姉の替え玉で第一王子に嫁いだら、元恋人が替え玉してました……ってそんなことある!?
よろしくお願いいたします。
雲一つない晴天。
公爵家の長女、べランカ・フィルカは、この国の第一王子に嫁いで行く。
柔らかな新緑を思わせる髪は、派手さはないが白く清楚なウェディングドレスに映える。白い肌を程よく隠すデザインは、胸元を彩るメイズ色の宝石をより神秘的に魅せた。
妖精公女の異名を持つ彼女の姿は、ヴェールに隠されても美しい。誰もがハッとして振り返る、気品溢れる佇まいであった。
べランカは花束を持ちながら、父の腕を取ってカーペットを進む。
落ち着いた礼服に身を包む父は、国防の要と言われる騎士団長らしからぬ、どんな戦地に赴くより緊張した面持ちであった。
司教が微笑む祭壇の前に辿り着き、離れていく父に会釈をして第一王子の隣に並ぶ。
背後には多くの参列者が席に座り、この国の栄光ある瞬間を待ち構えていた。
ステンドグラスは眩しく陽光を湛え、司教の祈りから式は始まる。
王族の結婚式らしく厳かな、けれども幸福に満ち溢れた進行で滞りなく進み、最後は新郎新婦の誓いのキスが執り行われる。
第一王子、メルキオール・アルヴェルトと向き合い、ベランカは顎を上げた。
王子が恭しく、形式に則った仕草でヴェールを持ち上げる。
そしてようやくまともに対面した二人は、互いの顔を見つめて、──硬直した。
「…………!?」
「…………っ!!」
咄嗟に叫ばなかったのは、双方が師事する家庭教師の賜物だろう。
ベランカは目を見開いて第一王子を凝視し、彼もまた彼女を食い入るように見つめる。そして機械的な動作で身を寄せて、誓いのキスにしては長すぎる口付けを交わしてから、第一王子はべランカのヴェールを元に戻した。
式が続行する最中。
二人の心は同じところにありながら、まったく心ここに有らずだったのは、言うまでもない。
かろうじて微笑みを作っていたが、内心は取り繕うのさえ無理難題であった。
なにせ目の前にいたのは、第一王子でも妖精公女でもない。
数週間前に別れた、元恋人であったのだから。
◆ ◆ ◆
レイラはあてがわれた夫婦共同の寝室で、ウロウロと歩き回っていた。
気を利かせた使用人達が全員下がったことを良い事に、独り言を呟いて頭を抱えては、再び歩き出す挙動を繰り返している。
思っていたより事態は拙いことになった。
父や母、親族の反応からしてもおそらく、共謀ではない。
彼らは自分たちの謀略が上手くいくか、堂々としながらも緊張を強いられていたはず。結婚式で第一王子が偽物と分かれば、すかさず自分たちの事など棚に上げて、王家に抗議していた事だろう。
そしてレイラがヴェールを取った時、王家も動揺がなかった。
それはレイラが、結婚式前日の夜に懇意にしていた男爵令息と駆け落ちした、レイラの姉、ベランカだと疑ってもない証拠であった。
レイラは歩き疲れて、ベッドに腰を下ろす。
「……なんでよりによって、ヘイスなの……?」
「そりゃこっちの台詞なんだが?」
「うわぁあっ!?」
頭上から突然声が降ってきて、レイラは悲鳴を上げた。
真っ白な顔で視線を上げれば、先日別れたばかりの元恋人が、仏頂面でレイラを膝に抱き上げる。
レイラは平均身長より小柄なので、大人しくすっぽり収まると彼は、──ヘイスティンは、頬を擦り寄せて腕を回した。
「まずは結婚式、ご苦労さん」
「ええ、ヘイスもご苦労さま。大変だったわ、よくあれだけ来賓客を頭に叩き込んだわね」
「まーじで大変だった。地頭が良くねぇのに、興味もねぇ人間の名前覚えて、愛想振りまかねぇといけねぇなんて、地獄かってンだ」
「分かるわ、分かるわ。わたしも名前と顔を一致させるの、すっごく大変だった」
互いを労って、心から疲労のため息をつき。レイラは、そうじゃない、とやや声を顰めた。
「ねぇどう言うこと? なんで第一王子殿下の振りをしてるの? あなた、どうしても家同士で決めた相手と結婚しなくちゃならなくなったって、わたしにそう言って振ったわよね?」
何故か今日、第一王子のフリをして現れたのは、ヘイスティン・ガル。ベーリガル公爵ガル家の嫡男、つまり王弟の息子であり、レイラの幼馴染み兼、元恋人である。
くすんだ銀の短髪に、切れ長の瞳が印象的な美丈夫……というよりかは、少々強面の男であった。
