私、神界について聞きました
薬中が拳銃を発砲寸前で逮捕という事件は、トップニュース間違いなしの大事件だけれど、こっちはそれこそ人類史上最大級の大事件である。
「な、なんだアレは」
刑事さんの一人が、私の開けた穴の方を振るえる指で指す。
例えるなら、ドラ〇もんに登場するタイムマシン、あれの出口である黒くて丸いアレのようなものだ。
「そ、それではみなさん、さようなら~」
メルティスさんがそそくさと、私が空けた穴からバックレようとする。
「嘘だろ……」
しかもメルティスさんが上半身を穴に突っこんだら上半身が隠れて見えなくなっているのだ。どう見ても不自然極まりない。手品のトリックか、はたまた光学迷彩か。しかしどっちもここまでち密には出来ないだろう。
「待って、待って……ちっ」
私はメルティスさんの腰を掴んで逃がさない。だって聞きたいことは山ほどある。
……それにしてもずいぶんとくびれた腰だこと。私だって、お腹の脂肪を胸に移せばこんなボディになれるのに。
「お願い見逃して。地球人に私達の存在とか転移魔法とか知られるのはご法度なの~。私がやらかしたことがバレると処刑されちゃうの~」
「もう手遅れです」
「そんな殺生な~。由美ちゃん、後生だから私が帰ったらこれを消してね」
「どうやって消すんですか」
「任せた、てへ」
「てへ、じゃありません」
「そうです。詳しく話を聞かせて下さい」
50才くらいの女性刑事もメルティスさんの足を掴んで離さない。そりゃあ警察からすれば事件についての事情聴取が必要な状況よね。
「詳しくは由美ちゃんに聞いてね」
「ですが、貴女からも聞かせて下さい」
むろん刑事さんの手が緩むことは無かった。
「ぜえぜえ」
「……もう、動けない」
私達は抵抗するメルティスさんをなんとか地面まで引き摺り戻したところで力尽きた。
「詳しく事情を聴かせて頂けますね」
女性刑事さんが刑事ドラマのように、いやこっちが本家か、警察手帳を取り出し名前と階級を名乗った。
「捜査一課長! すごいですね」
そんな偉い人が現場に? でもこれだけの事件となるとありえるのか。
「ええ。まずはこちらの不手際をお詫びいたします」
警察の皆さんがそろって頭を下げた。不手際のせいで私とママが死ぬはずだったのだけれど、実際のところ無傷なのだから怒る気はなかった。
「それはもういいんですけど……それにしてもよくメルティスさんを公務執行妨害で逮捕しなかったですね」
あれだけ抵抗しておいて。
「ええ、多分魔法とか異世界とかそういうのだと思いまして、それで手荒な真似は極力避けるようにしました」
警察が、しかも捜査一課長なんて滅茶苦茶上の方の人がそんな非科学的な思考でいいのかとツッコミたいけど、それで合っているのだからツッコんだら負けだろう。
「ああ~、バレてしまいましたね。それじゃ仕方ありません。でも後でフォローして下さいね」
メルティスさんは項垂れると、さっき私にした話をもう一度してくれた。刑事さん達の間に困惑の色が見え隠れする。そりゃ、そうなるよね。
「大至急、犯人および犯人と接触した者は隔離するように。それとあの穴を何でもいいから外部から見られないように隠しなさい」
「はっ」
捜査一課長さんはびっくりするほど素早く指示を出した。隔離というのは異世界物のアニメではお約束の、未知の病原菌がなんたらかんたらというやつだろう。ということは私もママも隔離されて検査入院か。でもそれも仕方ないか。
「あの、ひょっとして深夜アニメとか漫画とかラノベとか詳しいですか?」
「あらこんなオバサンが見てたらおかしい?」
「いえ。そういうことではなくて忙しくて見てる暇がないのでは」
某ドラマでは、捜査一課長の一日の平均睡眠時間は3時間とか謳っていたけど。
「捜査一課長になってからは全然見てないけど、その前はそれなりに嗜んでいたわよ。独り身だから出来る芸当だけどね」
「そうですか」
「それよりメルティスさん、あの穴に入ってもよろしいですか」
「その先は神界にある私の職場です。神界の法律では不法侵入ですよ」
メルティスさんは往生際が悪かった。
「あら、じゃあパスポート見せてもらえます」
メルティスさんはパスポートという単語を耳にしたとたん縮こまってしまった。身長170㎝オーバーでピンヒールを履いているはずなのに155㎝で素足の私より小さく見える。
「その……神界と地球には国交がありませんから……」
ははあ、つまりパスポートは持っていないと。
もちろん日本人ならパスポートを持っていなくても何にも問題ない。中には日本人と外国人のハーフとか、あるいは帰化したとか、見た目が日本人に見えない日本国籍の人もいるけど、メルティスさんは神界から来たと自分で言っている以上、そういうケースには当てはまらない。
「本来なら出入国管理及び難民認定法違反ですけど、ここは一つお互いさまということで」
捜査一課長さんは意地悪くニヤリと笑った。
つまり、メルティスさんの日本への入国は違法だけど目を瞑るから、穴の中に入らせろということである。
メルティスさんは大きくため息をつくと、「仕方ありません」と頷いたのだった。
「とりあえずお茶にしましょうか」
この状況に皆が戸惑っている中、のほほんとマイペースを貫いている人物がいた。私のママである。
「では頂きますね」
とりあえずメルティスさんにはウチのリビングで待機してもらうことになった。
「それにしても神様は日本語お上手ですね」
「ええ。高天原の友人に教わっていますし、年一で日本には遊びに来てますのよ」
ぶっ。
「あら由美ちゃん、汚いわよ」
「だってママ!!」
今、この女神何って言った! 高天原って日本の神様が住んでいるところじゃない。そりゃ驚いてお茶だって吹くわ!
