらに向けていた。


「何か一発芸でもすればいい?」

「何それ、そんなものを見せられた私はどうすればいいの? 笑ってあげればいいわけ?」

「いや冗談……でも何か話をふったらつきあってくれるの?」

「内容によるわね」

「そうっすか」


 絡んできておいて、話す気があるのかと思えば微妙な様子。

 こちらが構わないとちょっかいを出してきて、その気にさせたら去っていく。その有り様は、まるで猫みたいだと春は思った。


「じゃ、一つ質問」

「どうぞ」

「なんで僕をここに呼んでくれたの?」

「別に、暇つぶし」

「そうっすか」

「あと、興味があったから」


 最後になんてことないように付け加えられた爆弾。

 表面上はそのままで、春は脳だけをフル回転させていた。

 興味があるとは。どういう意味なのだろうか。


「貴方は? なんで来たの?」


 そんな春の動揺を、当然ながら雨海は気にしてくれない。考えもまとまらないまま、春は会話に戻るしかなかった。


「暇つぶしに丁度よさそうな場所だと思ったから」

「それだけ?」

「そ、それだけ」

「そぅ……」

「……じゃなくて、僕も興味があったから」


 春はもう恥ずかしくて、雨海の方を見ていられなかった。

 それでも一度開いた口は止まらない。べらべらと心の内を勝手にさらけ出してしまう。


「親がピアニストで、ずっと練習だけしてきたって、噂でも聞いてた……もしかしたら同じだと思ったから、だから、どんな人か興味があった」


 言い切ったあと、春はしばらく窓の外を見ていた。勢いで言ったはいいが、雨海がどんな顔をしているか、見る勇気はなかったから。

 雨海が何か言ってくれるまで、春はそうしているつもりだった。

 けれど、いつまでたっても雨海は無言だった。

 沈黙が続く音楽室の空気に耐え切れず、さすがに心配になった春が振り返る。すると、


「よく言えました」


 いつの間に来ていたのだろう。雨海が目と鼻の先にいて、春は一瞬、本気で心臓が止まったと思った。


「同じね、私たち」


 うっすらと、だが確かに雨海が笑った。

 昨日春が見た嘲笑とは違う、見惚れてしまいそうな微笑みだった。


「……そうやって人をバカにして」

「あら、褒めたつもりだったのだけれど」

「本気で言ってるなら、人の褒め方を練習した方がいいと思うよ」

「そうね。生憎今まで褒める相手なんていなかったから、今後練習相手にさせてもらうわ」

「……お手柔らかにね」


 満足したのか元居た場所に戻っていく雨海。

 その背中を見ながら、春はうるさく脈打つ自分の心臓を落ち着かせるのに必死だった。





 それから、どれくらい経っただろうか。

 春は窓から見える空が、薄暗くなり始めていることに気が付いた。

 時計を見れば下校時刻をすぎたあたり。部によってはまだ続けているとこともあるはずだが、休んでいる春はそろそろ帰らないと、逆に面倒になりそうな時間だった。


 雨海はといえば、春が音楽室に来た時と同じく、窓から外を眺めていた。

 まさかあのまま、ずっとボーっとしていたのだろうか。あれから雨海との会話はなく、春も途中から気にせず時間を潰していたから分からない。


 開きかけた口を、春は意識して閉じた。詮索したところで、雨海がどう過ごそうと春には関係ない。どうだったにしろ帰る時間だ。春はスマホをしまって立ち上がった。


「僕帰るから」

「あら、確かにもういい時間ね」

「暇つぶしさせてくれてありがとう。人目がないだけ快適だったよ」

「どういたしまして」


 会話中も外を見たまま、視線を向けてくることはない雨海。

 少しだけ寂しい気もしたが、春はそのまま帰ることにした。


「じゃ……さよなら」


 雨海からの返答はない。

 気にせずドアに向かった春。その背中に雨海が声をかけてきた。


「ねぇ……」


 まだ出会って二日。

 会話だって数えるほどしかしていない。

 それでも春には分かった。

 今のは、雨海が何か聞きたいことがあるときの声のかけ方だと。


 春は黙って振り返る。

 雨海はやっぱり外を見たままだった。


「貴方は言わないの?」

「何を?」

「ピアノを弾けって」


 雨海は淡々と聞いてくる。

 本当に些細でどうでもいいことのように、けれど、それがかえって春には痛々しく見えた。


「大抵の人は言うわよ。ピアノ聞いてみたいって、練習しなくていいのかって、この曲をひいてほしーー」

「僕は言わないよ」


 だから春は、雨海の言葉を遮るように答えた。

 今の雨海の姿は、春にとって自分自身を見ているようで、とても見ていられなかったから。


「どうして?」

「だって、嫌いだって言ってたじゃないか」


 そこでやっと、雨海が目を合わせてくれた。


「あぁ、気をつかってくれてたの? どうもありがとう」

「ん~、正確にはちょっと違うかな」

「なら何でよ?」

「僕だったらいやだからだよ。嫌いなことをやれって言われたらいやだから。自分が言われたらすごくいやだから。だから言わない。気をつかってたっていうより、自分のためだね」


 春の話しを雨海は無表情で聞いていた。

 無愛想で何を考えているのか分からない表情かお

 それが雨海のデフォルトの表情。

 そこに、やっと感情が混じりだしたのが、春にもわかった。


「やっぱり……貴方のこと、気に入ったわ」


 一瞬だけ見せてくれたあの笑顔。

 春が見惚れそうになったあの笑顔を、雨海が惜しげもなく向けてくれる。


「え? 気に入ったって」

「貴方は私と同じだと思ったから……嬉しくないの?」

「え、いや、嬉しくは、ある、うん!」


 少しの気恥ずかしさと、それ以上の嬉しさ。

 もしかしたら自分と同じかもしれない。仲間かもしれない。そう思っていた相手から、受け入れてもらえたことが、春には何よりも嬉しかった。


「あら、素直なのね」

「だって、初めて分かり合える人を見つけたから。何も隠す必要なんてないって思えた」


 はっきりと言い切ったそのあとで、さすがに恥ずかしくなった春は苦し紛れに背を向けた。


「じゃ、じゃあ、また明日!」

「ちょっと、もしかして一人で帰るつもり? こんなに暗い中女の子を一人で帰すの?」


 慌てて振り返れば、ニヤニヤと意地の悪そうな、それでいて心底楽しそうな笑顔の雨海がいて、春は今日だけで一生分の感情を動かされたような気がした。


「えっと、よかったら一緒に帰えらない?」

「はい、よく言えました」


 そう言ってほほ笑む雨海の顔を、春は一生覚えていようと心に焼き付けた。

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