レイラとヘイスティンは、幼い頃から仲睦まじい二人として、社交界では有名であった。
王弟とレイラの父は騎士仲間で、よき戦友である。屋敷で酒を酌み交わしながら、将来はきっと家族になる、などと和やかに会話する間柄であった。
美しい姉は第一王子と結婚し、可愛い妹は王弟の息子に嫁ぎ、ゲルダラ公爵フィルカ家は、末長い安泰を約束されていたのであった。
しかし、だ。
一週間前、突然レイラは、ヘイスティンに別れを告げられたのである。
自分は家のために、別の人間と結婚することになった。だから婚約も結婚もできない、と。
実は二人は恋人同士であったのだが、婚約関係ではなかった。
それは双方、揺るぎない愛情があったし、親同士にまったく異論がなかった為に、婚約関係にならずとも結婚すれば良いと言う、ただそれだけであったに過ぎない。
だからこそレイラには、ヘイスティンを引き留める口実が与えられず、彼はレイラに満足な説明もないまま、離れていってしまったのだ。
いや、そのはずだったのだが。
レイラは己を抱きしめて、相変わらず宝物のように触れるヘイスティンを見上げる。
彼は指先に彼女の長髪を絡めながら、渋面を作った。
「嘘は吐いてねぇよ。仕方がねぇ事情ができて、俺にお鉢が回ってきたんだって」
「第一王子殿下のフリしてお姉さまと結婚するって、どんな仕方がない事情なの」
「あのクソバカ、真実の愛を見つけた〜、とか何とかクソなこと言いやがって、失踪したんだとよ」
「えっ、そっちも?」
「は?」
「お姉さまも、ばっくれちゃったの」
「えっ、あの生真面目姉貴が? マジで?」
ヘイスティンの驚きようは、まぁレイラも納得する。
レイラの姉、本物の妖精公女ベランカは、それはそれは生真面目な女であった。
かといって融通が利かないわけでもなく、頭でっかちでもなかったが、絵に描いたように真面目な人だった。
何事も全力で取り組み、日夜王妃教育に明け暮れ、暇さえあれば予習と復習を怠らない。やや自意識過剰な一面もあったが、それでも優しく明るい姉であった。
第一王子メルキオールとの仲は、可もなく不可もなく、しかし不仲では無かったはずなのだ。
そこに愛がなくても、国母として安泰の為に責務を全うすると、そう言っていたはずなのに。
片や男爵令息と駆け落ち、片や真実の愛をみつけたと言い残し失踪となれば、大変な醜聞である。
明日の朝刊の一面から三面まで飾っても、どちらも文句の言いようがない様だった。
メルキオールとヘイスティンは、親族なだけあって顔や雰囲気がよく似ている。なので国王は、王家の失態を隠すために弟へ頭を下げ、下げて下げて下げつづけ、ヘイスティンという替え玉を仕立て上げたらしい。
そういえば最近、本当に忙しそうで、会う時間がかなり減っていた。そういう理由だったのかとレイラは納得する。
彼は失踪した第一王子の替え玉として、第一王子らしい振る舞いを強要され、結婚式まで何とか見られる形に仕上げてきたのだ。
そしてべランカとレイラは、瞳の色だけが違うだけで、造形のよく似た姉妹である。
フィルカ家は突然の事態に面食らい、しかし第一王子との結婚は王命であった為、家門を守るためにレイラを替え玉に差し向けたのだ。
レイラとしても、愛するヘイスティンに振られ、急に会えなくもなり、大好きな姉も失踪し、半ば自暴自棄になっていた。
動揺を隠せない両親と家の事も心配で、三年我慢すれば良いと腹を括り、姉の替え玉として勇んで参った次第である。
だが蓋を開けてみれば、何という事だろう。
両方替え玉同士の結婚であった。
「三年我慢って、何でだ?」
「白い結婚のまま三年経てば、離縁が認められるでしょう?」
「もう白くねぇのに!?」
「そういう下品な事言わないでバカスティン!!」
仰天した声を上げるヘイスティンを叩きつつ、レイラは片手を頬に当てて溜め息を吐き出す。
ヘイスティンと夫婦になれたのは喜ばしいが、これではあまりに事態が拙い。
なにせ二人が互いを間違える事はないので、双方の家を騙し通さねばならない事態なのだ。
「だいたいお前、べランカの代役が務められんのか? あの、国イチの才女様だぞ?」
「あなたこそ、メルキオール殿下の真似ができるの? あの、軟派の代名詞のような人を」
「いや、無理じゃね? 妻が出来て改心したって事にしとかねーと」
