私、魔法を覚えました
10月30日に大幅な加筆修正を行いました。今後執筆を再開する予定です。
2019年1月初頭
「うみゅぅ」
私は椅子からベッドへとダイブした。
数学なんて大嫌いだ~、どうせ三角関数なんて社会に出ても使わないのに~。
ごろんと転がっていると、階段を上る音に続いて扉をコンコンとノックする音が聞こえた。
「由美ちゃん、紅茶入れたわよ」
「はいはい」
部屋に入って来たのはママだ。ほんわかした雰囲気に40過ぎとは思えない肌の艶、そしてデザイナーとして在宅で仕事もこなすし家事も万能な姿は私の理想だ。
「宿題の方がどう?」
「うん。あとは数学だけだし、あと3問で終わり」
「あら、今年は慌てなくて済みそうね。やっぱり炬燵を出さなかったのが良かったのかしら」
「……まあ、そうなんだけどね」
炬燵……あれは人を駄目にする最終兵器だ。あんなのがあるから毎年宿題もやらないでぬくぬくのんびり過ごしてしまうのだ。
まあ、炬燵に入っても宿題できる人は出来るんだろうけどさ……。
「ところで将来はどうする気なの? やりたいことは見つかった?」
ママは眉を八の字に曲げている。時折パパ、ママと話はするけれど答えはまだ出ていない。
「ん~と、お姫様になりたい!」
「はいはい」
ママは私のお茶目なジョークを聞き流した。
「素敵な王子様を見つけてゲットするの。その為に英語勉強したんだし~」
白馬の王子様を夢見る年ごろじゃないけど、英語を勉強したのは嘘ではない。英語はガチの得意科目で、去年はアメリカに留学して日常会話をマスターしたからね。
「もうちょっと現実を見ようね。来年は大学受験なんだから」
「は~い」
特にやりたいことがある訳じゃない。とはいえこのままだと流されるままの人生になりそうな漠然とした不安みたいなものを感じることもある。
「じゃ、ちょっと買い物行ってくるわね。何かいる?」
「あ、パンスト破けたから買ってきて」
これじゃ、外出も出来やしない。いや、寒いからどっちにしろ外には出ないけど。
「いつものでいいのよね」
「うん、お願い」
仕方なく机に座り、問題とにらめっこしていたのだけれど……。
おや?
なにやらサイレンが聞こえてきた。この特徴あるけたたましい感じは、パトカーか。それも2台か3台、結構大きい事件よね。珍しいね。こんな住宅街で。
私には野次馬根性など無いので、外のことなど気にも留めなかった。
ま、やるか。
ここで敵前逃亡して明日学校で怒られるような真似をする必要もないからね。
気を取り直して問題にとりかかろうとしたその時だった。
「キャアーー」
ママ!
今のは間違いなくママの悲鳴だ。方向は家の外か!
私は二階の部屋を飛び出し、素足のまま玄関を駆け抜けた。足の痛みなんか気にしている場合じゃないっ。
「ママー!」
私がその先で見たのは、最悪の光景だった。
見知らぬ男がママに迫っていた。目を血走らせ、右手では真っ黒な拳銃が鈍く光っている。
あの目つきは、麻薬中毒か。アメリカで一度見たことあるから間違いない。そんなのがなんで拳銃なんて。ここは日本なのにっ。
「待て、待つんだ」
警察官たちも必死に止めようとするが、無駄だった。
「死ねや、おりゃぁー」
男は引き金に指を掛けた。
「止めてー」
全力で駆けだし、飛び蹴りを入れようとするが、跳躍する前にママが撃たれそうだ。
お願い、間に合って!
人生においてこれ以上ないほど真剣に願う。
「……あれ?」
すると私の全身から未知の力が沸き上がり、四散していく。
一体何が起きたの?
男は引き金を引く寸前のまま止まっているし、ママも頭を抱えしゃがみ込んだまま固まっているし、警察官たちも威嚇射撃なしで男目掛けて発砲しようと狙いをつけている最中で躍動感を保ったまま止まっている。
それによくよく庭を見てみると宙を舞う枯葉がピタッと制止しているけど、こんなことってあり得ない。
しかも一切の音が聞こえない。
ひょっとして時間が止まっている?
漫画やアニメで見かけるあの現象? って、そんなことある訳無いだろー。いや、今はそんなことどうでもいい。とりあえず男から銃を取り上げ、縛り上げよう。
これでよしっ。
男の手を後ろに回しビニル紐でぎちぎちに縛り上げ、全身もぐるぐる巻きにして動けないようにした。
それじゃ次はママを安全な所に連れて行こう。この男はもう動けないだろうけど一応念の為にね。
よいしょっと。
微動だにしないママを背負ってみるが、結構重たい。いやママの体型はすらっとしているし、背も150cmくらいだから平均的な女性より軽いはずだけど、私が筋金入りのインドア派で筋力が無いのが原因よね。
ぜぇ、はぁ。
あっというまに息が上がって来た。でも休むのはまだ早い。ゆっくりだけれどママを家まで運んでいく。
きつっ。
真冬だというのにすっかり汗だくである。それでも休まずに歩き続けていて、丁度警察官の真裏に来た辺りで異変が起きた。
メキメキっ。
「何?」
音のする方に目をやると、何もない空中に黒い線が入っていく。例えるなら写実の絵画に、上から何の脈絡もなく黒い絵の具で線を引くような不自然な感じである。
しかもその線はどんどん広がり、空間がパラパラと崩れ落ちていく。
これはもしや……異次元空間?