驚いているのは私だけではない。近くで様子を伺っている刑事さん達も目を丸くして驚いている。
「だってじゃありません」
「そ、それより高天原の友人というのは……」
「キクリヒメさんとかクシナダヒメさんとか一杯いるわ」
刑事さんの一人が半ばパニックになりながら駆け出して行った。多分、この人が一番の常識人だろう。
「えっと日本に来るのはさっきの穴みたいなのを毎回作るんですか?」
するとメルティスさんは首肯した。
「ええ。私のように地球以外を担当している神様が地球に来ようと思ったらアレを作るしかないのよ」
「じゃあ、地球の神様は」
「自分を祭っている国には簡単に行けるわ。例えば高天原の神様は鳥居を使っていつでも日本に来れるし、ギリシャ神話の神様ならギリシャには簡単に行けるわ。でも外国、たとえばギリシャの神様が日本に来ようと思ったら、飛行機か船を使うのが普通ね」
「あ、それならパスポートって?」
「それは……ねえ」
偽造かよ!
残った女性刑事さんと目が合ったら、わざと視線を横に反らした。これは「こんな話は聞かなかった。私は知らない」という意思表示だよね。
「ちなみに高天原の神様ってよく下界に来るんですか」
もう一度女性刑事さんに目を合わせると小さく首肯した。私がパスポートの話を反らしたことを良とするようだ。
「んー。それこそ人それぞれ。キクリヒメさんとかクシナダヒメさんはちょくちょく遊びに来てお土産を色々買って、他の神様に配ってくれるの。一番人気は抹茶のお菓子かな」
ここでママがポンと手を叩いた。
「あ、そうだ。抹茶のロールケーキがあるんですけど食べます?」
「あらあら悪いわね」
出たよ、日本の中年女性の口ぐせ「あらあら悪いわね」が。悪いなんて微塵も思っていないのに。でも言われた方もそれを分かっているから気にしない。まあこういうのが中年女性のお約束なんだけどね。
「さあ、どうぞ」
メルティスさんがロールケーキを口にすると、ここから二人のマシンガントークが炸裂した。
「あらまあ美味しいわ~」
「神様のお口に合って良かったわ」
「抹茶の風味が上品でしっかり効いているから、本当に美味しいですわ。どちらでお求めですの」
「銀座ですわ。昨日娘とショッピングに出かけましたの」
「ひょっとしてお店は京都で有名な……ですか?」
「あら、良く解りましたね」
「ええ。以前口にしたことがありますし見覚えもありますから。それに銀座なら出店しててもおかしくないですし」
「そこまでわかるなんてとてもグルメなんですね」
「いえいえグルメだなんてとてもとても」
「そんなご謙遜なさらずに……あらあらなくなってしまいましたね。神様もう一つ如何です」
「ええ、ええ是非。でもおかわりまで頂いて悪いかしら、奥様」
「あらやだ、奥様なんて他人行儀な呼び方止めて下さいよ。私の名前は由紀です」
「そう。それでしたら由紀さん、私のことも神様じゃなくてメルティスとお呼びくださいな」
「ではメルティスさん、お代わり持ってきますね」
……ママ、神様相手に馴染みすぎでは。