「じゃあわたしも、勤勉より大事な夫ができたってことにしたいわ」
「…………無理じゃね?」
「…………無理ね」
この替え玉同士、大変ポンコツであった。
しかしやらねば王家の威厳は丸潰れだし、実家の評判にも関わってくる。これほど大々的に国民に祝福されたのだ、今更、実は替え玉同士の結婚でした、など公表できるわけもない。
ヘイスティンは同じく長い息を吐き出し、短髪を掻き乱しながら舌打ちした。
「とりあえず、やれるところまで、やってみねぇとな。協力しろよレイラ」
「ええ、ヘイス。それはもちろん。ああでも、明日から不安だわ。頑張らないと……」
「外面的には呼び方も気をつけるべきですかね? べランカ」
「そうですわね、メルキオール殿下」
「…………ここにいねぇのにぶっ殺したくなるな」
「待って待って、物騒な事言わないで我慢し、ほわっ!?」
ころん、と体勢が変わり、レイラの濡れた髪が掛布に広がる。
ベッドに乗り上がったヘイスティンに腕を伸ばし、口付けを受け入れつつ、両手で無骨な輪郭を撫でた。
「……まぁひとまず、初夜は完遂しとかねぇと。いや普通に考えて、好きな女が腕の中に戻ってくる状況って嬉しすぎねぇ?」
「もしわたしじゃなくて、お姉さまだったら、どうするつもりだったの?」
「あ? そりゃあ自分の部屋で寝るだろ。何で?」
「それでよく替え玉に選ばれたわね、あなた……!」
「つーか、俺のセリフでもあんだぞそれ。……いや、白い結婚って言ってたっけか。どうやって回避するつもりだったんだ?」
「ヘイスに教えてもらった方法で、気絶させようと思って」
「いや、流石にあれは首が折れンだろうが……!」
軽口を叩き合いながらも、いつもの調子が嬉しく、レイラはヘイスティンに任せて力を抜く。
彼は見た目こそ冷たい印象で、口も態度も悪いが優しい人である。
大きな手が背中に周り、薄い布地のリボンを解いたところで、レイラは重要事項を思い出しヘイスティンを押し留めた。
「まずいわ、ヘイス」
「何が」
「わたし、あなたに貰われちゃったから、処女じゃないわ……。さっき侍女長から、王妃の役割は世継ぎを産むことだと言われて、すっごく遠回しに、破瓜の血を確認するって言われたの。どうしよう」
「ああ……、大丈夫だろ。第一王子の替え玉なんだから、余計ないざこざを産まないように、新婦に手は出すなって言われたし」
「え? 誰が?」
「俺が」
「絶賛いますごく出されてますけど!?」
勝手知ったる動きで、流れるように服を脱がされている状態で、手を出されないなどあり得るのだろうか。
ヘイスティンは目を眇めてレイラを見下ろすと、大層嫌な笑みで口角を吊り上げた。
「ちゃんと片付ければ良いんだろ? それに一滴も零れなければ、バレねぇって」
何が良いのだろう。どこも良くないのだが。
レイラは不安しかない明日の朝を祈りながら、白目を剥きそうになりつつ悲鳴を上げるしか無かったのだった。
◆ ◆ ◆
それからというもの、二人は手を取り合って協力し、二人三脚で周囲を騙し続けた。
外面は第一王子と妖精姫を演じ、二人きりの時は本当の名前で呼び慕う。
山あり谷あり目まぐるしい日々であったが、レイラとヘイスティンは以前よりも愛情を深め、互いに寄り添い支え合った。
その間、姉べランカが見つかり、生真面目の裏側に隠れた素顔を知ったり、第一王子メルキオールの真実の愛は、町娘と結んだ本物の愛であったりなど、ひと騒動ふた騒動あったが、二人は最後まで替え玉結婚を乗り切る事になる。
嘘からでた真として、国王と王妃になっても、子宝に恵まれても、王座を息子に引き継いで隠居しても。
レイラとヘイスティンはいつまでも替え玉を演じ続け、まっとうしたのだった。
それでも晩年、隠居生活に彩りを与えた古城に勤める侍女が、二人の話を盗み聞きしたことがある。
小さいながらも美しい庭園を眺め、四阿で休みながら仲睦まじい夫婦は並んで座り、頬を寄せ合っていた。
「ここまで頑張ったわねぇ、ヘイス。知ってた? わたし、男爵令息と駆け落ちした事になってたんですって」
「まぁだろーよ。俺も町娘と情熱的に恋愛して、廃嫡されたらしいぜ」
朗らかに笑って紅茶を飲む姿は、優美そのものであったとか。
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