自分でも突飛な発想だと思う。通常なら頭がおかしい人間の考えることだ。でもこの異常な状況ではそれもあり得る。
「嘘っ」
その崩れた空間から、金髪の女性が顔を出した。
澄んだ水色の瞳に、白人の肌よりもさらに白い、まるで雪のように綺麗な白い肌。それはもう男性なら10人中10人が惹かれるほどの美貌の持ち主だ。いや、ちょっと人間離れしているかもしれない。
そんな美女が真っ白なドレスに、大胆に胸元デコルテをみせるように登場してきた。これはハリウッド映画だろうか、はたまた深夜アニメだろうか。
『あ、あの、これは……』
その女性はどこからどう見ても日本人には見えなかったので、とりあえず英語で尋ねてみた。
「信じられない。由美ちゃん、貴女魔法が使えるの?」
彼女は流暢な日本語で話しかけてくれた。でも驚くところはそこではない。
「え、何で私の名前を知ってるんですか。それに魔法って」
「ああ、今貴女が使ったのが時間停止魔法よ。多分無意識なんでしょうけど」
「……マジですか⁈」
「うん、マジ」
この美人さんは大きく頷いた。
ちっ。
だけど頷いた反動で大きな胸が上下動したことにちょっと苛立ちを覚えた。
「それで、貴女は一体?」
「ああ、私!? 私はメルティス、信じられないでしょうけど、こう見えて女神よ」
「ああ、やっぱり」
「あら、あっさり信じてくれたのね。手間が省けて助かるわ」
「時間が止まるくらい非常識なことが起きていれば女神さまが現れるくらいの非常識も受け入れます。ところで状況を教えて頂けないでしょうか」
「一から説明するわね。由美ちゃんのお母様と由美ちゃんは本来ならここでその男に射殺されるはずだったの」
「危なかったー」
私はともかく、大好きなママが射殺されなくて本当に良かった。
「そして死んだあと私が由美ちゃんの魂を導いて、私の管理する異世界で転生するはずだったの」
「なんでですか?」
「実は私が管理している世界があるんだけれど、20年後に新しい魔王によって人類が滅亡の危機に陥るの。そこで魔法の素質が極めて高い由美ちゃんに世界を救ってもらおうと思ったの」
「でも、私、時間停止魔法のおかげで助かりました。異世界に転生できませんけどいいのですか?」
「あー、どうしよう。でも20年後だし、その辺りはこれから考えるわ。それにしても凄いわ。地球は魔素が極めて薄いからどこかから魔素を持ってこないと魔法が唱えられないはずなのに」
メルティスさんはあきれ顔だった。地球という星は魔法を唱えるのによほど条件が悪いのだろう。
「そ、そうなんですか?」
魔素って魔法の源よね、きっと。
「ええ」
「ところであの出現方法は何ですか?」
私は割れた空間があったはずの箇所を指さした。
「空間転移魔法を使ってここに来たのよ。地球から見て別の世界である神界に私は住んでいるんだけど、そこから魔法で空間を渡ってきたの」
なにそれ、面白そうっ。
「それって私も出来ますか」
「普通は無理よ。地球は魔素が薄いもの。神界は空気中の魔素が濃いから、肺に魔素が溜まるの。そうすれば地球でも魔法を唱えることが出来るから空間転移魔法で神界に帰れるけど。あ、でも試しにやってみる? 由美ちゃんならひょーーっとしたら出来るかも」
「是非教えてください」
ダメで元々。でも時間停止魔法が出来るならあるいは、といったところか。
「えっと、空間の亀裂から魔力を感じる?」
「はい」
「じゃああの辺に同じ波動の魔力を放ってみて」
なんか抽象的よね。それに波動ってなに? 目を瞑りイメージを膨らませるとなぜかわかってしまった。
「ええと、無詠唱でいいんですか?」
さっきの時間停止魔法も無詠唱だったし。
「いいわよ」
「それじゃあ……はっ」
すると空中に人が一人通れるくらいの穴がぽっかりと開いた。
「……嘘でしょ」
「あ、ひょっとして成功しました?」
私には自信があるんだけど、メルティスさんの顔が引きつっている。
「多分やりすぎ……ってそれよりも!」
メルティスさんの声に驚愕が混じっていた。
「やーー! あ? ああ! なんじゃこりゃー!」
さっきの男が大声で叫んでいる。
考えてみれば当たり前である。男は引き金を引こうとしていたのに突然ぐるぐる巻きにされたのだ。例えるならテレビの編集で全然違うコマがつながったような感じなのだろう。アニメやドラマならよくあるけど、現実世界じゃまずあり得ないよね。
「……え」
ママは撃たれそうになった次の瞬間警察官の後ろにいたことに理解が追いついていなかった。
「……」
警察官たちは銃を構えたところで動きを停止した。何も言葉を発しないのは驚きすぎてまともに声が出ないからであろう。
「メルティスさん、これってどういうことですか?」
「時間停止魔法の上から空間転移魔法を掛けようとしたけど二つ同時に魔法を展開できないから先に唱えた時間転移魔法が解けたんじゃないかな」
メルティスさんの解説には合点がいった。あ、でも……。
「これって不味いんじゃ」
こういうのって世間にバレないようにするのがお約束よね?