補うどくろ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、トリックアート特集か。また面白そうなものを見ているな、こーちゃん。
国語の教科書でも、この手のだまし絵が載っていたっけなあ。なにに注目するかによって、見えてくるものが変わってくる、ということを教えてくれるものだったっけ。
私たちはそのときどきに応じて、見たいものを見る。意識的にかもしれないし、無意識的なものかもしれない。心理テストの対象になることだってあるな。
だから、私たちはふとしたおりに、頭を何度もよぎるものがあったとしたら、注意したほうがいいかもしれない。
単に感受性の強い弱いでは判断できない、特殊なメッセージの受信かもしれないからね。
私の以前の話なのだけど、聞いてみないか?
インビジブル・スカルといえば、トリックアートの代表的なもののひとつだろう。
並んだ二つの人の頭をどくろの両目とし、その脇に並ぶものがどくろの歯となるように仕込み、大きくまるいふちを用意してどくろそのものの輪郭とする。
はじめてその絵を見た私には、強い印象を残すものだったよ。別の見方を教えられると、そのときはそう見ることができる。
けれども、ふと目を離してもういちど対したならば、どうしてもどくろが真っ先に視界へ飛び込んでしまう。
このことは、まだ幼かった私の脳裏を揺さぶるに十分だった。
たとえ頭で考えていなくても、まぶたを閉じれば最初に浮かんでしまうのは、どくろの絵だったんだよね。
それからは、眠るために目を閉じるのも覚悟が必要だった。不安になって親に相談したこともあるけれど、くだんの感受性を引き合いに出されて、そのうちおさまるだろうから、気にしないでいなさい、とのお達し。
そりゃ、具体的な対策は分からないだろうけれど、私としてはもう少し寄り添ってほしかったんだ。「こわいよねえ、おっかないよねえ」レベルで構わないから。
それだけでもだいぶ安心できるあたり、子供は現金というか純粋なのだろうなあ。
否が応でも、どくろと付き合い続けて数日。
私はあるひとつの特徴に気づく。まぶたの裏に浮かぶどくろが、ときおり汗をかいているんだ。
私の見るどくろは、絵そのままの姿ではない。理科室における骨格標本のそれと同じように、下あごまでしっかりと備わって、正面を見やっているアングルだ。
その頬からあごにかけて、どくろがしきりと汗をかくことがあるんだ。
そして、それが見られる日は、決まって雨降りときている。
まるでどくろ自らも雨に打たれているかのような、汗のしたたらせよう。これは雨がまだ降らないうちからも見られ、また止んでもおさまらないこともある。
これは場合によっては、天気予報より確実で、ほんのわずかな時間の天気雨にも敏感に反応した。
予報士の代わりに使えないこともなかったが、私にとって不快なものである印象が勝るのは変わらない。
やはり、どのようなものをイメージの念頭に置いていても、真っ先に浮かぶのはどうしてもどくろだったからだ。
――絶対に、こいつは良からぬことが起きている。
私はそう信じて疑わなかったが、これといった対策を取ることができずにいたよ。
季節は移り変わり、夏へ。
学校でも水泳の時間がとられ、私たち生徒は水着を学校へ持ってくるようになった。
泳ぎは得意な私ではあるが、やはり意識はどうしてもまぶた裏のどくろへ向く。
どうやら、頭まで水にぬれる可能性があると、反応してくるのか。その日も授業前から、どくろはしきりに水をしたたらせていた。
これまでの水泳の授業前にもあったこと。慣れもあってか、当初の怖さよりもうっとおしさを覚えるようになっていた私なのだけど、問題は授業後に起こった。
シャワーを浴び終わった私の耳は、どうも詰まった感じが抜けずにいたんだ。
水が入り込むと、しばしばこうなる。耳を下に向けて、とんとんとはねることで、中に入った水を出すのが、当時の定石。
ところが、それに従って跳ねたところ、盛大な水音がしたんだ。
私の側頭部からね。
外には響いていなかったのだろう。近くにいる他の生徒は、私のほうを見向きもしない。
けれども、この水音を聞いて、つい手を頭にやった私は愕然とする。
痛みもないまま、私の手のひらは確かに数ミリほど頭部へ、深々とめり込む感覚があったんだ。
このとき、手を当てたのは右側頭部。ついつむってしまったまぶたの裏でも、浮かんだどくろの同じ部分に当たる部分は、おおいに欠けてしまっていたんだ。汗をたっぷり流しながらね。
どくろは、ひょっとするとこれから私の頭がなってしまうだろう状態を、あらかじめ見せ続けていたのだろうか。
この欠けたどくろを目にしたのも、わずか数瞬のことだった。
どくろの欠けたところは、まぶたの裏でたちまち治ってしまったんだ。ただし、元来の白色とは異なる、紫の色でもって。
同時に、めり込んでいたはずの手も、内側から急激に押されて、跳ね返される。
再度触れても、そこにはがっちりと固まる頭蓋骨があるばかり。強めに押し込んでもそれは変わらず、先ほどのようなへこみを許さない。
私の頭蓋は元通りに戻っていた、とそのときは思っていたのだけど……。
ほら、こーちゃん、見えるかい。
私の側頭部、髪に隠されているが、肌が青紫色だろう?
あのときから、ずっとこの色のままでね。シミといったらシミと大差なく、お医者さんに見てもらっても、特におかしなところは指摘されなかった。
今ではもう、あのどくろをまぶたの裏に見ることはないが、あのときの欠けたどくろ、色を変えて補われたどくろの形は、ずっと褪せることなく覚えている。
いつか、あの色が私全体の頭蓋を染め上げるときが来るのか。そのときに何が起こるのか。
楽しみよりも、恐れのほうが今でもちょっと大きいかな。